憧憬/降谷零


その2


「要するに、君はまだ20歳で、昨日の成人式の後に友人と酒を飲み、普段通りに帰宅した後に目が覚めたらここにいたと」
「正確に言うならあなたに誘拐されてここに来ました」
「誘拐していない!」

わたしが距離を開けると意地になって誘拐犯もとい降谷零さんは距離を詰めてくる。離れて、詰められる。広いリビングの中を延々とひたすらぐるぐる回ること10分。やっと折れた向こうが、ソファに腰掛けて、深いため息をついていた。

「本当に誘拐なんてしてないよ。君は、君自身の意思で俺とこの家で暮らしてる。最も20歳なんて若さなんかじゃないが」
「……信じられない」
「俺も信じられないよ」
「その割に落ち着いてますけど」
「君もだろう」
「気が動転するとかえって冷静になるんです」
「知ってるさ。そのおかげで助かったことがたくさんある」
「……あなたもそうなんですか」
「いや?熱くなることもあるよ」
「そうは見えないけど」
「今は……そうだな、すこし落ち込んでいるだけさ……」
「えっ」
「君にここまで露骨に避けられたことが無くって」
「えっと、ごめんなさい?」

謝るくらいなら避けるなという心の声が聞こえた気がしてならない。悪い人ではなさそうだけど、降谷零さんが座っているところから人ふたり分くらい空けて腰掛ける。降谷零さんはまたため息をついた。いや、だってね?落ち込んでいるからといって距離を急に詰めるだなんてわたしには無理な芸当だよ!

「……わたし、記憶喪失になってるとかそういうオチだったりしません?」
「それはない」
「なんで断言できるんですか」
「昨日の君より髪が長いし、何よりそんな部屋着初めて見た。それと顔立ちがやっぱりどことなく幼い」
「どことなく程度で済んでるということは、わたし割と老けてないんですか?!」
「いや、厳密に言うなら所々変わってるけど指摘したら怒るだろ?」
「……」

あの西暦で合ってるならわたしは20代後半…そして30代は目前…変わってるのはいったいどこだ?シワ?ほうれい線?クマ?ていうか怒るってことはこの人わたしに指摘したことがあるわけだ。なんかむかついてきた。

「そういう失礼な指摘もする仲で、こんなだだっ広い部屋に一緒に住んでて、しかも同じベッドで寝てるってことは間違いなく未来のわたしとあなたは結婚してると思うんですけど合ってますか?」
「いろいろ含みがあるようだけど合ってるよ」

未来の旦那さんがまたしてもため息をついている。しまいには頭を抱え出した。なんて声をかけよう……いや、黙ってたほうがいい?でもなあ、と考えていたら持っていたスマホが鳴り出した。うわ、登録してない番号じゃん。出た方がいいの?でも今のわたしじゃわかんない相手かも…

「貸して」
「は、はいっ…!」

わたしが明けた距離なんかおかまいなしに、降谷零さんが身を乗り出して手を差し出してきた。ごつごつした大きな手にスマホを乗せると、画面を一目見てからすぐに通話をタップした。

「俺だ」

オレオレ詐欺の一種かな。なんて、思ってるのがバレたのか通話しながら立ち上がっていく。

「吉川は今出れない。……まあ、そんなところだ。有給当てておいてくれるか。今日からとりあえず3日くらい。回せるものは俺に回してくれ。あぁ、平気だ。頼んだぞ、風見」

なんだ知り合いだったの。知り合いの番号くらい登録しておきなよ自分。降谷零さんの話ぶりからすると職場の人からの電話っぽい。そしておそらく、この人も同じ職場の人だ。職場内結婚してるのかわたし。電話が終わったらしいのに、スマホは降谷零さんの手の中に収まったまま。

「悪いけどこれから仕事がある。君はとりあえず有給にしておいた。本当はついていてやりたいけどそうもいかないし、連れて行くのも難しい」
「外にでも適当に出ておきますよ」
「駄目だ。他人にこのことが知れたら厄介だからね。代わりに誰か呼ぶから、その人が来るまで家から出ないでくれ」
「……他にしちゃいけないことは?」
「理解が早くて助かる。飲み食いは自由にしていい。風呂もトイレも。トイレは向こうにある。消耗品もすべて自由にしてくれ。ただ、寝室の奥にある2つの部屋には入らないでくれ」
「それはなんの部屋ですか?」
「俺たちそれぞれの書斎だよ」
「仕事のものが置いてあるってことね……なんの仕事なんですか?」
「詳しくは言えないし、言ったら今後の君の人生を大きく左右するだろ」
「たしかに」

それからバタバタと慌ただしく準備をした降谷零さんはシワひとつないスーツを着ている。知らんふりしているのもなんだかな、と思って玄関まで見送りに行けば、慣れたように左手から指輪を外して、玄関の棚に置いてある小さな箱の中に収めていた。きっと、隣に空いたスペースには未来のわたしの指輪が収まるんだろう。

「これから来るのは今の君と年が近い女の子だ。しっかりしている子だから心配いらない。君からしたら不安だろうけどね」

じゃあ、行ってくるよ。手が伸びてきたけれど、途中でピタリ。止まってそのまま戻っていった。




その2

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