この人の中にはいろいろな線引きがある。愛想笑いを浮かべようが赤の他人と知り合いの間には明確な壁を作るし、知り合いと友人の境界にもそれとなく線を引く。友人と仲間もニュアンスが違うのかもしれない。そして最近気付いたのが、この人の中で友人イコール部員であるならば、恐らくキセキの世代は『=仲間』である。
 ……多分。
「黄瀬? どうした、ぼーっとして」
 ペンを握ったままぼんやりしていると、不意にそう声を掛けられて我に返った。危ない危ない。赤司っちはオレが無意識に他人について観察を始めてしまう癖を良く思っていないのだった。人間観察とかついしちゃうんスよね、と笑って言ったところ「バスケ以外でもコピーを始める気じゃないだろうな」とやたら不機嫌そうに返されたのは最近の記憶。残念ながら日常生活においてまでそんな器用な人間ではないのだが、要らぬ心配をかけたくはない。
「なんでもないっス」
 へらりと言えば赤司っちは少しだけ眉を顰めた。あ、信じてない。こういう表情をする時はオレの言葉を疑っている証拠だ。うーん、人間観察が趣味だというのはお互い様じゃないのかって、前から思ってはいるけれど。
「いやいやほんと、赤司っち綺麗な顔してるな〜って見てただけっスよ。だからそんな怖い顔しないで」
 もったいない、とペン先を向けて笑ってみる。すると面食らったように目を丸くしてから一瞬で逸らされ、その些細な仕草を可愛いと思わずにはいられなかった。
「……馬鹿なことを言ってないで早く問題を解け。もうその問いに手をつけてから十分は経ってるぞ」
「はーい」
 照れ隠しであろうとあまり無駄口を叩くと本当に機嫌を損ねかねない。ほどほどにしよう。眼前に広げられた数学の問題集に意識を戻し、途中になっていた数式の続きを考えた。
 テスト期間中で放課後の部活動練習が禁止されている今、部内では一定の人間が赤点回避の為に必死になる時期とも言える。まぁ簡単に言えばオレや青峰っちが頭の出来る友達にテスト対策をしてもらう週間だ。そして今回は見ての通り、明日の数学の為に公式を詰め込む作業に没頭してるってわけ。
 柔く夕日が差し込む三階の教室に二人きり、本来なら青峰っちが隣に座っている予定だったものの、姿が見えないということは多分逃げたんだと思う。何せ赤司っちが珍しく直々に教えると言い出したのだ。この人が目の前に座ってこちらの進行状況を見張っているなんて状態はなかなかの威圧感がある。八割がたの人間が耐えられないだろうけれど、オレからすれば青峰っちには感謝せざるを得なかった。
「赤司っちー、ここどうやって解くんだっけ……」
「さっき教えただろう」
「もう一回だけ説明してくれないっスか」
 懇願するように手を合わせると露骨に溜息をつかれてしまうが、その後でちゃんと教えてくれるのだから優しい。赤司っちの中でオレは一体どの境界に存在するのだろうか。恋人の位置にきちんと居ればいいなぁとは思うけれど、例えば青峰っちや黒子っちに同じことを言われても同じ対応をするんだろうと考えてちょっと妬ける。
「……で、こっちを移行して代入すれば答えが出る。わかったか?」
 そう尋ねると同時にずっと紙面を見ていた目線がいきなり自分の方に向けられ、不覚にもどきりとした。上目遣いだとかそんな単語はきっと赤司っちの辞書にはないくせに。
 その目力には本当に弱い。机一つのみを挟んだ距離は意外と近く、引き付けられるように唇を寄せる。が、こちらの求愛むなしく向こうの手によって呆気なく阻まれてしまった。
「……手どけてほしいっス」
「だめだ」
「なんでっスか」
「なんで? まさか本来の目的を忘れたわけじゃないだろう」
 勉強しろ、とその恐ろしい笑顔が告げている。こうも強く制されれば従うほかなかった。それに教えてもらっているというのに今の行動は確かに失礼だったと反省しつつも、机に顎を乗せて少し拗ねてみる。
「……黄瀬。そんな態度を取ったってだめなものはだめだ。今お前を甘やかして赤点を取られたら元も子もない」
 キスに応えるのは甘やかす行為とは違うだろうと思ったが、この人からしてみればその程度のものなのかもしれない。なんて考えた途端、急に気分が沈んでいった。ところがそれを敏感に感じ取ったらしい赤司っちが、今度は「じゃあこうしよう」と話を続ける。
「明日の試験で赤点を免れたら、一日だけ俺に何をしてもいいことにする」
 えっ、と反射的に顔を上げた。
「な、何してもいいんスか?」
「ああ。……いや待った、やっぱり赤点を免れたらじゃなくて平均を越えたらにしよう」
「いやそこは男に二言無しっスよ、赤司っち」
「馬鹿言うな、お前なんだかんだ数学で赤点取ったことないだろ……。そんなに安く売ってない」
 珍しく赤司っちが平静を失っている様子を見てオレはすっかり上機嫌となっていた。まったく現金な奴だと自分でも思う。
「ふうん……じゃあまぁいいっスよ、それで。でもこれ以上あとで内容変えるとかなしっスからね」
 こんな好条件を出されるとは思っていなかった為に今から何をしようかとわくわくせずにはいられない。その前にこの問題集を打破すべきだが、例え苦手な科目でも一夜漬けでも本気でやればどうにかなるだろう。バスケだって夢中になれば一日でいろいろな技を習得できた。
 反対に赤司っちは自分の発言を少なからず後悔しているようだ。額に右手を当てて溜息を零している恋人に向かって、
「平均取れば一日好きにできるのかぁ」
 とわざとらしく呟くと、俯きつつもびくりと反応する姿が愛しい。
「き……黄瀬、やっぱり九十点以上を取ったらに」
「だーめだって。観念して、赤司っち」
 さてと、勉強しようかな。


いつの間にかこんな時間/2012.11.15
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