辻風

茹だる季節に根差す黒A

けたたましいアラートの音でベッドから飛び起きた。今日は任務も授業もなくって寮でひたすらだらだら過ごすつもりだったのに。今も廊下で鳴り響いているこのアラートは、高専に未登録の呪力を探知した時に鳴るものだった。悟と喧嘩した傑先輩がうっかり術式を使ってしまった時にしか聞いたことがない。このタイミングで鳴ったってことは、高専に到着した2人がさっそく喧嘩をしてしまったか、本当に侵入者が現れたのか……。

「時間的にはありえなくもないよね……」

今日は伸びに伸びた護衛任務が本当に終わりを迎える日だと昨日悟から連絡があった。だからもう着いててもおかしくない。部屋の入口に立てかけてある槍の形をした呪具を掴み、ポケットの中で震える携帯電話を片手で開きながら部屋を出る。画面を見たら硝子先輩からの着信がちょうど来ていた。

「もしもし」
『紗希乃、今どこにいる?』
「もうすぐ寮からでるところです」
『極力戦闘は避けてこっちに来てもらえるかな』
「了解しました」

嫌な方が当たってしまったみたい。寮があるのは高専の敷地内でも外れの方で、何か騒ぎが起きているのだとしてもここからじゃわからない。長い得物を持ちながら走るのは一苦労で、素早さがいくらか下がっている状態でひたすら駆ける。……何かいるな。ぶわり、と存在を主張するように広がりながら向かってくるのは、蠅頭だった。うえ、虫は好きじゃない。高専には普通に虫がでるけど、私は苦手なんだ。ひたすら動かしていた足を引き止め、槍を構え直す。呪力の塊を先端に纏わせて、さらにおまけで二回りも大きな塊もつけてみた。みるみる近づいてくる蠅頭の大群を振り払うように、呪具を大きく振りかざす。ブクブクと身体が膨らんだ奴らが弾け飛ぶ。ここまで数で勝負されるとなると脳筋技の方が効果的だったりするわけだ。ぱらぱらと残ってはいるけれど、この蠅頭が筆頭として何かをけし掛けてくる様子は今の所みられない。もう一度走り出して、今度こそ硝子先輩の所に向かおうとするけれど、また別の方角から違う群れが向かってきているのが見えた。どれだけ沸いてるんだこの蠅頭は!

だんだんと面倒になって、槍に纏わせる呪力の塊をどんどん大きくして、槍にも勢いをつけて振り回す。勢いよく広がっていく私の呪力を吸って潰れていく蠅頭は後を絶たない。足止めを目的としているのは明らかだった。

「星漿体護衛からのこれだとしたらストレートに考えば危ないのは天元様……」

天元様の元に行くには硝子先輩のいる部屋を通り越して、高専の中心に向かわなくちゃならない。下手に動いて無駄足こいてもいられない。遠回りするよりも硝子先輩の言う通りにしよう。……いや、でも、このまま進んだらまずいのかも。最短ルートのこの先から蠅頭の群れがやってくる。ということは蠅頭を送り出している原因がそっちにいる。迂回、天元様、硝子先輩、蠅頭、侵入者。ぐちゃぐちゃと選択肢が思い浮かぶばかりで優先順位なんか決めかねているってのに、体は焦りに耐えきれず走り続ける。暑苦しい風に混ざって香ってきたのはよく知る彼の呪力で。

「悟……?!」

塵の舞う中で、円を描くようにえぐれた石畳。鼻をつく臭いは好きじゃない鉄臭い赤の臭いだった。円の中心に横たわるのは黒。目の前にある光景が信じられなくて、握っていた槍が滑り落ちた。よたよたと頼りない歩みを進める度に、目の前の異常な光景が瞳の奥を焦がしていく。人が倒れてる。違う、悟じゃない。髪が白い。それでも、悟じゃない。辺りに残る残穢はよく知っている。知ってるけど、違うの。違ってくれなくちゃ、困る。

「悟!!!」

なんでどうしてそんなわけない。疑問と否定が入り混じって頭の中を駆け巡る。血溜りの上で横たわる悟の身体はまだ温かい。まだ死んでない。ちゃんと生きてる。生きてるんだけど、どうみても死にゆく姿にしか見えなかった。硝子先輩を呼ばなきゃ、先生を呼ばなきゃ。誰か、誰か助けてくれそうな人を……!悟の血を触った手で握る携帯は滑って文字は打てないし、画面すら赤黒く染めてしまった。震える手から携帯が血溜りへと落ちていく。

「……勝手に死ぬなって言ったのは悟じゃない」

私より先に死んじゃうの。ねえ、置いてかないで。一人にしないで。遺していかないで。

「お願いだから起きてよ……!起きてよ悟……!」

血で濡れた制服を掴んでいた手首が力強い手で掴まれる。それは地に突っ伏したままの悟の手だった。死んでねーよ。消え去ってしまいそうな声が、動揺している私の耳にも入った。地面に投げ出されたままの悟の身体がびくびくと痙攣している。それから、ゴホゴホと咽込むように咳払いを繰り返した悟はおもむろに起き上がった。

「よぉ、また泣いてんの?」

生きていてくれた喜びよりも先立つ違和感に流れる涙は止めきれず、ただひたすらに悟を見つめることしかできなかった。
 

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