辻風

茹だる季節に根差す黒B

「見ろよこれ!貫かれた腹も、ぶっ刺された頭もブチ抜かれた喉だってふさがってる!」

悟に手を掴まれて、穴の空いている腹部や傷跡の残る生え際を触るように引き寄せられる。血で濡れているのは、悟の制服と私の手だけだった。

「死に際でやっと掴んだ!」

瞳孔のひらいた空色の目が天を仰ぐ。ブチ抜かれたかどうかなんてわからないくらい修復された自身の首を掴んだ悟は、口角を吊り上げて不敵に笑った。

「俺は死なねぇよ」

*

辺りに鳴り響いていたアラートはいつしか止んでる。蠅頭はもう姿も残ってなくて、変な残穢なんか何も感じない。

「大人しく高専で待ってな」

そう言った悟は軽い強さで私の頭に触れてから星漿体を捜しに姿を消してしまった。身軽に駆け抜けていく後ろ姿を見送りながら、ひとり血だまりの中で茫然とするばかり。反転術式を会得した悟の姿が脳に焼き付いて離れない。いつもの悟の雰囲気じゃなくって、なんて声をかけたらいいかわからなかった。これだけの血を流しておきながら、触ったお腹は穴なんか開いてない。頭にうすく残る傷跡もちゃんと塞がっていた。自分の血なら平気なはずのに、悟の血だと思うだけで手が震えてきてしまう。

「吉川!」

切羽詰まった声に揺すぶられて、遠くにあった意識がようやく戻ってくる。向こうからこちらへ走ってくるのは同期の二人、七海と灰原だった。地面に落ちた携帯を拾って立ち上がる。部屋着のまま駆けつけたから、柔らかい素材のそれは悟の血を吸って重たくなっていた。

「吉川、大丈夫?」
「うん。何ともないよ」
「これだけ血を流しておいて何を、」
「私の血じゃないから」
「……だったら一体誰の血だと?」

悟だよ。そんな簡単な一言が喉に引っかかって出てこない。悟の血で間違いない。隠したところで意味なんかないのもわかってる。辺りに残る残穢で悟だってきっとばれてるだろうし。それでも、傷の塞がったあの体と、どこを見据えているのか怖くなるあの瞳孔のひらいた目を思い出すだけで、悟だとは言い出せなかった。ここに血が広がっていることなんてもうどうでもいいことだった。私に付いたこの血が悟のものだとしたって、今の悟からしてみればもう過ぎたことだ。血を流して、息も絶え絶えだったはずの五条悟はもう過去にしかいない。今の悟には傷もなければ、新たに怪我をしても反転術式で治せてしまう。

これまでの悟はいくら強かったって完璧じゃなかった。強くても怪我はするし、怪我をするってことはそれなりに痛い思いもするし、嫌な思いだってする。強い彼にだってそんな目にあって欲しくない、そう思って勝手に悟の平穏を祈ったりしてた。

「もう彼の平穏を祈ることさえも烏滸がましくなっちゃうみたい」

元から術師として隣りに並んじゃいない。身の程知らずでも、この胸に巣食う不安をできるだけ隠さないように、深く根付いてしまわないよう悟に伝えてきた。それが悟にしてあげられる唯一のことだったのに、心配すら必要なくなってしまうのかな。





「どこにも傷はないね」

アルコールで拭われて色の薄まった血の跡はそれでもやっぱり鉄臭い。怪我はしてないと伝えても七海と灰原は納得してくれなくて、硝子先輩にちゃんと説明する前に傷をみる流れになってしまっていた。

「だから言ったよ。私の血じゃないって」
「曖昧な返事は無駄な怪我の悪化を招くだけだよ吉川」
「はじめからちゃんと説明をしてください」
「状況をちゃんと飲み込めているなら任せろって感じだけど、今は無理だよ」

じっとり視線を寄越す七海から目を逸らせば、部屋の端のスペースがパーテーションで区切られているのに気が付く。知らない人と傑先輩の残穢が色濃く残っているその一角は、どうにも生きている感じがしなかった。誰の死体だろう。

「……硝子先輩。傑先輩は無事ですか」
「夏油は、ってことはその血はやっぱり五条か」
「大丈夫です。生きてます」
「夏油は殺されたって言ってたけど?」
「五条さんが?!」
「殺されるとこではあったみたいです。だけどもう傷も塞がってたし、さっさと星漿体のとこに行っちゃいました」
「塞がるって、あいつ反転術式使えなくない?」
「"掴んだ"らしいですよ」

あいつならやりそうだと妙に納得している硝子先輩と、すごい!と感動している灰原から目を逸らす。本来であれば新しい技術を身につけた素晴らしい出来事のはずなんだ。わかっちゃいるんだけど。

「……随分と、面白くなさそうですね」
「そんなことないし」

癇癪を起こした子供みたいに七海を睨みつけた。そんな私を観察するように見ている硝子先輩の視線に気づいて立ち上がる。……気持ち悪い。そんな目で見ないでほしい。硝子先輩に悪気がないことも、灰原の悟への賞賛が本気なことも、七海は私が考えていることに気づき始めてるってことも全部、全部わかってる。

私は本当に勝手だ。弱くて、悟がいなくちゃここまで生き延びれもしなかったくせに、彼がまた遠くに行ってしまったとひとり嘆いているのだから。
 

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