憧憬/降谷零


小さな歯車おおきな車輪


学校からの帰り道、居候している探偵事務所の真下にある喫茶店のガラスから見えたのは二人の男女。一方は小五郎のおっちゃんの弟子になった安室透。その向かいに座っていたのはこの前公園で出会った安室透のストーカー女だった。

ガラス越しに笑う安室透に手招きされてポアロの中へ入る。奥から出てきた梓さんに「僕がやりますからいいですよ」と笑顔で制して、安室さんがカウンターへと入った。

「オレンジジュースでいいかい?」
「うん!ありがとう安室の兄ちゃん」
「例には及ばないよ。いつもお世話になっているからね。篠原はどうする?」
「おかわりくださーい」
「わあ、お姉さんって喫煙者だったんだね」
「小学一年生から喫煙者って言葉が出てくるなんてね」

びっくりだわぁ、とふかしていたいた煙草を灰皿に押し付けている。やっべ、テレビで見たとか言って誤魔化さないと!なんとか言い逃れようと慌ててると後ろから「コナンくんは物知りなんだよ」と安室さんがフォローしてくれた。これは喜んでいいのか。例の組織と繋がりがあるかもしれない安室さんはオレの正体にも気付いている可能性がある。そして、それと繋がりのある目の前の女にも気をつけなくちゃならねえ。

「そうだ!わたしストーカ―じゃないって言ったよね!ね!」
「そうなんだけど、あんなにいっぱいの写真見たらそう思っちゃうのが普通じゃないかなあ。悪い人はみんな最初は悪くないって言うって小五郎のおじさん言ってたよ」
「そりゃそうだけど…少なくともわたしは違うわけで!」
「いくら知人だと主張しても、知人からストーキング行為を受けるケースもあるしね」
「なんっで貴方がそっち側つくの!裏切り者!そういうんじゃないってわかってるじゃないですかっ!」
「だから普通に連絡しておいでって言っただろう?写真を集められて嫌じゃないとでも?」
「すみません許してくださいわたしの仕事のモチベーションがかかってるんです」
「安室の兄ちゃんじゃないもの集めなよ……」

むむむ…と悔し気に押し黙る。この前、この女に会った後すぐにポアロで安室さんに話を聞きに来た。ストーカーされてるんじゃないのかと尋ねたところ、身に覚えもなさそうで特別なにもないと不思議そうに答えられた。それで安室さんの写真をいっぱい持った女のことを話してみると、「名前は?」と聞かれた。そういや名前を聞きそびれたな、とあの時の事を思い出すと、電話口に「篠原」と名乗っていたのを思い出す。

『ああ、篠原ね…』

一瞬でふっと面白いものを見つけたような顔になっていた。ストーカー紛いではあるけどそうじゃないよ、と知り合いだと言っていたけど、まさかすぐに再会するなんて思ってもみなかった。


*

「ジュースありがとう安室の兄ちゃん、次からはほどほどにしたほうがいいよ篠原の姉ちゃん」
「ご忠告をどうもコナンくん……」
「はは。送るよ、車をまわすからここで待っていてくれ」
「はーい」

車を駐車場にとりに降谷さんが去ってから、コナンくんと二人きりになる。下からの刺すような視線にあえて気づかないふりをしながら、「雨が降りそうだね」なんて曇りはじめた空を見上げてみた。

「篠原の姉ちゃんってさ、」
「あ。わたし苗字で呼ばれるの好きじゃないの」

名前で呼んでほしい、そう言いながら名刺を一枚渡す。そこに書いてあるのはわたしの偽名と嘘の職場の肩書。わたしの偽名は篠原紗希乃。降谷さんみたく全部ではなく苗字だけ偽名だ。

「へえ〜……雑誌記者、だったの?」
「そーなの。へぼへぼ出版社で小さな隔月雑誌作ってるんだ〜」
「すごーい!どんな雑誌?」
「いろんな事件とか追っかけてるよ」
「へっ?事件?」
「そうそう。といっても社長の娯楽で始まった雑誌だからさ、他の雑誌みたいに鮮度が重要な内容は取り扱わないけど。解決して落ち着いた事件をまとめて報じたりってところ。」
「それじゃー、安室の兄ちゃんと会ったのもそのお仕事で?」
「そうだね。それに出身の学校同じなんだよね、わたしたち」
「へー共通の話題があって仲良くなったんだね!」
「そんな感じです。仲良いかは不明だけど」

半分嘘で半分本当のこと。わたし自身は雑誌なんて作ってない。ただ出版社があるのは本当。公安で買い取った情報屋の根城を出版社として保有していて、申し訳程度の隔月雑誌を出版しつつ活用している。主な活用法は潜入捜査する際の経歴の偽造、情報収集の際に提示する身元情報に利用すること。住所も雑誌も実在するとわかれば一気に信用度はアップするもんだから、これがなかなかいい隠れ蓑になるんだな。

「お仲間くんたちによろしくね、江戸川コナンくん?」

降谷さんの車が到着して助手席に乗り込む。コナンくんに別れを告げて車が走り出した。久しぶりに見た降谷さんの愛車はとても綺麗で新車の臭いがする。「このまえ廃車にしたんだ」あ、そうですか。香水変えたみたいに言わないでくれるかな。

「面白かっただろ?」
「そうですねえ。なんだか小学生じゃないみたい」

言動も、あの刺すような視線も。一体なにがどうしてあんな風に育つんだろう。小学一年生って6歳でしょ。6歳の頃のわたしなんて人形片手にふらふらしてたよ確か。

「コナンくんに見つけやすいようにあの席選んだでしょ、降谷さん」
「よく気付いたね」
「お店の前のプレートも準備中にしちゃってましたし」
「ああ、そうだありがとう。出てくる時に変えてくれてたね」
「お客さんがガラガラなのおかしいなって思いまして。従業員の女の子の様子だと普通に営業中だったんですもん」
「車を回した後、忘れ物を取りに行くフリでもして戻しておこうと思ったんだよ」
「……あの少年は"どっちの"対象ですか?」

「俺、個人のって言うのが正解かな」

そうしてニヤリと笑う姿は安室透というよりも見慣れた降谷零 その人の姿だった。




小さな歯車おおきな車輪

←backnext→





- ナノ -