※性描写有りR-18


 外国製の高級な寝台よりも彼の家のベッドの方が寝やすくなってしまったのがいつからなのか覚えていない。付き合い始めた頃は他人の部屋で体を休めることすら好きではなかったはずが、月日が経つにつれてそんな抵抗も気付かぬ間に崩れていった。しかし実際はこのベッドの寝心地が特別良いわけではない。一度、十代の頃に珍しく僕より早く相手が起き、水を飲みに行っていたとかで目が覚めたら一人だったことがある。確か中三の冬だ。その時は柄にもなく不安になり、顔に出ていたのか戻ってきた彼にごめんと謝りながら抱き締められた。謝ってほしいわけではなかったが、謝らなくていいとは言えなかった。けれど温かな人肌に触れた瞬間に、ここに来るといつもぐっすりと眠れるのはベッドの問題などではなくただ彼の隣の居心地が良かっただけなのだと知った。
 それ以来だろう。一緒に夜を越したら実家で過ごすより随分遅い起床時間にゆっくりと瞼が持ち上がり、自分の右隣には必ず彼の姿がある。背中に手を回して抱き締められていたり、向こうが起きていたら、髪を撫でられていたり。互いに何も身に纏っていないことはほとんどだが、それももう慣れた。とにかく僕が目を覚ますまでは絶対に一人にさせないように傍に居てくれる優しさは、何年経っても変わらないようだ。
「おはよう、赤司っち」
 二人で交わされる挨拶には大体の確率でキスがついてくる。いってきます、いってらっしゃい、おかえり、ただいま、おやすみ、おはよう。想いを乗せるように唇を重ねて毎朝を迎えるのは少しこそばゆい。外人じゃないんだからとなけなしの不満を言ってみたことはあるが、だったら国籍変える? と真面目くさった顔で返されたので諦めた。「国籍変えたら『黄瀬』になれるかもしんないし」まだそんなことを言っているのか、事実婚を受け入れてもう一年が経つのに。


 涼太の実家の、涼太のベッドは、中一の時に進学祝いで祖父母に買ってもらったものらしい。その頃は身長も百八十を超えていなかったからちょうど良かったが、成長すればするほど狭く感じるようになったと聞いた。まあ当然だろう。その上で京都から遊びに来た僕と二人で寝るとなれば窮屈に思うのは至極普通の話であり、自然といつも抱き合う形で眠りに落ちていた。部活や本業が忙しくなかなか会えない日々が続いた後は、ご無沙汰だったからと聞き飽きた言い訳を並べてこちらの声が出なくなるまで抱かれる。そこでうっかり僕が拗ねると、向かい合って寝るのもおかしい。だからそういう時は彼に背を向けて目を閉じるわけだが、朝起きるときっちりと後ろから抱き締められていて思わず気を許してしまうのだ。どれだけ不平不満が募っても、またおはようと甘く囁きながら口づけられてしまえば、翌朝まで意地を張るのは難しいことだった。
「……涼太」
「ん?」
「眠い……」
「まだ寝てていいよ。確か今日講義休みでしょ?」
 額にキスをしながらそう言われてしまうと途端に瞼が重くなる。わがままになったなあ、と自分を指してぼんやりと考えた。眠いから寝たいなんてそんな本能に忠実すぎる欲求は彼の前でしか言わないし、言えない。昔は一つとして我儘など口にせず父親の言葉に従っていた聞き分けの良い子供だったのに、涼太と暮らすようになってから、涼太を好きになってから、我慢を抑えることを知らない子供のような、だめな大人になってしまった気がする。
 それもこれも彼が全部許してくれるのが原因だ、といい加減な責任転嫁が頭を巡った。
「……ていうか、なんで講義がないこと知ってるんだ」
 金曜の一限というのはいつもはある。が、今日は臨時休講だと数週間前に知らされたのであり、彼は把握していないものだとばかり。僕自身、スケジュール帳で予定を確認した昨晩まで忘れていたくらいだ。
「なんでって、赤司っちから教えてくれたんじゃないスか」
「いつ」
「んー? 一ヶ月くらい前かなあ」
「よく覚えてるな……」
「俺にとっちゃ重要なんスよ。一限ないと好き勝手しても結構許してくれるから」
 ね、片目を瞑って得意げに言われてしまい、苦笑するほかない。相手の我儘を許しているのはお互い様のようだ。
 何時か尋ねると七時だと返事。京都の生活では目覚ましをかけずとも六時前には起きられていたというのに、二人で居ると何故だかどうしてもそんな時間には目が覚めない。寧ろ早起きしなければならない日は彼に起こしてもらう回数も増え、それには自分でも驚かざるを得なかった。「え、気付いてなかったんスか? 赤司っち割と朝弱いよ」らしい。馬鹿な。
 部活に遅刻したことは一度もないし、早朝のランニングだって怠らなかった。以前そう主張した際は、それは主将だったからでしょ、とあっさりと返されてしまった。主将じゃなくなったら気が緩んだのかと思うとプライドが許さなかったものの、「俺と居る時に気張ってない証拠なんだからそのままでいいよ」と心を見透かしたように続けられ、口を噤む。僕が主将を辞め半年後に高校を卒業して、涼太と同棲を始めた時期はほぼ同じだった。おかげで、気が緩んでしまったのは部活を引退したからではなく、彼と一緒に生活するようになったからだと、そんな弁解を心の中で己に向けたわけだ。同時に、中学時代は体を重ねた後でも僕の方が一段と早起きだった関係が、逆転し出した。
「早起きになりたい」
 別の大学に通っている涼太は今日はもう出なければ間に合わないらしく、ベッドから降りて着替えている様子を横目にぽつりと呟く。すると馬鹿正直な願望が耳に届いたらしい彼は一瞬目を丸くし、次の瞬間には口元を押さえていた。
「……なに笑ってるんだ」
「っ……いや、絶対無理だなと思って」
 そんな肩を震わせるほど笑える話じゃないだろう!
「無理じゃないし僕は本気だ」
「今の生活サイクルじゃ早起きなんて無理っスよ。つーか無理なままでいいって」
 よくない。一度心に決めたことは何が何でも貫かなければ気が済まないというのは生まれながらの性格で、くつくつとおかしそうに笑われては引くに引けなくなっていた。よし、今後は涼太より早起きをしよう。
「マジで言ってるんスか?」
「マジだよ」
「あーそう……まぁ好きにしていいけど、俺最近すげー早いっスよ? 六時には絶対目ぇ覚めるし」
「老化だな」
「違うわ」
 私服に着替え終わった彼はいったん寝室から出て、洗面や朝食を済ます。まだ眠気が残っていた僕はその間、布団の中で携帯を弄っていた。左薬指にはめられた銀色の指輪は一年前に彼に貰ってから外したことがない。見る度に愛しくなる。
 一緒に朝ご飯を食べないというのは珍しい話ではなく、こうして外出する時刻が異なっている時は各々で行動する機会が多い。僕も涼太も相手を束縛しがちな傾向にはあるものの、意外と同棲を始めてからこそ自分一人の時間を互いに作るようになった。それは飽きたのか愛想を尽きたのかと思われそうだが全くの逆であり、どれだけ離れていようとどれだけ勝手に過ごそうと、夜になれば二人きりの空間――このベッドに戻ってくる、その安心感に身を包まれるのだった。互いの帰る場所が決まっているだけで何も心配はいらない。それぞれの時間が多ければ多いほど心地良い依存を高めているように思えた。
 今ならわかる、だからダブルベッドなのだと。寝室を共にすることは百歩譲って良いにしてもダブルなんて考えられないふざけるな、と新しい寝台を買いに行った時に訴えた自分はまだ覚えている。けれど涼太は何が何でも僕をシングルベッドの方へ行かせようとはしなかった。家の選択や物を置く位置などは全部全部こちらの自由にさせてくれたのだが、このベッドだけは目を見張るほどに諦めが悪く、頑固だったのだ。寧ろ同棲する際の取り決めで彼の要望と言えば本当にこれ一つ。
――友達と遊んでいいし合コン行ってもいいし最悪女の子連れ込んでもいいからベッドだけはダブルでお願いします!
 と、家具屋のベッドコーナーのど真ん中で頭を下げてはっきり言いやがった時はさすがに頬が引き攣っていただろう。周囲の家族連れがどんな目で僕達を見ていたのか考えるだけで恐ろしい。しかしここで妥協しては万年発情期にいいようにされる、と身の危険を感じ、声量を最小限にして反論した。
――女性を連れ込むなんてありえないし合コンには多分行かないと思うしダブルベッドを選ぶ交換条件になどならない却下だ! あと言われなくても友達とは遊ぶ!
――そこをなんとか! マジでお願いしますほんとこの通りです何様俺様赤司様!
――それを言うなら神様仏様赤司様だろうってそうじゃなくて絶対に嫌だ! 僕はシングルの方を見るから手を放せ!
――シングルベッドでもいいけど絶対二人で寝るし一個しか買わないっスよ!
――なんでだよ狭いだろ!!
 回想強制終了。この後も自分でも呆れるくらいくだらない口喧嘩を繰り返した末、結局ベッドは購入せず保留となった。が、何時間経とうと何日経とうと涼太が意志を曲げようとしなかった為に、ついに僕の方から折れることに。口論が尾を引いて会話をしなくなったのである。その後ろ姿は明らかに落ち込んでいるというのに、それでもシングルベッドは嫌らしい。あまりのしおらしさと強情さに深く溜息をついて「……買いに行こうか、ダブルベッド」と声を掛けると、涼太は一瞬驚いたような顔をした。そして後ろに倒れそうになるほど思い切り抱き付かれ、無事に仲直り。
 なんて流れを経て、今自分が寝転がっているアイボリーホワイトのダブルベッドが存在しているのである。もちろん購入してからというもの予想通り万年発情期のいいようにされているわけだ。が、一応連日は禁止という約束だけは守っているので、ベッドから蹴り落としたことはまだない。
「赤司っちー」
 扉を開けて顔を出した恋人は支度が終わったようだ。少し乱れた髪をきちんとセットするだけでもうモデルの姿である。バスケを引退してから芸能活動に本腰を入れている涼太の美形ぶりと言えば惚れた欲目を抜きにしても当然凄まじいもので、女性を連れ込む可能性が高いのはそっちだろう、と何度も思った。しかし浮気なんて疑う余地もないほど、自分で言うのも恥ずかしいけれど、彼は僕に一途だ。
 そして自分も、同じように。
「今日は大学の後に仕事か」
「うん。でもなるべく早く帰ってくるっスよ」
「夕飯は?」
「いる」
 端的な返答にわかったと頷き、そこで漸くベッドから降りる。どんなに腰回りがだるくても見送りだけはしないと。床に散らばった私服の中から、夜中に羽織っていた太腿まで丈のあるニットカーディガンだけを着て、前のボタンを幾つか留めた。
「まーたそんな格好で……」
「いいから早く行け」
 ぺらりと裾を捲ろうとする不躾な手を軽く叩く。
「赤司っち、二限からは行くんでしょ?」
「ああ、行くよ。それまでに布団を干して、洗濯は全部済まそうかな。天気良いし」
「……ありがと」
「なんで今更礼を言うんだ」
 変なやつだな。小さく笑って、玄関先でいってらっしゃいと彼の頬にキスをする。少し背伸びをしないと届かないそれが、もう三年以上も繰り返していると生活の一部のように当たり前になっていた。口元を綻ばせる涼太が「いってきます」と唇にキスを返してくるのは余計だといつも思うけれど。相変わらず締まりのない表情を見て、まあいいかとつい許してしまうのだった。


 洗濯と掃除、それから夕飯を作るのは自分の役目だ。前者二つは涼太が手伝ってくれることもあるが、彼は掃除に関してはこと苦手なのである。自室の整理整頓も僕が定期的にチェックしないと雑誌やアクセサリーなどいろいろと散乱し始める為、今までどうやって片付けていたんだと最初は呆れた視線を向けていた。するとどうやらお姉さんが助力してくれていたのだとか。とりあえず年末の大掃除は毎年大変であり、まずは彼の部屋のいるものといらないものを分別することから開始される。
 料理ははっきり言って僕より彼の方が上手かった。が、仕事と大学の両立で既に厳しい生活を送っている涼太に自炊している暇などなく、そんなことで休養時間を減らすくらいなら僕が作る、と自ら宣言した。「えっ赤司っち料理できんの?」と素で疑ってきたことに腹が立ち、大学のゼミと嘘をついて料理教室まで通っていたのはバレているのやらいないのやら。向こうがそれに関しては何も言わず何も聞かず、ただ手料理を出せば嬉しそうに残さず食べてくれる為、毎晩夕飯を作ることを億劫だと思った経験は一度もない。
 今日も予定通り二限から講義を受け、大学が終わったら近所のスーパーで買い物をしてから帰宅する。乾いた洗濯物を畳んで仕舞い、米を研ぎ、炊くまでの間に掃除機を掛けて、おかずを作って。あとは風呂を沸かせば大丈夫だ。一番出来立ての状態で口にしてほしいスープは最後に作り、煮込んでいたところでがちゃりと音が聞こえてきた。顔を上げると壁に掛かった時計は八時を指している。
「ただいまー」
「おかえり。早かったね」
 リビングに鞄を置いている涼太にカウンターキッチンから声を掛けると、マフラーを解いてコートを脱ぎ、僕の方に回ってきた。いつも仕事がある日は九時を過ぎることも稀ではない為、調理中に帰ってきたのはなかなか珍しい。
「わ。うまそー!」
「ちょっと待ってろ、もうすぐ出来上がるから……んっ」
 皿に盛りつけた炒め物を菜箸でつまみ食いしようとしているところを、注意するべく首を向けた瞬間に唇を重ねられる。いつもは僕からしているおかえりのキスの代わりだろう。こっちはいってらっしゃいのキスよりもほんの少し好きじゃない。この後に用がない分、酷い時は玄関先や廊下でセックスになだれ込んだ過去があるからだ。それも一回ではなく、結構な頻度で。
「おい……っ、料理中はだめだ。危ないだろう」
「えー、だってエプロン姿えろいんスもん」
「全国の主婦に謝れ夕飯抜くぞ」
 口を尖らせている彼に容赦ない言葉を浴びせるが、特にダメージは受けていないどころか遠慮なく尻を撫でてくる。思わず肩が跳ね、スープをかき混ぜていたお玉を握り締めてしまった。それをこいつが見逃すわけがない。にやりと口角を上げて「別に謝るのはいいっスけどお、全国の主婦の皆々様よりあんたの方がエロいよ?」なんて顔を近付けて囁いて。
「……馬鹿なことを言ってないで手を離せ、変態」
 最初は悪戯でしかないと明確にわかる触り方だったのが、だんだんといやらしい手付きになっていく。唾を飲んで一瞬ぎゅっと目を瞑った隙に、コンロのスイッチを止めて手を掴まれてしまった。相変わらずこういうことは器用な奴だ。危ないという認識はあるのか、鍋の蓋は閉められてしまうし換気扇の電源まであっという間に消される。
「ちょ……涼太! 昨日、しただろ……ッ」
 ただキッチンに両手を突く形で背後から押さえ付けられ、いよいよ逃げ場を失い始めていた。
「連日禁止ってベッドの中だけっしょ?」
「……は?」
 んなわけあるか寝言も大概にしろ。ご都合主義にも程がある主張をかます涼太の方に振り返って反論しようとするものの、それが失敗だったのだろう。顎を捉えて覆い被さるように唇を奪われ、徐々に深くなっていく熱い口づけに全身の力を吸い取られる。荒々しく噛み付いてくる割に口腔を嬲る舌遣いはじれったいほどに優しくて、しつこくて。気付いた頃には芯から溶かされてしまう彼のキスが大嫌いであり大好きだった。
「ん、ん……はあっ……」
「そういえば赤司っち、風呂ってもう沸いてる?」
 唇を離し、口の端を伝う唾液を親指で拭いながら尋ねられる。極端に酸素の減った頭では唐突な質問が咀嚼しづらく、ワンテンポ遅れてから首を横に振った。こんなに早く帰ってくると思っていなかったのだからまだ沸いていない。このタイミングで何故そんなことを聞くのかわからなかったが、思考力が落ちていたせいで「そっか」と返された瞬間に怒られるのかと体を強張らせた。
 けれど予想に反して涼太は笑みを深め、耳元へと吐息を吹き込むように声を低めて言う。そうされるだけでぞくりと背筋が震えた。
「ご飯は出来てないし、風呂は入れないし……じゃあ、赤司っちしかないよね」
 至極楽しげな一言の意味はわかったが、夕飯は出来ていないのではなくお前が中断させたんだろ! と心の中で訴える。本当にあと少しで完成するところだったのだ。でも風呂は沸かしてなくてよかったと、いや思ってないけどな、思ってないけど。
「ふ、あ……!」
 ずっと僕を押さえ付けていた手が体のラインを這うように降下し始め、ズボンの上から中心を撫で上げられて声が漏れた。昨晩も散々抱かれたおかげでそこまですぐ高揚するわけないと思っていたのに、同時に反対の手で胸まで弄られるとじわりじわりと下腹に熱が溜まっていくのが嫌でもわかる。
 当然だがこんな真っ平な胸を触って何が楽しいのだろうかと疑問に思わずにはいられない。が、いつだったか、それを口にした時に「でも赤司っちは楽しいでしょ?」というのが涼太の返答だった。人を痴漢ならぬ痴女のように表現されたことが癪で、後ろで感じてしまうのは仕方なく諦めるにしても胸を性感帯にされるのはやめようやめようと意地を張っていた時期が僕にもありました。
「服の上からでもわかるね、ここ勃ってる」
「ぁ、あ、んうっ」
 ところがこのざまである。かなしい。ここと指しているのが性器ならまぁ男として否定できないのかもしれないが、そっちではなく胸の方を示しているのだから救いようがない。
 室内は暖房が利いている為、黒の薄いカットソーに、オレンジに近い黄色のエプロンをつけ、その上から執拗に胸の突起を弾かれてもどかしさに眉を顰めた。涼太はとにかく、とにかくねちっこいのだ。こりこりと指の腹で押し込んだり摘まんだり、下だってズボンを脱がそうとはしないでただ擦ってくるだけ。けれど彼の細く長い、骨ばった指が僕の熱を持った部分に触れているという意識が擡げるにつれて息が上がった。
 シルバーの台に添える両手も震えて支えにならず、前に倒れ込んで肘を付く。成す術無く漏れてしまう嬌声がはしたなくて、下唇を噛んで呑み込もうとした時だ。
「ひっ!」
 べろりと剥き出しになった項を舐められるとほぼ同時に、いつの間にかジッパーを下ろしたズボンの中に手を突っ込まれて目を見開く。ぐちゅ、と聞くに堪えない水音がキッチンに響き、下着から取り出された自身を握られて息を呑んだ。
「んぅ……く、あ、」
「あーかしっち……声抑えないで? 昨日みたいに聞かせてよ」
 背後から圧し掛かるようにして囁く声にも余裕がないことくらいわかってる。焦がれた低音に耳殻をくすぐられ、この先に待っている底なしの快楽の予感から逃れたくて身を捩った。
「ダメ。ほら、もっと俺のこと煽って」
 けれど逃げ腰になるとすぐに捕らえられ、首筋に噛み付きながらイヤな台詞を言う。何が煽ってだ。当たってんだよ、さっきから。
 裏筋を抉るように弄られ、弱いところを形の良い爪で引っ掻かれると背中がのけ反った。ズボンと下着は既に床に落ちてしまっているものの、未だにきっちりと付けられたエプロンが微妙に下半身に被ってくる。蜜を零した先端が黄色いエプロンの布を掠める度に、もっと明瞭な刺激が欲しくてこすりつけるように腰を揺らしてしまう。でも生地から得られる快感なんて大したものではない。涼太の手で、先走りを絡めてもっと強く扱いてほしい。
 言うまでもなく先の官能で思考がいっぱいになり始めているのを、「赤司っちも十分変態だから安心してよ」と指摘されようが、そんなのも興奮剤にしかならなくなっていた。以前後ろで達せるようになってしまった時は衝撃を受けたが、今は後ろも触られていないのにこんなに淫らになれちゃうんだと自分自身を辱めるように責め立てている。だらしなく開いた口から滴り落ちる唾液が台の上に粘ついた水たまりを作った。
「そういや何気にキッチンですんのって初めてっスよねえ。風呂はよくあるけど」
 いちいち耳元で喋らないでほしい。
「涼、太……りょうた、」
「ん? なぁに」
「あっ、ぁあ……っ、取って、えぷろ、ん、とってぇ……」
 生半可に微量な刺激ばかり与えられて頭がおかしくなりそうだ。せめてエプロンが外れれば腫れ上がった中心と擦れることもなくなるし、カットソーの上から一枚だけの布を隔てて胸を弄ってくれるかもしれない。否、手を滑り込ませて直に触れてくれるかもしれない。眩んだ脳ではよりいやらしくなれる方向にしか回路が働かず、僕の快感を阻んでくるこの黄色いエプロンが邪魔で邪魔で仕方なかった。ぐちゅ、ぬちゅ、と耳を塞ぎたくなるような音と共に目の前が霞んでいく。
「ね、おねが……ぁ、う、りょうたぁ……ひあっ」
「だーめ。これさあ、あんたが思ってるよりエロいんスよ? マジで」
「ん、んっ、あ!」
「肩紐ずり落ちてるし、腰のとこでリボン蝶々結びにしてんのすげーかわいいし……さっきまで料理してたんでしょ? なのにそのキッチンで下だけ脱がされて尻突き出して、俺の好きなようにされちゃって……」
 それは、だってお前が!
「あーもうほんと可愛い。赤司っちAV出れると思うよ、新妻レイプのシリーズ物とかで。どう?」
「わ、かんな、ぁ、も、わかんない、もう、イっ……〜〜ッ!」
 面白がって喋り通している間も彼の手の動きは止まらず、性急に射精感を駆り立てられてされるがままに熱を吐き出してしまう。はあ、はあ、と大きく呼吸を繰り返して肺と脳に酸素を送り込むと、強い快感でぼやけていた思考が少しずつ回転し始めた。同時に涼太がべらべらと話していた内容がなんとなく思い返される。
 今、新妻レイプのなんたらかんたらとか聞こえたような。
「おま……、僕を、レイプ、してるつもりだったのか」
 涙と涎でべたついた顔を後ろに向けてぎろりと睨み付けると、予想外にもすぐ近くにあった彼が口だけで笑ってみせた。どきりと心臓が気圧される。至近距離で感じる相手の色気と言えば犯されている自分よりもありそうなもので、大人になって更に増したそれのせいで表情一つをとっても腰の奥が密やかに疼く。
「……冗談。俺のかわいいお嫁さんをそんな手荒に扱うわけないでしょ」
 AVはただの例え話。そうは言っているが本人に自覚があるのかないのか、目はあまり優しくなかった。透き通った琥珀色に映る燃え上がるような欲情はあまりに露骨であり、隠す気もないに違いない。迸る愛と性欲に何度抱き殺されそうになったことか。けれど飢えた獣の褒美がこの僕なのだと考えるだけで、心の底から悦びに震える。
 つう、と精液を絡めた指先で太腿の内側を撫で上げられ、思わず恍惚とした吐息が漏れた。キッチンに両手を付いて彼に支えてもらわなければ今にもへたり込んでしまいそうなくらい、僅かな愛撫にもわざとらしく甘い台詞にも、それが涼太の指であり涼太の声であるだけでいとも簡単に骨抜きにされてしまう。もっと、もっと、彼の全てで愛してほしい。愛されたい。
「……、涼太……」
 ずっと体重を掛けていた手が麻痺して思うように動かせず、そのせいで緩慢な動作になる。彼の頬に左手を添え、引き寄せるように名前を呼んだ。反対の手の平でジーンズを押し上げている涼太の熱をそろりと触れば、わかりやすく息を詰める様子に愛しさが込み上げる。
「お前なら、いいよ。……手荒くしても」
 驚いて閉ざされた相手の口に湿ったリップを押し付け、ぺろ、と猫がミルクを舐めるように彼の下唇に舌を這わした。生唾を呑み込んで喉が上下する様をこんなに間近で窺えてしまうと、つい調子に乗ってしまいそうだ。あとから後悔することは目に見えているのに。
「っ……あー、やばい、今の」
「なに言ってるんだ。こんなにさせておいて、最初からやばいだろう」
「あはは、そうかも」
「……煽れって言ったのはお前だからな」
「うん。ちょう煽られた」
 汗で張り付いた前髪を分けながら額にキスされ、そのまま再び口を塞がれる。角度を変えて舌根から吸い付くように深く絡め取られ、酸素不足による息苦しさと膨れ上がった分だけ己を苦しめる幸福な欲に眉を寄せた。ん、んぅ、とくっついて離されない唇の合間から女のような高い声ばかりが零れていく。薄らと瞼を持ち上げれば情欲に濡れた両眼が僕を射貫き、懲りずにキスを続けながら見つめ合っていたけれど、ついに羞恥に負けて逃れるように自分が目を閉ざしてしまった。同時に喉元でくすりと笑われた気がする。くそ、そういうのは、ずるい。
「ッは、あ……あっ」
 長々しい口づけから解放された瞬間、また彼に背を向ける形で今度は前ではなく後ろに手を這わされる。肉付きも良くないだろう尻を揉んでは入口を左右に開くように人差し指と中指で押され、反射的に体が強張った。涼太以外を受け入れたことのないそこが、既に感覚として染み込んでいる快楽に竦みながらも求めてしまうのだ。自然と、落ち着きを取り戻していたはずの心音がどくどくと速まる。
「赤司っち、立ったままでつらくない? 平気?」
 不意にそう尋ねてくる彼の声色は単純にこちらの調子を気に掛けてくれているもので、なんだかんだ優しいんだよなあと思う。手荒くしていいと言ったってこうなのだ。だったらその親切心を行為を始める前に使ってくれと文句をつけたいが、こんなところで止められたらそれこそ拷問でしかない。へーき、と小さく返した。
 僕が溢した白濁を掬い取り、潤滑油代わりに塗っているのは見えずともわかった。しかし昨晩何度も達しているからか恐らく量も多くはなかったし、解すには足りなかったのかもしれない。一本の指をほんの数センチ入れたところで止まってしまっている。
「んー……昨日ヤったばっかな割に締まり良いっスねー、さすが……」
 感嘆してないでさっさとどうにかしてくれ恥ずかしい。
「ねえ赤司っち」
「なん、だ」
 悪戯に浅い部分を引っ掻いて出入りされるのがもどかしく、罅割れた残り少ない理性をなんとか繋ぎ止めていないとあられもない台詞を今にも口走ってしまいそうだった。きゅ、と唇を柔く結んでどろどろに脳髄を占めていく情欲を抑え込む。早く――なんて口にしたら、この期に及んで余裕ぶっているこいつの箍が途端に外れることは目に見えているのだ。
「ちょっとこのままじゃ俺が入んないのはお分かりかと思うんスけど」
「んっ、ああ……そうだろうな」
「ざっと見た感じ、キッチンってローションの代わりになりそうなもん色々あるんスねえ」
「……ないよ一個も」
 嫌な汗がこめかみを伝う。振り返らなくとも背後で尻を弄っている恋人が面白げに口角を歪ませていることなど長年の付き合いから容易に察せてしまった。こういう時は維持でも顔を見ない。見たら負けだ。ふうふうと乱れた呼吸を必死に整えながら、それでも次いで聞こえてきた一言に唾を飲み込んで。
「まぁそう言わずに。……どれがいい? オリーブオイルとか洗剤とか、あと冷蔵庫開ければいーっぱい楽しめそうな液体あるっスよ」
「ッ……」
 いや残念ながら冷蔵庫開けてもドレッシングとかソースとか別に何も楽しくない液体の存在しか思い付かないんだがまさかそれらを使いたいとか言い出すわけじゃないだろうな。
 彼なら考え付きそうな恐ろしい案が自分の脳にも伝わり、普段食用として使っているものを、と想像するだけで背筋が粟立つ。昔から、誰が来るかもわからない部室で襲ってきたりその流れで薄汚いロッカー内で行為に及んだり、満員電車で密着し過ぎたあまり痴漢紛いな一種のプレイに陥落させられたり、ビデオでハメ撮りしやがったものを後日ご丁寧に僕の目の前で流しながら羞恥プレイを強要したり――と、いつもの明るく優しい自慢の恋人の姿はどこへ行ってしまったのやら一本どころか五本くらいネジの外れた頭を以てして特殊な性癖発言をする傾向にはあった。今回も同じようなものだろう。
 しかし長い年月を寄り添ったからと言って何でも受け入れてあげるわけではない。駄目な時は駄目と、嫌な時は嫌と、そうはっきり言わなければならないことはわかっている。わかっているし、言ってきたはずだ。が、何故か記憶の中の自分は最後の最後で流されているような覚えしかなかった。
「……涼太、ローションなら寝室にあるだろう」
「待ってられるんスか?」
「なっ……ま、待てるに決まって、」
「嘘」
「っひあ、あ!? あ、やめ……っ、いた、いぃ」
 ぐりっ、といきなり複数の指を中に突き立てられ、熱い直腸を抉られる鈍い痛みに涙が零れ落ちた。いくら回数を重ねていようと元々そんなところはセックスになど使う部分ではないわけで、慣らしもせず乱暴に入れられれば快感だけを拾うのは難しい。――が、難しいということはつまり不可能ではないことも表していた。痛みが渦巻く最中に、確かな快楽を見つけ出してしまう醜態。
「あ、ぅ……んん」
 精液でべたついた指先をきゅうと更に締め付ける一歩前で完全に引き抜かれ、拭えない喪失感に思考が淀んでいく。視線を落とせば先走りで染みを作っていたエプロンがはしたなく押し上げられ、一度達して萎えたはずの性器がまた反応し始めていることを顕著に表す。嘘だと迷わず断言された通り、今の状態で数十秒でも放置されたらなんて考えたくもなかった。
 溺れ出したこちらの痴態など手の平の上と言わんばかりに前を柔く握られ、後ろもその付近ばかりを焦らすように愛撫される。そして敏感な耳に唇を寄せて舌で窪みをねぶられてしまえば、もうひとたまりもない。
「ほーら、意地張ってないで。このまま突っ込まれてもマジで痛いだけっスよ?」
 気持ちよくなりたいでしょ?
――麻薬にも似た甘美な響きに総身が震える。固く張り詰めているに違いない涼太の欲を迎え入れるべき場所に押し当てられ、生地の上からでもわかる昂りを感じて頼りない克己心が端から頽れた。
 最早何の為に存在しているのかわからないキッチンの台の上、羞恥と興奮で握り締めた左手に、促すように彼が左手を添えてくる。その薬指には自分が肌身離さず身に付けている愛の証と全く同じ婚約指輪が光っていて、それさえも僕の体液で汚れてしまっている様子が酷く淫猥で、見惚れた。
「ぁ……早く、きもちよく、してほしい……」
「じゃあ何使ってもいいよね?」
 空いた右手でぐっと腰を引き寄せ、横から顔を覗き込んで尋ねられたがふるふると小さく首を横に振る。ローションなんて取りに行かなくていいという意味を込めて告げれば当然、キッチンにあるものでこの場にない潤滑油の代用を、と涼太は考えている。どうせするなら痛みを減らしたいのは僕も同じだけれど、でも、それだけは嫌だった。
「食材は、だめだ。他のもので……」
 例えば、洗剤とか。呂律の回りにくい舌を必死に動かして、なるべく明瞭に意志を伝えようとする。理性なんてとうに落ちているはずなのに何故そこだけ頑なに拒むのかと不思議に思ったのだろう、首を傾げて尚も聞いてきた。
「どうしてそんな嫌がるんスか、食べ物は大事にしないといけないから?」
 もちろんそれもある。というか八割はそれだ。が、残りの二割分の抵抗を、躊躇った末に素直に口にした。だって、こんなことに食材を使ったら。
「キッチン立ったとき絶対思い出すし、恥ずかしいし、……夜ご飯、もう、つくれなくなっちゃうだろ……」
「…………」
「…………なんか言ってくれ」
「あー……あー、俺の負けです」
 あとさすがにもう我慢できません、と言うや否やシンクの横に置いてある洗剤に手を伸ばし、僕が息を呑む間もなくそれを肌に垂らされた。カットソーが捲り上がって露わになっている腰骨から臀部、後ろ穴へと伝っていく液体は、その途中で結ばれているエプロンの紐も濡らしていることだろう。
「つめた……っ! あ、ん」
「はは、すげーぬるぬるすんね。これ」
 言ってほしくない感想通り途端に滑りが良くなったようで、窄まっていた入口もぐちゅぐちゅと卑猥な水音と共に解されていく。簡単に二本目も三本目も飲み込んでしまい、いいところを擦られる度に彼の為だけの甘い嬌声を抑えられずに喉が反った。こぷ、と時々洗剤が漏れ出る音まで鼓膜を犯していく。太腿には精液なのか洗剤なのか判別のつかない液体が伝い、キッチンマットへと垂れ落ちた。
「えっろ……泡立ってる」
「は、ぁあん、言う、なぁっ」
「赤司っちのナカも綺麗になりそーっスね。まぁこんなの使わなくてもあんたの体は全部綺麗だけど」
「あっ、ああ、りょうた、も、いい……っ、いれて、」
 冗長な口説き文句に付き合っていられるほど正常ではなかった。が、それは相手だって同じことで、ばらばらに動いていた指を抜いて彼自身を宛がわれる。ごめんと掠れた声で謝られた気がしたが、理由を咀嚼するよりも早く一息に全てを収められ、あまりの質量と熱さに目を見開いた。ぽろ、ぽろと堪えられない涙が溢れる。
 動く時もいつもは一言声を掛けてくれるのに、そんな余裕もないらしい。カリを使って前立腺を刺激されるだけで頭の中がスパークし、焦らすように引き抜いて思い切り最奥を突かれては気持ち良さでどうにかなってしまう。火傷しそうなくらいまで高められた熱と冷え切った洗剤が中で混ざり、泡立ち、弱い点を知り尽くしている彼はそこを重点的に攻めてくる。自分の何から何までを煮詰めて溶かされていくようだった。最後に残るのは壮絶な官能と恋人への募る感情だけであり、その二つが脳内を占めた瞬間に身も心も底から満たされ、酔い痴れる。
「ひ……ッあ、はげし、ァ、ああっ! だめぇ、だめ……っ」
「ごめ、ん……でも、あんたが悪いよ」
 切羽詰まった涼太の声が好きで、ついもっと搾り取れやしないかと後ろを締め付ける。すると台に乗せた両手とも彼のそれに重ねられ、ぎゅう、と縋るように指を掴んだ。もう随分と前から、どんな体位でも繋がって達する際は僕の手を握るのが涼太の癖なんだ、かわいいよね。
「りょう、た、りょうた、すき」
 だいすき、と深い快楽と愛情を受け止めながら溢れ出る想いを唇に乗せる。この体勢じゃあキスはできなかったが、互いに限界に到達して脳裏が真っ白になる寸前、「……俺も、」と愛しげに呟かれた声音が耳をくすぐった。




 それからと言えばまずはもう一回などと言い出した彼の頭を叩き、別々に風呂に入ってから(一緒に入りたいとも言っていたが一蹴した)、放置していたスープを温め直して夕飯を取った。相変わらずおいしいと頬を緩ませてきちんと食べてくれるので嬉しい。が、問題はその後、完食された食器を洗わなければならず、先ほど不本意に使ってしまった洗剤と早くも向き合う羽目に。
「…………」
 今思うとなんで洗剤ならいいとか口走ってしまったんだろうか。だめだろ。使いづらいにもほどがあり、じと、と睨めっこをして手を止めていたら涼太がカウンターキッチン越しにこちらを覗き込んできた。ふふふと笑っている表情が憎たらしい。
「恥ずかしいっスか?」
「……皿洗いは暫くお前の担当にしよう」
「えっ」
 なんだ文句があるのか、と睨み付ければ、はいはいと観念したような返事。と、笑って一言。
「皿洗いはちゃんとやるから、これからも俺の為においしい夜ご飯作ってね。お願いします」

 ……そんな幸せそうな顔で言われてNOなんて言えるか、ばか。


ラヴリー・ベイビー・ワン・モア・キス / 2013.12.20
(11.25 - pixiv上に公開)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -