黄瀬涼太の入部届を受け取ったのはコーチだったが、間もなくして主将である虹村さんを通しオレにも連絡が来た。『バスケ初心者にも関わらず早速二軍の先輩に追い付こうとしている』らしい。ミニバスを経験してきた一年生より遥かに上手いと、そんな情報を与えられて興味を持たないわけがなかったのだ。
 他にも何やらモデルをやっているだとかで、最近は二軍の体育館の周囲で女生徒の黄色い声がよく響いているそうだ。そのことについて半ば妬んでいるような部員も居なくはなかった。が、自分からすれば部活以外、言ってしまえばバスケより外には一かけらの好奇心もなく、部に迷惑さえ掛からなければ黄瀬涼太が何をしていようが構わなかった。ただオレの頭を占めているのは、彼がどの程度の実力を秘めているのか、もっと簡潔に言い換えるならば、今後うちの戦力になれるか。それだけだ。
 中学二年となって以後、一軍の調整や自分自身の練習で忙しく、二軍の方まで目をやる暇を作れていない。しかし彼が入部して十日ほどが経った頃だろうか。既に主将やコーチの間で黄瀬涼太は昇格テストをパスして一軍に上がらせようという話が決まりかけたその日、たまたま空き時間を得ることができた。――というよりは、休憩時間にこっそり一軍の体育館を抜け出したのだ。
 十五分のみの短い時間ではあるが少しプレーを見るくらいなら十分だろう。そう思い立って主将にはちょっと外の空気を吸ってきます、なんて嘘をつき、渡り廊下を過ぎて二軍が使用している体育館へと向かう。五月晴れの、よく風の通る空の下だった。ステージ横の開放されている扉をくぐれば籠った熱気が体を包む。噂通り周辺には多くの女生徒が群がっていたおかげで、特に目立たずに済んだのは助かった。
 メニューを管理するのは一軍から三軍、それぞれのコーチである為、まだ二軍は休憩時間には入っていないらしい。まあ、わざわざ見に来たのに練習していないのでは意味がないが。
「よし、全員集合! 次は――」
 基礎トレーニングは終わったようだ。バスケットボールが幾つか取り出され、ちょうど三対三のミニゲームが始まろうとしている。コーチの容赦ない指示が朗々と下る中、オレは舞台裏の梯子を上り二階へ行った。正確には窓の開閉用に設置された、体育館をぐるりと一周できる通路である。時たま監督がここから選手を眺めているのは知っているが、今日は一軍を見に来ると予め把握していたので遠慮はない。ちらほら転がっているバドミントンの羽根を避けながら、忍び足で歩みを進めた。
 ところがコーチを背後に体育館の中心のあたりまで辿り着いたところで、それは突然だった。いきなり響き渡った耳を劈くような甲高い声音。その正体が先ほど目にした女生徒達のものであると理解するのにそう時間は要さなかったが、何故そんな、と目を見張った次の瞬間には状況を咀嚼できた。どうやらミニゲームの一試合目が、彼の出番らしい。
「手ぇ振ってんじゃねえ、黄瀬!」
 次いで先輩の怒号が飛んでくる。柵に右手を置いてその怒りの矛先を追えば、誰よりも目もあやな人間が視界に映え、一瞬、息を呑む。
「……あれが……」

――あれが、黄瀬涼太か。

 実際にこの目で見たのは初めてだった。なるほど確かに、モデルをやっているというのは理解できる。人の容姿に対して興味を持たない自分がそう思うのだから相当なのだろう。鮮やかな髪色は見下ろした体育館の中で最も華々しく、女生徒に向かって浮かべる笑顔は驚くほど整っていた。第一印象としてはあれで同じ中学二年か、と、そんなところだ。決して大人びているわけではないが――ただひたすらに、引き立つ黄檗色が眩かった。
 癪なことにオレより身長は高い。生まれながらに運動神経が抜群だとは聞いていたけれど、遠くから見ても筋力や体型に申し分はなさそうだ。後から調整すればいくらでも修正が可能な、初心者だからこそ癖のないプロポーションは単純に良い素材と言えるだろう。
 良い、と自分が一目でそう判断した男は久々だった。
 瞬きも忘れて瞠目していると、そのうちにも早速反面コートを使用して二試合が同時に開始される。黄瀬のチームは彼に加えて一年が二人、対先輩三名が相手らしい。二軍と言えど相応の実力は確かな三年ばかりだ。対し一年生の方は当然まだ不安定な部分がある。一見あまりバランスは取れていないように思えるが、黄瀬一人でそれだけのカバーが可能ということだろう。一軍候補がまだ帝光に入学して一ヶ月と経たない後輩を仲間にどれだけ太刀打ちできるか、これは見物だ。
 そしてオレは恐らく彼に絶大なる期待を寄せていた。だからというわけではないが、正直に言えば前半の二分半は特に目を見開くようなプレーではなかった。センスは認める、ボールに触れてたった十日でこれだけの動きが出来るのは素直に凄い、が、昇格テストをパスさせてまで一軍に上がらせるような人材か?
 点差はほぼ変わらないものの三年の方が僅かに上回っているのだ。一年とのコンビネーションが上手くいかず若干苛立っているのか、黄瀬涼太の表情は徐々に険悪なものとなっていった。
「くそ……っ」
 上等なフェイクにかかり3Pを決められ、露骨に舌打ちをする様子が目に留まる。負けず嫌いは評価できよう。女生徒に愛想を振り撒いている時よりも遥かにいい顔をしていると思った。だがここからどう巻き返すのかと静かに、しかし関心を持って見守っていると、変化はすぐに起きた。
 次にボールが回ってくるまでの間、彼はフェイクに特化したその先輩をずっと視野に入れていた。目を細め、プレーを凝視している。そして何をし出すのかと思いきや、黄瀬涼太は先ほど仕掛けられたフェイクと全く同じ動きを、全く同じシチュエーションとして見せ、軽やかに3Pを決めてみせたのだ。
 その時点で浮き上がった彼の才能に、驚きを隠すことなどできない。
――まさか模倣……したのか?
 偶然にしては異常な出来だった。微かな可能性に賭けたが疑う間もなく、その後のプレーによって疑問は確信へと変化する。黄瀬涼太は前半で決められた技を、まるで仕返しだとでも言うかのように一つ一つ自分のものにしていったのだ。しかし他人のプレー全てを真似ることはしていない、というよりは、きっと出来ないのだろう。自分自身の能力やレベルを踏まえた上でどこまでが模倣可能かをきっちり見極め、そして自分にはまだ不可能だと思ったプレーはせず、他人から得た複数の技を非常に上手く駆使している。
 最早、黄瀬がポイントを入れる度に騒ぐ女生徒達と心境は似ていただろう。あれは確かに、並外れている。一人だけ抜きんでている。模倣と言ってもまだ荒削りな部分は多いけれど、だからこそこの先あの才能を極めていけばどうなることやら、胸が躍るような好奇を覚えた。
 つまり『見たものを一瞬でコピーする能力』。打って変わって興味深い! オレはすっかり目を奪われ、是非とも我が帝光において成長していくべきだと実感する。
(黄瀬、……黄瀬、きせ、)
 きせ、りょうた、と自分でも聞こえるかわからない程度の声量で呟く。
 高鳴る心臓を抑えるべく反芻していればそのうちにホイッスルが鳴り響き、一度目のミニゲームが終了したようだ。結果は六点の差を付けて一、二年のチームが勝利という、未来の帝光レギュラーには相応の結果であった。手こずっていた前半は見逃してやろう。Tシャツの襟を引っ張って顎に滴る汗を拭っている黄瀬を横目に踵を返そうとしたが、その瞬間――ふと、彼が視線を上げた。
 やばい気付かれた、と思ったわけだが、今更どうしようもない。ぱちぱちと目をしばたたかせている黄瀬は、オレを視界に入れるなり固まってしまった。わからなくはない反応だ。他の部員やコーチには未だバレていないことに安心するけれど、見つけた方からすれば明らかに選手と思しき人間が体育館の上に佇んで監視していれば驚きもする。
 誰? と聞きたげにこちらを見上げたまま首を傾げた黄瀬涼太の表情はまた先ほどとは一変していて、女生徒に対する貼り付けた笑みでもなく、試合中に歯を食い縛って悔しがっている顔でもなかった。頭上に疑問符でも浮かんでいそうなきょとんとした表情がなんだかおかしく、ふふ、と小さく笑い声が零れる。面白いほどに百面相だ。同学年の彼はいろいろな顔を見せてくれるらしい。
「黄瀬! 次、始まるぞ!」
「あっ、はい! すんませんっス!」
 自分のせいで先輩に叱られることとなっていて内心で謝ったが、コートから出た後もオレの方を見てくるくらい相当不審な人間に思われているに違いない。けれど近々、嫌でも対面することにはなる。それまで正体を明かす必要もないだろうし、そもそもこの距離では何を喋ることもできない。
 不思議と見つめ合っている数秒間はひどく心地良く感じた。彼の瞳の為だろうか。色彩鮮やかな琥珀色の両眼は窓から漏れ込む太陽の光を反射し、一つ転瞬を繰り返すたびに星がちらつくようだったのだ。見開かれた大きな瞳は丸々満月を埋め込んだようにも見え、黄瀬涼太の目はすごいなと、確かにそう思う。
(月にも星にも太陽にも、)
 全部に匹敵する。まるで宇宙だ、と馬鹿みたいに単純な感想が脳裏に浮かんだ。
 しかし名残惜しいがもうすぐ一軍の方も練習が再開される。満足な気分のまま、自分はその場を後にするほかない。“一軍で待ってるよ”。最後にそう意味を込めてひらひらと右手を振ると、やはり黄瀬はオレから目を離さず、煌々たる瞳を以てして瞬きをするのみだった。


始まり始まり / 2013.07.11
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