常識はある。理性もある。モデルという仕事のおかげで社会的な知識も、周囲の同級生よりはあると思う。チャラチャラしてるように見えて意外と真面目なんだね、の一言を結構な確率で言われる俺にとって、ハメを外さないというのは基本的な生き方に近い。
 が、まぁ残念ながらそれも好きな人の前となると多少は緩くなるものだ。
「あ、赤司っち〜……」
 うつ伏せのまま枕に顔を押し付けて黙りっぱなしの恋人の名を恐る恐る呼んでみるが、返事はなかった。起きていないからではなく何も答えたくないからだ。本当に寝ているならその方が何倍もマシだろう。表情も見えずに無言を貫かれるのが一番恐ろしい。
 珍しく練習がない土曜日の朝。隣で寝ている赤司っちの髪を静かに撫でていたら、相変わらず眠りが浅いのかあっさりと目を覚ましてしまった。「起こしちゃった? ごめん」と簡単に謝った時はまだこんな様子ではなく、ぼんやりとされるがままに俺の方を見ているだけだった。赤司っちの寝起きはいつもこうだ。普段の頭の回転の速さはどこへ行ったのやら起動するのに大分時間がかかる。けれどその分、意識と共に昨日の記憶が蘇るといっきに顔色を変える。
 なんとなしにキスをしようとしたら思い切り手の平で阻まれ、数秒視線を泳がせた後、行き場がなくなったように突っ伏してしまい、今に至る。多分心の中で後悔と羞恥に苛まれ出した頃だ。
(このパターンには慣れたっスけど……)
 もう付き合い始めて結構経つのに全然変わらないなあ、と口元が緩みそうになるのを抑えるのが精一杯。赤司っちの脳内では俺の勝手さに怒りが向いてきているに違いない。だから返事をしてくれないのであって、そういう時は下手に出ないと尚更機嫌を悪くしてしまう。
「あのー、赤司っち? 俺の意見聞いてほしいんスけど……いや、ほらなんていうか、今回ご無沙汰だったし、一応、俺達思春期だし……まぁ抑えられない時もたまにはあるわけで……」
 って、そんな睨まないで。
「それは意見じゃなくて言い訳だ」
「すんません」
「……もうお前とは一緒に帰らない」
「えっ、なんで!? 謝ったじゃないっスか!」
「謝れば何でも許されると思ってるのか? ただ同じ方向だから一緒に帰ろうと誘っただけなのに無理やり家に連れ込まれて強姦されるくらいなら一人で行動した方が全然マシだ」
「付き合ってるのに強姦て」
 さすがにひどい、と言おうとしたところで再び睨まれてしまったので口を噤む。これ以上不機嫌にさせたらあとが大変だ。せっかく一つのベッドで寝ているのに、早々に布団から出て家に帰るなどと言い出しかねない。
 さてどうしたものか。
 確かに合意の上じゃない時点で強姦と認識されるのなら今回はそうなってしまうのだろう。でも久しぶりに二人きりになれて、親もいなくて、それでじゃあまた明日、なんて易々と帰すわけがあるか。俺は恋人として当たり前のことをしたまでだ。――と伝えたらどう反応するかな。
 候補1、『恋人だという自覚があるなら相手の意志を尊重しろ』。
 候補2、無言で冷ややかな目を向けられる。
 候補3、溜息。
 候補4、別れ話……は考えたくないし多分ありえないから却下。候補3までだと、そう頭の中で決めた矢先だった。
「どうせ別れ話はされるわけないとか思ってるんだろう」
 まんまと心を見透かされてしまい顔が強張る。そんな馬鹿な。恐る恐る赤司っちの方に目を向けると、呆れたように息をついてベッドを下りようとしている。
「赤司っち」
「いくら好きな奴とは言え、嫌なことばかりされていたら愛想も尽きるよ」
 床に落ちたままの制服を拾い上げながら忠告された。そのままベッドの脇に腰かけてシャツのボタンを留め、振り向こうともしない。けれど俺はこの人の着替えを目にすれば簡単に欲情するほど馬鹿な人間だ。健康的ですらりと伸びた背筋に白いうなじを前に、思うままに手を伸ばした。
「っ……黄瀬」
 俺より一回り小さい体を後ろから抱き締める。
「赤司っちの嫌なことはしないっスよ」
「……だったら離れろ」
 満更でもないくせに、と笑ったら怒られるだろうか。ジーンズは履いているが上は何も着ていない為に赤司っちの体温を直に感じる。この人は手や足先は冷たいという末端冷え性であるものの、全体的には意外と温かな身体だ。中途半端に着かけたシャツが赤司っちの抵抗を小さくしている。
「赤司っちさ、あんまかわいくないこと言ってると俺も愛想尽きちゃうよ」
 なーんて嘘も冗談もいいところ。どんな罵詈雑言を吐かれようが冷たくあしらわれようが関係ない。遠回しなお誘いに応えてあげて、気持ち良さそうに善がって泣いていたセックスを強姦だと言われようともね。
「お前の……」
「ん?」
「……そういうところが、嫌いなんだ」
 いつもより声を低めて囁いたからか真に受けてしまったらしい。予想通りの反応を見せた赤司っちに免じて抱き締めた腕の力を緩めると、やっとこちらに振り返り、そして驚いたことに向こうからキスをしてきた。ふうん、愛想は尽かされたくないんだ。そんな風に弱った顔を見せられたら俺が付け上がることなどわかっているだろうに。
 許してほしいとでも言いたげに首元に抱き付いて黙ってしまった赤司っちの背中をいやらしく撫でると、小さく肩が震える。
「ほんと、口は可愛くないのに体は素直っスよねえ」
「充分じゃないか」
 あれ、そこは認めちゃうんスか。やっぱり顔を上げようとしないからどんな表情をしているのかは知らないが、きっと俺の指摘に恥ずかしくなって居た堪れない頃なんだろう。半ば自棄のような返答に苦笑する。
「嘘。全部かわいい、赤司っち」
 たまらなくなって正直に言えば、赤司っちはいよいよこの空気に耐えられなくなったのか俺の腕から逃げようと体をよじった。が、まぁそんな抵抗を許すわけもなく、左腕で強く腰を抱いたまま反対の手で顎を持ち上げて口付ける。舌を捻じ込み、酸素を奪い、相手の瞳が涙に濡れてきたところで解放した時には、再び皺まみれのシーツに押し倒す結果となった。
「……俺の嫌なことはしないんじゃなかったのか?」
 まだそんなことを言っている。
「しないっスよ? だから帰さないんじゃん」
 俺は常識も理性もあるから恋人の要求なんて手に取るようにわかるのだ。それ以上何も言ってこない赤司っちに、愛想尽かされたくないっスもん、と屈託なく笑ってみせた。反論はない。当然だ。だって俺は赤司っちの嫌なことはしたことがないし、するつもりも全くないのだから。
 大丈夫、いいことしかしないよ。


積もるも溶けない愛しさが / 2013.02.03
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