※普通にリカが雷門にいます


その日は酷い土砂降りだった。
昼間に散々熱をばらまいていた太陽が嘘のように、空には分厚い雲が敷き詰められている。あまりの雨に窓から覗く視界もぼやける程で、当然部活などできるはずがなかった。がこ、ガギィィ、と歪な音と共に窓を閉める。すると耳障りな雨音がちょっぴり少し緩和されたようだった。


走り込みをしている最中に、雨はぽつりの鼻の頭に落ちてきた。そして誰かの、雨だ!という声にかきたてられたように、突如雨は降り注いだ。慌ててグラウンドにいた生徒は部室やら渡り廊下に各々駆け込む。少しペースを飛ばしすぎたと参っているところだったから、正直助かった、なんていうのが本音だ。


「正直なぁ、円堂いなくてよかったなんて思っちゃったよ」
「あー」
「ほら、あいつなら、こんなかでもやりかねないだろ?また体育の菊田に怒られんのはごめんだよ」
「ああ、グラウンド禁止なのに使ったから怒られたんだっけぇ?」
「そーそー」
「怖かったど…」


狭い部室内では部員全員が大体同じ話題でたわいない会話に花を咲かせる。雨が突然降り注いでびしょびしょになった今も例外ではなく、皆マネージャーに手渡されたタオルでがしがしと頭を拭きながら口を結ぶことはなかった。同様に俺も、濡れた髪のせいで誰かもわからなくなっている栗松をみんなに混じって笑う。


しかし、少し距離を置いた隣でこしょこしょと繰り広げられてるマネージャーたちの会話が気になって、意識はすっかりそっちに向いていた。なんとか耳をたてて盗み聞きを試みるものの、本当女子ってこしょこしょ話がうまい。途切れ途切れに聞こえた一音一音を繋ぎ合わせても、全く意味が理解できなかった。


とうとう諦めて、タオルを太ももの上に置いたところで俺は不意に気付く。
浦部がいない。
まさかと思って再びマネージャーの話に耳を傾けると、話題が予想できると話は早い、聞こえたのは探しに行く?やら困ったわねぇ、と明らか浦部の話題だった。すっかり盛り上がっている皆にさり気なく距離を置いて、小声で木野に問いかける。


「浦部…?」
「風丸くん、そうなの、リカちゃんがいなくて」


やっぱり。確かめるように改めて部室内を見渡すが、やはり浦部の姿はな
かった。


「ほら、私たちこないだ菊田先生にイエローカードだされたばかりでしょ?」
「ああそうだな」


ちらちらと皆に視線を配ると、馬鹿みたいに盛り上がっているなか、塔子だけが微妙な面持ちでいた。どうやら気付いているらしい。


「みんなで探しに行ったら、あの、みんなちょっとお馬鹿というか、仲間のこととなると目がないじゃない。だからまたグラウンドぐちゃぐちゃにして、」
「今度こそ部活停止、だよな」
「手がかりもないし…」


塔子が浦部がいないのに気づいていながら騒がないのも同じ理由だろう。確かに、皆盛り上がりすぎてて気付いていないけれど、浦部がいないとわかればグラウンドをめちゃめちゃにして駆け回る。そして翌日グラウンドは酷い有り様だろう。前科のこともあり、スパイクからしてサッカー部の仕業だとすぐに感づかれるに違いない。全く、やっぱり男子より女子の方が大人と言うのは、頷けてしまう。
深く息を吐いて、俺は立ち上がった。


「俺、探してくる、手がかりがあるんだ」
「いいの?」
「任せろ、昔よく円堂を探し回る役だった」
「風丸くんなら任せられるわ、ありがとう」


その言葉と乾いたタオルを雷門から受け取とると、ふわりと強めの柔軟剤の香りが鼻孔を擽った。「皆には上手く言わないとな、この考えが無駄になる」菊田先生の仏頂面を浮かべて、苦笑いする。ジャージのなかにタオルを忍ばせてから、床に横たわった紺色の傘をおもむろに手に取り、そして脆い扉に手をかけた。ぎしり、と軋む音を上回る雨粒の勢いが扉越しにも伝わってくる。


「風丸、どこ行くんだ?」
「…なあ、ずっと思ってたんだけどそういえば浦部は?」
「えっまじだ!」


早速今までとは違うざわめきが渦巻き始めた空間を後にし、すぐさま駆け出した。
うまくやってくれよな、と。俺は一直線に体育倉庫に向かった。
びしゃびしゃに濡れて原型を失ったグラウンドを踏みつける度、ああソックスすげー汚れてんだろうなあとぼんやり思う。傘ってどう使うんだっけ。そんなことがふと脳裏に過ぎるほど、傘の意味を成さない横殴りの雨。時々確かめるようにして、腹部のふくらんだ部分をさすった。広すぎるグラウンドに初めて苛ついて、溜め息をつきたくなる。長所と短所は紙一重とはつまりこのことか。ようやく心当たりのある体育倉庫へ辿り着き、視線を下げるとやはりソックスの部分部分は土が跳ねて茶色くなっていた。


「浦部、いる?」


じり、と暗い中に詰め寄ると、小柄な人影が浮かんだ。一番新しい記憶で、なんとなく、浦辺がこのあたりでぼうっとしていたのが唯一の手がかりだった。すぐに見つかってよかった、ホッと安堵する。浦部は地面に尻をついて座っているようで、小さな小さなその影はなんだかとても弱く見えた。


「…浦部じゃないのか?」


返事はなく、まさかとは思うが再び問いかける。目が慣れてクリアになってきた視界に写る人影は、間違いない、浦部だ。しばらくしてその後ろ姿に確信が持てた。


「浦部、」
「うん、浦部」


三度目にして、ようやく返事が帰ってきた。
普段の彼女からは想像し難い物静かな声にぎょっとする。様子が変?そう思いながらもタオルを渡そうとジャージからタオルを取り出し、湿っていないのを確認してそっと浦部に近付いた。が、一瞬にして俺の脳内はじけた。俺の足はぴたりと止まる。


浦部は、震えていた。


雨が降ってるていえども、ちっとも寒くなんかないのに。震えていた。


「ほんま参ったわ、急にぶわぁーって降ってくるんもん」


浦部は明らかに無理して、いつもの自分を演じようとしている。俺は咄嗟にせつなくなった。だが、震えた小さな声に、自分でもさすがに気付いたらしい、駄目だ、俺に泣いてたのがばれた、と。リカは口を噤んで、ただただ震えるだけだった。


「……浦部、みんな心配してる、帰ろう」
「…いやや」
「風邪引く」
「いやや、っ…こんなみっともないん、みんな、に、見せられへんもんっ…」


何を言っても嫌の一点張りで、なんで泣いてるのだなんて問いかけても嫌や!と勢いよく返ってきそうで口を噤んだ。いつもと様子が明らかに違う浦部に、近付いても、干渉してもいいのだろうか。重たい足でなんとか踏み出して、決死の覚悟でかがむ。…そもそも仲良い方ではないのだ。今更の話だけれど。


ごくり、と唾を飲んだ。タオルを広げて、しっとりと濡れた浦部の肩にそっとかける。ユニフォームにぽっつり浮いたラインにふと気付いてしまい、慌てて目を逸らす。もう頭ぐっちゃぐちゃだ。どうすれば泣き止んでくれるだろう、どうすればいつもの浦部に戻ってくれるだろう。そんな思考は、ぎゅ、と俺のジャージの袖を弱々しく握る浦部を見て、白紙になった。どうすることもできずに、握られた袖から出した右手に熱が集中する。情けない。さっきまではこの状況になんとも思わなったのに、ユニフォームに透けているのを見て今更に恥ずかしくなるだなんて。


唇を噛み締めて、ちらりと盗み見た浦部に不覚にも胸が高鳴った。伏せた睫毛は確かに他の子に比べればなにかを塗りたくったように黒く染まっているけれど、とても長い。雨のせいか、涙のせいか、瞬きをする度きらきらと異様に輝いた。目が離せない。ああとにかく、なにか、なにか、言葉をかけなければ。浦部の横に静かにしゃがんで、頭を掻く。そして袖を握る浦部の左手をできるだけ優しく離すと、かわりに手のひらで包んだ。そうしてから、自分でやったことに後悔すると共に羞恥心がこみ上げる。なにやってんだ俺は!するとそれを境に、浦部の瞳からはぼろぼろと一層の雫が一層零れだした。


「…ぅっ…あ…っうああ…」


なにもかも、はずれてしまったように、うわんうわん泣き出した。俺はやっぱりどうすることもできずに、呆気にとられることはしないで、ただ不意に握ってしまっていた浦辺の手をたさないようにと、それだけ考えていた。


「…っ、わ、わかっててん、ダーリンはな、ウチのことなんか、見てないってえ」
やがて溢れ出す言葉に、気付かされる。


「とっ、くに…そんな、ん、わかっててん、ってばあ…っ」


浦辺が泣いているのは、一之瀬のことだったのだ。


今日一之瀬はいない。いたら、真っ先に浦部がいなかったことに気付いて、真っ先に見つけてしまうに違いない。泣いている彼女を見て、たじろぎながらも、優しく声をかけるのだろう。そんな浦部にとっては残酷なまでに思いやりのある彼が、浦部の好きな人だった。


「うち、ほんま、っ好っきゃねん、…ほんま、よ?なあ冗談、かて、思うん?」
「お、思わない」
咄嗟に首を振る。


「んな軽い女ちゃうねんうちはずうっとこおんなに、だありんが好きやっちゅーんに!」


泣いてるのか怒ってるのか、段々わからなくなってきた。困惑しながらも、まるで幼くなった浦部の姿が新鮮で目を離せない自分もいた。


「…浦部、わかったから、お前が一之瀬好きなのは」
「…風丸がわかっても意味あらへん」
「……そうだけど」


ようやくひとまずは泣き止んだようで、ぐすぐすと鼻をすすりながらも褐色の頬に雫は流れなくなった。目元は繰り返し擦ったせいですっかり赤らんでいる。それに上乗せするように、黒のインクをにじませたような染みが目元にあった。ああ化粧かと納得して、初めて見る浦部にとってのみっともない姿に不本意ながら楽しくなった。


「……なんよ」
「……や、なんも」


哀よりも怒を多めに含んだその声に、首を振る。すると浦部ははっとして綺麗なタオルで目元を擦った。染みは少しは薄くなったものの、やはりその目元は不自然だ。あ、もしかしてこれは見ちゃいけないものなんじゃと気付いて、慌てて俯く。こんな状況慣れている方がおかしい、なんだか慌ててばかりだ。


いつの間にやら、俺の右手のなかに浦部の左手は抜けていた。今更気付いて、右手がやけに冷たい。女子の手を握ったのなんて、林間学校のレク以来だ。うぶな訳じゃないけれど、今思えば、やはり恥ずかしい。


肩に乗っていた髪の束がはらりと下りて、その先から雫が垂れる。外は雨音で酷く煩いのに、この空間だけ隔離されたようにとても静かに感じるのは気のせいか。なあ風丸、浦部のかすれた声がやけに響いた。


「ダーリンがうちのこと見てないことなんて、とっくにわかってんねん」


そしてさっき泣きながら途切れ途切れに紡いだ言葉を再び聞いた。


「わかってんねんて、わかってんねん」


浦部は何度も繰り返した。それから、もう一度泣いた、今度は静かに泣いた。されどタオルで目元の黒い染みを涙で拭き取るように、泣いた。ああやっぱり浦部らしいな、と思う。浦部のことなんにも知らないくせに、そんなことを思ってしまった。




その後浦部はすっぴんでみんなの前に姿を表した。きょとんとしている男子もいたけれど、女子たちが安堵で騒いだことに飲み込まれて、すぐ男子たちもよかったよかったと笑顔になった。悪いけど、男子って所詮そんなもんだ、まるで女子の顔なんてじっと見ていないし、下の名前だって確かではない。そんなもんだ。すっぴんだろうが化粧してようが、よっぽど偏ってなきゃ気付きやしない。


ただ、浦部の泣いている姿に気付けてよかった。不相応ながらも、そんなことを思うのだ。午後5時の夕暮れ、青春を味わった俺はなんだかセンチメンタルだ。


浦部は饒舌に俺に愚痴を話すようになった。不意に部室でふたりきりになったときなど、さまざまだ。でも明らかにその回数が増えたのは、どちらかが無意識にしていることなんだろうなと思う。とにもかくにも存外気分が悪くない俺は、今日も無意識を装って、あの日の面影などまるでない浦部の笑顔を探すのだった。


壊れたせんたくばさみ/20130321


なんか違う感たっぷりですね..模索します。なんか風丸って好みは普通に明るくて優しい子みたいな模範的なんだろうけど結局は喜怒哀楽激しい人が合いそうだ無意識に尻に引かれればいい。ベタァな少女漫画もやっぱいいなあって思う私はちなみにあっちにいきすぎてしまわないように少女漫画を定期的に呼んで、無垢な乙女心を可愛がります(手遅れ)
とにかく泣くリカちゃんと風丸がかけたのでとりあえず満足!
これはお風呂にて携帯で作ってて、ふと頭にせんたくばさみが落ちてきまして。壊れてるウゥゥ!なことがありまして。特に意味はありません。怖かった…
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