※DVD8巻Tipoffネタバレ注意


 なんでもかんでも好きでコピーしているわけじゃない。ただ自分に一番合ったプレースタイルを貫いた結果に過ぎなかった。もちろん真似っ子と言われたところで否定はできなかったし、今となっては、誰よりもこの能力が優れていることには自信がある。けれど周囲に囃し立てられるその裏側で、他の選手のように自分にしかできないプレーを求めた日も確かにあった。模倣は複製、複製は偽物、その方程式が頭を占めていた頃の話だと記憶している。


 黒子っちの凄さというものを理解した翌日、朝練で真っ先に言われた言葉は「黄瀬、昨日はあと少しで負けるところだったと聞いたのだよ」の一言。相手が誰かなどわかりきっているだろう。オレに帝光の唯一理念を教えてくれた緑間クンだ。試合結果はいちいち一軍まで報告がいくのか、それともこの人だけが把握していることなのか、やたらと不機嫌そうに「気を緩めているとすぐに二軍降格となるのだよ」と続けられた。多分第一印象が悪かったのだと思う。いい加減な男だとか恐らくそういう風に見られている為に、緑間クンはオレになかなか辛辣だ。
 それでもまぁ、あの人がレギュラーであることはすんなりと納得できた。練習を見ててもそのシュートの正確さは異様と言っていいほどだし、しかも何故かスリーポイントに限っているらしいし、実力は一軍の中でも青峰クンと共にずば抜けているに違いない。そして常に何かよくわからないものを持ち歩いている。語尾も謎。そんな人物だからこそ、あれだけ濃いバスケ部にも上手く溶け込んでいるように思える。
 そう、あんな人でも浮いてる感じがしないくらい、帝光バスケ部はオレが思っていた以上に濃い奴ばかりなのだ。
「紫原クン」
 午前の退屈な授業が終わり昼休み、廊下側の席に座っている目当ての人間の名を呼んでみる。するとゆっくりと顔を上げて鈍い反応を示された。
「んー……?」
「お昼ご飯、一緒に食べないっスか」
 右手に持ったお弁当を示して誘うと、少しの沈黙を経て「黄瀬ちん本当に同じクラスだったんだー」と関係ない返事をされてしまった。オレの名前を覚えてくれたことに喜べばいいのか、それとも本気でクラスメイトだと知られていなかったことに悲しめばいいのか、寧ろその呼び方はいつの間に定着していたのかとどこから突っ込めばいいのかわからない。
 けれど昼食については特に断られもしなかったので都合よく肯定と受け取ることにした。ちょうど紫原クンの前の席の男子生徒が購買に行くらしく、空いた席を使わせてもらおうと椅子を引く。
「いつも教室で食べてるんスか?」
 紫原クンが教卓の近くに座っている様子は見たことがない。席替えをしても、前に居ると後ろから『黒板が見えない』と苦情が来るからだ。
「いやー、いつもは屋上とか部室とか……二人がいるところかなあ」
「二人?」
「赤ちんとミドチンー」
 淡々と言葉にされた二つの名前。机の横に引っ掛けてあるお弁当を取り出しながら言われた名詞は、まだ聞き慣れないものだった。誰なのだろうか。ハムが挟まったサンドウィッチを頬張りながら単純な疑問を口にする。
「それってバスケ部の人っスよね。一軍っスか?」
 簡単にそう聞けば、「んー」だの「あー」だの随分とマイペースな相槌を含みながら紫原クンはこう答えた。
「黄瀬ちん会ったことあるでしょ?」
「えっ」
 マジで? あだ名が独特すぎて誰を指しているのかよくわかっていないわけだが、実はもう面識があるらしい。片っ端から記憶を辿り、一軍のメンバーを思い浮かべていく。その中で紫原クンとよく一緒にいる人と言えば……いやわかるはずがない。あのハードな練習の中で誰と誰の仲が良いとかそんな相関図、把握できたら苦労はなかった。この人なんか特にそうだろう。こうして話していても何に興味があるのかさっぱりわからない。
 しかしもぐもぐと口を動かしながら思考も必死に回転させていると、不意に紫原クンが「あ、ミドチーン」と廊下の方を見ながらそう呟いた。そして遠くに姿が見えるらしいその人に向かって軽く手を振り、こちらへ招いている。オレの位置からでは壁が死角となって見えなかったが、なんというタイミングだ、と少し身構えた。まさか本人に会えるとは。
 ところがドアの前に立って現れたミドチンと呼ばれる男を見て目を見開く。
「お前が赤司と一緒じゃないなんて、珍しいこともあるのだよ」
 え、あれ?
「んー……赤ちんのとこ行こうと思ったんだけどさー、黄瀬ちんに捕まっちゃった」
「黄瀬ちん? ……って、まさか」
 そう気付くなりやっとオレの存在も視界に入ったらしく、それはもう露骨に顔を顰められてしまった。当然自分も驚きを隠せない。
「あ……あんたが、『ミドチン』なんスか」
「……なんでお前がここにいるのだよ」
 オレの質問には答えてくれないらしい。同じクラスだからっスけど、と半ば目を見張ったまま答えると、やっぱり嫌そうな表情は変えないものの納得はしてくれたようだ。それよりも『緑間』だから『ミドチン』か。なるほど。オレの言えたことじゃないが変なニックネームだな、と思う。
(……ん?)
 ということは、『赤ちん』ってもしかして。
「ミドチンはお昼ご飯食べたのー?」
「まだなのだよ。週末の練習試合に関して赤司に聞きたいことがあるから、今からあいつのクラスに行くところだ」
「ふーん……」
 ちゃんと聞いてるんだか聞いてないんだか他人事のような返事をしている紫原クンを余所に、ある法則性に気付いたオレは閃いてしまった。
「『赤ちん』って、『赤司』って人のことだったんスね!?」
 思わず口にしてしまうと。
「……え、今更?」
 ですよね。
「いや、だってまさか同一人物だとは思ってなくて……この間二人に『赤司』って人が誰なのか聞いた時も答えてくんなかったし」
「えー……そうだっけ?」
「そうっスよ! 結局どんな人なんスか?」
 黒子っちについて聞き回っていた時からさりげなく気になっていたことだ。緑間クンなんてその赤司という人物が注目しているからオレの名前を覚えたのだと言う。一体どういった人間なのか興味を持つのも当たり前だろう。
 目を輝かせて返答を待つ。が、二人とも互いに視線を合わせたまま何も言おうとせず、そんなに聞いたらいけない話だっただろうかと少し不安になった。何て答えればいいかわからないほど謎な人だとか?
「……赤司のことは、そのうち嫌でもわかるのだよ」
 と、この前と同じような台詞を言い残して緑間クンは去っていく始末だ。再び二人になってしまい、紫原クンはお弁当に目線を戻して言葉を選んでいるようだった。
「なんていうかまぁ……赤ちんは赤ちんだし」
 でもそれだけって。全く答えになっていない。こちらから質問をしなければ駄目かと判断したオレは、試しに「バスケ上手いっスか?」と聞いてみることにした。まあ一軍なら上手いに決まっているだろうけれど、レギュラーであるこの人から見てどのくらいの位置付けなのだろうかと考えを巡らせていると。
「最強じゃない?」
 端的で、且つ微塵も疑いのない口振りに思わず息を呑む。彼がはっきりと物を言うところを目にしたのはそれが初めてだった。
「……最、強……」
「あーでもわかんない。バスケ部の中では峰ちんが最強って言う人もいるし、ミドチンが言うにはオレの赤ちんの見解って変わってるらしいし……崇拝? に近いんだって」
「へ、へえ……?」
 なんか話が大袈裟になってないか。踏み込んではならない領域まで聞いてしまっている気分になったオレはそれ以上尋ねることができなかった。いつの間にかお弁当の横にお菓子を並べていた紫原クンは今の話題を何とも思っていない風に食べ続けていて、どこまでが本当の話だったのかもわからない。嘘をついているようには見えなかったが。
 『赤ちん』と呼ばれるその人の謎は、深まっていくばかりだ。


 一軍の体育館は校舎と渡り廊下で繋がれている。ホームルームの終了が遅かったオレは、更衣室で練習着に着替え急ぎ足で体育館へと向かっている最中だった。紫原クンは時間にルーズな面があるのか恐らくまだ着替えている途中であり、先に行く旨を伝えてつまるところ置いてきてしまったのだが。
 まだ入部したばかりで雑務もさせられるオレは、いくら自分のせいではないとは言え遅刻は好ましくなかった。慌てて体育館に入ると既に数人の一年が用具の準備をしていて、オレもそこに混ざるべく用具室に足を運ぶ。するとその時、脇の方でバッシュの紐を結び直している黒子っちの姿が目に入って自分でも驚いた。オレの視界も少しはあの人の影の薄さに慣れてきたのだろうか。
 黒子っち、と走っていきながら声を掛けると、結い終えた彼はその場に立ち上がってオレの方を見上げる。
「黄瀬君。遅かったですね」
「すんませんっス。ホームルームで説教始まっちゃって……。黒子っちの方は早く終わったんスね」
「僕のクラスは今日、担任が出張で居なかったんです。……ところでその呼び方貫くんですか」
「もちろんっスよ! 尊敬してるんスから」
「はあ、そうですか……」
 相変わらず嬉しくなさそうな反応はされるが、これは最早自分の中での決まり事のようなものなので認めてもらうしかない。黒子っちもいい加減観念したのだろう、それ以上は何も言うことなく話題を変えてくる。
「黄瀬君、準備が終わってからで大丈夫ですが、出欠表が置いてある机に遅刻した理由を紙に書いて提出しておくといいですよ。あとで主将がチェックしてくれるので」
「あ、はいっス」
 そうか、もう出欠確認は終えた後らしい。わけもなく遅刻だとは思われたくないし、黒子っちの助言をしっかり脳に記憶すると同時にふとある事が引っ掛かった。
「あの……主将って、誰なんスか?」
 少し躊躇いがちに尋ねる形となったのは、もっと早く確認すべき事項だったと後悔したからだ。
「ああ、そういえば君はまだ会ったことがないんでしたっけ」
 途中入部を許可してくれたのだから一番最初に挨拶をする必要があったというのに、オレはその点に関してすっかり抜けていたのだった。今からでも自己紹介くらいしなければ。そう思って耳を傾けた、が。
「主将は赤司君です」
「……え」
 まさかそう来るとは。
「……それって、紫原クンが『赤ちん』って呼んでる、『赤司君』っスよね?」
「はい、そうですが……紫原君から何か聞いたんですか?」
「いや、聞いたっていうか……」
 あんまり参考にはならなかったんスけど、と言おうとしたが、それは別の声によって遮られてしまった。
「黒ちーん」
 間延びした呼び声にオレも黒子っちも振り返る。そこには練習着に着替えた紫原クンが覇気のない様子で突っ立っていて、「赤ちんが呼んでるよー」と今まさに話題に上っていた人物の名を口にした。
「多分今度の試合のことじゃない〜? 昼間ミドチンと話してスタメンも決定したらしいし。部室で待ってるってさー」
「わかりました。今行きます」
 そう返事をした黒子っちは早々に体育館を出て行ってしまい、残されたオレはまた『赤司』について聞き損ねてしまったことに少し肩を落とした。代わりと言ってはなんだが、目の前に立ったままの紫原クンに同じ話を振ってみる。
「『赤ちん』って主将だったんスね」
「ん? あー、そうだよ。ちなみにミドチンが副主将ねー」
「あ、そうなんスか」
 だからオレと黒子っちが同伴した二軍の試合結果を知っていたのだろうか。
「あとさー、黄瀬ちん、赤ちんのことについて知りたがるのはいーんだけど、」
 彼は淡々と告げた。
「あの人のこと『赤ちん』って呼んでいいのはオレだけだから」
 覚えといてね、と釘を刺され、オレはほんのちょっとの驚きと畏怖が混じったような感情を覚えた。いつもの雰囲気とは明らかに違っている。一瞬、空気が冷えたように思ったのは勘違いなんかではないだろうし、そこにあったのはきっと紛れもない憤りか、もしくは嫉妬に近いものまで感じ取らざるを得ないほどだった。
 しかし紫原クンはこちらの返答なんて聞く気もなく、次の瞬間には踵を返してこの場を離れていく。取り残された自分は何か恐ろしいものに触れたのかもしれないと勝手に怯えていたのだろう。
(冗談で呼んだんだけどな……)
 あんな目をされるとは思っていなかった。


 それから黒子っちは十分と経たずに戻ってきたが、肝心の主将は練習が終わりに近付いてもなかなか姿を見せず、ついにその日は一度も顔を合わせることなく帰る羽目となってしまったのだった。そして五日が過ぎ、土日を挟んで月曜日、相変わらずオレは主将と対面できていない。
「いつになったら会えんのかなー……」
 なぜこんなことになっているのか自分でもわからなかった。オレは毎日きっちりと部活に参加して、一軍の人達を隅からチェックしたりして、いかにもそれらしい人物を探すことに励んでいるわけだが一向に現れる気配がない。緑間クンや黒子っちに聞いてみたところ最近は二軍以下の練習を見ていることが多いらしく、なかなか簡単には顔を見ることができないそうだ。と言っても一軍の方に全く来ないというわけではないようで、
「は? 赤司が誰だかわかんねえって……お前まだあいつと会ってねーの?」
 と、青峰クンにもそう呆れられてしまっている。
「だって主将、部活に来てなくないですか?」
「そうかぁ? 普通に来てんだろ。あとお前オレにだけ敬語使うのやめろって、気持ち悪い」
「いや一応これでも敬意を」
「同い年だしいいよ別に……」
 すごいげんなりした顔で言われてしまったので敬語はやめようと思う。正直慣れないこともあって結構大変だったのだ。
 トン、トン、と軽やかにドリブルをしてシュートを決める青峰クンは、あれだけのメニューをこなしてもまだ体力が余っているらしい。既に限界が来ていて全く動けないオレとは大違いだ。体育館に座り込んで水分補給をしながらその様子を眺める。
「一軍の練習試合があれば赤司の実力もすぐわかると思うけど」
 リングを通って転がったボールを拾い、青峰クンはそう呟いた。
「実力……やっぱ、強いんスね」
「まぁ敵に回したくはねえな」
「紫原クンが、主将のこと最強だって言ってたっス」
「え? あー、間違っちゃいねえけど……お前それは聞く相手を考えろって話だわ」
「……紫原クンって主将贔屓なんスか?」
「贔屓っつーか、異様に懐いてんだよ。多分」
 よく知らねー、と投げやりに言い放ち、再びボールをゴールに向かって投げる。恐らくこの話題は興味の範疇外なのだろう。スポーツドリンクに口を付けながらそう思っていると、「あ、でも」と何かを思い出したように話が続けられた。
「お前、あんま紫原に赤司のこと聞かない方がいいぜ」
 いや今更、今更言われても。時既に遅し。しかし今後の対応として重要な内容かもしれないととりあえず理由を尋ねてみたところ、全く予想をしていなかった返答が待っていた。
「テツが一軍に上がってきた頃の話なんだけどさ、一時期赤司がテツに付きっきりだったんだよ。あのプレースタイルを教え込む為だったらしいが……まぁそれがあいつの癇に障っちゃってもう大変どころじゃないっていうか、ずっと拗ねてるし、テツに対してはすげえ不機嫌になるし、それを赤司が注意するもんだから悪循環もいいところだったな」
 ただの部活でここまで生々しい話を聞かされるとは。
「なんか……すごかったんスね」
「おー、だから黄瀬も気を付けろよ。お前が赤司に注目されてるって時点で、あいつからは敵視されてるようなもんだからな」
 いやいやいや理不尽にも程があるだろ、と思わずにはいられなかったが、この間の態度を見る限り本当に気を付けなければならないような感じはした。オレだって命知らずな真似はしたくない。


――とは言え、その『赤司』という人がオレの前に現れない限りどうしようもなかった。早くこの目でどんな人間なのか確認したい気持ちは山々だというのに、一軍に合流して一週間が経過した今、オレは未だにそれを叶えられずにいる。
(……ていうか本当に部活来てんの?)
 最早その領域だ。一軍ともなればアップのやり方はそれぞれ決まっているし、実践的なメニューの指令は最近は緑間クンが担っているのだった。しかし冒頭には必ず「赤司からの指示だ」もしくは「監督からの指示だ」のどちらかが付く。監督はまだしも、じゃあ前者はどこへ消えたんだとオレは言いたくてたまらない。
「ちょうど昇格テストの期間だから、こっちに来れないんですよ」
 いきなりそう声を掛けられ、肩が跳ねた。
「うわっ!? く、黒子っち……え、オレ、声に出てたっスか?」
「顔を見ればわかります。なんで見ず知らずの人間から指示を受けなきゃいけないんだって書いてありますよ」
「あはは……」
 そんなにわかりやすかったとは重症だ。苛立っているというよりは気分が晴れないというか、いつまでも自分ばかりが空回っている現状にとてもじゃないが満足できていなかった。
 けれどオレが態度に出やすいタイプという自覚はあったが、今回は特に露骨に出てしまっているらしい。予定通りホームルームも終わって放課後練習の時間となり、更衣室でまばらに人が着替えている中、黒子っちはこちらの様子を窺いながら苦笑した。
「君がパスできたテストなんですからね」
「わ、わかってるっスけど……なんかオレだけ知らされてないみたいじゃないっスか」
 だって要するに二軍や三軍の奴らとは会っているというのに、昇格テストを通過しなかったオレだけが主将と顔を合わせられていないのだ。
 そう文句を垂れていると、二つ離れたロッカーのところで着替えていた緑間クンが「本当に知らないのか」と口を挟んできた。今の今まで黙って聞いていたらしい。
「試験の後に張り出される順位表は見たことがあるだろう。そこでいつも首位をとっている奴なのだよ」
「いやー、オレ上の方はあんま見てないっスから……」
「そのヒントは酷でしょう、緑間君」
「……そうだったみたいだな」
「ちょ、どういう意味っスか二人して!」
 声を上げて抗議すれば、そのままの意味なのだよ、と容赦のない一言が降りかかってくる。多少なりとも頭に来たがひとまず置いとくとして、常に首位だという点を忘れてはならないだろう。バスケ部の主将で、ある人には最強と言われ、ある人には敵に回したくないと言われ、そして勉強もできるらしい。
(完璧主義者なのかな……)
 仲良くはなれなさそうだと好き勝手に妄想が膨らむのも仕方がない。「はぁ……やっぱりどんな人なのか全然わかんないっス」と、ほぼ無意識のうちに零れた溜息と共にそう項垂れると、やたら得意げな表情で緑間クンがこう言ってきた。
「あいつの星座は射手座。今日のラッキーアイテムはアルバムなのだよ。ちなみに血液型はAB型だ」
 だからなんでそこだけ詳しいのだろうか。
「……その情報だけじゃ全然わかんないのだよ」
「真似をするな」
 他人の星座を暗記するのが癖なのか何なのか知らないが、そのラッキーアイテムとやらをオレが聞いたところで役に立つわけがない。寧ろ双子座の方を教えてくれよと思ったが、言う間もなく更衣室の扉が開いて青峰クンと紫原クンが入ってきた。オレが教室からここまで紫原クンと一緒に行動することは滅多にない。
「珍しいですね。二人が同じタイミングで来るなんて」
 心底不思議そうに声を掛ける黒子っちに、青峰クンが頭を掻きながら溜息をつく。赤司の奴に捕まったんだ、と。それが耳に入り、鞄からタオルやドリンクなどを取り出す自分の手が反射的に止まった。
「今日の一限サボっただろってさ。部活でもねえのにうるせーんだよ」
「それは青峰君がいけませんよ」
「成績が良ければ赤司も逐一注意したりしないのだよ。自業自得だ」
「はいはいーっと……そんでそこで紫原と会った」
 面倒臭そうに返事をしながらロッカーを開けて着替え始めている。その間にも他の部員の出入りが盛んになりつつあり、気付けば更衣室は結構な人数となっていた。
「今日赤ちん一軍の練習見るってさー」
 と、不意打ちで呟かれた一言に嫌でも反応してしまう。
「えっ、主将来るんスか!?」
 半ば勢いで食い付くと、こちらの様子を見た青峰クンが目を丸くした。まだ会ってないのか、そう驚いているのが見え見えだ。恥ずかしながらお会いできてませんとしか言いようがない。
「マジで?」
「黄瀬ちん避けられてんじゃないの〜」
「オレもそう思っていたところなのだよ」
「えぇ……」
 そんな馬鹿な、と思いたいところだが、はっきりと否定できないのも事実だった。会えないのではなく意図的に会わないようにされているのではと自分でも信じたくないような考えが徐々に脳内を支配する。気に入られなかったのだろうか。話したこともないんだけど。
「で、でも練習には来てるんスよね? それでも会えないっていうことは、ほら、実は黒子っちより影が薄いとか、そういう人だったり……して……」
 勿論ありえないとはわかっているものの、自棄になったオレは苦し紛れにそんな発言をしてしまったのだ。すると四人は顔を見合わせて黙り込む。そのまま二秒、三秒、いい加減沈黙に耐えられなくなり「なーんちゃって……」などと小さく付け足すと、黒子っちが妙に真剣な顔付きで、周囲に聞こえないくらい声を潜めてこう言い放った。
「……よく気付きましたね、黄瀬君」
 ……は?
「僕たち以外に赤司君の秘密に気付く人がいるなんて……」
「え」
「おい黄瀬、いつからわかってたんだ?」
「な、何がっスか?」
「とぼけんなよ。全部完璧で最強の奴が一般人の前に現れようとはしない……赤司が、普通の人間じゃないって」
「……え? いや、いやいや、オレは冗談で……」
 ちょっと待って、なに、どうなってんの。意味がわからない。
「冗談であいつの領域に踏み込むとは……命知らずな奴なのだよ」
「あーあ、黄瀬ちん殺されちゃうよー」
「は……」
「君も薄々わかっていたんですね。赤司君の本業は学生じゃないと」
「……ちょ、待って、ま、マジで言ってるんスか? みんなして、冗談キツいっスよ」
 なにこれドッキリ? 緑間クンとか真面目そうに見えて意外とそういうの平気なんスね、なんて考えが頭の片隅で浮かんだ。が、誰一人として表情を崩さない。え? は? おかしい、おかしい。オレの笑顔も引き攣るんスけど。
「ここまで知られちゃしょうがねえか……」
 絶対誰にも言うんじゃねえぞ、と青峰クンは言った。
 ごくりと唾を飲み込む。
「赤司征十郎――あいつは19世紀にイギリスを騒がせた切り裂きジャックの生まれ変わ」
「おい」
「痛ッ!?」
 ガン、と大きな音が鳴ったかと思えば青峰クンがベンチに足をぶつけたようで、前につんのめった彼の後ろから、真っ赤な髪をした男が現れた。青峰クンは思い切り背中を蹴られたらしい。
「誰が切り裂きジャックの生まれ変わりだ」
 いきなり人が増えて尚のこと放心状態へと陥ったオレは、目を丸くしたまま固まるしかなかった。話に全くついていけない。何なんだ、と停止しかけた思考を必死に働かせようとしていると、紫原クンがとても嬉しそうな声色で「赤ちん」と呼ぶ。その輝いた目線の先にはたった今登場した赤髪の人間。まさか。
「いってえ……人の背中蹴んなよ赤司」
「お前が失礼なことを言ってるからだろう。くだらない寸劇をしている暇があるならさっさと着替えて外周行ってこい」
「なんだよ、ちょっと冗談言っただけじゃねえか」
 眼前で繰り広げられる会話に完全に置いていかれている。ぱちぱちと何度か瞬きをして状況を飲み込む努力をするものの、何も言うことができないのは変わらずだった。
「まったく、黒子や緑間まで悪ノリして……」
「すみません。黄瀬君の反応があまりに面白かったので」
 と、黒子っちはあっさり言い切る。「右に同じなのだよ」と緑間クン。なるほど、どうやらオレはからかわれていたらしい。当たり前か。うっかり信じかけたけど、人間じゃないとか生まれ変わりだとかそんなわけがない。
「……お前も」
「は、はいっ?」
 なんて考えていたら急にオレの方に目を向けられて我に返った。
(目力強ぇ……)
 自分のことをあんな風に話されていてはそりゃあ機嫌も悪くなるよな、とこちらを睨み上げる両眼を見て少し焦ったけれど、そんな心配も余所に彼は大きく溜息をついて、呆れ顔になるだけで。
「真に受けすぎだ、バカ」
 初対面にもかかわらず遠慮のない一言に、ちょっと面食らってしまう。
「ス、ミマセン……あの、主将、スか?」
「そうだよ。悪かったな、こいつらが適当なこと言って」
「あ、いや、それは大丈夫っスけど」
 この人が、この人がバスケ部の主将。オレがずっと会ってみたかった人。というよりは会わなければならないと思っていた人が今、目の前に居る。言いたいことは山のようにあったはずだが、用意していた台詞は全部どこかへ行ってしまったらしい。空っぽになった頭の代わりに視覚が第一印象を捉えていった。
「は……はじめ、まして」
 最強とか言われてるからもっといかつい人から思ったら意外と小さい。オレと頭一個分くらい違う気がする。目がでかい。睨まれると怖い。青峰クンにも容赦ない。怒ると普通に足が出る。ネクタイはきっちり締めるタイプらしいけどブレザーのボタンは外しているおかげで、真面目なんだかそうじゃないんだかよくわからない。でもあんなメニューを考えるくらいだ、厳しい人に決まってる。髪は太陽みたいに赤く、前髪が少し両目にかかっている。あとは――、
「はじめまして、黄瀬涼太くん」
 笑った顔が、綺麗だと思った。


「と言ってもまぁ、お前のことは前から知っていたけどな」
 所変わって体育館、一軍のメンバーが準備運動は怠らないようにという主将の命を受けてストレッチをやっている中、オレだけ個別に呼び出されて隅の方に立っていた。隣では主将が名簿をチェックしつつこちらを見て話を切り出す。
「挨拶が遅れてすまない。主将の二年、赤司征十郎だ」
「あ、えと、黄瀬涼太っス! 三週間くらい前に入部したばっかなんスけど……」
 慌てて自己紹介をしたものの、さっきフルネームで呼ばれたのを思い出し無意味であることにはすぐに気付いた。急な展開に頭の中が整理できていない。それはもう、オレの落ち着かない様子を見てか案の定、わかってるよ、という返事と共に眉を下げて笑われてしまうほどに。不覚にも目が泳いだが、主将はすぐに真剣な表情に戻って口を開いた。
「プレーは何回か見させてもらってる。初心者とは思えないくらい飲み込みが早いしセンスも良い、今年の新入部員の中では間違いなく一番だ。もちろんまだ荒削りな部分もたくさんあるけれど……それは追々改善していけばいいだろう。とにかく今は基礎作りに専念すること。基本的に運動は得意だと聞いているし体格にも問題はないから、バスケ特有のフォームを早いうちに身に付けろ。くれぐれも変な癖はつけないように。それと……ああ、そうだ、青峰とワンオンワンをするのは構わないが、あいつから見て学ぶのはもう少し慣れてからにしろよ」
 あれのプレーは独特だからな、と一息にそう言われ、オレは初めての主将からのお言葉に呆気にとられていた。多分半分くらいは頭に入っていない。よく見てるんだなあ。真っ先に浮かんだ感想はその一言だった。
「黄瀬? 聞いてるのか?」
 不意打ちで顔を覗き込まれてはっとなる。
 話があると呼び出されたのは恐らく今の事項を伝えたかったからなのだろうけれど、いつの間にそこまで分析していたのか、自分にはとても見当がつかなかった。
「あ……の、なんで知ってるんスか。オレが誰かしらのプレーを模倣してるって」
 主将が口にした『あいつから見て学ぶのは』の一文ですぐに理解した。この人はオレのやり方に気付いている。
 けれど周囲にはバレてないと思っていたし、何より自分自身この方法で今後も貫くつもりはなかった。ただ最初のうちだけ、早く強くなる為には上手い選手のプレーを盗むのが一番手っ取り早かったのだ。
「なんでって……言われてもな」
 再び大層な意見を述べられるのかと思いきや、あっさりとそんな風に返されてしまう。
「な、なんか見ててわかりやすい理由があったとか、そうじゃないんスか? なんとなく?」
「いやなんとなくではないけど、二軍に居た時から黄瀬は先輩のプレーを真似して真似して真似しまくって上達してきただろう。そうでなきゃいくらセンスがあるとは言え初心者であんなプレーはできないさ。でもよくまぁ、あそこまで完璧にコピーできるなとは思っていたが」
「……そんな真似してたっスか、オレ」
「ああ。だからどこに特化しているのかわかりづらくて困ってるんだよ」
 困っているようには全然見えませんが。どんな内容であっても主将に隠し事はできないのだろうと確信した。きっと何もかもが筒抜けだ。
「あとお前、そのプレースタイルに引け目を感じている節があるだろう」
 ほら言った通り。
「……はい。コピーするだけじゃ駄目だって、思ってるっス」
 人の技術を盗むだけで上に行けたら苦労はない。手厳しい主将のことだ、ほぼ癖となってしまっているこのやり方はいずれ直すよう注意されるだろうと思っていた。
 ところが相手はこちらをじっと見上げたまま黙ってしまい、なんとも気まずい空気が流れる。この人との会話はなかなか掴みにくく自分ばかりが居た堪れなくなっていると、「そうだな、今のままじゃあ駄目だ」と目線を前に戻して断言された。
 わかっていた返答だし落ち込みもしなかった。が、それでもはっきりと駄目出しをされて悔しくない方がおかしいわけで、オレは気付けば歯を食い縛って俯いていたらしい。隣から淡々とした声色が耳に届く。
「お前はもっと、自分のコピー能力に自信を持てるようにならなきゃ駄目だよ、黄瀬」
 一瞬、言われた意味がわからなくて、何度かその言葉を反芻した。そしてやっと理解できた頃には自然と顔も上がり、主将の方に目を向けるとオレの驚き様に溜息をつかれてしまう。そんな呆れたような顔をしなくても。
「オレはそのやり方自体を否定する必要はないと思う。模倣だって立派な技術だ」
「でも」
「嫌なら自分だけのプレースタイルを見つければいい」
「…………」
「もちろん、お前にそれができるなら、の話だが」
 躊躇なく言い切られ、ぐ、と言葉に詰まる。その射貫くような視線に気圧された。
 けれど真正面からの主張にオレはもうわかっていたのだ。――この人は、絶対に嘘は言わないと。
「……いや、今のはオレの意地が悪かったな。すまない。気に入らなかったんだよ、誰もが羨む才能とセンス……それを持て余しているお前の態度が」
 飾らない一言一句が心に響いているのは自分と正反対の人だからかもしれない。オレにはこんな風に話すことはきっとできないだろう。
「……オレが今のスタイルを極められたら、帝光の戦力になれるっスか」
「ああ、必ず。その先も保証してやる」
「――じゃあ、」
 拳を握り締めて主将と目を合わせた。

「もしあんたと敵になる時が来ても太刀打ちできる?」

 理由が欲しい。誰かの模倣をすることでしか強くなれない自分へ、それを誇りに持つ為の理由が。
 調子に乗った質問であることは自覚していたが、オレが自信を得る為にはこれが最もわかりやすい証拠になるだろうと思った。ところが主将は意表を突かれたような表情をし、次の瞬間には予想通りのリアクションが返ってくる。
「……随分と自惚れてるみたいじゃないか」
「ちょ、痛い痛い、髪引っ張んないで! 撤回するからっ、ごめんなさい!」
 やっぱり今の発言はNGだったかと涙目になりながら反省していると、オレの髪から手を離してはくれたが腕を組んで目を伏せ、「別に撤回しなくてもいい」と一言。いやそんな不機嫌そうに言われても。
 はあ、と深く息をついて告げられた。
「お前はどれだけメニューを厳しくしてもなんだかんだ笑って乗り切るし、やれと指示したことは何であろうと器用にこなすし、きっとオールラウンダーな選手になるんだろうが……本音を言えば、先が見えなくて恐ろしいんだよ。いつかオレのコピーもされるかもしれないしな。……そしたらさすがに、油断はできない」
 ああなるほど、この人に勝つにはこの人のコピーをすればいいのか。
「……嬉しそうだな」
「そりゃもちろん」
 主将に勝つ方法を見つけたんスから、とは言わないでおいた。帝光の唯一絶対の理念を守り抜いている人間に対し、軽率な言動は機嫌を損ねさせる原因となってしまう。だからこれを豪語するにはまだ時間が必要だ。
(……今は、敵に回したくないっていうのに同意っスね)
 試合などしなくとも青峰クンにそう言われている時点でわかりきった話だった。主将の模倣もいつか試みたいものだが実際はまだプレーを見てすらいない。きっと多大なる時間を要するくらい難関なプレーなのだろうけれど、それでも心のうちでは諦めるつもりなど更々なかった。
「……楽しみにしててね、主将」
 小さくそう呟くと、しっかりと聞き取れなかったらしく「ん?」と小首を傾げられる。百七十センチ台というのは自分の身長と予想外にも大きな差があるようだ。上目遣いかー、無意識って怖い、なんて思いながら紫原クンの気持ちも少しだけ理解する。そりゃあ奪われたくないよな、二人きりになるとせっかくいろいろな表情を見せてくれるんだから。
「何か言ったか?」
「いーえ、なんでもないっス。赤司っちが意外と話しやすくてほっとしてるところっスよ」
「……なんだその呼び名は」
 案の定眉を顰められてしまい、誰が相手だろうとこの呼び方に変える度に説明が必要なんだろうなあと思った。
「尊敬してる人への呼称! こればっかりは嫌だって言われても変えられないっス、アイデンティティーみたいなもんなんで」
 だから黒子っちに言った時と同じような台詞を口にするしかなかったが、この人に対しては尊敬の念よりも、寧ろ自分の覚悟を忘れない為の理由に近い。
「まぁ好きに呼んでくれて構わないが……調子のいいことばかり言ってないで、ちゃんと練習にも励めよ」
「はいっス!」
「よし、いい返事だ。じゃあ外周30周」
「え」
 いつの日か、あんたを敵に回す日が来ることをオレはきっと心の奥底で望んでいるのだろう。誰にも打ち明けることなどできない秘密だった。けれどもしも本当にその時を迎えられたら自分は、赤司っちが褒めてくれたこのプレーで、主将が否定しなかったオレのプレーで、君の相手になりたい。
 オレがコピーをし続けた理由は赤司っちへの恩返しだったからと、笑って種明かしができる瞬間を、静かに夢見た。


目指すは太陽の中心 / 2013.03.01
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