黄瀬の家に行く時は必ずと言っていいほど彼の家族が居ない。親は仕事、姉はバイト、そしてその三人の帰りが遅いとわかっている日にしか俺を招こうとしないからだ。元々ご両親は共働きで夕飯を共に食べることの方が少ないと前に聞いていたが、お姉さんに関してはわざわざ外出の予定を確認するほどらしい。そこまでする必要はないだろうと何度も思った。寧ろ自分としては日頃部活で頼りにし、仲良くさせて頂いているのだから、一度は挨拶をしておきたい。が、「会わせてくれないか」と言っても「やだ」の一点張りだ。いつも通り黄瀬の部屋に案内され、帝光の鞄を下ろしながら溜息をついた。
「……どうしてだ」
「姉ちゃんと会ってほしくないから」
「理由になってない。……飲み物やお菓子も頂いてるのに悪いだろう。ただ挨拶をしたいだけだよ」
「赤司っちはそのつもりでも嫌なもんは嫌なんスよ。どっちも俺が勝手に出してるだけだし、別に俺の家族はそういうの気にしてないから、ね」
 ああこれはしつこく言うと機嫌が悪くなる、と反射的に感じたのでそれ以上は胸のうちに留めておく。こちらの言い分にきっちり言い返してきたのがその証拠だ。何とも思っていなければこんな主張はしてこない。
 どうやら黄瀬は自分の家族、特にお姉さんと会わせることに抵抗があるようだと知ったのは三ヶ月ほど前、ちょうど彼と付き合い始めた頃の話だった。そして不機嫌になると手に負えないと気付いたのも、確かそのあたりだっただろう。
「で、何飲むっスか? お茶か、なっちゃんのリンゴか……あとコーラもあったかな」
 家族に関する話題から逸れたところで彼の表情も普段と変わらないものとなり、とりあえず胸を撫で下ろす。しかし要らないとは言えなかった。言うとなぜか全部持ってくるからだ。絶対にもてなしたいのか何なのか知らないが、仕方なく、お茶でいいよ、と無難な答えを口にするのが常である。
「はーい。適当に座ってていいっスよ。あ、寒い? 暖房入れる?」
 黄瀬の気遣いは基本的に優しい。
「いや、大丈夫だ」
「じゃあ待ってて」
 そう言いながら鞄を床に置き、扉を閉めて階下のリビングへ向かう足音が耳に入った。二階の一番奥が黄瀬の部屋、その隣がお姉さんの部屋で、一階には手洗いを借りる時くらいしか行かない。他人の家の構造がそれなりにわかってしまっている程度にはもう何度目かわからない訪問だ。けれどあいつがあの態度である限り家族には会わせてもらえないだろう。しょうがない。今度お菓子の詰め合わせを買ってそこにご家族への手紙を付けるか、と対策を練っていた時だった。
 無造作に置かれていた彼の鞄がぱたん、と横に倒れ、外ポケットに入れていたらしい携帯が顔を覗かせる。不意に視界に入ったそれは俺の目を引いた。
(……赤色、)
 赤一色の派手な携帯に対する率直な感想は珍しい、の一言。そしてその後に確か以前は白の携帯だったはず、とか新しい機種かな、とかいろいろと余計な情報が頭を巡る。黄瀬は私物に赤を好んで持つことはないと思っていたが、俺の記憶違いだっただろうか。携帯なんて日々持ち歩いて生活の必需品なのだからまさか気分で決めたとは考え難い。人の趣向は案外簡単に変わるものなんだなと、最終的にそんな結論に辿り着いたところで扉が開いた。「お待たせっス」黄瀬の手に持たれたお盆の上には注文通りのお茶と、加えてチョコレートやお煎餅などのお菓子に、あとは彼が飲むのだろうコーラが乗せられている。
 四角いローテーブルにそれを置く様子を横目に「携帯、変えたんだな」と何気なく呟いた。その言葉に特段意味はなかった。しかし黄瀬の表情はわかりやすいほどにぱっと明るくなり、鞄からそれを取り出して俺に突きつけるように見せてくる。
「気付いてくれたっスか!?」
「あ、ああ……」
 そんなに喜ぶようなことを口にしただろうか。向こうの勢いに少し気圧されてしまい後ろに手を付いて身を引くものの、黄瀬は構わず嬉しそうに喋り続けた。
「前のガラケーも使いやすかったんスけど、携帯って毎日使うし、ずっとこの色にしたかったんスよ」
「……色で決めたのか?」
「もちろん!」
 これ以上ないくらい嬉々とした笑顔だが、だったらなんでそんな目立つ配色にしたんだ、というのも正直な気持ちだった。でもまぁ黄瀬が気に入って買ったのだからわざわざ言う必要もないだろう。そう思って口を噤んだというのに、「どうっスか?」と遠慮なく俺に感想を求めてくる。空気が読める奴なんだかそうじゃないんだかわからない。
「いいと思うよ」
 淡々と口にした。今の流行や旬の機種というのを知らなかった為、つまるところその返事が限界だった。世間の情報には敏い黄瀬を相手にへたなことは言えまいと自分なりの配慮を込めた台詞だったが、しかしたちまち彼の眉間に皺が寄る。
「……それだけっスか?」
 そう言われた瞬間、黄瀬が露骨に機嫌を損ねていたことは窺えた。でもその原因がわからない。
「め、目立つ色だなとは思ったが……」
「で?」
 ……は? で、って何だ。俺だってそう言い返したい。
「ほんとにそれだけ? 他はないの?」
 一人分ほどのスペースを空けて座っていた黄瀬が少しずつ距離を詰めてくる。その両眼はもうほとんど苛立ちかそれに近い感情で染められていて、本能的に『あ、まずい』とは思った。今日はただでさえ俺が彼の家族についていつもよりしつこく言ったから、不機嫌になりやすかったのだ。わかっていただろう。じりじりと責められている感覚に思わず後ずさったけれど気付いた時にはもう遅く、左手首は既に黄瀬に捕らえられていた。
「お前が……っ、赤いものを好むのは、めずらしい、だろ」
 だっていつもは黄色や青色が多いじゃないか。心の中では力強くそう訴え、せめて本当のことを言えば機嫌が直るかもしれないと僅かな希望に縋って途切れ途切れに紡いだ言葉。導火線に火が付きかかっている時の黄瀬と目を合わせるのは言ってしまえば恐ろしく、視線を逸らして俯くしかなかった。すると一層声を低めて「ふうん」とわざとらしく呟かれる。
「俺が赤いものを好むのは珍しい、ねえ……」
 やけに粘着質な言い草で繰り返されたその一言が耳に届くとほぼ同時に、ひんやりとした冷たさを背中全体に感じた。押し倒されたのだと状況を把握したのはその後だ。
「ッ……おい、黄瀬!」
「まぁいいや。赤司っちが変なところで鈍いのは今に始まったことじゃないんで、このスマホに関しては許してあげるっス」
 両手首を頭上で一つにまとめて押さえ付けられ、もう片方の手で例の真っ赤なそれを俺の視界に入るよう見せつけてくる。許すも許さないも自分が何を間違っていたのか未だに思い当たる節がない。ちゃんと話してくれれば改善するから、と思ったのに、黄瀬はそれを遮るように再び口を開いた。その間ももちろん両手は解放されない。
「あとさっきの『なんで家族に会わせないか』ってやつっスけど、理由があれば納得してくれるんスよね?」
「……ああ。何か事情があるなら強行はしな、……っ!?」
 いきなり制服のシャツの下から肌を撫で上げるように黄瀬の右手が忍び込んできて息を呑んだ。反射的に抵抗しようと動かした足がテーブルに当たり、ガタン、と大きな音が鳴る。しかし飲み物が零れなかったことにほっとしているうちにも両足を割るように膝を入れられ、完璧に固定された自分に逃げる術はもうなかった。
「あの人達が居たらこういうことできないじゃないっスか。……まあ、赤司っちが声抑えれば問題ないし、そういうプレイに興味があるなら姉ちゃんが居る時に呼んでもいいんスけど」
 悪びれもなく告げられた言葉に血の気が引く。それが理由か、とは言うまでもないらしい。予想だにしていなかった返答とその悪趣味さに心底なんでこいつと付き合っているんだろうとも思ったが、今みたいに口付けられ、嫌悪感を抱くどころか自分から舌を出すようにだらしなく口を開けてしまうのだから俺も大概悪趣味だ。黄瀬の乱暴なキスは嫌いじゃない。
「ん、はぁ……っ、おい、制服が皺になる……」
「はいはい脱がしてあげるから」
「そういう意味じゃ、な……んんっ!」
 今すぐこの行為をやめろという意図は意地でも汲んでくれないのだろう。他にもせっかくの冷えたお茶がぬるくなる、コーラの炭酸が抜ける、別にこんなことがしたくて呼ばれてやったわけじゃない、などとそれらしい抵抗の言葉は思い浮かんだが、全部全部重ねられた彼の唇に呑まれるように消えていった。


2013.04.02 (03.26 twitter上に公開)
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