今の俺には不可解なことが三つある。
 一つ目、なぜ原稿の紙詰まりが十分に一度も起こるのか。ここは紛れもなく大手の出版社だというのに、肝心のプリンターがこの調子ではなかなか仕事も進まない。確か午後一で業者が来るとは聞いているがまだ朝の十時にもなっていないわけで、あと二時間強、これで耐えろと言うにはあまりに無理がある。
 しかしだからと言って手を休めるようなことは許されず、ディスプレイにエラーが表示される度、いちいちカバーを開けて修復を行い印刷を続けるしかなかった。資金には困っていないだろうにこうなるまで放っておいた理由を知りたくて仕方がない。が、聞いたら聞いたでどうせ「緑間なら直せるだろう」とか答えになっていない主張が返ってくるのだ。我らが社長は金の使い方も人の使い方も上手いくせに、時々さも当然のようにこちらの理解の範疇を越えた発言をしてくる。直せるには直せるが、残念ながら俺は修理屋ではない。
 そしてその社長が今なぜ席を外しているのか。不可解な点の二つ目である。
「また勝手にどこかへ行ったのか……」
 一番奥の最も広くスペースを取ってあるデスクに目をやれば、主の帰りを待つ空席に自然と深い溜息が零れてしまう。あいつが多忙であることはもちろんわかっているけれど、それにしたって一言も告げずに突然姿を消す癖だけは本当にどうにかしてほしい。せめて行き先くらい伝えていくのだよ、と今更なことを内心で嘆いた。
 そんなわけで数分前に本日何回目かの紙詰まりを直したばかりのプリンターに視線を戻すとだんだんと苛立ちも募ってくる。元はと言えばこいつだ。こいつが原因で俺はこんなにも苦労しているのだ。ちなみにこいつというのは壊れかけのポンコツ機械のことではなく、只今印刷中の『TiPOFF』に関する資料の数々を指している。
 信じられない。俺が編集者として関わりたいのは世間に笑顔を振り撒くしか生きる術のないモデルなんかとは違うというのに。
――不可解な点、三つ目。
「なんで俺がファッション誌の副編など務めなければならないのだよ!」
 思わず声に出してしまい、ついでにストレスと憤りのせいで勢い余ってバンッと右手がそれを叩いていた。しまった。
「……自分で直して自分で壊すなんて新しい芸ですね、緑間君」
「うるさいのだよ黒子」


Mr.Perfect / Scene 01 - A part


 赤司とは中学からの古い付き合いだ。もう十年になるだろうか。中高一貫だった為に高校になっても生徒会室で将棋を指すような仲であり、恐らくあの頃からお互いが最も親しい友人だと言えただろう。だからあいつの性格は少なからず理解しているつもりだ。仕事には人一倍熱心、というか最早あれは完璧主義の域に達していて、失敗など許されず、常に成功を収めることのみに時間も労力も費やしている。けれど本人に必死さは微塵も感じられないのが赤司の凄いところで、あれだけ膨大な仕事を抱えていてもいつだって余裕綽々としていた。おかげであいつの性格はわかっていても、あいつの考えていることはさっぱりわからない。
 この間もいきなり社内から居なくなったかと思えば近くのスタジオに行っていた、と事後報告をされたばかりだった。芸能人でもないのに何故そんな場所へと尋ね返したところ、「その芸能人に用があったんだよ」と何やら機嫌が良さそうだったのを覚えている。
「あいつは芸能人に入れ込んでるのか?」
 とりあえず今必要な資料の印刷は全て済ませ、なんとか機能しているプリンターを一瞥して独り言を零す。が、俺の向かいのデスクに座っている黒子の耳には届いてしまったらしい。
「そう言えるのは緑間君くらいですよ」
 二台のパソコンを隔てて淡々とした声が聞こえてくる。
「そんなに嫌ですか? 『TiPOFF』の副編集長に抜擢されたことが」
 ……嫌ではないが。
「俺は元々小説やエッセイの出版を担当していたのだよ。ファッション誌は勝手がわからん」
「そうですか……僕からすれば羨ましい限りですけどね。赤司君に信頼されている証拠じゃないですか」
 相変わらず抑揚の乏しい声色で、かたかたとキーボードを打ちながらそう続けられた。
 俺だってそれは喜ばしいことだと思っている。が、まさか編集長である赤司のもと、今までとは全く部類の違う仕事を任されるとは予想だにしていなかったのだ。
 高校の時にあいつが赤司グループの人間であると聞かされた自分は、もちろんこの帝光出版が赤司の父親――つまり企業の最上層である会長によって創設されたことも知っていた。その上で入社を志し、あいつの友人というコネなどあるわけもなく名門大学からの実力で就職を果たした。そこまではいい。が、しかし当時は設立者の会長が社長も兼ねていて、社員でもなかった赤司とは高校卒業以来かなり疎遠になっていたのだった。そもそも絶対に一流の大学へ進学するだろうと思っていたあいつの口から初めて進路の話を持ち掛けられた高校三年生の夏休み、俺の予測を軽々と越えた発言に一瞬思考が停止するほど驚いた記憶は未だに消えない。
(赤司グループがアパレル産業を中心として動いていることはわかっているが……)
 何もあいつまで、とあの頃は幾度も思った。
「……それを言うならお前も充分気に入られているだろう。専属モデルのオファーを頼まれたらしいと聞くが」
 過去の思い出を振り払うようにして話題を変えると、作業が一段落したらしい黒子が視線をディスプレイからこちらに移して応答する。
「違います。その件は頼まれたんじゃなくて、僕の方からオファーに行かせてほしいとお願いしたんです。相手の芸能事務所に桃井さんがいたので」
「……桃井?」
「あ……すみません、知りませんよね」
「いや、その桃井というのは……、もしかして桃井さつきのことか?」
 聞き覚えのある人名にまさかと思い尋ねたが、正直否定してほしい気持ちの方が強かった。しかしそんな念もむなしく黒子は目を見開いて「知ってるんですか?」と心底驚いたように言う。どうやら当たってしまったらしい。なんと嬉しくないことか。
「……桃井は、大学の同級生なのだよ」
 まだ数年しか経っていないというのに随分と懐かしい出来事に感じた。俺も桃井も理系で社会情報学に長けていた為、よく講座が被り何度か席が近かったこともある。というかあいつの方から「ミドリンここいい?」と隣の空席を差して尋ね、こちらがハイもイイエも答えないうちに座るような奴だ。頭は良いし常識もあったが変なところで図々しく頑固であり、あの謎めいたあだ名も少し苦手だった。
 しかしそういえばその頃だったな、芸能界に興味があると言っていたのは。
「夢が叶ってデビューということか」
 頬杖を突き、片方の手で机上に積み上がった書類をぺらりと捲りながら呟いた。せっかくメディア論に関する才能があったのだからそれを活かせる職に就けばよかったものを、とお節介なことまで考えていると、黒子が僅かに眉を潜める。
「あの、緑間君、少し勘違いをしていませんか」
 そして不意打ちにそんな言い分をされてしまえば、俺も顔を顰めるしかないだろう。
「何が勘違いなのだよ」
「芸能人になったのは桃井さんではありませんよ」
「……は?」
 桃井ではない? じゃあ誰が、という疑問は口にするまでもなかった。話が全く読めない。すると黒子は混乱する自分を余所に静かに席を立ち、背後の書架に乱雑に詰め込まれた雑誌を数冊取り出して戻ってきた。どれも過去に我が社から発行したファッション誌だ。
 そのうちの一冊を俺に向けて見せ、「桃井さんは今、彼のマネージャーをやってるんです」と告げる。開かれたページには屈託のない笑顔を浮かべた被写体がいて、とても明るい黄色の髪にやたらと長い特徴的な睫毛、加えて両目揃った金色の瞳が印象的だった。しかし服に関しては自分に知識がないので申し訳なくもただのジーンズにコートを合わせているようにしか見えないわけだが、きっとこの着こなし方が現代のファッションと言われるものなのだろう。
「……誰なのだよ」
「知らないんですか。桃井さんのことは知ってたくせに」
「あいつは元から知り合いだ。この人間とは会ったことも話したこともない」
「まぁそれはそうですけど……」
 本当にこっちの業界のことは疎いんですね、と呟かれ少なからず頭に来たがそれは置いておくとしよう。自分達の会話の中心人物となっているそいつについて、俺に雑誌を手渡し席に着いた黒子の説明に耳を傾けた。
「――黄瀬涼太、今をときめく人気モデルですよ。十代二十代の若い世代に注目されていますが、様々なファッション誌に出ていますし表紙を飾っていることもあります。恐らく名前すら知らなかったのは君くらいかと」
 そう言われても興味がないものはないのだから仕方がない。不案内で悪かったなと内心悪態をつき、渡されたファッション誌に視線を落とした。確かにゴシック体で並べられた煽り文やコマの取り方から相当な支持を得ているのだろうことはわかるが、この黄瀬涼太という奴に限った話ではなくやはり芸能人の貼り付けられたような笑顔は好かない、と思う。まぁでも、言われてみればなんとなく駅前の馬鹿でかい広告で見た覚えがあるような気はする。
「で、桃井はこいつのマネージャーとして芸能事務所に所属しているのか」
「はい。あまり大きな声では言えませんが……僕がオファーに訪ねた時、彼女は上に連絡するということなく自分で判断して返事をしました。多分、事務所の中ではとても評価が高く信頼も厚いんだと思います」
「……なるほどな」
 それなら納得せざるを得ない。あいつの情報収集能力は大学の時から目を見張るものであったし、特に自分からやり始めたことは最後までしっかりと貫くタイプだ。赤司ほどではないだろうがきっと限りなく完璧主義に近いはず。多くのデータを採取して必ずいいようにしか事を運ばないあの性格と根性を考えれば、優秀な人材だと扱われて当然だろう。
 黒子の言う通り俺は勘違いをしていたらしい。桃井が就いた職は、俺と同じように、あいつにとって自分の得意な分野を最大限に活かせる場なのかもしれない。
「お前は他に誰が『TiPOFF』の専属モデルとなったか知っているのか?」
 後ろのページになればなるほど顔も名も見たことのない写真を横目にそう尋ねると、黒子は首を横に振る。
「僕も桃井さんが属しているオフィスクオーターしか知りません。……赤司君だけですよ、全て把握しているのは」
 わかっていた返答に、聞くまでもなかったかと自分の発言を顧みながら雑誌を閉じた。どの芸能事務所に依頼をしたのかは副編である俺にさえまだ知らされていないのだ。赤司が最初に説明した手順によればオファーを受諾した後に一回全員を召集しての撮影があるらしく、そこで実際にブランド新作の衣装を着たモデルを、こちらから雇ったフリーデザイナーに見せると言う。つまるところオーディションだ。いくら世間からの評判が良くとも、デザイナーが自分の考えた服を着てほしいと思えるモデルでなければ『TiPOFF』は成り立たない。
 もちろんオファーの案が出た時点で各専門家の希望や指名も考慮してあるとは思うが、そのデザイナーが複数人いる以上、意見の相違は当然のように出てくる。言い換えればそれを整合させる機会でもあるのだろう。必要最低限の人間にしか専属モデルに関する話が聞かされていないのは、一度選ばれたモデルでも不合格となる可能性も踏まえて余計な情報漏洩を防ぐ為だ。
――と、ここまで推測したはいいが正確な部分は知り得なかった。憶測ばかり良くないなと思い直し、デスクに置いてある缶入りのおしるこを一口飲む。仕事中は欠かせない飲み物だ。
 そしてとりあえずあいつが帰ってくるまでに頼まれている書類を整理してしまおうと意識をパソコンに戻したものの、そういう時に限って黒子は口を開くのである。
「そういえば今日、『TiPOFF』のオーディション撮影があるみたいですよ」
「……オーディション撮影?」
 今の今まで思考を巡らせていた話題では反応せざるを得ないだろう。思わず手を止めてしまった。
「なぜ知っているのだよ」
「今朝、桃井さんからメールが届きました」
「……お前たちは一体どんな関係なのだよ」
「普通の友人ですが……知り合ったのは大学受験の時の予備校です」
 いやそんな二人の出会いについては聞いてない。俺が疑問に思っているのは、無駄に情報を言い触らすような奴ではないと記憶している桃井がなぜ黒子にはそんなにあっさりと教えているのかということだ。普通の友人でしかない相手に対してあいつの口が緩むとは到底思えない。が、黒子も黒子で嘘を好むような性格はしていないし、この二人の関わり合いなど深く考えない方がいいだろう。どうせ自分には関係のない話だ。
 それよりも、ふと頭の中に浮かんだ一つの可能性の方が俺にとっては重要だった。相変わらず誰も座っていない最奥のデスクに、恐る恐る目を向ける。
「……まさかあいつはその撮影とやらを見に行っている……わけではないよな?」
 それは自分達からすれば紛れもなく虫の知らせだった。俺と同じ考えに辿り着いてしまったらしい黒子は、少し躊躇ってから「まあ、関係者という形で顔を出さなければならないのかもしれませんし」とフォローするように言葉を並べる。本当にそうならいい。だが嫌な予感というのはどこまでも嫌な予感でしかなく。
「……でも本当に、入れ込んでるかもしれませんね、芸能人に」
 そう続けられた発言に、勘弁してくれ編集長、と俺は頭を抱えるほかなかった。


 ◆


 朝の八時に都内有数のスタジオに向かい、示された控室の扉を開けると自分より先に着いていたらしい桃っちが暖房調節をしているところだった。いつもと変わらない光景だ。おはよう、と普段通りの笑顔で挨拶をされたので俺も同じように返し、鞄を備え付けの白いテーブルに置く。
 自分達が共に出勤することは滅多にない。常に現地で待ち合わせをし、撮影の時はこうして控室で顔を合わせてから桃っちはスタジオ内のどこかへ移動して待機している。それはロビーだったりラウンジだったり様々だが、彼女自身、いくらマネージャーとは言え俺と一緒に居るところを目撃して騒ぎ立てるファンがいることを自覚しての配慮だろう。それについて桃っちの口から直接何か聞いたわけではないが、俺は有難く思うと同時に少しの申し訳なさも感じていた。
 そして集合時間の十五分前には必ず到着するようにしている自分に対し、彼女は大抵それよりも早く準備を済ませている。なんだか悪い気がして自分も必要以上早く来た時もあった。が、あの時は珍しく桃っちに怒られたのだ。きーちゃんは睡眠時間も休養も足りてないんだからせめて朝くらいゆっくり来て、と。以来、俺が彼女を迎える側になったことはない。そうさせてくれている桃っちはやっぱりマネージャーの鑑だと幾度も思った。
「きーちゃん、ちょっと緊張してる?」
「えっ」
 加えてこの並外れた観察眼。
「あー……そう見えるっスかね」
 誤魔化すだけ無駄だと思って苦笑すると、少しね、と桃っちは付け足した。あまり自覚はなかったものの控室の鏡に目を向ければ、確かに多少表情が強張っているようには見える。
「オーディションは久々だもんなあ……」
 そう呟きながら黒色のトレンチコートを脱ぎ、オフィスクオーター様と記された壁際のハンガーに掛けた。緊張していると言っても心臓がばくばくとするようなことはなく、ただ自分の周囲の空気が静かに張り詰めているのみだ。柄にもなくプレッシャーを感じてしまっているのだろう。
「そうだね、二年ぶりくらい?」
「多分。まぁ今回はデザイナーに気に入られればいい話なんスけど」
 結局、あれから『TiPOFF』のオファーを引き受けたという事実は揺るがずに企画は着々と進んでいた。創刊号までの期間が短い為に始動した後の展開はとても早く、桃っちにその話を持ち掛けられてからまだ一週間しか経っていない。けれど今日は初めて関係するメンバー全員が顔を合わせる日。予め依頼が来ている自分を含めた十人のモデルは実際にイメージ撮影を行って、その結果で最終的な結論を出すらしい。随分凝ったやり方だ。普通は専属モデルに選ばれた時点で浮かれたっていいくらいなのに、『TiPOFF』の中心となるデザイナー達の目に、紙面ではない自分が良く映らなければこの話はなかったことになる。おかげでまだまだ楽観視はできない。
 最後に受けたオーディションは何だっただろうか。人気を得始めてからはこちらが動かずともオファーが来るという現状に流されるまま、そんな試験など受けることなく仕事をもらっていた。それに慣れたせいで数年ぶりのオーディションという舞台を前に緊張しているだなんて、少しも笑えない。
 なんだか昔に戻った気分だと思っていたところで桃っちに名前を呼ばれる。振り返ると、彼女の左手には数枚の用紙。
「他の専属モデルのデータ、集めてみたよ」
 そう告げる様子は決して見慣れていないわけじゃなかった。けれどそれでも、桃っちが自身の力を発揮して情報収集した結果を口にする時のこの視線は、相変わらず恐ろしいくらいに迫力がある。味方だからこそ「ありがとう」と笑って受け取れる品だ。
 椅子を引いて腰掛け、リスト化された一覧に目を落とした。事務所名に始まり身長や体重などの基本的なデータはもちろんのこと、代表作、過去の活動履歴、関係が深いアーティスト、スキャンダルを含む異性との交遊関係、世間の評判からはたまた得意なアングルまで、本当にどうやって集めたのか知る術さえ怖くなるような資料である。絶対そこらのマスコミよりすごいよな、と思いながらもしかしその正確さと量に何度も助けられてきた自分は、今回も食い入るようにそれを読んだ。そして一通り見終えたところで背もたれに深く寄り掛かり、息をつく。
「……さすがに、すごい面子っスね」
 意図せず零れた一言は感嘆するような口振りとなっていた。
「劇団出身の子がいるのは私も驚いたわ。でも確かにファッション誌なんて一度も手を出したことのない事務所だけど、国内でも国外でも公演経験はある。帝光出版もデザイナーも隅々までよく見てる証拠よ」
「オファーを承諾したのはやっぱ帝光主宰だからっスよねえ……他にも海外ファッション誌で活躍してるモデルがほとんどって」
「そう。以前から赤司グループ系列のブランドと手を組んでるところが多いの」
「コネ? ……は、ないか」
「……うん。統一性は見られないし、やっぱり各デザイナーの推薦だと思う。そのデザイナー自体が海外主体の人達ばかりだから、あんまり日本人には目を向けてないのかもしれない」
 まぁ海外の流行を国内に取り入れていくのが目的だからね、と桃っちは続ける。男女五人ずつの中でハーフが四人、クオーターが二人という傾向もその為だろう。一応全員が日本語の氏名ではあるが、顔立ちは明らかに向こうの血を受け継いでいる人間が多い。
「じゃなんで俺なんだよ」
 と、口にしてしまったのはほぼ無意識のうちだった。素で呟いた言葉にはっとなって横を見れば、桃っちが少し驚いたような顔をしている。
「あっ、ごめん、別に不満があるわけじゃないんスけど! ただちょっと気になって」
「……びっくりした、きーちゃんまだ根に持ってるのかと思っちゃった」
「根に持ってる?」
「私が勝手に返事したこと」
 思い当たる節がなく聞き返せば簡潔に理由を示され、ああ、とそこには納得せざるを得なかった。眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべているあたり、彼女なりにいろいろと反省でもしていたのかもしれない。そりゃあ俺もあの時は何事かと思ったけれど。
「別に、どっちにしろ引き受けるつもりだったっスよ」
 これから活動の幅を広げていくには専属モデルという仕事は打ってつけだ。このチャンスを無駄にするつもりはない。
 自分の意志を伝えると、桃っちは心底胸を撫で下ろしたように笑みを浮かべた。それから真剣な顔付きになり、きーちゃん、と俺の目をしっかりと見て言う。
「私の推測では、今回候補にある純日本人の四人――特に海外企業と一度も関わったことのないきーちゃんは、はっきり言って一番落とされる可能性が高いと思う」
 もちろん、その自覚はあった。だからこそプレッシャーも増している。
「でも自信持って。これは誰かを蹴落とす為のオーディションじゃなくて、」
「自分の力を見せる為のオーディション、っスね」
 言葉を継いで拳を前に出す。そしてそれを受けて力強く頷いた桃っちと笑って、こつん、と拳を合わせた。



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