※本誌208Qネタバレ注意
※帝光元主将×赤司の描写含


 告白をしたのは自分からだった。付き合ってほしいと一言告げた時はここ数年で一番の緊張を覚えた気がするが、「いいよ」、少し躊躇ってから口にされた返答に歓喜も驚愕も安堵も混ざって茫然とした。その様子を見ておかしそうに笑った赤司っちは高校二年となった今でもオレの恋人であり、この関係になってから、既に三年は経つだろう。
 あの頃は何度も不思議に思っていた。本当にオレのことが好きなのかと不安も抱えたし、何より最大の疑問は男に好きだと言われて気持ち悪いと感じなかったのだろうかと。普通はありえないはずだ。オレも初めて自覚をした時は自分自身に引いたくらいだし、赤司っちだって、いくら冷静沈着な性格とは言え同性にそういう意味で好かれて動揺しないわけがない。そう覚悟しての告白だったからあんなに身構えたのに、なぜ彼は僅かに目を見開く程度で快く承諾の返答をくれたのか。
 まさか元から同性愛者だったのではと、何気なく口にしたのは付き合い始めて一年半、中三の終わりだった。

「そうだよ」
 気だるそうに起き上がりながら淡々と返された肯定の言葉。ジーンズを履いて床に散らばった赤司っちの私服を拾っていたオレは、その手を止めて彼の方に目線を向けるしかなかった。頭の中が一瞬、真っ白になる。
「……え? そう、って……」
「オレは元々同性愛者だ」
 寝起きの割には随分はっきりとした口調だった。もう一度わかりやすく繰り返された返事にやはり唖然として、右手から服が滑り落ちそうになるのをなんとか耐える。しかし理解が追い付かないのは相変わらずのまま、冗談だとも笑わない彼と交差した視線には昨晩よりも距離があるように思えた。
 自分で聞いておいてその返答は予想だにしていなかったのだ。二分の一の確率であり得た話だというのに、何をそんなに驚いているんだと頭の片隅では客観的に考えられたものの、それでも信じがたい事実であることに変わりはない。
 オレは見ての通り以前まで普通の趣向だった。というか今でも赤司っち以外の男相手に、なんて想像するだけで吐き気を催すし、それはこの先も変わらない自信がある。彼に限って特別なのであって、恐らく根からの同性愛者というわけではないのだろう。そしてこの頭は勝手に赤司っちも同じに違いないと信じていたらしい。オレだけ、オレだけが彼の中で恋愛対象として認められた存在なのだと。身勝手な主張かもしれないが、赤司っちが元来ゲイであるという事実は言ってしまえばある種の理想を崩された瞬間であり、自分の心はあからさまに憤りを感じていた。
 そしてオレが告白した時に動揺の色が見えなかったということは、その前から既に自覚があったと踏んでいいだろう。じゃあ気付いた原因は? 考えるまでもなく、答えは一つだった。
「赤司っちの初恋って、誰なんスか」
 オレのベッドの上で上半身を起こし、腰のあたりまで布団を掛けたまま座っている恋人に抑揚なく尋ねる。何も身に纏っていない肌には自分が好き放題に付けた赤い痕が、至るところに残っていた。
 彼の初恋――正確には男が対象で、という質問だ。馬鹿じゃない赤司っちもそんなことはとっくに把握しているだろうし、案の定、こちらの意図に気付くなり露骨に眉を顰めている。オレは一歩も近付かず、ベッドから少し離れた位置に立ち尽くして返答を待った。
「……お前には関係ないだろう」
 しかし最も聞きたくなかったありがちなパターンに苛立ちは増幅する。
「関係ない? それマジで言ってんだったらこの服返さないっスよ」
「お前こそ、何くだらないことを言ってるんだ……子供じゃないんだから、」
「赤司」
 ただの我儘だとわかっていなかったわけではないが、こればかりは譲る気になれなかった。言葉を遮り一際声を低めて呼ぶと、さすがにそれ以上は言い返されない。代わりに眉間に皺を寄せて溜息をつく様子はどう見ても呆れから来るものだっただろう。むきになっている自分に対し、彼はやたらと冷静だ。それが尚更気に食わなかった。
「……オレが一年の頃に主将だった、二つ上の先輩だよ」
 黄瀬は会ったことがないだろうな、と伏し目がちに続けられる。あっさりとカミングアウトされたはいいが、彼の言う通り相手はオレの知らない人間だった。姿形も記憶に覚えがなく、中身などもっとわからない男のせいで重い嫉妬心が胸中を占めていく。
 ちゃんと答えたんだから服を返せとでも言いたげに赤司っちは左手を出してきた。ベッドから動こうとしないのは、まだ下腹部に疲労や違和感が溜まっているからだろう。それをいいことにオレは質問を続けようとした。お互いなかなかの頑固者である為に赤司っちと衝突したことは今までにも何度かあったが、こんなにも自分が攻撃的な口振りで、且つ余裕を失っていたのは恐らく初めての話だった。
「嘘つかずに答えて。その人と付き合ったんスか?」
「……黄瀬が知る必要はない」
「なんで? 恋人なのに」
「恋人だからだ」
 十五歳のオレにはその理屈が理解できなかった。
「ふうん……じゃあ元主将なら緑間っちとかも知ってるんスよね。案外簡単に連絡先わかりそうでよかった」
「……おい、何を考えてる。黄瀬」
 今まで大した感情の見えなかった赤司っちの瞳に、刹那、強い不信感が宿る。「ちょっと挨拶したいだけっスよ」わざと笑みを浮かべて答えを口にすると相対した両眼が明け透けに怒りを表した。きっと反論しようとしたのだろう。ところが、ぐ、と言葉を飲み込んだ赤司っちの様子は自分にとって意外そのものだった。ああそんなに触れてほしくないのか、意識せずともそう悟る。
「……わかった、答えるから」
 何かを諦めたように彼は呟いた。
「付き合ったよ。少しの間」
「へえ、どんくらい?」
「三ヶ月だ。引退して受験の時期になって、向こうから別れようと言われた。元々相手は同性愛者じゃなかったし……多分、付き合ってくれたのも、オレがしつこく言い纏ったから仕方なくだったんだろう」
「じゃあ赤司っちから告ったんだ」
 黙って頷く。早くこの尋問から逃れたくて素直に返事をしているのが見え見えの素振りは、まだその男のことを忘れられていないといういい証拠だった。赤司っちは惰性で人付き合いをするような性格はしていない。オレと付き合っている以上、今はオレが最も好きであることを疑うつもりはなかったし、本人が掘り返してほしくないと思っている過去の事情にわざわざ首を突っ込む自分が最低だとも心のどこかで思った。それでもどうしても、独占欲に優しさが蝕まれていく。
「キスは? そういえば赤司っち、オレとのは二回目だって言ってたっスよね。女子と経験があるんだと思ってたけど……もしかしてそいつ?」
 そう聞いた瞬間、なるたけ冷静に答えていた彼の目が見開かれる。オレは昨日脱がした赤司っちの服を再び床に捨て、責めるようにベッドへと近寄った。
「ファーストキスは元彼、ね。……で、お名前は?」
「っ……黄瀬、もういいだろう。黙っていたのは悪かった。まさかお前がそこまで気にするとは思ってなかったんだ。だから……」
「言ってよ。それか……あー、そうだ、じゃあ赤司っちの初めてってオレ? 別の男? 今まで気にしたことなかったな」
 オレだけだと思ってたから、と俯く相手の顔を覗き込むようにゆっくりと続ければ、気まずそうに視線を外される。その反応で大方予想はついていた。けれどあえて答えを催促するよう右膝をベッドの上に乗せて頬を撫でると、二人分の体重に耐え切れずぎしりと鳴った音がやけにうるさく聞こえた。
 そして赤司っちは瞼を上げて自分と目を合わせ、下唇を噛むようにして結ばれていた唇が小さく紡ぐ。
「……オレは、お前としか寝てないよ」
 それは頭の中に思い浮かべた返答と違った。揺らがない瞳に一瞬気圧されたが、彼は今、嘘をついたのだとしか思えなかった。言い表しようもない感情が体の奥底から沸き上がり、もう赤司っちの声に耳を傾ける気も失せてしまう。
「お、い……黄瀬!」
「嘘つかずに答えてって言ったじゃないっスか」
 赤司っちの肩を掴んで乱暴に押し倒し、抵抗される前に両手首を頭上で一つにまとめた。驚いて声を荒げる彼がやめろと叫ぶ。そりゃそうだよね。昨日も散々ヤったし。
「どうして疑うんだ! 嘘じゃないって、本当に……!」
 だったらなんで目逸らしたんだよ。
 必死にオレを宥めようとする赤司っちの唇を、全ての言葉を奪うように塞いだ。


――あの日自分を動かしたのは、嫉妬心やら独占欲やらと、そんな単語さえも綺麗に思えてしまうくらい酷い情動だっただろう。赤司っちは決して浮気をしていたわけではない。オレの前で過去の話を持ち出したことだって一度としてなかったし、あの時も、ただ本当に「元から同性愛者だったのか」という問いに対し純粋に返事をしたまでだった。それをあんな風に捉えられたのは彼からすれば想定外もいいところ、自分の下で喘ぐ様子は見たことがないくらいの怯えを纏っていた。手前勝手とわかっていながら今すぐにでも抹消したい記憶だ。赤司っちと付き合う前に粗雑にセックスした女相手よりも全然、目も当てられない抱き方をしたのだから。
 オレとしか経験はないという言葉が嘘かどうか、再び確かめるような勇気はなかった。我を見失ったあの日にあれだけずかずかと踏み込んでいった自分をもう思い出せないのだった。呆れられるのも怯えられるのも嫌で、少し調べれば出てくる帝光バスケ部元主将の名前も、オレは結局知らないままに中学を卒業した。
 もちろん、あんな行いをしておいて赤司っちが文句もなく許したなんて都合の良い話はない。中学生活も終了間近の二月末、全過程を修了し受験も終わっていた自分達は自由登校期間だった。そしてちょうど共働きの両親は出張の時期が重なり、姉も彼氏の家に泊まりに行くだとかで我が家にはオレ一人、だから赤司っちも家に許可を得てオレの部屋に泊まっていた。確かあの日はその最終日だっただろう。とてもじゃないが甘い時間を過ごしたとは言えず、案の定――そんな予測は当たってほしくなかったが――オレ達は暫く疎遠となった。
 別れようとは言われていない。こちらから言ったわけでもない。が、赤司っちが京都に行くことは当然知っていて、精神的な距離が離れた上で物理的にも遠くなってしまえば術はなかった。これは自然消滅するかなと柄にもなく落ち込んでいた頃、オレの誕生日の時にだけおめでとうと簡素なメールが届いたことをよく覚えている。どうしようもなく嬉しくて、そして同時に、自分より一回り小さな体を抱き締められないことを悔やんだ。
 彼はわかっていたのだ。自分が過去にオレじゃない人間を愛していたことを知れば、必ず良くない結果になるだろうと。
(まさかお前がそこまで気にするとは思ってなかった、は咄嗟の言い訳か……)
 中学生から高校生になるという大切な分かれ目。『恋人だからだ』の一言はきっと、『恋人でいたいからだ』と、そう言いたかったのだと漸く気付いた。十六歳になった翌日の朝に衝動的に京都へ向かった途中、新幹線の中での思い出だ。赤司っちの気持ちを何も汲んであげられなかった自分が情けなく、隣の席の他人に不審がられないよう、手で顔を覆ってどこから来るのかもわからない涙を堪えた。
 京都に着いて洛山高校へと押し掛け、ちょうど部活が終わったところだったらしい赤司っちは一人で居た。そしてオレの姿を視界に入れるなり目を見開いたまま、どうして、と呟く。とても消え入りそうな声だ。オレはそれに対し「やっぱり好きだから」と何とも自分勝手で端的な理由を告げると、丸くしたままの双眸から堰を切ったようにぼろぼろと涙が溢れ出てきて驚いた。が、赤司っちはオレ以上に驚いていた。自分でも、まさか泣くとは思っていなかったのだろう。
「……悪、い。見ないでくれ」
 透明なその滴が、あの日優しくできなかったオレに抱かれた際にも耐えていたものかと思うと、罪悪感も愛情も全部が綯い交ぜとなる。本能のままに抱き寄せ、泣き止まない赤司っちに口づけた。これで許されるとは少しも思っていない。けれど受け入れるように瞼を閉じた様子に酷く安心したオレは、きっと、この感情を一生忘れない気がした。

 さすがに寮ではできないと拒んだ赤司っちをラブホテルに連れて行ったらそれも嫌だと入る前に言われたが、じゃあ外しかないけど、と返せば了承するしかなかったのだろう。洛山高校からあまり離れたところへは行けなかった為、知り合いに目撃されるかもしれない可能性を恐れた赤司っちに自分が着ていたパーカーを貸し、フードを深く被らせてその周辺は手を引いた。オレの方が世間的に顔を公開してはいたが、夜も遅く変な女達に群がられるなんてことがなかったのは助かった、と思う。
「――主将はさ、赤司っちのこと、何て呼んでたんスか」
 情事を終えてゆっくりと呼吸を整えている彼の前髪を、柔らかく撫でながら尋ねる。
「普通に……『赤司』って、呼んでたよ」
 徐々に焦点がはっきりしてきた両眼をオレに向けて赤司っちはそう口を開いた。まだ舌足らずで覚束ない喋り方だ。これで名前呼びだったりしたらまた妬けただろうな。胸中で苦笑しつつ、「そっか」と返して額に唇を寄せる。すると赤司っちが甘えるように首に腕を回してきて、この人はまだオレから離れたわけじゃなかったんだと、不覚にも泣きそうになった。


 あれから一年と数ヶ月が経つ。オレはまだ、あの日のことを謝れていない。ごめんと告げれば許してほしいと言っているも同然なのではと思えてしまい、そんな図々しい発言はできなかった。代わりに心中で懺悔を繰り返しながら時間は過ぎていく。
 向こうがどう考えているのかはわからないが、二人の間で『赤司っちの初恋』はタブーとなったまま、オレ達は以前のような関係に戻った。


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