いくら自分の顔や体型に自信があると言ったって、もちろん似合わないスタイルというものは存在する。何でも着こなすのがモデルの仕事。そう言われたらそれまでだけれど、己と向き合って相応しい服装をきちんと理解し主張することも重要だろう。モデルにしっくりこない服をしつこく合わせるようなスタイリストとは上手くやれる気がしない。
 おかげでこれを提案された時、「え、無理です」と思わず口にしてしまうところだった。喉から飛び出る寸でのところでぐっと堪えられたのが救いだ。基本的にヘアメイクを施されている身としてあまりに否定的な意見は失礼だと考えている為、普段は滅多に反論など口にしない。どんな衣装が用意されていようと俺が最も大事にしている笑顔を綺麗に貼り付け、任せてくださいと豪語することがほとんどなのだが。
 今回ばかりは聞いた時点で易々と首を縦には振れなかった。
「それは、ちょっとあの……」
「大丈夫よ、黄瀬君なら!」
 何を根拠に断言されているのかわからない。苦笑しながら断りたい気持ちをやんわりと示すものの、聞く耳を持っていないのだろう女性スタイリストは目を爛々と輝かせている。頬が引き攣る音がした。
 しかし彼女は決して野暮ではなく、寧ろこの界隈ではとても名を馳せている人物の一人と言えるだろう。何せ『TiPOFF』専属のスタイリストに抜擢されているのだから実力は確かであり、レベルからすれば葉山さんにも劣ってはいないはずだ。だからこんなにも強く推されると拒むに拒めない。
 迷っている暇はなかった。ロケ撮影となっている本日は時間配分がなかなかタイトなものとなっていて、目の前にはスタイリストのアイデアに沿って既に衣装が並んでいる。せめて事前に知らせてくれればよかったものを何故と問い詰めたいが、恐らく衣装が届いたのが今朝なのだろう。ロシアからの輸入らしいのだ。サンプルでは考え付かなかったコーディネートを実際に見て閃いたのか、スタイリストに限らず周囲のスタッフもその提案を望んでいるようだった。
 絶対に似合うわ、と固い意思を持って宣言され、全体の空気も相俟っていよいよ腹を括るしか道は残されていない。そもそも渋っている理由はかなり個人的なものである為、コーディネートによっては高評価を得られるかもしれない――心にそう言い聞かせて。
「……わかりました」
 よろしくお願いします、と頭を下げ、準備する為の椅子に大人しく座った。
 けれども。
 けれども、だ。
 やはり断っておくべきだっただろうかとセットを終えた瞬間に後悔したのは言うまでもない。
 仕上がりに文句はなかった。恐らく誰が見ても完璧なコーディネートだろう。鏡に目を向けてサマになっていないとは感じなかったし、寧ろこの路線でも上手くいくに違いないと確信を持てるくらいには出来栄えはいい。しかし自分としては早々に元に戻したくて仕方がなく、手鏡に視線を落とす度に溜息が出そうだった。
 お疲れ様ですと挨拶を済ませて控室に向かい、ドアを開けることさえ躊躇ったくらいである。中では早朝に予定を確認してから一度も顔を合わせていない桃っちが待機している。急な提案を知らない彼女が見たらなんと言うだろうか。意を決してドアを開けると、「あっ、きーちゃん! お疲れさ……」ま、まで言えず口を半開きにしたまま固まった桃っちの反応なんて予想の範囲内でありまさか涙も出るわけがない。はずだったが。
「き、きーちゃん?」
「はいっス……」
「……びっくりしたぁ」
 誰かと思っちゃった、と素で言われて早くも泣きたくなった。


Mr.Perfect/Spin-off "A GAP"


 マネージャーの前であまり泣き言は口にできない。
「……あ、社長?」
 二コール目で繋がった電話口に向かって話し掛けると、『ああ。どうした?』と落ち着いた返事が鼓膜に届く。その声色にほっとしている自分は否めなかった。たった十日余り会わず、声も聞かなかっただけでもう懐かしく感じてしまう。安堵感を得られるのは単に彼の声質が心地良いからか、それとももっと別の理由なのか明確にはわからなかった。
 微かな息遣いにささくれ立った心が多少平淡になっていく変化を、スマホを耳に当てたまましんみりと実感する。けれど電話を掛けてきた張本人が二言目を発さなければ不思議に思われるのも当然だろう、『黄瀬?』と窺うように名前を呼ばれ、咄嗟に我に返った。
「あっ、すんません、なんか」
『大丈夫か? 確か今日はロケ撮影の終了日だろう。かなり疲れているようだが……』
 勝手に伝えたロケの日程を覚えていてくれたことは純粋に嬉しかった。が、気遣わせるつもりはなかったのは本当だ。プライベートの番号に掛けてすぐに出たのだから恐らく帝光出版には居ないだろうけれど、この人のことだ、きっと頭の中は仕事の件でいっぱいになっている。それに彼の声の背後でまた別の話し声が聞こえる為、一人で居るわけではなさそうだ。少しも暇ではない人間の時間をこんな私用で割くのも申し訳なく、他愛のない会話も程々に、余計なことを口走ってしまう前に切ろうと思っていた。
 ところが無理にトーンを上げたところで彼の察しの良さは相変わらずであり、さすがに誤魔化せないか、と内心で溜息が零れる。溜まった疲労を指摘され否定はできなかった。
「……社長、今どこっスか? 外?」
『いや、自宅だよ』
「え、家? ……誰か居る、よね?」
『ああ、ちょっと玲央と小太郎が来てるんだ』
 うるさくてすまない、と社長が謝ると一段と背後の声音が膨れ上がる。なるほどその二人なら納得する。そういえばオーディション撮影後の飲み会以来、ミブチさんと葉山さんには会っていない。
「じゃあ仕事中、っスよね。当然」
 躊躇いながらも尋ねると、やはり返ってきたのは肯定の相槌だ。社長に電話を掛けたのははっきり言って今の心境を一番吐露しやすかったからだが、仕事の邪魔をしてまで言うようなことではなかった。事務所からの運転中、私物の伊達眼鏡越しに車窓の外に目を遣る。夕焼けの広がる空ももうすぐ暗くなることだし、今から訪ねるのは迷惑になるだろう。そう判断して言葉を選ぼうとしたものの、しかし先に二の句を継いだのは相手の方だった。――でも、と。
『少し打ち合わせをしていただけだから、もうほとんど終わってるんだ。だから……』
「うん?」
『……黄瀬さえ良ければ、会いたい』
 最後に萎んだ声量が生々しさを物語り、その一言が嘘や冗談ではないと明らかにしていた。不覚にも息を呑んで言葉に詰まってしまうと、ちょっと征ちゃん何言ってるの! と半ば怒鳴り声に近いものが反響してくる。その通り、本当に何を言ってくれているのだ、この人は。ミブチさん達が居るなら尚更、困るのは俺だけじゃないだろ。
『駄目かな』
 しかしどうやら背後で騒ぎ立てる二人の存在は無視しているらしい。すごい度胸だ。
「いや、あー、はは……俺が会いたくて電話したのに」
 先に言わないでよ、と苦笑するしかなかった。そして自宅に向かって直進するはずだったハンドルを片手で切り、寸前でウィンカーを点滅させて左折する。あのアパートまでの道のりはすっかり頭に入っていた。
 もういいや、会いに行ってしまえ。面倒な思考を放棄して決心すると同時、一方では心の中が再び曇り始めるのだった。
「……あのさあ、社長、会いたいことには会いたいんスけど……」
『何だ? ……あ、疲れてるなら無理はしなくていいからな』
「それは平気。だけど、あー、その……」
 なかなか口にできない。俺が本日の撮影でスタイリストに提案されたこと、それを結局実行に移した末、桃っちに大層驚かれたこと、そして社長に打ち明けたい事実を。煮え切らない唸りばかり漏らす自分を不審に思われ、どうしたんだ、と問う声色で顔を見ずとも訝しげに眉を顰めているのだろうとわかった。それでも伝えられずに会った方が早いなと開き直る。
「……あんね、実は俺、今すっげえ会いづらいんスわ」
『は?』
 今までの台詞は何だったんだというくらい投げやりで辻褄の合わない一言だと自分でも思う。が、これしか表しようがないのだから勘弁してほしい。
『会いづらいって、どういう……』
「こんなの初めてなんスよ。正直なところ結構凹んでるから会ったら慰めてね。じゃ」
『え!? おい、待て』
 こちらの主張のみを勝手に並べ、向こうの呼び止めなど聞かずにぶつりと通話を切った。あとで叱られても構わない。その代わり今日一日溜めたストレスを癒す機会に甘えたくて、約束通り社長の居るアパートへ車を進行させた。背後を把握する為にバックミラーに目を遣った瞬間、そこに映った己を見て盛大に肩を落としながら。


 彼の家のすぐ隣には有料の駐車場がある。人通りの少ないこのあたりではアパートに横付けしたままでも恐らく駐車違反にはならないだろうけれど、もしもの時を考えて一応そこに停めておくことにした。周囲には二、三台の車の影。エンジンを止めて助手席に放り投げていた鞄を手に取り、降車した頃には夕方六時を回っていた。通話を終えて十五分くらいは経っただろうか。
 アパートの一階、赤司と表札に記された扉の前で立ち止まる。窓からは明かりが漏れているが、着いたからと言って軽い気持ちでインターホンを押すことはできなかった。黒縁の伊達眼鏡は掛けたまま、被っていたハットだけを外す。ネイビーのドレスシャツに中は細ピッチのボーダーカットソー、ボトムスはシャープな黒のデニムパンツ。いつも通りのすっきりとした私服だが、今の自分の印象は昨日までとはがらりと異なっているはずだ。
(はー……マジで会いづれえ……)
 というか人前に出るのが躊躇われる。社長ならいいかなと思って来たけれどアトリエRAKUZANの彼らも揃っているだろうし、今にも逃げ出したい気持ちを堪えて静かに深呼吸をした。ここで迷っていても、どうせ暫くはこの容姿で過ごさなければならないのだ。覚悟を決めろ。
 おずおずとインターホンに指先を当てれば、はい、とすぐに応答する声は先程の電話の主と同じだった。面白がってミブチさんか葉山さんのどちらかが出る可能性も考えていたのだが。
「あ、俺っス」
『ああ、今開ける』
 そう言われて五秒後、がちゃりと鍵の開く音が辺りに響く。そのまま扉が開いた先で社長がいらっしゃい、と言った。
「意外と早かったな。いきなり電話を切るから何かあったの、か……と……」
 そこに流れたのは紛れもない沈黙だった。
「……どーも」
「…………」
 顔を上げて俺と目が合うなり、案の定、大きな瞳をこれでもかと言うほど見開いて彼でさえ驚いているようだ。ですよねそういうリアクションされますよねとまたしても心が泣きたくなっている。恐らく誰に会っても皆固まることだろう。
「……え、黄瀬?」
「黄瀬です」
 予想と寸分違わぬ反応に即答したら若干拗ねたような口振りになってしまった。しかし来客を玄関に上げるのも忘れて呆然とする社長は、ぱちぱちと瞬きを繰り返して「びっくりした……」と呟く始末である。桃っちと全く同じ台詞に、俺は今他人を驚かせる為だけに生きているのではと錯覚した瞬間、堪えていた涙がぶわりと溢れてきた。もう限界だ。うわあん、と情けなく彼に泣き付くのも今だけは容赦して頂きたい。
「しゃちょおおお」
「わっ、ちょっと……落ち着けって」
 勢いよく抱き付いたせいで後ろに倒れそうになるけれど構っていられない。落ち着けるわけがない。何が『大丈夫よ、黄瀬君なら!』だ。何も大丈夫じゃないだろう。
 俺ですらこれは黄瀬涼太ですかと自分に問いたいくらいなのだから。
「あっ、黄瀬ちゃん!? あなたさっきの電話で征ちゃんに何言ったのよ! 征ちゃんすごく心配、して……」
「撮影お疲れー! 今回のスタイリストどうだった? キレイな女の人だったっしょ? あの人腕は確かだけどちょっと強引なとこあるから俺苦手なんだよねーって……」
「あら……」
「……うわあ」
 奥から同じタイミングで賑やかに現れたミブチさんと葉山さんだって俺の姿を明確に捉えるなりこれだ。あら、うわあ、なんて沈黙よりもキツいコメントに心臓をめった刺しにされた気分だった。
「な……っ、何なんスか皆して! 俺のアイデンティティが消滅しかけてるからって!」
 笑えない自虐で更に首を絞めていると、力任せに抱き締められたままの社長がそんなこと思ってないよと微笑んでくれる。フォローありがとうございます。でも葉山さんの「うわあ」は完全にそう思っているものでした。
「だが驚くのは仕方ないだろう。だって……」
 ぐすん、と鼻を啜る。
「まさかお前が――髪を黒く染めるなんて」
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