そういえば二十日って赤司君の誕生日ですよね。
 と、不意打ちで言い出したのは黒子っちだった。「え、まじスか?」「まじかよ」並んで歩いていた青峰っちと反応が重なる。すると「去年も祝ったでしょう」と呆れたような目を向けられたが、オレは去年の今頃は確かサッカー部の試合に助っ人として駆り出されていたので知りようもない。悪いのは青峰っちだ。
「あ? 祝ったっけ」
「祝いました。部活のクリスマスパーティーと合同で」
「へえ、バスケ部にもそんなんあるんスねー」
「ちょっとケーキを食べたりするくらいですけど……今年もイブの日は午前中がパーティーだったと思いますよ」
「あああ思い出した! それ皆で普通にケーキ食ったら午後の練習で死んだやつだろ」
「そうです僕は吐きました」
「じ、地獄じゃないスか……」
 聞きたくなかった二人の思い出のせいで楽しいパーティの図などいっきに崩れ、凄惨な状況が安易に頭の中で浮かべられてしまった。どうせ黒子っちに限った話ではなく全員口元を押さえて青い顔をしていたのだろう。軽く朝食を済ませただけなのに、考えただけで胃から何かがせり上がってきそうである。
 ちょうど学校に向かう一本道のところで青峰っちと黒子っちと会ったオレは、寒さに身を震わせながら校門を通った。朝練の開始時刻がどの部活動よりも早い為、他に生徒は見当たらない。寧ろやっと教師陣のお出ましと言ったところだ。車が数台見え、中庭のど真ん中を歩き道を塞いでいたオレ達に向かってクラクションが鳴らされた。端に寄りながら他愛もない会話を続ければ、白く吐き出す吐息がマフラーに半分ほど吸い込まれていく。
 赤司っちの誕生日なんてもちろん初耳だった。十二月二十日――今から五日後、終業式と同日だ。話によれば去年は合同というよりもクリスマスパーティーと見せかけて本来の主旨は主将の誕生日会、というサプライズ企画だったらしく、本人は大層驚いたらしい。クラッカーを自分に向けられた瞬間に目を真ん丸にして呆気にとられていたのだとか。ちょっと見たかった。
「でも今年はそういうわけにいきませんね。赤司君も二度目は騙されてくれないでしょうし」
 なんでも昨年は一つ上の先輩達がほとんど計画してくれたらしい。確かに彼らが引退した今、オレ達だけではどうにも協調性に欠ける部分がある。唯一統率力を持っている我らが主将抜きで企画をしなければならないのだから尚更だ。
「別にサプライズじゃなくてもいんじゃね? 普通におめでとーって祝えば」
「なんかプレゼントとかあげた方がいいんスかねえ」
「オレ去年エロ本あげたわ」
 勇者か。
「翌日ロッカーに返されてたじゃないですか」
「そーだよ、あいつオレのベストオブエロ本を……」
「え、でも翌日? その場じゃないんスか?」
「一回は持ち帰ったぜ」
「うっそ」
「まじまじ。だから返された時にどうだった? って聞いたらさ、赤司何て答えたと思う?」
 全く予想がつかない。エロ本なんてあげた時点で頭を叩いて返品されて外周追加の宣告をされる予感しかしないのだが、違うのだろうか。わかんないっス、と正直に答えると青峰っちは言った。
「あまり露出度が高いものは好みじゃない、って。真顔で」
 な……なんだそれ! 思わず吹き出すところだったというかちょっとだめだ変なところでツボった。ていうかそもそも。
「みっ……見たのかよ……!」
「ああ、隅から隅まで見た上での結論らしいぜ。いやー赤司も男なんだなって思ったわ。ちなみにニーハイよりタイツ派だけど一番は素足がいいんだってさ」
「素足!?」
「結局露出っていう」
「ふ、ふは、ちょっと待って意味わかんないあの人」
 こだわりが謎だ。エロ本など生涯無縁な人だろうと思っていたおかげで、あの澄ました性格の主将が真顔で性癖について語ったのかと思うと笑いが止まらなくなった。朝っぱらから勘弁してくれ。
「あれじゃね? タイツからの素足っていうか、脱ぐ瞬間がいいみたいな。だから既に脱いでるエロ本の女には興味がない赤司くんカッコ童貞」
「ちょ……やめて青峰っち笑い死ぬ」
 頭の中で思い浮かんだ(童貞)の文字でしんだ。いやいや悪気はないのだ。別にまだオレ達は健全な十四歳なわけで経験があろうとなかろうと何も恥ずかしい話ではないはずだが、赤司っちに限ってはそもそも異性に不純な興味があるという時点でネタにできてしまうほど普段が素晴らしくよく出来た人間ということなのである。ニーハイよりタイツの方が好きでも、タイツを脱ぎながら素足が見えるシーンが好きでも、オレは彼を仲間として、一人の人間として尊敬している。してるよ、うん。言い聞かせないとイメージが崩れそうだ。
「……二人とも本人に聞かれても知りませんよ」
 肩を震わせながら下駄箱に着き、靴を履き替えても体育館に行くまでは赤司っちとエロ本の関係性について盛り上がっていた。そんな中、こういった話に無関心な黒子っちの呆れたような呟きは、オレ達の笑い声に掻き消されていただろう。誕生日の件はすっかり頭にない。
 朝練を始める為にまずは第一体育館から直結の部室に向かわなければならなかった。いつも必ず自分より早く来ている緑間っちと赤司っちが体育館の隅でメニューを確認している光景が、その間に見れるはずなのだ。――が、しかし今日は「はよー」「おはよっス」「おはようございます」と三人で足を踏み入れても、誰からも返事がない。コート一面分の広い空間には一軍の姿が何人か見えるものの、何故か皆ステージ付近の方に溜まって入口からの挨拶など少しも聞こえていないようだった。
「どうしたんでしょう、向こうに人だかりが出来てますが……」
「何かあったんスかね? 誰か倒れたとか」
「まだ練習も始まってねーのにかよ」
 そう言いつつも皆が何か一つを囲っていればその中心が気になるというものであり、予想を立てながら揃って近付く。室内には不穏なざわめきが響いていた。そして人影から顔を覗かせると――どうやらオレの勘が的中したらしい。
「あ……赤司っち!?」
 目を瞑って床に横たわっている赤髪の生徒に心底驚く。思わず大声を出せば、その横にしゃがんで容態を窺っていた緑間っちが顔を上げてオレ達の方を見た。傍に置いてある紙コップが今日のラッキーアイテムであることは一目瞭然だ。隣では紫原っちも相当動揺しているのか、右手にあるお菓子が見事に握り潰されている。
「黄瀬……、青峰、黒子。まだ制服か、早く着替えてくるのだよ」
「い、いやそれよりどういうことっスか、これ」
「なんで赤司君が倒れてるんですか」
「オレらが来た時にはもうこの状態だったんだよー」
「寝てんじゃねーの?」
「青峰が倒れていたらそう判断するがな、赤司に限ってありえないのだよ。……今桃井がコーチを呼んでいるところだ。目を覚ます気配はないが、熱があるという様子でも……」
 顔色は悪くない。ただ眉を寄せて少し苦しそうな彼は、オレ達が声を掛けても全く反応しなかった。緑間っちが来る前から状況が変わっていないということは恐らく誰も詳細を知らないのだろう。主将と副主将はいつもどちらかが一番乗りなのだ。もしも赤司っちの体に何か大変なことが起こっていたら、とどうしようもない現状に不安が募っていくばかりだった。さっきまで(童貞)とか言っててごめんなさい。
「コーチが来たら保健室か……病院か連れていくだろうから、お前達は構わずアップを始めろ。練習は通常通り開始するのだよ」
 主将の代わりに副主将が出した指示に従って他の一軍が動き出し、オレ達もとりあえず部室へと踵を返そうとする。ところがその時、ふと黒子っちが立ち止まって足元を見た。
「……何か落ちてます」
 と呟き、それを拾う。近付いて覗き込めば五センチ程度のガラスの小瓶が彼の手の平に乗っていた。中には毒々しいショッキングピンク色の液体が半分くらいまで入れられ、コルクで閉められている。
「なんスかこれ?」
「すげえ目に痛い色だな。……あ、なんか書いてある」
 瓶の底に貼られたラベル。黒子っちの手から得体の知れないその物体を取った青峰っちが、透かすように持ち上げて読んだ。
「……らぶぽいぞん?」
「英語2は黙っててください」
「ラブ・ポイズンでしょ」
「なんで黄瀬わかんだよ」
「寧ろなんで君は読めないんですか……」
 黒子っちの言う通りである。――LOVE POISON。平然とローマ字読みした青峰っちの壊滅的な英語力はさておき、見たところこれが小瓶の中身の名称らしい。当然誰も見覚えのない落とし物に眉を顰めて観察していると、後ろから早く着替えろと緑間っちに怒鳴られてしまった。体育館に怒声が響き渡っても、相変わらず赤司っちは意識を失ったまま目を覚まさない。
「峰ちん何持ってんのー? お菓子?」
 この禍々しい色素を恐らく着色料に見間違えたのだろう。不意に食い付いてきた紫原っちの言葉に、ちげーよ、と首を横に振って軽く投げている。紫原っちの手に渡ったそれを副主将も不審げに窺った。
「んー、愛の毒?」
「……毒物か」
「いや本物じゃないっスよね? 誰かが適当に作っただけじゃないの」
「どちらにせよ危険なのだよ。オレが預かっておこう」
「つか愛の毒ってなんだよ」
「そのまんまの意味じゃないー?」
「えぇ?」
 『LOVE POISON』は活字ではなく手書きで記され、いかにも生徒がお遊びで作りました、と言った雰囲気が醸し出されている。それにしてもネーミングセンスの乏しさに内心で笑っていると、オレ達の緩い会話に混ざっていなかった黒子っちが至極真剣に告げたのだった。まるで眠り姫のように横たわっている主将とピンク色の小瓶を交互に見ながら、あの、と一言。
「もしかして赤司君……それを飲んだ、とかじゃないですよね……」
 恐る恐る真実を明かすような言葉に全員が顔を見合わせ、気まずい沈黙が流れる。
「…………」
「…………」
「……お、おい何言ってんだよテツ! そんなもん赤司が飲むわけねーだろ!」
「峰ちんに同感〜。赤ちんが自滅みたいな真似するわけねーし」
「その通りだ、赤司はもっと慎重な奴なのだよ。大体こんなところに本物の毒などありえない」
「そうっスよ! 万が一これが原因だとしても、明らかに見た目おかしいし赤司っちが自分で飲んだっていうよりは寧ろ誰かに飲まされた可能……性……」
「…………」
「…………」
「……ごめんオレ余計なこと言ったかも」
「…………」
「確認するしかないようですね……」
 オレが変な方向に話を転換させてしまったせいで嫌な予感しかしない。けれど皆の発言通り彼が自らこんな物体に手を出すとは思えなかったのだ。実はこれは本当に毒物で、もし他人に飲まされて気絶したのだとしたら――最悪の予想が各々の脳裏で巡る中、赤司っちのスポーツドリンクに目を付けたのは黒子っちだった。
 事件(かもしれない)発生時、恐らく赤司っちはここで一人メニューの確認をしていたのだろう。練習着のTシャツに短パンを履き、帝光のジャージを上だけ着ている。毎日のメニュー表が挟まれたバインダーが証拠物のように床に投げ出されていた。時間短縮の為か、彼はこうして何かを読みながら軽いアップや柔軟をする癖があり、長座体前屈をしつつ桃っちが集めた資料の確認、なんて器用なことをするのだ。そして動けば自然と汗を掻くし、水分補給も行う。つまり誰かが来る前にスポーツドリンクに口をつけた可能性は多いにあるわけで。
 隅に寄せられたベンチには赤司っちの私物であるタオルと中身のわからないドリンク。見慣れたそれを躊躇しながらも手に取った副主将が、例のラッキーアイテムに注いだ。紙コップの中を五人で覗くように囲ってみれば。
「…………うわあー、今ってイチゴ味のスポドリとかあるんスね……青峰っち飲む?」
「ふざけんなお前が飲め」
――無色透明なはずのドリンクが、一目でわかるほどピンク色に染まっている。当然イチゴ味なんてそんな小児用の薬じゃあるまいし赤司っちが飲むわけがない。
 信じたくなかった嫌な予感がものの見事に的中したのだ。
「えー……つまり赤ちんの知らぬ間に毒を入れられてて飲んだら倒れたってこと?」
「どこの白雪姫スか」
「でもそう考えるのが一番自然ですよね」
「……この液体に本当に毒が含まれていれば、の話だがな」
 そうは言うけれど、ドリンクが不穏な色をしているという時点で故意に注入されたことは明らかだ。主将の自爆は百パーセントの確率で考えられない。要するに誰かしら犯人はいるわけだが、そもそも――愛の毒って何だ?
「う……」
 全員で考え込んでいたその時、後ろから小さな呻き声が聞こえた。
「赤司!」
 振り返ると今の今まで意識のなかった主将が漸くお目覚めらしく、こめかみを押さえながら上体を起こしている。悪い想像に気を取られていたオレ達にとって彼が起き上がってくれたことはもちろん朗報だった。駆け寄って近くにしゃがみ、具合を窺うように覗き込む。しかし「大丈夫?」「どこか痛みますか?」と皆一様に心配しても、赤司っちは俯いたまま顔を上げない。
 拭えない違和感と異変に皆が黙った頃、ゆらりと視線を上げる様子に息を呑む。
「――赤司っち?」
 平気? と、オレだってただ心配しただけだった。どこか目が据わっている。他の四人も周りに集まっていたが赤司っちのぼんやりした瞳に真っ先に自分が映し出された瞬間――その時点で失敗していたのだと、後から思い知ることになるとは。
「……黄、瀬……」
 寝起きだから心ここに在らずと言った雰囲気なのだろうか。呼び掛けに応えるようにオレの方を見た赤司っちはゆっくりと首を傾げ、それから、目を細めて微笑んだ。見たことのない艶美な表情に、不覚にもぞくりと背筋が粟立つ。
「あ、赤司っち……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
「ちょ、待ってほんとに? ほんとに大丈夫なんスか?」
「なんだ、心配してくれるのか? 黄瀬は優しいね」
 タンマタンマ全力で大丈夫じゃない。おかしい。何かがおかしい。じわじわとにじり寄られる恐怖に煽られて後ずさると、「そういうところが好きだよ」と腕を掴まれてしまい正直ここ最近で一番びっくりしている。なんでオレいきなり同性に口説かれてんだ。
 好意は素直に受け止めるタイプだが今の赤司っちは違うだろう。オレ達のやり取りを茫然と見ている緑間っち達なんか『あ、これ関わったら終わりだな』感が滲み出ている。知らないふりしてないで助けてよ仲間だろ! チームメイト(男)がチームメイト(男)に言い寄られてるっていう異常事態っスよ!?
「黄瀬、どうして逃げようとするんだ」
「いやだって、ちか、近くね?」
 オレのパーソナルスペースに堂々と踏み込んでいる赤司っちが、普段の威厳を持った主将のオーラと全く異なっているせいで理解が追い付かない。誰だこいつは。
「近いだなんてそんな……言わせないでくれ。少しでもお前と離れるのが嫌なんだよ」
「へ、へえ」
「ほら、愛を確かめ合おうじゃないか」
「は」
「ぶはっ」
 おい青峰っち吹き出してんじゃねえ。
(ど、どうなってるんスか……)
――毒のせい?
 わけがわからないが本能的に逃げなければと思った。が、凄まじい馬鹿力で握られているせいで手を振り払えないどころかギリギリと爪が食い込んでいる。これがもし首だったら今頃息の根が止まっていたことだろう。
 半世紀最大の身の危険を感じながら頬を引き攣らせていると、次の瞬間には思い切り抱き付かれる始末。
「ちょ……っ!?」
 両腕を背中に回され、ぎゅううと抱き締められる。それも女の子のようなか弱い抱擁ではなく、紛れもなく相手は男であり力が籠められすぎていて逆に苦しい。涙目にもなる。目の前に居るのが一体誰なのかわからなくなりそうだった。直立不動のまま固まっているとオレを見捨てた他の四人のうち約三名は呆気に取られたように口を半開きにしているが、残りの一人に至っては指を差して笑ってやがる。あとで覚えとけよ青峰っち。
「黄瀬は相変わらずいい匂いがするね。知ってるよ、お前のお気に入りの香水だろう」
「あ、ありがとう教えた覚えないっスけど……」
 マジで勘弁してください何これさっきまで(童貞)って馬鹿にしてた罰ですか? それなら土下座してもいいからとりあえずうっとりと見つめるのをやめてくれ。あとまるで恋する乙女のように顔を赤らめるのもやめてくれ。
「さすが――オレの王子様だ」
 白雪姫が勝手に起きてキスもしていない男のことを王子だと勘違いする童話なんて聞いたことがない!


 一大事である。
 一言で言おう。赤司っちが壊れた。
 もう一つ付け足そう。被害者はオレだ。
「だ……大丈夫か、黄瀬……」
「……笑って悪かった」
 あの緑間っちが心の底から心配してくれて、あの青峰っちが同情して謝ってくれるレベルで災難に見舞われている自分は今、朝練を抜けて部室で項垂れているところだ。結局まだ着替えてすらいないものの、マフラーだけは外してベンチに腰を下ろしている。――隣には何故か赤司っちが、オレの右腕と手を絡めるようにしてぴたりとくっついた状態で座っているのだが。
「黄瀬、調子が悪いのか? 顔色が良くないな」
 あんたのせいだよ!!!
 と、声を大にして言えたら苦労はない。言う気も起きないほど疲弊しているのだった。こちらを覗き込んで様子を窺ってくる赤司っちを恐る恐る見やれば、目が合っただけで嬉しそうに微笑まれる。例えばこれがファンの女の子だったらやんわりと窘めて離すことができるわけだが、相手が相手だ、へたに突き放すこともできないのが原因でオレは疲れ切っていた。
 あれから、自分に抱き付いたまま何が何でも離れようとしないこの人の異変は一軍の全員に目撃され、ざわついた体育館に桃っちとコーチもやってきた。とんでもないタイミングだろう。主将が倒れた! 病院へ! という旨で駆け付けたら普通に起きてるしチームメイトに謎の求愛をしている状態だったのだ。オレだったら引く。もちろん桃っちもコーチも引いていた。
 頑張って引き剥がそうとしても例の馬鹿力で対抗され、自分の心の中はもう半泣き状態。明日には部活中――否、きっと学校中で黄瀬涼太と赤司征十郎のホモ疑惑が浮上するに違いないと思うと、自殺をするなら今だと真剣に考える。でも今死んだらホモだったことがバレて居た堪れなくなって首を吊ったように思われるのでは、という結論に至り、それはプライドが許せなくて死ねずにいるわけだ。間違ってもオレはホモではないし、そして、本来の赤司っちもまさか男が好きなわけがない。だってタイツを脱いだ時に素足が見えるところに興奮する人なんスよ? ホモとかありえない。
「そうだ、オレが看病しようか。朝から晩までずっと黄瀬の傍に居てあげるよ」
――はずなのだが、この状態では説得力に欠ける。
「あ、赤司っち、オレなら大丈夫だから……ちょっと離れてくれないかな」
 ちょっとの間でいいから、と突き放すのではなく、諭すように。薄々この人の扱い方を見つけ始めている自分には驚くしかなかった。けれどまぁ、整理すると簡単である。

 一つ、赤司っちは三十分前に目が覚めたその瞬間からオレのことしか見ていない、というよりは見えていない。
 二つ、恐らく単なる拒否ではなくオレが心を込めた注文ならば大体の言うことは聞く(はず)。
 三つ、何故かオレを王子様だと思っている。

 以上の点からそれはまるで恋心を寄せる女の子に他ならないことなど考えなくともわかるだろう。異性と感覚が同じならあとは楽勝だ。オレは女の子の扱いには定評がある。まさか同性相手にこんな風に優しさを振り撒く日が来るとは思っていなかったが。
「……離したら逃げるだろう?」
 少し口を尖らせて拗ねた表情を見せられ、思わず目を逸らしそうになった。全く以て心臓に悪い。が、ここで背けたら逃げたがっていることを肯定しているも同然であった為、ちゃんと視線は合わせたまま「逃げないっスよ」と優しく返す。頑張れ黄瀬涼太。相手を女の子と思うのだ。寧ろお姫様扱いしろ。そう、まさに今の赤司っちは(誰も口づけとかしてないけど)棺の中から目覚めた白雪姫だ。よし。よしいける。昔読んだ絵本の中の王子様よオレに憑依しろ。
「絶対に逃げない、約束する。でも今は一人にさせてほしいっス。ほら、これから赤司っちにどう接しようか真剣に考えたいんスよ。だから……ね、部室の外で待ってて?」
 視界にフィルターをかけて目の前の人間に囁くとやはり効果はてきめんだったらしい。みるみるうちに頬が赤く染まり、最終的にはぱっと手を離して立ち上がる。
「わ、わかった。外で待ってるよ」
「うん、ありがと。すぐ行くから」
 よっしゃよくやったオレ! と漸く解放された喜びと共に内心で自分を褒め称えながらも最後まで整った笑顔を崩さずに手を振れば、赤司っちは名残惜しげに一度こちらに振り向き、そして部室の扉がぱたんと閉まる。
 叫ぶなら今だ。
「な……何なんスかあれ!?」
 青峰っちと緑間っちと自分の三人だけとなった瞬間に声を荒げて訴えるしかなかった。
「赤司っちおかしくね!? あれ誰!?」
「オレが聞きてえよ! つかなんでお前もノリノリで王子様みてぇになってんだよ気持ち悪いわ!!」
「仕方ないっしょ!? ああでもしないとマジで離れないんスよ!」
「鳥肌立ったっつーの!!」
「オレだって途中から自分が何言ってんのかわかんなかったよ!!」
「おい落ち着け二人とも。大声を出すと赤司に聞こえるのだよ」
 取り乱したオレ達に対して緑間っちはやけに冷静……と思ったらラッキーアイテムの紙コップをめちゃくちゃ握り潰しているのでなかなか困惑しているようだ。はああ、と深く溜息をついて背もたれに寄り掛かる。そのままずるずるとベンチに仰向けになる形で寝転がり、同時に襲ってくる疲労感に顔を顰めた。朝練どころではなく、始業のチャイムが鳴るまでと二人は様子を見に来てくれたのだ。
「オレのHPがどんどん削られていくんスけど……」
 いっそマイナスである。すると青峰っちが「赤司のMPはどんどん上がっていってるみたいだけどな」なんて言いやがって益々気が滅入った。
「ほんとどうしちゃったんスか、キャプテン」
 横になったまま嘆いているといきなり扉が開き、廊下から入ってきたのは黒子っちと紫原っち、それから桃っち。一瞬彼かと思って肩が強張ったが、練習に出ていろと指示を出された二人とマネージャーがわざわざやってきたということは。
「やっぱり例の液体を飲んだのが原因みたいです」
 確信を持って告げられた一言を聞き、体を起こした。
「例の液体って……あの『LOVE POISON』っスか」
「それ辞書で調べたら惚れ薬だってさー」
「……マジで?」
 紫原っちが持っていたらしい怪しい小瓶を指しながら言われ、信じがたい真実に顔を引き攣らせたのはオレだけではない。「あのね、今、目撃証言を得てきたの」桃っちの台詞に耳を傾ける。
「二軍の部員なんだけど……早く来すぎて第二体育館が開放されていなかったから、第一体育館の方に向かったんだって。そしたらその途中で職員室に部誌を取りに行ってる赤司君とすれ違って、一人で体育館に行ったら彼のスポーツドリンクにこっそり何かを入れている生徒が居たらしくて……」
「オレらの予測通りじゃねーか」
「探偵になれますね」
「お前達の感想はどうでもいいのだよ。それで、その人物が誰かわかったのか?」
 最も肝心な部分だ。固唾を呑んで返答を待つと、桃っちは言いづらそうに、しかしはっきりと口にした。
「……多分、理科部の人達だったって」
 り、理科部。
「出たよマッドサイエンティスト集団……」
 ついに眩暈がしたオレはそう呟きながらふらりと再びベンチに横たわる。もう駄目だ、終わった。帝光中学というのは割とどの部活も強豪であることで名を馳せ、それは運動部に限った話ではなく文化部も含まれていた。科学に全てを費やす理系の溜まり場となっている理科部ももちろん例外ではない。が、あの部活動はとにかく頭のキレている奴が多いのだ。
「理科部、ですか……手の打ちようがないというか」
「あいつら常にわけわかんねー実験してるからなあ……」
「……さしづめ赤司は被験者というところか」
「そんでオレが被害者と」
「そういえば廊下に赤ちん一人で突っ立ってたんだけどどうしたの?」
「応急処置」
 即答すると同時、意外と従順に外で待っているという報告には内心で驚いた。我を見失っている今の状態では周りを一切シャットダウンしている赤司っちだが、オレの言い方次第である程度の暴走は抑えられるのかもしれない。むやみやたらと拒むと抱き付かれて逃げられなくなるが。
「原因や経緯は後から追究するとして……とにかく今は、惚れ薬の影響で赤司君はきーちゃんに無条件で惚れ込んでるってことだよね」
 尊敬している女子マネージャーにホモを断言される悲しみがお分かり頂けるだろうか。
「頑張れ黄瀬」
「人事を尽くすのだよ」
「まぁなんとかなるでしょ〜」
「あまり気負わないことです」
「応援は嬉しいんスけどみんな他人事だと思ってるよね?」
「…………」
「なんか言ってよ!!!」
 薄情なチームメイトが揃いも揃って目を逸らすので起き上がって意見を投げ付ける。とは言え彼らが他人事であるのは当然の話であり、仲間として信頼し友達として仲良くしてきた男に突然好きだよと言われ腕を組まれる気持ちなど死んでもわからないだろう。自分もわかりたくなかった。
 これ以上ここに居てもしょうがない。もう一度溜息をつき、鞄とマフラーを持って立ち上がる。
「どこ行くんですか」
「窓から逃げる」
 幸いにも部室は一階だ。扉を使わなくとも外へ出られる構造に心底感謝しつつ、背後のガラス窓の鍵を開けた。裏道を通って下駄箱に行けば校内には入れるし、赤司っちとはクラスが違うから授業が始まればきっと問題ない。放課後の部活はまたその時に考えよう。というかそれまでには是非とも治っていてほしい。
「お……おい黄瀬、いいのかよ。逃げないって約束してたろ」
 青峰っちがそう突っ込んでくるが、馬鹿げたことを言わないでくれ。
「そんなん嘘に決まってるじゃないスか。今あの人に捕まったらオレ一生逃げられな……」
 右足を窓枠に乗せて言い掛け、振り返った時だった。いつの間にか入口の扉を開けてそこに立っていた主将が悲哀感溢れる表情でオレを見つめている。
――まずい。
「あ、赤司っち……」
「嘘……だったのか……?」
「いやあの、ちがくて、あのね」
 何故男女の別れ話のワンシーンように涙を浮かべられているのだ。こんな瞬間に入室するなんて酷いタイミングだし、ちょっとオレが悪いみたいな空気になってるのが理不尽極まりない。自分は正当防衛を試みただけなのに。
「オレは黄瀬の言うことは聞くよ。だって好きだから。けれど、ただお前の傍に居たいだけなのにそれも迷惑だと言うのか? そんな……」
「ま、待って、迷惑とは言ってないっス」
 頼むから元の赤司っちに戻ってくれ。いつもいつも偉そうに命令ばっかしやがって! なんて反抗心を抱いた経験がないわけではないが、上から指示を出さずに誰かに従順な主将などある意味恐ろしいのだ。さすがに泣き顔はオレも見たことがない。
「……迷惑じゃない?」
「う、うん。だから泣かないで。赤司っちの好意は、わかってる」
「わかってると言ったって……でも、でもどうせ逃げるんだろう! オレはこんなに好きなのに……っ、愛しているのに!!」
「逃げないってば! 逃げないからとりあえずドア閉めて外に会話丸聞こえなんスよ!!」
「黄瀬のバカ!! もう窓から滑り落ちて怪我してオレに看病させろ!!」
「看病!?」
 滑り落ちて死ねとかじゃなくて!? 優しいっスねってそうじゃなくてなんだこれは。黒子っち達も無言で諦めたような視線を向けないで何か言ってくれ。
 赤司っちの熱烈な愛の告白が部室の外まで、そしてオレが窓を開けてしまっていたせいで校庭まで響いていたらしく、案の定、黄瀬涼太と赤司征十郎のホモ疑惑は数時間も経たないうちに校内中で広まった。

「死ねなんて言うわけないだろう!? もし黄瀬が死ぬ時はオレも一緒……そして来世で結ばれるんだ」
「オレに惚れてるのはまぁいいとしてなんでそんな愛重いんスか!?」

(惚れてるのはいいのか……)
(惚れてるのはいいのね……)
(惚れてるのはいいんですね……)
(惚れてるのはいいのかよ……)
(惚れてるのはいいんだー……)


 これは主将が怪しい薬を口にしてから約五日間、何故かオレが彼の王子様(仮)になってしまった話である。


おしゃべりは止めて、キスをしようか@
2013.12.20
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