あれ、あの八重歯って誰だっけ。






ぼんやりと睡魔に蝕まれる意識のなかで、鋭い八重歯が光った。無造作に散らかったピースがひとりでにパズルを描く。きっとそれは星なんかで形成されているのではないかと思う。真昼は全く姿が見えないのに、こうして夜になると時々私の頭を知らんぷりで散らかす。確かにそこにあるのに、いつの間に姿を消す。


「……誰、なの」


不快に寝返りを打つと、微睡みに置いてけぼりの意識を叩き起こすように頭に衝撃が響いた。寝起きの私を容赦なく襲う。悲鳴の一歩後に、後頭部でじーんじーんと鈍痛が鳴き始めた。


「なにやってんだよ」
「…あー、ううん、違くて……あれ麻婆豆腐は」
「麻婆豆腐?…梨子、完っ全寝ぼけてる」


はぁ、そうですおっしゃる通りですよ。瞼が重たい。こんな重たい瞼、私持ち上げられないよ。今私の瞼はきっと、世界で一番重い。もはや単位はKgではなくtだ。とか言いつつ、私ってば力持ち、視界にはしっかりと逆さまの風丸が見えている。またベッドから落ちて頭打ったら次こそすっかすかの脳みそ空っぽになるぞだとかうんたらかんたら、苦笑しながら私を見下ろしていた。さり気なく馬鹿にされてることはわかったので、すぐ近くにあった風丸の足にチョップをお見舞い。「いって!」へっ、ざまあみろ。


上半身を起こすと、ぶつけたせいなのか、ぐらりと視界が酷く傾いた。おまけに気だるさが尋常じゃない。目をぎゅっと瞑ることも億劫で、あ、倒れる、って思ったら「お前ってほんと、危なっかしいというか……」立ったままの風丸に膝で止められていた。


「まあね、今更でしょ」


そうだなとあっさり肯定しながら、そのまま風丸は一歩二歩動いて電気のスイッチに手をかけた。ぱちんと小さくはじけるような音がしてから少し遅れて電気がつく。ばたんと倒れて私の脳みそが空っぽになるらしい事態を防いでくれてありがとうなんだけれども、助けてくれたのがなんとも言えないついで感だ。


ぴゅー。高い音と共に冷たい風が吹いて、鳥肌が立った腕をさする。ふと窓に目を向けると時折カーテンがぶわりと膨らんだり窓枠の形に凹んだりを繰り返していた。じっと見つめて、開いてるじゃん!そう言うと、酔っぱらいにはこれくらいがいいとか訳わかんないこと言われた。左右に落ち着かない足取りでテーブルに脛を打ちそうになりながらよろよろと、窓枠をがっと掴んで、ぴしゃりと閉めた。がっ!ぴしゃり!きんきんに冷えた金属が寝起きで体温の低い手のひらを余計に冷たくした。危なっかしいなー、この二日酔いが、と風丸がまたぼやいた。言われてはっとする。私は二日酔いなのだ。この吐き気のする気だるさと、たんこぶひとつ見当たらないのに異常なまでの頭痛にようやく納得がつく。


薬、薬はどこ。部屋をぐるりと見渡して救急箱を探すけれど、二周くらいしたところでうちに救急箱なんてものはないことに気付いた。


「…あれ、宮坂くんは?」
「台所」俯いた彼の前髪から片目が覗いていた。長い睫毛が揺れる。
「そっか」




風丸はかっこいい。なにがかっこいいかと言うと、顔が整っているのだ。小さな頃の写真を見せてくれと言ってみたらものすごく嫌がられたのが気になるけれど、昔がどうあろうと今現在19歳の彼は顔は綺麗だった。


そんな風丸は私の初めての彼氏だった。これは過去形で間違いない。成り行きで付き合うことになったものの、やっぱり違うよ、と私から別れを切り出した。これがよくあるパターンだと恋愛経験乏しい私が言えることじゃないけれど、秋ちゃんからこんな話を聞いたことがある。今まで陸上陸上友達陸上友達友達勉強というように生きてきた私には、そんな秋ちゃんがひとまわり大人に思えて仕方なかった。そんな陸上も、足を怪我して止めざる終えなかった訳だけれども。今まで19年間何やってきたんだか。中学生の頃想像していたハタチの自分となにひとつリンクしていなかい。胸がきり、と痛んだ。


なんだって問題なのは、風丸はまだ私のことが好きらしい。風丸とは大学の受講が偶然度重なって、いつの間にか友達に発展していた。きっかけなんて記憶に刻まれる程大それたものじゃない。現に不思議なくらいに全く覚えていないのだ。それから1ヶ月、2ヶ月してから「好きなんだよね」と淡々と告げられた。あれこいつヘタレじゃなかったっけなんて私は戸惑うばかりだった。そのときだけは、私より太い首だとか大きな手がやたらチラついて、ああ風丸も男なんだとしみじみ思わされた。
結局、東京で一番仲良いのが風丸なんだから、私はどうしようもないやつだ。


「あれ、静かですね」


た、た、小さな足音がして、湯気の立っているお皿を持って宮坂くんがやってきた。お皿からスプーンの柄が3つ突き出ている。


「こいつ二日酔い」
「あぁなるほど、なんか冷たいもの飲みます?」
目一杯心で感謝しながらぶんぶん首を縦に振った。なんて、いい子なの。


「ちょっと待ってくださいね」


テーブルに置かれたお皿にはチャーハンとほうれん草のお浸しが一緒に乗っかっていた。なんとも言えない組み合わせに、風丸が少しずれてるやつなんだと言ったのがわかった気がした。


「すみせん、なんか色々使っちゃいましたけど、」
「大丈夫大丈夫ぜぇんぜぇん気にしないで」
「…もう11月なのにきんきんに冷えた麦茶があるんだな」
「飲む?」
「いらない」


そうか11月か。都会に越してきてからもう随分と経つ。東京に来てから、なんかしたっけ。私ってばなんにもないよ。
音のない溜め息をついて、麦茶を飲み干した。












夢を見た。
懐かしい懐かしい夢だ。




―好きだなぁ、


彼がぼそりと呟いたのを今でも鮮明によく覚えている。頬を滑る風だけが酷く冷たく、生温い夜だった。彼らしくもない声色に思わず笑ってしまいそうになったけれど、彼の真剣な顔を見てずるる、と引っ込んでいった。


必死になって言葉を探したけれど、ごめんねなんていう陳腐な言葉しか見つからなかったんだ。


日に日に彼の姿は薄れてゆくのに、燃えるようなリコリスは色褪せることない。はっきりと描ける、真っ赤な髪と八重歯。私と同い年のくせして、表情をたくさん知っていた。私ができないような切ない顔だとかやさしい顔をして、私が思いつかないような言葉をたくさん紡いだ。




とりあえず空見ろよ、そして彼は独り言のように零した。そのとき見上げた空はどんなに強く叫んでも全て吸い取ってくれそうに、私たちをやさしく包んでいた。
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