時折、見張りの男が小屋の小さな窓からこっそりと覗き込んでくる。さっきまでのわたしたちのやり取りは運よく見つからなかったようで、男に動きはない。さっきまで転がっていた場所にまるで縛られているような体制で横になっておく。リリィと場所が近づいてはいるけれど、身じろぎした程度にしか思ってないだろう。
「リリィ、夜が明ける前にこの小屋を出ようと思う。その時、もしかすると痛い思いをするかもしれない。わたしは自分の怪我は治せるけれど、あなたの怪我まで治すことはできないの。だから、できるだけわたしから離れないで」
「それじゃあ、お姉ちゃんだけいたい思いをするよ?」
「大丈夫。ちょっと痛くても、すぐによくなるわ」
心配そうなリリィに微笑み。窓の外へ視線を送る。日が落ちてきた。何時ころかはわからない、それでも外の騒がしさは昼間のそれと比べると非常にひっそりとしていた。見張りが持っている松明の明かりをぼんやりと眺めて脱出経路を考えた。
「リリィ、この小屋はどこにあるか知ってる?」
「小屋はいっぱいあるからリリィわかんない」
「そうね…、きっと馬の小屋だと思うのだけど…」
小屋の中の地面には蹄を叩きつけたようなへこみがいくつか見られた。それに、牛を飼うにしては狭いような気もするのだ。
「お馬さん!お馬さんがいるのはシャーディスのおじさんのお家だけだよ」
「それは村のどのあたりにあるの?」
「お姉ちゃんのお家の反対にあるよ!よく、お馬さんににもつを乗せて隣りの村に行くの」
「ということは、村の外れにあるのね?」
「うん、はじっこ!」
魔女を村の近くに置くのは恐ろしかったのか。そんなことを思った。だけど村の端だと言うなら好都合だ。村の両端にはそれぞれ森がある。この小屋を突破して森に入れば暗闇の中で見つかる可能性も低くなる。
「リリィ」
「なあに?」
「わたしが合図をしたらわたしに抱き着いて。そして、顔を上げないでしがみついていて」
「危ないから?」
「そうよ。顔をあげていてイタイ思いをしたら嫌でしょう?」
こっくり頷くリリィを確認して、もう一度窓の外を眺める。すると、さっきまで爛々と輝いていた松明の明かりが鈍くなっているのがわかった。(もしやこれは…)
それからどのくらい経ったか。あまり長くは待っていないが松明の火は先ほどよりも小さくなったようで、窓から見える明かりは最初よりもかなり少なくなっていた。
「リリィ、外の見張りの明かりが新しいものと交換される前に逃げるわ」
火が弱くなり始めたら新しいものに替えればいいのだ。それなのに鈍くなり続けている松明を持ったままということは、おそらく明かりの火種は村の中にあって、誰かが持ってこないとここには無いのである。それに、少しの間住んでいて気づいたことだが、この村は他の村に比べて些か発展不足だ。松明を長持ちさせるほどの知識もないんじゃないか。
「(あと少し…)」
じわり、じわりと治まる明かりを見つめる。
「いくよ、リリィ」
リリィを抱きかかえ、しがみつかせる。窓の桟に両手をついて、右肩からタックルするように窓に飛び込んだ。
ガシャンッ!!派手にガラスが割れる音と、目に飛び込んできたのは驚きと恐怖で顔を引きつらせる男。飛びだした勢いに任せて、男の持つ松明を蹴り飛ばす。着地するときに回転したために、飛び散ったガラスが体中に刺さる。痛みに一瞬たじろいだが、驚いて腰を抜かした男に歩み寄り、鳩尾に一発いれる。すっかり腰が引けた男にはこれで十分だった。(習ってた武術がこんなところで役立つなんてね…)
男の履く靴を無理やり脱がし、履いてみる。大きくて歩きにくそうだったため、男の着ていた服を引きちぎり、その布で靴と足を固定する。これから逃げる中で無駄な怪我は逃げそびれる原因のひとつだ。
ガラスが割れた音がしたことにより、遠くから人が地を駆ける音が聞こえた。村から離れている割には反応が早いなんて。近くで見張るのは怖いが見張らないとどうなるかわからないから、近場で待機でもしてたのか。大体見張りが一人しかいないなんて甘い。
「リリィ、逃げるよ」
わたしにしがみついたままのリリィに声をかけ、そのまま走ろうとする。
「お姉ちゃん、あれ!」
リリィが指さした先に居たのは、一頭の馬だった。
「…ありがとう、リリィ。これで早く逃げられそうだわ」
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