それは寒さの厳しい一月中旬の話だった。大学が休みの日曜日、普段は早起きの俺も布団の温かさに負けてぐずっていると、意識が遠のいたまま回転しない思考に聞き慣れた声が反響する。
「涼太、いい加減起きろ。もう十一時になるよ」
「んー……」
 肩を軽く揺すって優しく起こしてくれているのはわかるが、いつまでも不明瞭な返事ばかり返して布団の中で丸まっていると相手も苛立つものだろう。ぼんやりとした脳内でも今日が二人ともオフの日だということは覚えていた。だから出来るだけ早く起きていちゃつきたいなあなんて昨晩は思っていたわけだが、手足を出そうとすればひんやりとした冷気が身を包む。すると本能がまだここから出たくないと訴えるのだ。こればかりは自分も人間だからしょうがない。よし、二度寝だ。と決め込んで更に体を縮こまらせると、いよいよ赤司っちも声を張り上げてきた。
「おい! 疲れているのはわかるが、一度生活リズムを崩すとあとから立て直すのが大変になるぞ」
「うう……赤司っちお母さんみたい……しってたけど……」
「知ってたって何だ。まったく……午前中を寝て終わらせるつもりか?」
 完全に呆れた口調でそう呟くと同時に、ぎし、とベッドが軋み、そこに腰掛けたのだとはわかった。背を向けていたのを反転させて瞳のみでちらりと窺えば、足を組んで小さく溜息をついている後ろ姿が目に入る。
 知ってるものは知っているのだ。俺が昼を迎える前まで眠っているとこうして叩き起こしに来る様子はまさに母親のようだろう。部活に精を入れていた時代に栄養バランスや体調管理を細かく気にしていた名残もあり、特に生活の時間調整についてはかつての合宿を思い出すくらいに厳しい。とは言え、こんな時間まで寝かせてくれるほどにはそれも緩くなっているけれど。
「……あーかしっち」
 応酬をしているうちに徐々に目も覚めてきていた。温度を逃がしたくなくて布団は顎のあたりまでしっかりと被っているが、左手だけを伸ばして彼の赤い後ろ髪に触れてみる。相変わらず滑らかで、手触りが良い。すると指先に気付いた赤司っちが振り返り、僅かに首を傾げた。
「……何だ。布団も干したいし、早く起きてくれ」
「うん。ちゅーしてくれたら起きる」
 最早あとは体を起こすだけだがここで簡単に言うことを聞くのも面白くない。わざと甘えた声で強請ると、わかりやすく眉を寄せられてしまった。そんな露骨な反応しなくてもと内心で苦笑するが、けれど大体にして一枚上手な恋人はすぐに笑みを浮かべこう言うのだ。俺の唇に人差し指をそっと当てて。
「起きたらちゅーしてあげるよ、涼太」
 ……そんな返事ってアリだろうか。ナシだろう。ひどい。卑怯だ。起きます。
「おはよう」
「おはよーございます……」
 今までの攻防は何だったんだと言いたいくらい相手の誘惑にあっさりと負けて身を起こしてしまい、悔しさに口を尖らせる。自分の方がよっぽど露骨だった態度に赤司っちはくすくすと笑い、気恥ずかしくなって頭を掻くと両手で頬を包むようにして約束通りキスを贈られた。瞼を伏せて一度だけ。――かと思いきや、ちゅ、ちゅ、と啄むように何度か唇を重ねられてこれには少しばかり目を丸くする。
(珍しいな……)
 赤司っちからキスをしてくれることは昔ほど稀ではなくなった。が、いつの間にか両腕を首に絡めて体ごとを俺に委ねている状況を、基本的には進んで作るような人ではない。しかもこちらの寝起きに、である。寄り掛かられるのは決して悪い気分ではないけれど、ここまで甘えたな素振りをいきなり見せられると簡単に心拍が跳ね上がるので勘弁してほしいと思った。寝惚けた思考も活性化してしまいそうなのだ。必要以上に。
「ん……、どーしたんスか、急に。朝からやらしい気分になっちゃった?」
「なってない」
 一刀両断してくる割に触れるだけのキスはやめないらしい。朝からというよりはもう昼間だが、形の良い唇の隙間から漏れ出る吐息をこんな距離で感じて手を出すななんて土台無理な話だった。されるがまま、じっと動かさなかった神経に漸く脳が指示を出し、ベッドの縁に座っている赤司っちの腰に片手を回す。そして引き寄せるついでに既に着替えている彼のセーターとシャツの下に手を滑り込ませると、びく、と驚いて唇を離されてしまった。
「おい……っ、だからそういう気分にはなってないって」
 目尻に赤を溜めておいて今更何を言っているのだ。
「説得力に欠けるんスけど?」
「本当に違う」
「じゃあなんで誘うみたいにキスしてくんの。期待だけさせて、赤司っちは俺で遊びたいんスか」
 向こうの良心を利用してあえて責める、なんてパターンはよく使う手だった。この人もまさかこちらの台詞を全て真に受けているわけではないだろうが、こう言うと決まって言葉に詰まり視線を逸らし始めるのだ。つまり後ろめたいことを考えている証拠。なんとなくワケアリで大胆な行動を起こされていると直感で察した俺は、腕の中にその体を収めて答えを促すように頭を撫でた。
 自分より一回り小さい肉体は両腕にすっぽりとはまる。そして予想に反していつでも体温が高めの赤司っちは、布団から出た寒さを解消するのにちょうどいい。はー、あったけえ、と抱き締めたまま心の中で息をついていると、肩に額を押し当てていた彼がおもむろに口を開いた。
「……涼太に、頼みがあるんだ」
 ん? なんだかしおらしい口振りで言い出した赤司っちと目を合わせると、それはもうとても申し訳なさそうな表情を浮かべていて思わず身構えてしまう。なんだなんだ。相談か? 悩み事か? 大抵は一人で何でも片付けようとする性格上、頼みたいことがあるなどとは滅多に口にしない恋人だ。頼られるのは素直に嬉しいが、こうも深刻そうに切り出されてはどれほど言い難い内容なのかと深読みもする。
 大きな猫目がこちらを見上げるこのアングルは俺の精神的に色々とよろしくないものの、そんな雰囲気にもさせないほど意を決したように彼は告げた。あのさ、と。

「……合コンに、行ってもいいだろうか」
「…………え?」

 ごくりと唾を飲んだ割にその内容に拍子抜けするのも仕方がないだろう。
 最初に想定していた頼み事と言えば新しい家具が欲しいだとかどこかへ連れて行ってほしいだとか、あるいは料理を教えてほしいだとかそんなものだった。毎日きちんと作ってくれる赤司っちの手料理は文句の一つも出ないほどおいしいけれど、昔から何故か母や姉にしつこく習わされていた俺も我ながらなかなかの腕前だと思う。そして赤司っちが和食派、自分が洋食派な為、互いのレシピを何度か教え合った経験があるのだ。――という微笑ましい思い出はさておき、現実逃避をしている場合じゃない。かなり言いづらそうにした時点で次に予測を立てた彼のお願いは、例えば、父親に実家に帰ってこいと言われた、とか。もしそうだったらかなりの大事になってしまう為、その線が外れたことにはとりあえず安堵する。が、しかし彼は今、なんと発言したのだ。
――合コン? 合コンって、合コンは、つまり、あの、合コンでしょう。

ごうコン【合コン】
〔合同コンパの略〕 異なる組織・サークルなどに属する男女の、二つ以上のグループが合同で行うコンパ。
(大辞林 第三版より)

 ……えっ。
「ご……合コン!? 行くんスか!? 赤司っちが!?」
 意味を咀嚼した途端、驚愕のあまり大声が出てしまった。いきなり耳元で叫ばれ眉根を寄せる様子にごめんと咄嗟に謝るものの、いやいや。合コンって。赤司っちの口からそんな単語初めて聞きました。財閥の関係で六本木のパーティーに出席してくると言われたことはあるけれど。
「え、な、なんで……?」
 この様子だと冗談ではないのだろう、正直びっくり仰天である。
 彼は決して人付き合いが悪いわけではない。が、元々どんちゃん騒ぎは得意な方ではなく、中学の時から文化祭の打ち上げに来ることすら渋るタイプだった。唯一自ら参加するものと言えば定期的に開かれるバスケ部の飲み会だけれど、それだって何杯か酒を酌んだらあとは緩くお喋りをするばかりであり、異性と不必要に絡むような下世話なゲームなどは全く以て好いていない。おかげで同棲を始めて半年、大学生活に突入して三年目となるが、合コンに行きたいなんて台詞はただの一度も耳にしたことがなかった。そしてこれからも縁がないと思っていたのだ。
 赤司っち自身も俺がここまで驚く理由を理解していないわけではないようで、ずるずるとベッドに横たわるようにして大きく溜息をつく。起床した俺の隣に寝転がった恋人は、仰向けの状態で顰め面のまま訳を話した。
「大学の友人に誘われたんだ。最初は断っていたんだが……」
 話によると、こういうことらしい。
 どのサークルにも所属していない赤司っちをしつこく合コンに誘う輩は一年の頃から存在していた。しかしさすがに合コンがどんなものかは知っている彼が首を縦に振るわけがなく、何度勧誘されても迷うことなく断っていたそうだ。その際の口実はもちろん興味がないからというのもあるが、一番の理由は『まだ酒が飲めないから』。必ずアルコールが入るとは限らないけれど、二次会等があればいくら未成年と言えど無理やり連れて行かれることだろう。けれど赤司っちのこの性格では何が何でも法に触れる行為などするわけがないし、同年代の自分達が未成年飲酒をすればあとでチクられるかもわからない。それを恐れた彼らは端的に言って赤司っちを合コンには誘わなくなった。そこまではいい。が、当然、その理由では効力は二十歳までだ。
 十二月二十日、一昨年の誕生日で成人となった赤司っちは酒云々では断れなくなり、ただ行きたくないの一点張りしか方法がなくなっていた。ここで面倒なのが、赤司っちには恋人がいないと周囲に認識されていることである。何も彼女持ちをしぶとく誘う奴はいない。合コンなんて上手くいけば男女が結ばれるかもしれない空間に――俺と付き合っていることも、ましてやモデルの黄瀬涼太と同棲しているとは口が裂けても公言できない赤司っちが、完全なフリーと思われているが故に参加してほしいと勧誘されるのは納得できる。
「それで今回だけでいいから出てくれと頭を下げられて、仕方なく……一度だけ出席する代わり、今後一切誘わないという約束で交渉成立したんだよ」
「あー……」
 なるほど、と思った。心底面倒臭そうに喋る赤司っちはまるで理解ができないとでも言いたげだ。何故自分の出欠席がそんなにも重要なのかと、色事にはどこか疎い性質が表れている。
 瞼を伏せて横臥する彼を見詰め、その傍らで俺はしみじみと実感していた。
(まあ、この人すげー顔いいからなあ……)
 顔だけではない。容姿端麗、頭脳明晰。女性に対する態度と言えば英国紳士のそれに似て、様付けするファンクラブは中学限りかと思いきや大学内にも存在しているそうだ。国立大学ならそのステータスだけで頭の心配は要らないけれど、外見よし中身よしの非の打ち所が一つもない、格好良くて、優しくて、絵に描いたような男が来たらそりゃあ合コンも大層盛り上がることだろう。捕まえる為に幹部が必死になるのもわかる。
 でも残念、この人はもうとっくに俺のだから、と心の中で誰に向けるわけでもなく呟く。否、赤司っちを誘おうとしつこく言い纏っている人間に向けて、の方が正しいだろうか。
「そういうわけなんだ。明日の夜なんだが、行ってもいいかな」
「え、ああ、全然いいっスよ! 楽しんできて」
 そう口にしてから、楽しまれたらそれはそれで嫌だな、なんて思い直してしまうのだから大概だ。別に赤司っちが大学でどんな人間関係を築こうと最後に俺のもとへ戻ってきてくれるなら口出しするつもりはないが、合コンに行けば必ずアドレス交換をしたりはするわけだ。惚れた欲目を抜きにしたって赤司っちの美形ぶりを考えればその場で一番の人気を得ることは確実である。
 行くなとは言えない。こんな些細なことで独占欲を剥き出しにしてはお互いに疲れるだけだとわかっているから。束縛しないように笑顔を取り繕うものの、しかし赤司っちは満足していないのかふいと顔を逸らす。
 この人も案外わかりやすいものだと思わず笑みが零れた。
「なぁに、引き止めてほしかった?」
 赤司っちの顔の横に手を付いて笑めば、ぜんぜん、となんとも強がりな返事を浴びせられてしまう。
「……ただ、浮気したとか騒がれたら嫌だから事前に言っておこうと思っただけだ」
「浮気? そんな器用なことできないでしょ、赤司っち」
 俺に一筋なのに、と耳元でそう囁き、顎を捉え口づける。先程の戯れるようなキスとは違い唇を割って舌を差し込み、少し口腔を嬲っただけで相手の呼吸は乱れていた。合コンに参加したらきっと嫌な思いばかりすることだろう。大事な恋人を不快にさせる同級生や女達には底知れない嫌悪感も湧いてくるが、その反動で俺に甘えたな赤司っちは単純にかわいい。さっき何度もキスを続けた理由なんてもうわかっているのだ。行きたくもないものに出席しなければならない億劫さを紛らわせる為であり、断じて浮気するつもりじゃないと愛情を表現する為であり、そしてただ俺に夢中になりたい為と言ったところ。
「んっ、……涼太……」
「……ねえ、一つだけ。アルコールは三杯までっスよ」
「え?」
「俺以外の前でそれ以上飲んだら怒るから」
 なるべく優しく、けれど最後の一言だけは容赦をせずに言い切った。シーツに寝そべる赤司っちは少し不服そうに眉を寄せるものの、わかった、と頷いて俺の首に両腕を絡めてくる。そのまま、引き寄せられるように口づけた。
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