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 昼も過ぎた頃に漸く雪かきは終わり、寮に戻ったらなんとまさ子ちんがおでんを買ってきてくれていた。よく頑張りましたと何故か教頭まで居る。なるほどまさ子ちんは教頭に頼まれたのか、と思いながら食堂の椅子に座り、やっと感覚が戻ってきた指先を撫でた。
 除雪用具の後片付けを任されたらしい室ちんの姿はまだ見えない。俺は他の部員がおでんを配っている横でポケットから携帯を取り出し、黒ちんから届いたさっきのメールに対し簡単な了承の返事を送信した。時間が空いてしまったおかげで向こうもすっかり来れないものだと判断したんだろう。すぐに返信は来なかった。けれどつい数日前に話したばかりとは言え、また赤ちんと会えることを思うと少なからず心が弾む。
 が、携帯をしまおうとした瞬間、鳴り響いた着信とその相手に思わず眉を顰めてしまった。弾んだ心がいっきに沈みかけた気分に。
(忘れてた……)
 まだこっちの問題が残っている。
「……もしもーし」
 本当は全く出たくなかったがいい加減キレられる、と嫌々通話ボタンを押して耳元に持っていったら、もう既にお怒りのご様子だ。
『あっ、やっと出た。敦、電話にはちゃんと出なさいとあれほど言ったでしょう!』
「はいはいごめんなさーい」
 電話に出るなり予想通り始まった母親の説教を中断すべく適当に謝る。やっぱりこの人は俺がこっちに来てから驚くほど厳しくなった。練習中だったら電話なんて出れないよと言おうかと思ったが、今朝掛かってきたあの時間はまだ朝礼も始まる前だ。冬休み中に帰省するのかどうか、それを早く確認したいんだろう。案の定お正月はどうするのと聞かれ、えー、と曖昧に濁してしまった。
『えーって、あんたねえ、夏休みも帰ってこなかったんだから……。一度顔を見せなさい。それと去年、従姉妹の××ちゃんが結婚したじゃない? ついこの間、第一子が生まれたのよ。だから敦にも会いに来てって』
「はい……?」
 いや結婚したじゃない? って言われても。第一子とか言われても。正直よく覚えてないし急にそんな話を振られたところで困るだけだが、いよいよ帰らざるを得ない雰囲気だ。
 正月に帰省すれば春期休暇の時は寮でゆっくりできるかもしれない。無理矢理ポジティブにそう考え、俺は腹を括ることにした。
「四日」
 小さく呟いたら『え?』と聞き返された。「一月四日に、ちょっとだけ家帰るよ」今度は電話口の向こうにもちゃんと聞こえるように伝えると、お母さんはわかりやすく喜ぶ。
『四日ね! わかった。……あ、でもその日だと××ちゃんもう田舎に帰っちゃってるわよ』
「また別の機会に会いに行くって伝えといてー」
『次いつ東京来るって言ってたかしら……。向こうも遠いからねえ。そうだ、ちょっと待って、今お父さんにも電話替わる』
「いやいーよ、もう切るから。行く時間とかわかったらメールすんね」
 同級生の奴らが「なになに紫原のご両親?」なんて面白がって群がってきたから、しっしっ、と手で払うようにして自分も食堂からいったん出る。廊下は少し肌寒く感じた。
 家帰るし手紙の返事は書かないよ、と最後に言えば不満そうにされるものの納得してくれたらしい。よかった。あれを書くのが一番面倒臭い。けれど母親が、俺が初めて試合で負けてそれに対する言葉を口頭で言いづらいからあんな文章を送ってきたのだろうとはわかっていた。電話をしてもバスケについては触れようとしないのが証拠だ。本当は今後のことも気になってしょうがないんだと思うけれど。
「お母さん」
 バスケがつまらないかつまらなくないかの二択で言うとしたら完全に前者だし、その価値観が揺らぐことはない。
 それでも陽泉を選んだのは俺自身だ。
「俺、もうちょっとここでバスケ続けるよ」
 廊下の壁に寄り掛かって言うと、母親は少し黙ってから『そう』とだけ返した。二秒の沈黙であの人が何を思ったのか、どんな表情をしたのかはわからない。
 何を言われるのも嫌で、その後すぐに「じゃあね」と通話を切った。
 そして食堂へ戻って机の上に置いてあった自分の分のおでんに手を付けたところでちょうど室ちんが帰ってきて、俺の向かいに腰を下ろした。疲れたな、と言われたから、うん、と返す。はんぺんも美味しいけどお菓子食べたいなあ。でも部屋にあるお菓子はほとんど食べちゃったし、また買いに行かないと。年末年始は購買が閉鎖してるから暫くはコンビニにお世話になるしかない。そういえばこの前やっとあそこのコンビニも期間限定の新作を取り扱い始めたんだった。東京ではもう一ヶ月前くらいから発売していたらしいやつ。あ、俺の大好きなスナック菓子の新しいシリーズとかチョコレートの詰め合わせとか、そんなのも発売されてるかもしれない。
(うーん……)
 どうしよう。東京への交通費を考えると全部買うにはお金が足りない気がする。お菓子の方を我慢するとして、どれかに絞らなければ。
 数ある選択肢の中から、一つだけを。
「消去法ってさー、案外当たってたりするよね」
 ぽつりと呟くと、大根を頬張っていた室ちんが顔を上げた。
「ん? 何の話だ?」
「あー……お菓子の話?」
 そういうことにしておこう。


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