長い間息を潜めていた木々がざわめき始める。柔らかな光が降り注いで、自然と頬が緩んだ。ついこの間までは裸だった枝も、ふと目をやればぽつぽつと僅かに淡いピンクが開花を準備している。どこか侘びしかった焦げ茶も、やたら華やかに映った。春の到来はもう目に見えている。


やおら腰をかけた縁側は日溜まりのお陰でやけに暖かい。蕾がついたとは言え、まだまだ寒そうな木を見上げて、浅く息を吐いた。


「はち……はち、はち」


風の小さなざわめきに自然と耳をたてていると、紛れて聞こえたその声。振り向いてみれば、はたして兵助が四つん這いでゆっくりゆっくりと俺に近付いていた。襖の隙間を手を使わず上半身をねじらせて広げてみせる。日差しに触れた長い睫毛がひゅっと光った。


「おほー兵助、おはよう」
「はちざえもん……」


寝ぼけているのか、俺の名前を譫言のように何度も呟く兵助の声は、日溜まりと溶け合えてしまうほどに甘く暖かい。


「はちだー」
「おっまえ、寝ぼけるのは布団んなかにしろよ」
「んー…」


兵助は聞く耳を持たずに、身体を包む日だまりに目を細めるだけ。それどころか、やがて俺の隣までやってくるとごろりと心底眠たそうに寝転がった。


「おい兵助、ここ部屋じゃねーぞ」
「…別に、どーでもいい」


全く躊躇せず、やった試しが一切ない膝枕をなんなくやってのけたものだからぎょっとした。情緒は安定していられない。みっともないくらいに、内心焦っていた。普段甘える姿など頑なに絶対見せてはくれないから、こんな欲情にも染まっている訳でもない気がおかしくなったのでもない兵助の、隙だらけの横顔を見るのは初めてじゃないだろうか。とはいえ、完っ全に、寝ぼけてるが。


「おいおい…」


こんなに空は朗らかなのに、胸は叱咤するべきほどにどぎまぎしているのに、相対して一部分では気が滅入っていくようだった。このまま放って置いたらどうなるかは目に見えているのだ。そうだな、「なんでこんなところで…!ふっふざけるな!」こう言うに違いない。ついでに必ず拳が飛んでくるだろう。だからと言ってすっかり落ち着いた体制になったこいつを退かせられる訳がなく、綺麗すぎる横顔に負けて、ただ溜め息を吐いた。横顔だと、本当に女と言われても納得できてしまうかもしれない。傷を増やすのはごめんなので絶対口にはしないけれど、気付くと春の温もりに絆されるように、綺麗だな、とただ一言零れていた。はっとして、見つめた兵助の長い睫毛は伏せられたままだった。はたして桜の相乗効果だろうか。なんだかその横顔は見つめるほどとても儚く思えて、少しでも手放した隙に消えてなくなってしまいそうだった。ぎゅ、と手のひらを俺は不意に握る。


太ももに乗っかった兵助の頭はそれなりに重い。ずっしりと凝縮されたさまざまなものが詰まっていて、きっと俺よりも随分と重たい。そのひとつが俺なんだと思うと、肌に直接触れてもいない散らばる黒髪がどうしようもなく擽ったくなった。透き通るような白い頬を指でなぞり、額を流れる髪を耳にかけてやる。瞳と同じの漆黒に染まった髪の毛、やはりこれも普段は触らせてくれないものだから、余計に愛しく思えてしまう。


するすると指の隙間を流れていく感覚が心地良くて、ずっと頭を撫でていると、へにょへにょと手のひらが伸びてきた。頼りない擬音をあげていたそれは、俺の腕を突然力強く掴む。小さく寝返りを打った兵助が、俺をじっと見つめていた。まだ、その姿はどこか儚い。


「なぁはち」
「な、なんだよ兵助…」
「キス、キスしろ」
「……はっ?」


俺の腕からひゅるりと白魚のような手のひらは離れて、兵助自身の胸に落ちた。そして、すー、すー、と断続的な寝息が聞こえ始める。握られていた腕は固まったまま、呆然と兵助を見下ろす俺を残したまま。


「えっ?……えぇ、…は?」


なんだよ、コレ。


寝言のくせにこの殺人的な台詞。


「…ほんとっ、兵助って、もう、なんだかなぁ!」


力無く手のひらを下ろして、兵助の輪郭に添える。先刻までの儚さは気泡になって消えていた。そしてまるで無防備な表情に、こいつの天然というか無意識は本当に怖いと改めて思い知ることになる。


躊躇せず、思い立ってすぐ背中を丸めて、薄い紅色をした冷たい唇にそっと口付け。自分からしておいて、再び見下ろし兵助の端正な顔に不覚にも照れてみたり。さらけ出した額に手のひらを添えて、自然に笑みを零す。表情は微動だにしていないはずなのに、どうも兵助が柔らかく笑ったように思えて、阿呆らし、と呟いた。あんなに儚く思えた寝顔が、今はただ無防備に、あの大人びた仮面もどこへやら、年相応の兵助が垣間見える。
ばりばりと頭を掻いて、ようやく、あ、髪結んでねぇと気付き、そんなことも時間も場所もこのあとどうなるかだなんて予想した兵助の言葉も置き捨てて、瞼を下ろした。


背もたれがないせいで首がじわじわと痛むのも気にならないくらい、自分を気持ち悪いと思うくらいいい気分になって、今ならすぐに眠れそうだ。いっそ、このままふたりきりで日溜まりに溶け込んでしまえたら。


「兵助、おやすみ」
縁側を吹き抜けた静かな風が、ふたりの空間に温もりを残して消えていった。


あなたちょっと無防備すぎる/ago
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