※アニバスvol1 ピンナップ妄想


 こんな日の選手控室は異様なまでに空気が張り詰める。青峰君はひたすらにボールを触ってハンドリングを繰り返し、黄瀬君はバッシュの紐を何度も丹念に結び直す。それで三回目ですよ、と言おうと思ってやめた。何せ彼からすれば今日の試合は今までで一番大きなものなのだから、いつもの態度からは読み取れない神経質な一面を感じても決しておかしくない。
 黄瀬君と一人分のスペースを空けて隣に腰を下ろした緑間君は、試合直前になると極端に口数が減るタイプだ。元より必要最低限のことしか喋らない人だが声を掛ければ必ず応答してくれる。でも、今回に限ってはへたに話し掛けてはならなかった。ラッキーアイテムを傍に置き十本の指をただ眺めながら、本日の彼の人事を再確認しているのだろう。恐らく今の緑間君に、紫原君のお菓子を食べる音は不快でしかない。
 お菓子を食べないと調子が出ない、と本当なのか嘘なのか判断しかねる我儘が許されているのはとても珍しかった。選手の体調は直前に食べたものでも左右されやすい。お世辞にも栄養的とは言えない菓子類は、練習中は控えるようにといつも言われ、試合前など特に厳しく注意されるのだ。注意をするのは赤司君であり、しかし今、彼の要望を許可したのも赤司君だった。「食べれば本調子になるのか?」そう尋ねている様子を僕は初めて目にした。そして頷いた紫原君に、食べた分はちゃんと試合で消化しろよ、と静かに返すのも。
「赤司」
「今日だけだ。たまには本人にとってベストな状態で試合に出させてやろう」
「……お前は変なところで選手を甘やかす癖があるのだよ」
 早速鞄からお菓子を取り出している紫原君を余所に、我らが部長と副部長はそんな会話を広げた。それでも緑間君は納得していないようだったが、「俺が本当に厳しくしたら、本来バスケとは何ら関係ないお前のラッキーアイテムも取り上げるかもしれないな」の一言には何も言えないらしい。あからさまな反応に赤司君は笑う。
 その表情を僕達は傍から見た。皆一様にピリピリとしている中、彼だけが普段と同じくらい、否、普段以上に楽しんでいる。プレー中に心底楽しそうな顔を見せる青峰君とは別だ。ただこの状況を、全中優勝をかけた試合に臨むこの空気を、ものともしない。
 絶対的な勝機を見出しているわけではないはずなのに、彼の自信は他を圧倒している。


――数ヶ月前、まだ僕が教育係であった頃、黄瀬君はなぜ赤司君が主将なのかと聞いてきた。
「いや、あの人が強いのは知ってるっスよ。でも青峰っちの方が試合で全然活躍してるように見えるっつーか、実際一番点とってるのは青峰っちじゃないっスか。他にも資質から見れば紫原っちの方が断然上っスよね? まぁ性格的に主将は向いてないと思うけど……。それを抜きにしても緑間っちが副部長って位置であの人に従ってるのとか、俺にはよくわかんないんスよ」
 『あの人』と呼んでいるあたり、数回しか会ったことがなかったのだろう。彼の言い分は理解できなくもなかった。けれど本人について知りもしないのに多くを決めつけてしまうのは、黄瀬君の悪い癖だ。
「ていうかそもそも監督とミーティングとか言って練習も居たり居なかったりだし、来たと思えば命令だ何だってうるさいし、部室に置いてあった将棋のアレも何の為にあるんだろうってずっと気になってたら主将の私物って! どういうことっスかそれ! 意味わかんねーっスよ!」
 バニラシェイクを飲みながら聞いていると、話はだんだんとヒートアップしていく。この声量はさすがに周囲の迷惑になるからと、途中で口を挟むしかなかった。
「はあ、まぁそうですけど……それにしても今日は一段とうるさいですね、黄瀬君」
「そうそうホントうるさ……えっ俺!?」
「君は普段なんでもかんでも不満を口にする人じゃないでしょう」
 思ったままを告げてみると、その自覚があるのかないのか、次の瞬間には反省したように眉を顰める。最も活躍してるエースが主将になれるわけではないことなど黄瀬君は理解しているはずだ。紫原君や緑間君が主将になり得ない理由もそれとなくわかっているのだろう。ただ赤司君が主将である、その純粋なワケを知りたいだけのように見えた。
 少し沈黙した後、彼は俯き加減でぽつりぽつりと喋り始める。
「今日の練習……主将、来てたじゃないっスか。そんでいろいろ言われたんス。俺のプレーの弱点とか練習法とか、ここがダメそこがダメって、もー駄目出しの連発。俺バスケ初めて一ヶ月経ってないんスよ? 無茶言うなって思ってたら、」
 一息。彼は珍しく僕の目を見て話していなかった。
「――『初心者を理由に手を抜くつもりなら今すぐ退部しろ』、だって。あの人、他人の心でも読めるんスかね。威圧感やばいし何も言い返せねーし、……って……言い返せない自分に、腹が立ったんスよ」
 言い終えると同時にテーブルの上に置かれた黄瀬君の拳が握り締められる。
 それが本音なのだろう。人の言葉を素直に受け止められるのは彼の良いところだ。「まぁ手抜いてたわけじゃないっスけど」と笑って付け足されたそれを疑うつもりはない。けれど黄瀬君自身そう歯を食い縛って悔やんでいるのなら、僕が言えることは一つだけだった。
「じゃあ、その駄目出しされたってやつ、全部克服するといいですよ。成果を出せば褒めてくれるんで」
「へ、いや、別に褒めてもらいたいわけじゃ……」
「赤司君に褒めてもらえたら言い返したということになりませんか? 手を抜いてない、そもそも初心者だなんて思わせない、そんな風に」
 口でどうこう言うよりプレーで認められるのが一番だろう。そう思って提案してみると、黄瀬君は一瞬面喰らったような反応をし、それから「……よしっ」と意を決した表情で気合いを入れていた。
 その二週間後に灰崎君が退部し、黄瀬君がレギュラー入りという『キセキの世代入れ替え』は、バスケ部全体を震撼させることになる。薄々予感していた僕達でさえその成長スピードには驚きを隠せなかった。唯一納得していたのは赤司君ただ一人だっただろう。何せ黄瀬君はあの時僕と話したことをそのまま実行に移したらしく、つまり赤司君に指摘された部分を全て直したのだ。結果、みるみるうちに周囲を追い抜いていったのだから。
 後から聞いた報告によると赤司君には褒められたらしい。正直感心したよ、と。その時にはもう彼のことも『赤司っち』と呼んでいたし、彼が主将である理由に対する答えも、見つけていたようだった。


「……さて、と。そろそろ行こうか。紫原、お菓子はもうおしまいだ」
 たった数分で空いた菓子袋が山になっている。紫原君は渋々といった様子でまだあるらしいお菓子を鞄に詰めるが、当然ながら赤司君の指示に反抗はしなかった。
 試合開始時間までそう長くない。控室を出て主将の後ろに並び選手入場の廊下を通り抜けると、劈くような歓声が沸き起こった。全中。決勝戦。強豪対強豪。バスケ自体世間的に普及したスポーツではない為テレビ放送なんかはしないが、それでも多くの注目を集めていることには間違いない。対戦校のステータスも高いとは言え、帝光という名一つで場の緊張感が高まっていると言っていい。
 選手側の緊張は観客にも伝染するが、それにしたって今日の自分達を包む切迫感は並大抵ではなかった。去年とはわけが違う。わかっていても、二連覇の期待は大きすぎる。
 皆揃って顔が強張っているのはそのせいだ。昨晩から異様なまでのプレッシャーと高揚感に襲われ、ついに辿り着いた頂点の眼前、目には見えずとも心底息が詰まっていた。
 強さ故の重圧に押し潰されることは許されない。
 そして心を落ち着けるように呼吸をしながらジャージを脱いで準備をしていると、隣で意気の揚がった声が聞こえてくる。見ればベンチ脇で対戦校――僕達への挑戦者が、円陣を組んで気合いを入れていた。
「……おー、すげえやる気」
 ふと青峰君の口から零れたその一言は僕の耳にも届いた。今まで試合の前にああして精魂を込める様はどの中学でも見られ、特に帝光が相手だからということなのか、一際声を張り上げ、発憤した姿勢をとる。僕らはそれを毎回横目で眺めてきた。
 あれに応え、そして勝利を掴む試合を。手首をほぐしながら唾を飲み込んだその時、同じく対戦校の動きを見ていた赤司君が突然こう言った。
「たまには俺達も組んでみるか」
 と。
 えっ、なんて思わず声が漏れたのは僕だけじゃなかったようだ。
「組むって……あれを?」
「ああ」
 青峰君の聞き返しに対し淡々とされた返事に、僕達五人は耳を疑う。今大会において帝光がそうしたことなど一度もなかった。というか円陣なんて発想が本来僕達にはない、はずだったがあっさりと覆された。赤司君の突飛な提案に、皆して思考が追い付かない。
「また随分と唐突ですね……」
「今思い付いたからな」
 本当にそんな感じだ。対戦校に刺激されたとは思いにくいがそうとしか考えられず、「俺は別に構わないが、そんな簡単なノリで組むものだとは思わなかったのだよ」「えー……俺そういう暑苦しいの嫌いなんだけどー」「なんか今更恥ずかしくないっスか?」とそれぞれの反応を見せ、青峰君に至っては「だるい」の一言で片付けようとしている。
「まぁそう言わずに」
 が、しかし赤司君のこの笑顔で全員押されてしまうのだから仕方がない。
 それに円陣を組んだ覚えがないのは『今大会において』だ。
「ほら青峰」
「おわっ」
 気乗りしていない青峰君の肩を強引に引っ張る赤司君だけれど、青峰君もそれ以上文句は言おうとしなかった。その様子に黄瀬君が意外そうな顔をする。
「前に円陣組んだことあるんスか?」
「え?」
「いや、青峰っちが大人しいから……」
「ああ……、まぁ実際、初めてじゃないんですけどね。赤司君がこうする時は決まって――」
 と、そこまで話したところで「黄瀬と黒子も早く組め」の命令に遮られてしまう。僕の隣に青峰君と黄瀬君、黄瀬君の隣に緑間君、紫原君、赤司君と続いたところで輪が出来る。この光景はとても久々だった。記憶の底に眠っていた一年前が蘇るようだ。
 しかしさすがは個人技を得意とする帝光バスケ部とでも言うべきか、円陣を組んでも一体感がまるでない。
「いいか、ゲームメイクは控室で言った通りだ。様子見をするのは大事だが攻めるタイミングを、」
 という主将の言葉を余所に、露骨に溜息をついた緑間君が呟く。
「なんで本日相性最悪な双子座のお前が隣なのだよ……」
 それを黄瀬君は聞き逃さなかった。
「ちょっ、円陣くらい良いじゃないっスか! ていうか今朝から俺のことシカトしてたの相性のせい!?」
「ここまで完璧に人事を尽くしたというのに、もしもシュートが落ちたらお前のせいなのだよ」
「ひどっ」
「そういえばミドチン今日のラッキーアイテムまいう棒の詰め合わせだったよね〜? 試合終わったらちょーだい」
「今日が終わるまではやらないのだよ」
「えーなにそれ……」
 さっきまでの緊張感が嘘のように軽い会話をしている三人。控室で緑間君の傍に置いてあったお菓子は紫原君のじゃなかったのかと内心驚いていると、青峰君に「今日お前スタメンだったよな」と声を掛けられる。
「あ、はい。一応第二Q後半で赤司君と交代する予定です」
「うし、じゃあぱっぱと点差付けちまおうぜ」
 青峰君の表情も控室に居た時よりも大分柔らかくなっていた。はい、と頷いたはいいがそれにしても会話が散らばりすぎであり、このままだと……。
「――おい。お前達は俺の話を聞く気がないのか?」
 滅相もございません。
 無駄口を叩いてる場合じゃない。赤司君の静かな憤りに全員が体を強張らせて口を噤んだ。緑間君も黄瀬君が隣であることに関しては諦めたらしく、全ての視線が赤司君へと集まり、それを受けて彼は喋る。
 ここまでくればもう細かいことはなしだ、と赤司君は言った。さっきまでいろいろと指示を出していたのは何だったのだろうかと思いつつも、真っ直ぐ前を見据えたその両目に、僕達の緊張や不安は少しずつ緩和されていく。
「本当は言いたいことなんてたくさんあるが……とりあえずだ。昨日までの試合を思い出せ。常に高みを目指す人間に失敗は許されないとは言え、ミスが一つも無い試合なんて俺が覚えている限りでは一度もない。それを許すか否かはお前達自身の問題だよ。ちなみに俺は許さないがな」
 途中までなんだか良いことを言ってたっぽいのに最後の脅すような一言で身が引き締まる思いに。そういえば昨日の準決勝後もいろいろと注意をされたのだった。
 別の意味でプレッシャーを感じ始めてしまったが、でもまあ、と続けた赤司君の声色がふっと軽くなる。
「そこまで気張る必要もないさ」
――観客がざわついているように思うのはきっと勘違いなんかではないだろう。何せ、あの帝光が円陣を組んでる、それは誰しもが驚く出来事だった。
 けれど僕は逆に安心する。歓声の変化に気付けるくらいまで視野が広がった。緊張が収まった。皆がどう思っているかはわからないが、少なくとも僕をそうさせたのは、円陣を提案した赤司君だ。
「チームメイトを頼れなんて言わないしそんなことは求めていないが、忘れるな。自分が強くあることを、そして隣の奴が自分と同じくらい強いプレイヤーであることを。俺はミスを許すつもりはない。でも勝利を手にしたならば良しとする。……理由はただ一つ、帝光の理念を裏切っていないからだ」
 赤司君の言葉を聞き、応援席に掛かったスローガンを思い浮かべた。『百戦百勝』。目指すは全中二連覇。そうして自分達は、ここまでやってきた。
「絶対に迷うなよ。怯んでも、躊躇っても駄目だ。相手がどんな選手であろうと、自分の強さを疑うな」
 目を伏せて静かに瞼を持ち上げ、射貫くような鋭さを持って彼は言い放つ。

「――勝つぞ。必ず」
 円の中に、よく響き渡る声だった。


 赤司君が主将である理由を言葉で表すのはなかなか難しい話だが、黄瀬君が一軍に上がってきた頃の様子から見て言うならば、それは『選手をよく見ている』の一言に尽きた。とにかく僕達の変化には目敏いのだ。バスケに対する成長をとっても、その日の体調をとっても、ただの一時的な感情でさえ、彼の前では筒抜けに等しい。
 だからあの時黄瀬君に厳しいことを言ったのも、きっと彼が喰らい付くとわかっての態度だったのではないかと僕は思う。あの才能と負けず嫌いな面をうまく合わせてレギュラー入りを成し遂げた。期間が短くも容赦がなかったのは、恐らく今回の全中に間に合わせる為だろう。
 もちろん部員全員を満遍なく研究して先を読もうとする赤司君は、僕達の様子を特に注視している。
 円陣の提案は確かに突飛だった。が、対戦校に刺激されたからというのは、自分で考えておきながら嘘だろうなと思い直した。彼は多分、控室に居た時からこうすることを決めていたのだ。僕達の表情を見て。
「どうだ、緊張は解けたか?」
 口角を上げてそう尋ねられる。コート脇に並んだ僕らは赤司君の方に一度振り返ったものの、自分を除いて皆すぐに視線を戻した。
「緊張なんか」
 してねえよ、してないのだよ、してないっス、してねーし、と口を揃えて言う様子に、このチームの負けず嫌いは一人に限った話じゃなかったことを思い出す。彼らの顔付きが円陣を組む前とは大きく異なっているのが目に見えてわかるし、あのピリピリとした空気もいつの間にか消えていた。何も発破をかける為だけにああしたのではなかったというわけだ。
――前に円陣組んだことあるんスか?
――え?
――いや、青峰っちが大人しいから……。
――ああ……、まぁ実際、初めてじゃないんですけどね。赤司君がこうする時は決まって――。
 言葉通りの意味だった。
 彼がこうする時は決まって、僕達が緊張している時だ。
「それならよかった。黒子も、大丈夫かい」
 こちらの目をしっかりと見て問われる。僕も大層な負けず嫌いだが、彼らほどひねくれてはいないつもりだ。
「……はい、かなり和らぎました。ありがとうございます」
 素直にそう言うと、赤司君は満足気に笑みを深めた。
 過去にも二度、円陣を組んだことがあった。それは去年の全中決勝戦と、もう一回は僕のデビュー戦。恥ずかしながら後者は僕の為だけにやったと言っても過言ではなく、あの時の自分の緊張ぶりは洒落にならなかったことを覚えている。ただ人と肩を組むだけでも大分落ち着けるのだと学んだのもその時だった。
 そんな昔の出来事に思いを馳せながらコートに臨んだ。今はまだ、強さ故の重圧、期待、自信、全てを楽しめるのは赤司君くらいだと思うけれど、僕達を限りなくそれに近い状態へと引っ張っていく。その役目を果たしている彼だからこそ主将で在れるのだろう。
「思う存分、戦ってこい」
 背を押すその言葉と共に、僕は歩みを進めた。


THE STRONGEST / 2012.12.08
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