憂き世に愛はあるかしら
憂き世に愛はあるかしら




鍋でコトコト煮込んだミルクをマグカップに入れて目の前の男の子へ差し出すと、テーブルに置いてあるハチミツの瓶をひっくり返すようにどぼどぼ入れ始めた。おえ、甘すぎて飲めないよ。ていうか溶けないって、下に沈むって。

「で?ここは天国なの地獄なの?」
「どっちなんだろうねえ」
「僕より先にここにいるのにわかんないの?」
「前ここに来た人は冥界って言ってたけど、それを天国ととるか地獄ととるかは君次第だよ。一陽太くん」
「だから、混ざってる!僕は一十一で当麻陽太なんだってば、」
「だったらどっちかに絞ってよ。どっちで呼んでも微妙そうな顔するんだもん。」

向日葵畑で拾った男の子はなんだか特別な事情があるみたい。いきなり二つの名前を名乗られて、どっちで呼べばいいんだ?と疑問に思ったけど、彼自身もどっちで呼ばれたらいいのか戸惑ってるみたいだった。なんか、いろいろと大変そう。この暑いのに全身真っ黒だしさ。

「紗希乃ちゃんにとってここは地獄?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、一人ぼっちだったから」

一人ぼっちだと地獄なの。そんな単純な疑問が浮かび上がってくる。わたしはまあまあ長いことここに一人でいるけれど、それが地獄だなんて思わなかった。

「うーん。どっちかというと天国派だけど」
「えー、一人でいいの?」
「見せかけの人間関係よりも一人でゆっくり過ごしたいの」
「……」
「一人が地獄だって言うんなら、一人で来ちゃったニノマエくんにとって、ここは地獄なんだろうね」

思ったことを何となく言っただけなんだけど、何やらカチンと来たみたい。彼の面白くなさそうに口が尖っていくのがわかった。そして気付けば、さっきまでハチミツ入りのドロドロしたホットミルクを飲んでいたはずなのに、なぜか赤いマジックペンを握りしめていた。

「なんでペン?」
「キリトリ線」
「ん?キリトリ?」
「紗希乃ちゃんの顔に書いたから、それに沿って切り取ってあげるよ。キッチリ二等分にしてあげる」
「ええっ?!そんなことしたら痛いじゃん!」
「痛いとか思う前に死んじゃうから大丈夫だよ〜。僕は君よりも速く速く動けるんだ!」
「ねえ、陽太くん」
「命乞いなら手短に!5秒くらいでいいかな〜。行くよ紗希乃ちゃん。ごー、よーん、さあん、にー、」

陽太くんの「いち」と、わたしの「もう死んでるんだけど」が同時に発された時、陽太くんの瞳がぐらりと歪んだ気がした。瞬きする間なんてなかったのに、気が付けば陽太くんはどこからか取り出したナイフをくるくると弄んでいる。

「ねえ、すでに死んでる僕らが死ぬような行為をした時はどうなるの?」
「わかんない、わたしは死んでからまた死んだことないし」
「それくらい見たらわかるし!まっさか、生き返るとかないよね?」
「この世界で生き返っても死んでることには変わりないけどね」
「あーもーややこしい!なんなのここ!」
「冥界」
「知ってる聞いた!それにやっぱり天国なのか地獄なのかわかんないんだけど!」
「それってそんな重要なの?」

鏡を見たら本当にキリトリ線が書いてあった。ご丁寧にハサミのマークまで入れちゃって…っていうか、この子いつこれ書いたの?さっきから知らぬ間に色んな事が変わっている気がする。なんだろこれ。わたしさっきから直々眠ったりしてる?

「本当に地獄に落ちたんだとしたらすっごいすっごいムカつく」
「あっ、それだけ」
「だけど、」
「うん?」
「地獄に落ちても仕方ないことはいっぱいしてきたんだ」

だから、ここが地獄じゃないとおかしいでしょ。そう続くであろう言葉が聞こえた気がするけど、陽太くんはだんまりしたまま。ほんとのところはなんて言ってるかなんてわかんないけど、わたしが聞いてもどうしようもないのだと思う。少なくとも、今は。


「もう一杯飲む?生憎ハチミツはさっきの瓶しかないけどさ」
「……なんでそれしか置いてないの。普通もっとあるでしょ。」
「普通だから無いんだよ」


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