RE:
これから暇?


そのメールが届いたのは、7時3分。
現在は8時で、未だ霧野先輩のグループは盛り上がってる真っ最中、そんな中こんなメール送ってきたらしい。メアド、変わってなかったんだ。そんな些細なことにホッとした反面、おそらく四年の間も音沙汰なかった相手から突然メールがきたことに驚いていた。いや、突然ではないのかもしれない。昔の後輩に久しぶりに再会したんだ。あの頃はなにかと厄介なことも多くて色の濃い三年間だった。そんな日々を二年間弱過ごした後輩と少し話をしようとするのは、きっとごく自然なことだ。俺は平然を装って、淡白な文を返した。


RE:RE:
バイトは21:30に上がり


携帯を閉じて、浅く息を吐く。結局カウンターは倉間先輩に任せっきりだった。俺は更衣室で少し休んだあと、注文されたものをひたすら運んでいた。後輩がひとり抜けてしまい、交代は埋まっておらずいつもより人手が足りていなかった。それでもそれなりに仕事は滞ることなく円滑に進み、問題は特に起こらず。人件費を削減して給料あがるくらいならむしろぜひそうしてほしいくらいだ。


コール音が途絶え一段落ついてカウンターに顔を出すと、倉間先輩が暇そうに頬杖をついていた。すっと横に並んで、俺は機械をいじり履歴を確かめる。なんだか、バイトに励みたい気分だった。


「…狩屋あ、」
「……んなぐうたらしてて大丈夫なの」
「ああ、満室のとこに電気つけんの忘れてたみたいで、つけてからはもう来ないよ」
「ああーそゆこと」


この店の前には、カラオケでは見慣れない看板がついていた。店長が駐車場の満、空、を表示する看板を少し改造さたらしく、同じように満室か空いているかを伝えることに使っていた。なかなか名案だと思う。
かちかちと機械をいじっていると、なんだこれ、満室じゃないじゃないか。そう気付く。倉間先輩に言おうとしたら、倉間先輩も、あ、と声を漏らして、自分の失態に気が付いたようだった。


「やべやべ、満室じゃねえや!霧野たち帰ったんだった」
「…は?霧野先輩たちが?」


俺は耳を疑った。


倉間先輩はどけ、と強引に機械の前を陣取られる。俺は軽く押されるがままに、ふらりと後ずさった。
だって、あのメール、明らかにこの後話したいってことだろ。俺のメールを見たなら、その時間まで普通ここにいるんじゃないだろうか。


「っしゃオッケー……あーだりぃ」


そう言って欠伸をする倉間先輩を今度は俺が無理やり退かして、霧野先輩のグループが退室したであろう時刻を確かめる。8時57分。今は、9時20分だ。時計の針は一時間の三分の一も移動している。


「おいなんなんだよお前なんか変だぞ」
「すみません俺もう上がる」
「はあっ?」


悪いけれどその言葉をまるっきり無視して、再び更衣室に駆け込む。まさかと思い慌てて携帯を開くと、15分も前にメールが届いていた。


RE:RE:RE:
待ってる


…そうだった、この人は、そんな人だったのだ。


つくづく呆れる。この人はまだ、こんな無駄な寛大さを、優しさを持ち歩いていたのか。


俺は返信もせずに、店長が不在なのをいいことに急いで着替えた。それまですっかり忘れていた、霧野先輩を目の前にして何も言えなくなったこと。裏口の戸を開ける前に、はっと思い出し、ぴたりと足が止まる。静かに深呼吸を何回か繰り返して、強く言い聞かせた。
大丈夫、大丈夫。何も考えなくていい。
そのうち昔の感覚を思い出す。霧野先輩は、面倒見のいい懐かしい先輩。
それだけ頭に入れておけばいい。俺の思いが報われるわけないのはわかってる。俺も男で先輩も男。俺が恋愛対象にある訳ない。しつこくして嫌われるくらいなら、これくらいの距離が一番に決まってる。四年の間忘れることができたんだ。しばらくすれば、すぐに忘れるはず。なんら問題ない。


なんら、問題はないのだ。












裏口から出ると、相変わらず冷たい風がひょぉぉと鳴いた。とりあえずカラオケの表側に出ようと早歩きしながら、携帯を確かめる、RE:RE:RE:


待ってる


そのたった四文字に、あまりの寒さで凍った心を溶かされた。


電灯の下に霧野先輩はいた。もたれかかって、iPhoneをいじっている。口元は見覚えのあるマフラーで覆っていた。どうしようなんて声をかけようか、今更にまた止まった足は、すぐ動かさざるえなかった。霧野先輩と目が合ってしまった。「おつかれさん」
マフラーに手をかけて、さらけ出した唇から白い息が広がる。


「…うん、せんぱい、ばっかじゃないの、こんな寒い中で、さ」
「お前と話がしたかったんだよ、いいだろ」
「別に俺は話すことないけど」


やってしまった。そう思った刹那、


「あー久しぶりに聞いたそんの天の邪鬼!」
歓喜の声が飛んできて、驚いた。あ、あまっ…。俺らしくもなく慌てふためいてしまう。


「ああごめんごめん、なんか懐かしくて」
なんだ、これ。なんだか、すっごく自然だ。


「どこも混んでるしさ。俺んち来いよ、ここから近いんだ」


断ることなんて出来なくて。このとき頷いた俺を、俺はしばらく恨んでやる。


4年間、霧野先輩を必死で消したその穴に、無理やり色んなこと上塗りしてきた。コーティングもばっちりだ。でもそれが今にも剥がれようとしているのが、嫌なくらいにわかった。ぴしぴし、割れていく音が聞こえた気がした。俺は無我夢中に柔い手のひらでそれを抑えることしかできなかった。


霧野先輩が住んでいるというアパートは、本当に近かった。俺のバイト先から電車でほんの10分駅から徒歩5分の所に、古めかしいけれどちゃんと手入れは行き届いている、そんなアパートが建っていた。


まさか再会したばかりに、こんなところに来るなんて思いもしなかった。中は思ったより広くて、短い廊下もあった。霧野先輩はずんずんと進んで、慣れた動作でコートやらマフラーやらを脱いでいく。それとなく恐る恐る歩いていると、なんだお前緊張してんのかと笑い声が聞こえて、んなわけないでしょうと咄嗟に虚勢を張った。ははは。と余裕を含んだ笑い声がまた聞こえた。床暖、わかる?つけていいぞ。その言葉通りに俺は床暖房のスイッチらしきものを見つけ、ぴぴっと音が鳴ったのを確かめ、リビングに上がった。床暖房が備わっているだなんて、贅沢なアパートだ。


「酒とビールどっち」
「え?」
「酒と、ビール。まさか飲めないとかないよな」
「まさか!ビールでお願いします」


思わず答えてしまったけれど、うん、嘘はついてないはずだ。あまり口をつけなければいい話だ。自分は酒に弱いとわかっていたから、最近はめっきり手を出していなかった。霧野先輩は、強そうだなあ。台所でせかせかと酒を準備する背中を見つめて、ああもうこんな年齢になったんだなと、しみじみ思った。


予想通り霧野先輩は酒に強くて、よく飲むこと飲むこと。ふたりきりで向き合って話すのなんか多分初めてで、たまらなく恥ずかしかったけれど、飲んでいるうちに気分が高揚してきてしまった。




「ふうん、お前が倉間となあ」
先輩はちっとも変わらぬ顔色で呟く。平然と、手のひらには並々とビールを注いだグラスがあった。


「そーなんすよ!いやー倉間先輩って、案外可愛くって可愛くって」
「…お前そんなやつだったか?」
「いやあ俺よりでかいときは憎たらしくて仕方なかったんすけど、なんか自分よりちっちゃいとなんか」
「倉間にチクってやろうか」「あっ、ちょ、それは勘弁」「どーしようかなぁ。あいつかんかんに怒るぜ」


久しぶりのせいか、自制の枷はとっくに外れていた。会話は弾みに弾んで、アルコールの力はすごいと思い知らされる。


ただ過度な緊張が手伝ってしまったのだろう。
あまり飲まないと宣言したのも忘れ、すっかり飲み過ぎてしまい、気付けば記憶はぶつりと途切れていた。



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