すすばらい

逃げられた。紗希乃の乗った飛行機が飛んで行くのを空港内のベンチに座って眺めながら思ったのはそんなことだった。実際は逃げられたわけじゃないのはわかってる。つーか、何だよそれ。逃げられたって意味わかんねーだろ、オレ。

「(だって、べつに追いかけてたわけでもない)」

それなのに何だ。そりゃ、幼馴染ではある。だけど近くにいなかった時期も長いし、気にも留めなかった時さえあった。近くにいないのが当たり前になったのに。また近くなってきたかと思えば急にいなくなる。しかもオレを好きだなんて複雑なお土産付きの。もう飛行機雲も見えなくなって、どっちへ飛んで行ったかもわからない空をベンチに座ったまま眺める。つい溜息が出そうになって首元のマフラーに口をうずめた。

「……あ?」
「…あれ、ヤマケンくん?」

見間違いかと思ったけどそうじゃなかった。目の前にはいつもの芋くさいファッションの水谷サンがいた。普段きっちり二つに分けた髪はおろされていてかなりぼさぼさだった。近所のスーパーに行くような恰好で年末の空港で何してんだアンタ。

「ヤマケンくんも見送り?」
「まあ」
「そう」
「……アンタはなんで一人でここいんの?」
「吉川さんを見送った後にハルたちと空港探検することになったのだけど、お店を見ているうちにはぐれてしまって」
「探検するとこなんてねーだろ」
「そうでもないけど」

ヤマケンくんは?ぼさぼさの頭を傾げた水谷サンへの答えに詰まる。紗希乃を見送って、うだうだと考え事をしてたなんて言いたくない。幼馴染を見送った後にただぼーっと座ってたって言って信じるか?オレなら信じないね。お前、勝手に落ち込んでたんだろ、とか煽ってるはず。…オレは落ち込んでないけど。

「…まあ、この混雑具合だし下手に動かないのは正解だと思う」
「待て、どういう意味でそこに辿り着いた」
「ヤマケンくんが迷ったとは言ってないでしょう」
「今言っただろーが!」

オレたちのやりとりがうるさかったのか、オレの右隣に座っていた人が席をはずして何処かへいなくなった。

「座れば?」
「そうしようかな。人混みの中を歩いて疲れたから」

そういえば。いわゆる友達というやつにちゃんとなってから二人になるのは初めてだった。つい最近の出来事のはずなのに、どこか遠いことみたく感じる。

「なんでそんなにボサボサなんだよ」
「昨日、考え事してたら眠れなくてハルの電話で起きたから。集合時間が早めで助かった」
「お前ら集合時間早すぎなんだよ。あいつ出発したのついさっきだぞ」
「ササヤンくんが早めにしようって言ったの。なぜだと思う?」

あの中では一番常識人だと思ってたのに何考えてんだろうか。それに、なぜも何もねーだろ。最後の時間をいっぱい一緒に過ごしたいとか、何か渡したいとか、話したいとか……。

「きっと自分たちが吉川さんに会える時間は短くなるだろうから、いつでも会えるように早めに行っておこうって」
「……」
「思ったよりしっかり会えたことだし、ヤマケンくんもちゃんと会えたみたいでよかった」

オレと紗希乃の現状を水谷さんたちがどこまで把握してたのかは知らない。だけど、気を使われてたってことは礼を言うべきなのか。でも水谷さん自身は気付いて無さそうだしな。気付いたところで何か表立ってやろうとはしないだろうけど。つーかできないだろ。

「……なにか引っかかってるの?」
「ハ、?」
「なんだか腑に落ちないような顔をしているから」

ボサボサの頭を手櫛で梳きながら、水谷さんは何て事のないようにたずねてきた。何か引っかかっているか?そう聞かれたってこれと言ったものはない。というか、ハイこれが原因です。って確実に提示できる理由が見当たらない。だったら何がオレのなかでもやもやしているのか。蜘蛛の巣が肘にまとわりついてるような、歩くたびに足首を掠っていく雑草だらけの道を歩いているような、そんな感覚。

「後悔しているの?」
「なにを?後悔することなんてひとつもないね」
「本当に?」

本当に?髪を梳くのをやめて、水谷さんは手を膝の上に置いた。その動作がやけにスローモーションに見える。本当にって、何を疑ってんだ。

「あなたがわたしに思いを告げてくれた時に言ったんじゃない。飾らないってすごく難しいって。」
「なんでその話が今出てくるんだよ。オレが素直じゃないことがそんなに気に掛かるワケ?」
「気に掛かる。とくに今は」
「……」
「吉川さんはたぶん、素直だから。逃げようとしても途中で折り返して戻ってくる。そんなあの人へ掛けてあげる言葉をヤマケンくんはきっと選んでる」
「選べてたらこんなに苦労なんてしないんだよ」
「そう。飾らないで選ぶのに苦労してる。だから、なにか後悔している」
「なにかって随分アバウトだな」
「あなたたちの間であったことを詳しく知ってるわけではないので」

そこのところを誤解されたら困る、と焦ったように水谷さんが首を振った。

「アンタにしちゃ、随分とオレに関心があるみたいじゃん」
「今までたくさん相談に乗ってくれたから」
「お礼ってことか」
「それもあるし、話がややこしいのにはわたしが関わっている気がしてならなくて」
「……」
「それは肯定してるととっていいのヤマケンくん」

さあ、なんでも聞いてくれて構わない。とやたら偉そうにしてるように見える水谷さんに溜息をつくと、「はやく言って」と急かされた。悩んでる上の溜息じゃねーよ、アンタの行動に対しての溜息だこれは。仮にも好きだった相手に思うことじゃないが、この女にオレのもやもやが理解できるような気はあまりしない。

「さあ、どうぞ」
「なんで楽しそうなんだよ」
「相談することはあっても受ける側になることはあまりないから」
「ちゃんと答えられるかどうか不安になんねーのかよそれ」
「わたしがヤマケンくんに相談へ乗ってもらった時はあなたから答えを得るだけじゃなかったもの。人と話すことに自分の気持ちを整理する意味もあるのだとそれでわかった」

だから、整理する道具に自分を使えってか。満足げな水谷さんから目線をずらして、目の前にある大きな窓ガラスの向こうを見つめた。またひとつ、どこかの空へと飛行機が飛び立っていく。

「メールするって言われて、来なかったらアンタならなんて思う?」
「相手にもよるけど」
「……あのバカ女とか」
「夏目さんは返事を返さなくてもメールを送ってくるから来ないなんてありえないな」
「相談する前に話の腰を折ってんじゃねーよ」
「そのメールで伝えて欲しかった用件はなに?」
「は?用件なんかねーよ。普通に連絡取り合うだけだ」
「用件もないのになぜ……?」
「アンタに相談してみようと少しでも思ったオレがバカだった」

いつまでもこんなところにいても意味ない。伊代はどこだ。さっさとこんなところから帰ってやる。あいつが見つからなかったら、置いてオレだけ帰ろう。なにをこんな所で油売ってたんだ。そう思ってベンチから腰をあげた。

「ヤマケンくんは吉川さんからメールが来なくて悲しかったのね」

思わず、座ったままの水谷さんの方を勢いよく見てしまった。すこしだけ、驚いた顔をした水谷さんは、オレを見上げたまま納得するように呟いた。

「本当に接したいようにできなくて、もどかしかったんでしょう」

座ったら?という水谷さんの言葉に喰い気味にオレはベンチに再び深く腰かけた。背もたれにだらしなくもたれかかってマフラーに口元を埋める。長く吐いた息でマフラーに熱がこもっていくのがわかった。

「べつにメールがしたいわけじゃねーんだよ」
「そうなの」
「電話もしたいわけじゃない」
「まあ時差があるし難しいかと」

そんなもの間接的に繋いでくれるだけのモノにしかすぎない。当たり前だが小さい頃のオレと紗希乃の間にはそんなものは無かった。それを介さないといけない今の関係がまどろっこしい。だけど、それを利用しなくては紗希乃と離れていく。ただでさえオレが振ったことでアイツは再び離れていこうとしていた。

「アンタはさっき、オレが紗希乃に掛ける言葉を選んでるって言ってたけど、そんなことない。それが出来てりゃ、泣かせなかったんだよ」
「それは選ばれた言葉が求める言葉じゃなかっただけの話でしょう。ヤマケンくんが吉川さんに何て言って泣かせたのか知らないけれど、彼女がヤマケンくんに対して怒っている所は見たことがない」
「アイツが怒らなくたって、オレはイヤだ」
「イヤだったのは泣かせたこと?それとも泣いていること?」
「それはっ、」

どっちも嫌に決まってんだろ。噛みつくように言いそうになって、あわてて口を噤む。そんなことを全く知らない水谷さんは顎に手をあてて、首を傾げて悩んでいる素振りをしていた。

「ひとつ思い出したことがあるの」
「……なに」
「わたしと吉川さんが似ているっていう話があったこと」
「別に似てねーだろ」
「わたしも似てるとは思っていなかったのだけど、本人や夏目さんたちから聞く分だと似ているところもあるみたい」
「……」

水谷さんと紗希乃の似てるとこなんて……いろいろ思い返してみるとあるようなないような。勉強に関しては何となく似ているような気がしないでもない。つーか、似てるって本人に言ってしまった気もする。よくよく考えてみると全然似てないじゃねーか。なんであの時、似てるって言ったんだ。

「それで、何がわたしたちを似てると思わせていたんだろうって考えた時に思いついたことがある。ひとつ目、勉強に対する姿勢。これは互いに勉強してる中で意見が通じる所もあったしあながち間違いでもないと思う。けれど、これはわたしと吉川さんに限っての話ではなく、世にいる学生には似たケースは少なからず一定数いるはず」
「待て、なんでそんな真剣に考察してんだアンタ」
「だって、自分とは全く違うところで生きている人と似ていると言われて疑問に思ったから」

気になるのは当然だというように水谷さんはゆっくりと瞬きをしてから、再び口を開いた。

「そして、二つ目。何となくぼんやりとしていたけど今日あなたと話していてわかった。ヤマケンくん、きっと、あなたの行動とか態度がわたしたちを似てるって思わせている理由の大部分を占めてると思う」
「……は?」
「わたしと吉川さん、全然ちがう人間だから違う接し方になるのは当然のことだけど、きっとヤマケンくんは周りの人とは違う接し方でわたしたちに向き合っていた」
「……」
「今にして思えば、ヤマケンくんは相談はもちろんだけど色んな所でわたしを気遣ってくれていた。きっと吉川さんへも同じでしょう」
「だから周りから見たらアンタたちが似てるように見えるって?」
「そう思う。夏目さんやササヤンくんに聞いても、改めて考えてみるとどこが似てるかって具体的なのが出て来なくて曖昧だった。だから、そういうことかと」
「あのさ、忘れてるわけじゃねーよな。オレがアンタに好きだって言ったこと」
「もちろん。ハルと付き合っていると知っている上で交際を申し込まれたのだから忘れられるわけがない」
「まだ道徳心なんたらって引きずってんのかよ……」
「引きずってないし忘れてもいない」
「……だったら、普通に考えてあってはならないことだって気付かない?仮にも自分に告白してきた男が別な女にも粉かけてるってことだぞ。二股しようとしてるってことだ」
「ふ、二股……?!」
「なんで驚く。アンタが言ってんのはそういうことなんだ。同じように扱ってたっていうんなら、それじゃまるでオレが紗希乃のこと好きだって言ってるようなもんだ」
「好きじゃないの?」
「はあ?」
「嫌いではないでしょう。なら、恋愛とかそういう好きでもおかしくない」
「嫌いじゃない、けど、なんでそーなる!」
「昨日、いろんなことを考えた。半年前って何をしていただろう、とか前のことを思い出していた時、ふとヤマケンくんに言われたことを思い出した」

『なんで0か1しかねーんだよ、ロボットかよ』

「ってね、言っていた」
「全く覚えてないんだが。いつの話だ?」
「半年よりももっと前。1年位前かもしれない。それを思い出して思ったの、確かに人の感情って0でも1でも足りなくて、もっともっとたくさんある。それに気付けたのはハルがいたからで、それでも全てじゃない。ヤマケンくんや夏目さんたちのお陰で知れたこともある」
「……」
「たくさん出てきた感情はまっすぐに進んではくれなくて、急に曲がってみたり何かとぶつかってみたり…ひとつ悩みが解消されたらまた新しいのが出てきて絡んでいって…本当に難しいと思う。だから、もしもヤマケンくんが吉川さんを好きだったとしてもわたしはおかしいとは思わない」
「……おかしいって言えよ」
「言わない」
「二股だって引けばいいだろ」
「二股はいけないことだけど」
「やってない」
「知ってる。だから、おかしくなんてない。ただ、惹かれるところが彼女にあったってだけのことでしょう。それに、結果はどうあれ区切りはつけたのなら悪いことなんてないはず」

区切りを本当につけられたというなら オレはこんなところでぼさっとしているわけがない。自分から振っておいて、幼馴染だったってことにかこつけて繋がりを切れないようにして。よく考えてみればおかしい行動ばっかだ。振った後もしかしたら紗希乃はあのままオレから離れて行こうとしてたんじゃないか。それを止めなければあいつのためになったはずなのに、オレはなぜか必死になって追いかけて引き止めたんだ。

「好きなんかじゃねーよ、嫌いじゃないけど」
「……そう」
「絶対、ちがう」
「わかった」
「……」
「あ、ハルたちが近くに来たみたい。メールがきた」

立ち上がってスカートを直しながら水谷さんがちらりとこっちを見てきた。行かねーよ。オレは後で迎えを呼んで帰る。アンタらとはいかない。もう一度深く座り直して、水谷さんのいる方の反対を見つめる。子供っぽいことをしているのはわかってるけど、今はごちゃごちゃしていて、落ち着いて話なんかできやしなかった。

「ヤマケンくんって、本当に素直じゃないのね」

くすりと笑う声がして、思わずそっちを見てしまいそうになる。ダメだ、きっと今見ちゃいけない。また、ぐっちゃぐちゃになる。さよなら、と去っていく水谷さんに適当に返事をして、気を紛らわすためにスマホを開いた。気付かなかったけど、飛行機が出発する数分前にメールが1件届いていた。

『行ってきます またね』

まだ着いてもいないのに、半年後のことを思い浮かべる。半年ってどのくらいだ。日にちじゃない。体感でどのくらいだろう。この半年はどうだった?これからの半年はどうなっていく?あー、クソ。もう何が何だかわかんねー。アメリカなんか行ってんじゃねーよまだ高校生だろうが。

「はやく帰って来いよ」

ばか紗希乃。



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