凍りつくような寒さで目が覚めた。
ぎろりと睨んだ窓はきっちりと閉まっているはずなのに、袖から覗く肌に鳥肌の数は増えていく一方。少しでも緩和するようにと腕をさすっては、懲りずに鳥肌はまた薄く浮かんでくる。それを見ているとぶるりと更に鳥肌が立って、寒い、と無力にただ呟いた。両手で頬を覆うと、手のひらだけに集中する熱がじんわりと染みて心地良い。それでも、あれ、なんだか寂しいな、と思っていたら、道理で、隣にいたはずの風丸さんがどこにも見あたらなかった。風丸さんが羽織っていただろうブランケットは、抜け殻のように小さな空間を作っている。ずるりとそれを引っ張って頭に被り、名残惜しく思いながら人肌の温もりが溜まった布団から抜け出した。かわりに、決して暖かくはないけれど風丸さんの匂いに包まれて、不思議と安心するそれに欠伸を誘発される。


短い廊下は俺の足音と共に僅かに軋んで、そのうち床が抜けてしまいそうだ。ブランケットの端を寄せ付けながらリビングに踏み出すと、一転して暖かくなった床に顔の筋肉が緩んだ。じゅわりと焦げてしまうみたく、足の裏にこべりついた冷気を払拭してくれる。


「おはようございます」


風丸さんは寝癖ひとつない頭を掻きながら、ほんの少しだけ俺を見た。はよ、とたった二文字を独り言のようにぼそりと零して、すぐに両手で広げている新聞に視線を戻す。態度からして、起きたばかりだろう風丸さんの後ろ姿を見つめて思わず頬が緩んだ。


「先に起きてたんですね」
「…あぁ、起こしたら悪いな、て」


目が覚めただなんてどの口が言うんだか!なんて胸の内でぼやいて、そうですかと軽く相槌を打った。


風丸さんは目が覚めてから暫く、人見知りになるのだ。自分から口を開くことは皆無、返事も最小限の単語を拙く繋げるだけで、時々答えにすらなっていない。何故そんな風になってしまうのかはわからないけれど、朝が苦手なのは確かだろう。俺はいつも、この風丸さんは目が覚めていないと見なしていた。


「朝ご飯、食べます?」
「うん」
「パンと、米がありますけど」
「宮坂が楽な方」
「風丸さんはどっちが食べたいですか」
「宮坂が食べたい方」
「…そうですか」


なんとか絞り出したのは捻りの無い相槌。人見知りの風丸さんの癖に、なかなか恥ずかしいことをさらりと言ってのけるものから、なんだか擽ったくなる。失恋することを全く想定していないひたすら甘い初恋のように、こそばゆい。


「じゃあ、パンで」


近くに散らばっていたスリッパを爪先に引っ掛けて、台所に立った。食べたいという理由よりなにより、楽だからという理由で、迷うことなく食パンの袋を破った。冷蔵庫から手当たり次第に具を取り出して、乗っけていく。最後に、とろけるスライスチーズを乗せようとしたら、なんと一枚しか残っていない。半分に分けようと指を添えて力を加えると、入ったヒビはぐにゃりと方向転換をして、歪な形が出来上がった。これ以上触っているとべとべとになってしまうから、もう諦めて、トースターに乗せた。ジリリリ、と小さく鳴り始めた音に、新聞紙を捲る音が重なる。


ここからだと風丸さんの横顔がよく見える。長い前髪は100均にありそうな黒い髪留めで緩くまとめられていて、深いキャメル色の左目が晒されていた。新聞を読むというより、視線は一向に動いているように見えなくてどちらかというとただ眺めているようだ。


「風丸さーん」
「なに」
「なんか面白いこと書いてあるんですか」
風丸さんに近付いて、ぐい、と新聞を覗き込む。視界に飛び込んだのは仏頂面を浮かべた総理大臣の写真だった。


「あー……宮坂近い」
「あ、ごめんなさい」


ちょっぴり寂しく思いながら、す、と大人しく離れて、隣の椅子に腰かける。引きずっていたブランケットを椅子にかけて、ふぅ、と息をついた。たまたま目に入ったリモコンを手に取り、適当にチャンネルを回すと、左上には07:00と表示されている。うわ、超早い、と思っていると丁度某アナウンサーが時刻は7時!と朗らかに伝えた所だった。


……にしても、風丸さんの人見知りが今日は一段と長い。全く目が合う気配は無く、俺もただ忙しく流れていくテレビ画面を眺める。それもすぐに飽きて、気付けば小さく鼻歌なんてしている。台所を見てみると、まだジリリリ、と音が鳴っていて、やはり頃合いではない。鼻歌は絶やさずじっとりと舐めるように風丸さんを見つめると、ようやく視線が交わった。


「すっごい、視線感じる」
と風丸さんは疑るような目を向ける。


「ふは、お化けだったりして」
「まさか」


柔らかくそう言うと、また新聞を眺める。俺はまた、寂しくなった口で小さく歌を口ずさむ。テレビ画面から笑い声が聞こえるなか、風丸さんはくしゃみを三回した。
一回がいい噂で、二回が悪いのだから…三回は恋の噂だっけ?うひょー。


「……なぁ宮坂?了、了」


何気なくカレンダーを眺めていると、風丸さんが俺の名前を呼んで、ハッとした。咄嗟に返事をすると、風丸さんは酷く穏やかな表情でこう言った。


「今日、さ、2人でどっか出かけようぜ」


何故だかやっと喋ってくれたとか人見知りがようやく直ったかとか色んな思考が跡形もなく消えて、ただ頷くことしかできなかった。すとん、となにかが胸に落ちてきたのだ。


わかった、風丸さんは、落ち込んでいる、と。
いつもの人見知りがやたら長いと思えば、そういうことだったのだ。俺にどうやって伝えようと、ひとりで山積みのなにかを整理整頓しようとしていたのだ。全く、無理する癖はいつまでたっても直らないもので、よく俺に無理だけはするなと言える。それはこっちの台詞だ。わかった途端に風丸さんの優しい匂いがくるりと切ないものに変わる。


「…ふふーん、じゃあ、久しぶりに河原に行きたいです!」
「河原なんかでいいのか」
「はい、だから絶対ですよ、絶対行きます!」
「お、おう」


目一杯それを吸い込んで、頬をゆるくする。そして自分の小指と、風丸さんの小指を絡めると、疑問符を頭上に浮かべる風丸さんに笑いかけて、小さく口ずさんだ。ゆーびきーりげーんまーんうそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますっ指きった!と言い切ってからも小指を互いにほどくことはなく、全く一体どうゆうつもりなのか、阿呆らしくて一緒に苦笑する。


今日ようやく彼は、笑ってくれた。


小指を絡めて微笑んで亡霊
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