※パラレル
※高校三年生で二人は大して仲良くありません


図書室をでて戸を閉めると、一度胸に手を当て、大きく息を吸って、吐いて、吸って、また吐いた。大丈夫だ、呼吸は落ち着いている。どうってことない。ぎゅ、と握ったシャツにしわが寄る。ただ、火照った身体だけが元に戻ってくれない。ちくしょー、ちくしょー!俺はとにかくこの部屋から離れるために走った。走って走って走りまくった。階段を下りて、技術室を通り過ぎ、第2音楽室を通り過ぎ、やがて突き当たった教室に駆け込む。運良くその間に誰と擦れ違うこともなく、この教室も滅多に人が出入りしないと聞く空き教室だった。


「っざけんなアイツ…!」


戸を閉めることもせず、壁際にうずくまった。体温は充分に冷めた。頭でがんじがらめに絡まっていた激情も、ひゅらひゅらとほどけ出している。その音が煩くてたまらない。






俺は図書室にいた。
高校三年生にして図書室に入るのは指折り数える程度しかなく、当然本の配置も全くと言ってもいいほどわからない。俺にとって息苦しい図書室にわざわざ足を運んできたのは、不本意ながら本の返却を頼まれのことだった。


風介の彼女に風介が渡された本を風介は図書委員に手渡したところ、図書委員はなにやら機嫌を損ねたらしく図書室まで持ってこいよと半ばキレて、再び風介の手元に戻ってきた本を。…俺は無理やり押し付けられたのだ。
全く迷惑な話だ。一体風介はどれだけ態度を悪くすれば、あの温厚な図書委員がくちごたえを飛ばしてくるというのか。


それで図書室に来たはいいものの、テスト期間だからか図書委員は誰もいなかった。まあ適当に戻しときゃーいいかと本棚と本棚の間を歩いた。ふとぼんやりと図書室に人が吸い込まれていく様を思い出して、テスト期間って図書室勉強場所にしてるやついなかったかと疑問に思う。さほど考える間を要さず、図書室を見渡して目に入った、エアコンについている貼り紙ですぐに無人の理由はあきらかになった。
薄い灰色を帯びた再生紙のようなものには、故障中、と乱雑な文字でかかれていた。そりゃあ納得だ。こんな骨まで溶かしてしまいそうな暑さのなか、勉強なんてやってられない。それに夏の暑さのせいだけでなく、俺にとっては図書室はどこもかしこも本だらけで窮屈で仕方ない。俺もさっさと用事を済ませて帰ろう。
そう決心するのが、少しばかり遅かったのだと思う。小さな物音に振り返れば、依然と基山ヒロトが立っていた。


「っうお…驚かせんなよお前」
「南雲がこんなとこにいるなんて珍しい」
「失礼だな、…俺もそう思うけどよ」
本棚の前をうろうろと歩き回っていると、基山が本をひょいと取り上げた。


「あ、ちょ、おい」


基山は題名、つめたいよるに、を読み上げると、ぱらら、と適当に中身に目を通した。俺も無関心にその動作はやったから、ページがやけに日に焼けていることは知っている。


「なかなか古くないかこれ」


背表紙のあらすじを読みながら、基山は本を持ってどこか行ってしまう。えーとこれはたしか、などと口ずさんでいるのを聞いて、ああなんだ戻してくれるのか、と伸ばした手を引っ込めた。


「南雲ぽくない…というか南雲が本読むこと自体意外なんだけど」
つめたいよるに、と同じサイズの本がずらりと羅列した本棚の前で基山は止まる。何気なしに俺はついていっていた。


「…馬鹿にしてる?」
「あはは、してないしてない」
「してるだろが!…頼まれたんだよ返せって」


なるほど。基山は頷く。一段一段、ほんの少しずつ隙間が空いていて、基山はその隙間に本を戻すと、「これ返却処理した?」とたずねた。俺は目を丸くして、首を振る。ああもう、と基山は苦笑を浮かべて再び本を手にとり、俺の前を通り過ぎる。


「本借りたことないでしょ」


もちろん返事はNoだった。「…だろうね」


基山はパソコンを立ち上げると、なにやらアイコンをクリックした。任せっきりで先に帰るのもどうかと思い、受付の椅子に腰かけて画面を眺めていた。壁を蹴っては、ぐるぐると一回転する。二回転、三回転したところで画面をじっと見てみると、倉掛くらら、という名前が表示されている。どこかで見たことがあると思えば、そうだ、愛想悪い風介の彼女か。


「ああこの子のだったのか」
「…お前のダチ?」
「玲名の友達だよ」
「ああ、あいつ」


それとなくたわいない会話を重ねて、基山はひとりでひょいひょいと作業を終わらせていく。本を棚に戻して、カーテンを閉めたり、エアコンをじいっとにらんだり。その様子を眺めながら俺はぐるぐると回り続けていた。途中、ああ俺帰っていいじゃん、そう思って立ち上がる。


「ああそうだ、南雲」
「なに、俺もう帰んよ」
立ち止まって振り向くと、基山は目の前にいた。


「ちょ、ちか、」


言いかけて、俺は慌て腕に力をこめた。
ガンッと音が鳴ってじわりと背中に鈍痛が広がる。基山の白い腕は俺の真横にすらりと伸びていて、俺の手のひらは基山の首をしめていた。なんで壁ドンされてんだか納得いかないのはさて置き、慌てて手のひらを離す。基山の表情は微動だにしていなかったけれど、俺が基山に抱く喧嘩とか慣れていないイメージがそうさせた。それがいけなかった。その隙に両手の動きを奪われて、ひとつにまとめられてしまった。なんだよこれ、力が入んねえ。唇を食いしばって、目の前の顔を睨んだ。至って基山は真顔だった。


「なんのつもりだよ」
一言、問いかける。そして少しの間を置いて、返ってきた言葉に仰天した。


「南雲って、可愛いね」


「……はぁっ?」
ころりと現れたからかっているような表情に、憤りは死んで、疑問符が頭を埋め尽くした。


「俺が喧嘩慣れていないと思ったんだろ」
「……なに、違ぇわけ?」
「今の状況からして、違うんじゃない」
よくも遠回しに言う。ここまで意味がわからないと怒りどころか呆れるってものだ。


「力任せにやってるから南雲はいつも必要以上にケガするんだよ」
「むかつく」
「ごめんごめん」


一体そういう基山はなんだっていうのか。前、杏が言っていたことを思い出した。あの基山、裏やばいらしいよ、生徒会長のくせにね、と笑っていたのを。全く謎だ。裏でなにしていようがそれは結局裏で、この通り俺はなにも知らないし今もこの状況は極めて意味不明だ。これも、裏のうちなのだろうか。再びいまいましい感情が湧いてきて、むかつくくらいに整った顔を睨んだ。


「南雲みたいなの、好きだなあ」


は?と目を細めていると、不意に唇が触れた。唇に。ほんの一瞬のことだったけれど、それだけは定かだ。


今こいつ、俺に、キスした?


俺は精一杯の力で基山の手を振り払った。こんなひょろひょろした腕一本に動きを止められていたかと思うと怒り心頭に発するというものだ。でも今はそれよりただただ訳のわからない多分羞恥心でいっぱいいっぱいで、逃げ出した。そして今に至る。
なにより訳がわからないのは。


「…なんで、吐き気とか、しねえんだよ…!」


なにもかも煮え切らないもやもやとさた暑さのなか、たらりとこめかみに汗が垂れる。そしてから今更に、慌てて唇を力いっぱい擦った。


ゆゆしきなぞなぞ/20130319
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