いつもは見向きもしないポストを覗くと、確かに2つ折りされたプリントが入っていた。


それなりに仲の良かった友達からのメールは久しぶりにも関わらず、内容は限りなく簡素だった。ポスト見ろよ。そのたった一言に、なんにも関連していない食パンの絵文字が、ああなんともアイツらしかった。


俺はプリントを広げることもせずにポケットにしまい込んで、重たい足どりで歩き出す。内容は大方予想ついている。頭がちゃんと回ってからじっくり目を通そう、そう思っていた。そのときに、色々と余計なこと、彼女のこと、彼のこと、不明瞭なことまで不本意に思い出すことになるのだろうと思うと、朝の気だるさが更に重みを増した。


ポケットに手を突っ込んだまま、右の手のひらにはプリントを握ったまま、暖かくもないポケットで必死に暖をとる。地面を踏む度にしゅくしゅくと降り積もったばかりの雪が心地良い声をあげて、存分に冬を感じさせる。その音を聞く程、やがてポケットの内側の布と手のひらの体温が馴染んでいった。暖かくも、冷たくもない。それでも外気に晒しているよりはが紛れた。


秋にちょっと近くて、春には程遠く、よくもまあ懲りずに冷たい風は吹き続けている。裸の枝には桜の咲く気配など寸分もなく、このままずうっと冬なんじゃないかとすら思えてくる。このままずうっとずうっと。カレンダーが4になっても入学式やら卒業式で街が賑やかになっても、どこか静かな白銀の世界、だ。俺の手のひらはいつまでもポケットの中で。考えただけで、なんだか現実味がなくてぞっとした。


「なにぼけっとしてんだ」


その声が聞こえたと同時に、すっ、と右肩が軽くなった。ポケットから手のひらが抜き取られて、指先をくぐったビニール袋の取っ手が静電気を起こして離れていく。


「よお、せめてこの恥ずかしい荷物持ってやる」


ついさっきまで俺の右肩にかかっていた袋は倉間先輩の左肩にある。透明なビニール袋の中身は真っ赤だ。何を隠そう、帽子からブーツまで、サンタ服一式がぎゅうぎゅうに詰められていた。ぱっと見、それがサンタ服だと理解するのに時間を要さない。季節からして当然だった。


「おはよーざーます…はぁ、頼んでないスけど」
「……」
「ああうそですうそですお願い持って!」


袋を片手に大きく振りかぶって、おまけに視線を遠くに向けた倉間先輩を俺は慌てて制止をかけた。ふん、と鼻を鳴らして、倉間先輩は感謝しやがれと右手に袋を持ち直す。なんだかんだ持ってくれるんだから、倉間先輩てば実はやっさしい。そしてその優しさになかなか深いところまで干渉しなければ気付けないのだから、不器用って言葉が気持ち悪いくらいに似合っている。なんなら優しいついでにこの仕事、受けてくれりゃあよかったのに!だなんて褒めた矢先今日これからすることを思い出して、胸の内の倉間先輩に牙を向けた。
感覚がなくなってきた両手をまた、ポケットに突っ込む。そしてまた、手のひらの体温を溶かし始めた。


ふたり並んで歩いても、肩は並ばない。俺の肩の方が、ちょっと、とは言え肉眼ではっきりとわかる程上だ。倉間先輩はものすごくこれを嫌がった。倉間先輩もだいぶ身長が伸びて辛うじて四捨五入して平均なのだけれど、ちっちゃかった俺はもっともっと伸びた。自分よりでかいやつに先輩と呼ばれているのを聞かれるのが嫌なのかもしれない。だから俺が倉間先輩を呼び捨てにしようと大して咎めることはなかった。敬語やらも、出会ってから時がだいぶ経ったせいかなあなあになってしまっていた。
それなりに心地好い関係だ。


ここから旋毛をばっちり見下ろすことはできずとも、意外と長い倉間先輩の睫毛はよく見えて、この存在を知ったのは結構最近のことだった。そしてもうひとつ、ピアスの穴。倉間先輩の耳にはいつも黒い小さなピアスがはめられている。大体黒か黒か銀で、まるでバリエーションがないそれは義務でやっているようだった。倉間先輩がピアスあいてるっていうのはとっくに知っていたけれど、どうやらその両耳の耳たぶの穴以外にもまだ穴はあいている。右耳のつけねにひとつ、隠れた左耳の付け根にもひとつ、それと一番脆そうな薄っぺらい部分にもひとつ。両耳で合計5個。手のひらひとつ分だ。
俺はポケットの中で、手のひらをぎゅっと握った。


そのふたつを知っただけで、なんだかとても先輩のことを知った気になる。仲良しの定義が俺にはわからないけれど、俺たちはきっと仲が良い訳ではない。ただ、偶然バイトが同じだったものだから一緒にいる時間が必然と長い。高校も大学も同じで、専攻も同じ。高校ではまるでお互いにそっけなかったけれど、ここまでくるとさすがに干渉するしかない。それが相互して、バイトの基本のシフトもほぼ重なっている。
なんたるいらない偶然だ。まあ、倉間先輩は嫌いじゃない。
むしろ好きな方だったりしたりしなかったり。


思えば中学の頃は仲良くなんてなかったのに、今一番俺が時間を共にしているのはこの人かもしれない。気持ち悪い。まったく不思議なものだ。中学の頃あれだけ仲良かった倉間先輩とその周りの友情は、今ではどれだけ薄くなったことだろうか。美容師さんから以前聞いた話は本当だった。


結局大人になって絡んでんのって、高校んときの部活の仲間なんだよ。あ、特に運動部。だから高校では絶対部活入んなよお。あ、サッカーやってんだよね!結構中学の友達って脆くてねえ。わははははは!


などと、よく大声で笑ってしかもなにが面白くて笑ってんのかもよくわからない人だったから、ちゃんと髪切ってんのかなあと呆れることも多々あった。そんな美容師として一番御法度だろう杞憂かけさせられたくらいだ、彼の言葉はよく覚えていた。


「結局絡んでんのは、高校の部活のやつらなんスね」


そのときはなんだかとても意味深に聞こえた言葉も、こうして今呟いてみると驚く程簡単で大して寂しくはなかった。思ったより身体は軽い。俺が果たして大人になりきれているかはさて置き、世間一般では俺は間違いなく大人だ。


中学の頃なんて、遠いこと、遠いこと。


「ね」


倉間先輩はいつの間にかイヤホンをしていたようで、俺の声に気付かなかった。




*  *  *




「いってらっしゃあい」


満面の笑みに送られて、5時間ぶりだろうか、外気に触れる。
気分は最悪だった。


「どうしてこうなった…」


確かにそうぼやいたはずでも、倉間先輩には届かない。もう一度、ああ最悪だと今度は思い切り叫べば、びくりと倉間先輩が肩をあげた。最高のげす顔を浮かべようが、俺の頭を覆うおじさんすなわちサンタグロースの着ぐるみはにこやかな笑顔のまんまだ。


「すっかり中入ってんのお前だって忘れてた」
「うざい!」


着ぐるみの利点、それはただひとつ暖かいことだけだ。生まれて初めて着ぐるみなんか被ったけれど、ああもう利点がひとつでもあったことに感謝しよう。体は思う存分動かせないわ、窮屈で、視界は狭いし、歩きにくいわ、違和感満載。池袋にこれ見て喜ぶガキンチョなんかほっつき歩いてるだろうか。メイド服着た可愛くもない女同様ただの悪目立ちとしか思えない。俺がわざわざ家まで持ち帰ったサンタの服は、何故だか倉間先輩が着ている始末だ。あれが着たかった訳じゃないけれど、恨めたしく俺は倉間先輩の背中を見つめた。


数日前に事の発端はある。
クリスマス前後そして当日にもバイトに来れる、いわば寂しい男たちが集って、全力のジャンケンをした。室内でいつも通りか、サンタの格好でビラ配りをするかを決める、くだらないようで一大事なジャンケンだ。一体俺が何をしたといいのか、綺麗に勝敗は決まった。ぐー、ぱー、ぱー、ぱー、ぱー……。自分の手のひらは、丸く握られていた。直後渡されたサンタ服は恐ろしい程ぶかぶかで燃えるような赤が眩しくて馬鹿じゃねえのかと叫びたくなった。でも怒ると怖いらしい店長に刃向かえる訳がなく、しぶしぶ持ち帰って安全ピンで微調整を施したというのに。


「ああ倉間くん、着ぐるみが手に入ったから、コッチにしよう」
その一言は悪魔にしか思えなかった。


まあ唯一嬉しいのは、倉間先輩がとばっちりをくらって俺が着るはずだったサンタの衣装を着ることになり、ものすごく嫌そうな表情を浮かべたこと。


「ここらにすっか」
返事をするのにわざわざ声を張るのが億劫で、無言で俺は頷いた。


「ちょっ、おま、可愛い、…ぶはっ可愛いなおい!」
なんて爆笑し始める倉間先輩を精一杯睨むと、一体どんな風に見えたというのか、一層倉間先輩はツボにはまる。通りすがる人の視線が、がしがしと容赦なく俺と倉間先輩に突き刺さっていた。俺はへっちゃらだ、サンタクロースの綺麗すぎて逆に腹黒く見える笑顔が、守ってくれる。倉間先輩はようやく気付いたのか、俺の隣にきて、さっさとビラ全部配ろうぜと聞き落としてしまいそうな小さな声で言った。女子校生が視界の外で笑っている気がした。


俺はこの厚ぼったい手でビラが配る以前に掴むことすらできず、突っ立ったままだ。倉間先輩は通行人にビラを配り始める。受け取ってもらえたり、くれなかったり、後方が七割だ。これよく考えたら、俺の方が楽だったりするんじゃないだろうか。いや、そうに違いない。需要がなくても、一応仕事としてずっと立ってるだけでいいのだから。俺はによによと他人ごとのように倉間先輩を眺めていた。


「カラオケイナイナでーす」


いつもと変わらない愛想ない声を振りまく倉間先輩がなんだかすっごく可哀想でお疲れ様ですぅと心で声をかけてあげる。


「…なんか…すっげえむかつく視線感じんだけど」


俺は重たい腕をなんとかあげて、横に手を振った。これ、音はよく聞こえるみたいだ。
そして2時間もの間、その作業を続けた。俺はひたすら突っ立って、たまに絡んでくる面倒くさいやつの相手を適当にする。倉間先輩はひたすらノルマのビラを差し出し続ける。人混みは相変わらず絶えずに、ビラ配りを終えた頃にはもう陽も大分下に下りてきていた。


「よっし、戻るかあ…」


倉間先輩は思い切り背伸びして、やおら歩き出す。俺も後に続く。すると突然「おい狩屋、狩屋」肩をどすどすと叩かれて、なんだと俺は倉間先輩を視界におさめた。


「あれ、霧野ぽくね?」


その名前に、頭がまるで真っ白になった。思考が停止して、俺は慌てて倉間先輩の指差す方を見据える。


その先、人混みのなかに、鮮やかなピンクが一瞬、見えた気がした。


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