ひさめ

山口伊代。好きなものはたくさんあって一つや二つに選べない。その中でも群を抜いて好きなのはお姉さま!なんで好きなのかって聞かれてもうまくはいえないけれど、何となくそうなんだろうなって思い当たることはある。

『おにいちゃん。まって、いよも!いよもいく!』

ちっちゃな頃はいつでも兄といた。性格も似ていると周りの大人たちからも言われていて幼いながらも嬉しかったこと覚えてる。そう。お兄ちゃんは怖いけれど、嫌いではないの。好きって言ったらブラコンみたいだから好きとは言わないでおくけど。

『いよちゃんっていうの?かわいいねえ』

初めて会った女の子。お兄ちゃんの周りに大人の女はたくさんいたけれど、年の近い子を目にする機会なんてさっぱりなかった。幼等部にいけばお兄ちゃんは会っていたんだろうけど、入学する年にも満たない伊代がお兄ちゃんと仲良くする女の子という存在を認識したのはお姉さまが一番最初の女の子だったの。それはもう敵のようなものに見えてしかたがなかったわ。ママの見ていたドラマに出てきた女狐そっくりだと思った。

『めぎつね?めぎつねってなあに、賢二くん』
『いよはへんなこと言うから気にすんな』
『へんじゃないもん!!』

それがいつしか敵意なんてなくなっていて、お姉さまがいなくちゃ毎日つまんないと思うようになっていた。どうしてかしら、お姉さまはお兄ちゃんを誑かす悪い悪い女狐だったというのに!なんて思ってた。けれどそれもすぐに消え去って、お兄ちゃんと同じくお姉さまにくっついて歩くようになった。そう、そこがポイントなのよ伊代。伊代がお姉さまに直接くっついていたんじゃないの。お姉さまにお兄ちゃんがくっついてたから伊代もくっついてたの。お兄ちゃんはプライドが高いから、お姉さまがくっ付いて来てたと思ってたんでしょうけどね。お兄ちゃんがお姉さまを気に入っていたから、きっと伊代の中で大きかったのはその点だと思う。お兄ちゃんがお姉さまを好きだったから、伊代もお姉さまのことが大好きになったんだわ。明確にこれ!と断言できないのはきっとそういうこと。お兄ちゃんがお姉さまに好きって断言してるのは見たことないもの。けれど、好きなんだろうなって思ってた。なのにいつしか離れて行って、案外そんなものかとも思いつつ、これが思春期……!と震えてた自分を今はちょっと抓ってやりたい。殴るのは痛いからイヤ。

『ええーっと、これはその……!吉川さんは今勉強に非常に悩んでおりまして……!』

お姉さまは最近、何かを隠してる。そんなことをポロリと呟いたら、あさ子先輩が途端に慌てだした。あらまあ、先輩わかりやすい!さすが!と煽てたら、なんとなーく話がわかるようなわからないような曖昧なことを話された。お姉さまにハッキリ尋ねに行くのも一つの手だけれど、お姉さまの邪魔をしてしまうかもしれないなら得策じゃないな、と我慢した。ふふん、伊代だって馬鹿じゃないわ色々考えてるの。お姉さまはお兄ちゃんほど高くないけど、ちゃんとプライドを持っているし、むやみやたらに傷つけたくなんかない。だって大事な大事なお姉さまだもの。お姉さまの全てを知っているわけじゃないけれど、ある程度のことは知っている。だから、あさ子先輩にお姉さまが悩み始めるようになった時期だけたずねてみた。ふーん……、その頃って何かあったかしら。お姉さまとのメッセージのやりとりや、出かけた時に撮った写真たちを見ながら考える。この頃から話題に上がるようになったのは……

『おい、飯』
『伊代の名前は飯じゃないわお兄ちゃん』

ん?お兄ちゃん……?そういえばこのところお姉さまと会うとお兄ちゃんの話をしている気がする。伊代がお兄ちゃんの話をすることもあるし、お姉さまからお兄ちゃんのことを聞かれたりすることもある。

『なんだよ』
『ううん、なんでもない』

まさか。二人の運命の輪が再び交わり始めたのでは……!?と一人で月を見ながら興奮していた夜もあった。お姉さまに言ったらきっとうまく流されちゃうだろうから言わないでおいたのを是非とも称賛してほしいくらい!けど、そうそううまくいかないだろうと思っている自分もいて、また仲良くなったのかしら程度に留めておいた。しかも、あさ子先輩に探りを入れてみたらどうやらクリスマスに伊代を置いて飛び出して行っておきながらお兄ちゃんはお姉さまと喧嘩してたらしい。仲直りしてくれたら嬉しいけれど、やっぱり昔みたいにはいかないのね、と溜息がでた。その後も仲直りできたのかわからないままお姉さまが旅立ったわけだけど、どうやら空港で仲直りしていたらしい。飛行機に乗る前にお姉さまが泣いてたのを思い出した。お兄ちゃんたら!滅多に泣かないお姉さまを二度も泣かすなんて良い度胸してるじゃないの!と部屋に乗りこもうとしたところで伊代は気付いてしまった。……これってホントに運命の輪が回ってるんじゃないかしら!?

『おねえさまはいよのホントのおねえさまになってくれる?』
『いよちゃんしってる?ホントのお姉さんになるにはね、こせきというものがかわらなくちゃいけないらしいんだよ』
『コセキはどうやったらかわるの?』
『うーん?はやいのはけんじくんとわたしが結婚したらかわるけど……』

ちっちゃな頃にした問いかけ。きょとんと目を丸くしてからお姉さまはウンウン悩んでいたっけ。結局、『大人にならなくちゃ、わかんないね』とお姉さまは言ってた気がする。まだまだ大人になっていないけれど、確かに大人にならなくちゃどうなっていくのかわからない。伊代が二人に大人になったら結婚してね、と伝えても結婚どころか離れてしまったし、伊代が口出しするべきではないのだとまた黙っておくことを選んだ。お願いお月様、本当に運命の輪が回っているのだとしたらお兄ちゃんとお姉さまをくっつけて!と祈ってたのは秘密。だけど、お兄ちゃんがお姉さまを泣かすのならお姉さまがお兄ちゃんと一緒にならなくてもいい。ナルシストで自分が大好きなお兄ちゃん。伊代は嫌いじゃないけれど、男としてみたらそこそこ酷いわ。だから、お姉さまに積極的に進めたりはしないでおこう。伊代はあくまで見守るだけなの。……と思っていたはいいけれど、見守る姿勢を徹しすぎたかもしれない。見たことないくらい怒った顔をしたお兄ちゃんを前に、身体が強張った。伊代とママの旅行先がお姉さまの所だってお兄ちゃんは知らなかったらしい。伊代言ったつもりだったし、ママも言ってるんだと思ってた。しかも、お姉さまが日本に残らないかもしれないことが相当嫌みたい。本当に見たことない顔してる!

「……お前こそ嫌なんだろ」
「嫌なものは嫌よ。けれど、伊代がお姉さまの大きな選択の鍵になることってないんだから」

そうなのだ。もう家に来ない宣言をしたお姉さまにイヤイヤ言ったって、変わらなかった。お兄ちゃんと喧嘩しただけだから、伊代が遊びに行くのは喜んでくれたけど。高校だって音羽女子に進むんだと思ってたのに公立に行くのを決めた時も変わらなかった。やたらと海明高校と繋がりのあることを気にしてるな、とは思ってたけど今に思えばお兄ちゃんのことがあったからかもしれない。今回の留学もそうだ。留学するかしないかの最終的なきっかけを作ったのはお兄ちゃんなんじゃないかって思ってる。だって、向こうの学期の半端な時期に行く必要なんてないもの。喧嘩して、もう会いたくなくなっちゃんじゃないかしら、って思っちゃった。仲直りはしたみたいだから今は大丈夫なんだろうけど。

伊代はきっと誰かの元へお嫁に行くから、相手次第ではお姉さまの遠くに行っちゃうかもしれない。お姉さまだってお兄ちゃんとの縁がこのまま遠ざかってしまったら誰かの元へ行ってしまう。それこそ日本じゃない何処かへいくんでしょう。ざっくりとした未来は想定できるから覚悟はちゃんとあって、応援もできる。けれど、見たところお姉さまと曖昧に繋がってるお兄ちゃんにその覚悟はあるのかしら。

覚悟はあるの、とお兄ちゃんに訊ねたらお兄ちゃんはダンマリしたままだった。きっと思うことはたくさんあるけど、それって伊代が聞いてもどうしようもない。だって伊代はお姉さまじゃないし、お姉さまが悲しむことはしたくないわ。悲しむか悲しまないかはお兄ちゃんの言葉次第だけれど。

ねえお兄ちゃん。伊代はお姉さまのこともお兄ちゃんのこともそれぞれ別に応援できるけど、どうせなら二人をまとめて応援させてくれないかしら。それがきっと叶ったら、伊代はこの先ずっとずっと二人を応援するわ。それこそ今は見守るだけだけど、時には口も出して行動に移して全力で応援してあげるんだから。

まだ誰にも伊代の思ってることは言ってあげない。心の奥でこっそりひっそり祈っておくわ。二人の運命の輪がちゃんと交わっていますようにって!




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