01

 テツの才能を見出したのが赤司だという事実は帝光バスケットボール部内ではなかなか有名な話だが、オレの才能を認め、採用してくれたのも紛れもなくあいつだった。きっと周りはそう思ってはいないだろう。けれど実際、今でもこのプレーを貫いていられるのは赤司のおかげだと言っても過言ではない。

「あーっ! 今絶対いけると思ったのに! なんでそんな速く動けるんスか!?」
「お前が遅すぎんだよ、バァカ」
 バスケットコートが設置されている公園で久しぶりに黄瀬とワンオンワンをやったが結果は見ての通りだ。オレがシュートを決めると悔しそうに地団太を踏んでいる。とは言えオレだってこいつを相手に手を抜くことはできないし、余裕ぶって笑ってはみるものの正直黄瀬の成長スピードは侮れない。
 インターハイの舞台以来、黄瀬はワンオンワンでオレのコピーをする気は更々ないようだった。しかしもう一度自分の鏡とやってみたいという気持ちは強く、理由を聞いてみたものの「疲れるから」「本番で一回使うのが精一杯」「あんたのゾーンみたいに簡単にできたら苦労はない」とのこと。まぁ確かにオレの真似なんて相当な体力を要するのだろう。でもゾーンは簡単にできねえっつうの。
 仕方がないのでその要求は取り下げワンオンワンには付き合ってやっているが、このままじゃあオレに勝てる日は来ねえだろうな、とは言っておいた。それで納得したようには見えなかったが。
「つーかお前、部活はいいのかよ。こんなところで油売っててまたあの主将にケツ蹴られても知らねーぞ」
 Tシャツの襟元を引っ張って汗を拭いながらそう言うと、地面に転がったボールを拾い上げ、黄瀬はへらりと笑った。
「今日は決勝開始の三十分前に現地集合だから、暫く暇なんスよ……っと」
 言い終えると同時に放たれたボールが、弧を描いてリングに吸い込まれていく。
「……それと、もう主将じゃないっス。笠松先輩は」
 ゴールを見上げて呟かれた一言はどこか寂しそうだった。そうだったな、と相槌を打つことしかできない。
 ウィンターカップの準決勝、海常は誠凛に敗れた。どうなることかと思ったけれど観客全員が息を呑むような試合だったことは間違いないだろう。うちと同じく頂点を目指した海常としては悔しくてたまらないだろうが、双方納得のいく試合運びだった為に黄瀬の表情も心なしかすっきりしているように見える。
「ていうか青峰っちこそ練習には出てるんスか?」
「あ? 気分が乗った日は出てるよ」
「なんスかそれ! だから黒子っち達に負けるんスよ!」
「うっせーな! もう一回やれば勝てるっての!」
「とか言ってまた火神っちに止められるんじゃないっスか」
「ぶっ殺すぞ黄瀬」
「わー! うそうそ! 嘘っス!」
 黄瀬にとってあの先輩達がとても大きな存在であることは見てればわかる。三年が引退して落ち込んでるんじゃないかとほんの少し心配もしたが、まぁこのくらい元気なら平気か。
 話を変えようとしているのかもう一度ワンオンワンを申し込んでくるくらいだ。
「まだやんのかよ……」
「次! 次は絶対勝つっス!」
「お前それ毎回言ってるからな」
 何度負けても意気込んでそう宣言してくる様子には心底感心する。が、一戦目から一時間も経っていないというのに既に十回以上は勝負したのだ。もう充分だろう。
 今日は終わり、と告げれば案の定文句の嵐。オレとしてはさっさと会場に行きたい(というか早めに行かないとさつきにどやされる)から、ボールを拾って公園の出口へと向かった。するといい加減こいつも諦めたらしく、愚痴を零しながらも後ろからついてくる。
「あーあ、また青峰っちに勝てないまま勝手に終わらされたっス」
「だから何度やってもオレには勝てねえっつってんだろ」
 指先でボールを回しつつ適当に返事する。黄瀬は未だに不満そうな態度をとっているが、ふと思い付いたようにこう尋ねてきた。
「青峰っちって、ワンオンワンで負けたことあるんスか?」
 唐突な質問に、不覚にも一瞬手が止まった。
「お前がオレに勝ったためしがあるか?」
「オレじゃなくて!」
 興味津津と目を輝かせ返答を待っているようだ。
 こいつの口からそんなことを聞かれたのは初めてだった。けれどあれだけ長い時間共にバスケをしてきて、ワンオンワンでオレに勝利することをこだわっている黄瀬が、一度も疑問に思わない方がおかしな話なのかもしれない。
 そしてオレはと言えば、答える必要はないと思っていたはずが何故かボールを回す手を止めてあの頃を思い出してしまっていた。多分、決勝であいつが出てくる、それが原因だ。秀徳が敗退した時から頭の片隅でその声が響いているのは、試合する姿をこの目で見たのが久々だったからだろう。
「あ、公式戦で火神っちに負けた試合は抜きっスよ? オレみたいにワンオンワンを挑んで勝った奴とか……やっぱいないっスかね」
 べらべらと喋っている黄瀬を横目で見やれば、当たり前のようにそう自己完結していた。それならそれで構わない。けれど何を思ったか、その時のオレは随分と思考が緩かったらしいのだ。
 溜息をつき、黄瀬から視線を逸らせば自然と口が動いていた。
「いるよ。一人だけな」
 たったそれだけのカミングアウトに口を閉ざして目を丸くする黄瀬の反応は、どこまでも予想通りだった。その様子にオレは内心で苦笑し、記憶の奥底に眠っていたあの一日に思いを馳せる。
「あいつには、勝てなかった」
 それはオレが帝光に入学してちょうど三週間が経過した金曜のことだ。不思議なくらいに、よく覚えている。
 あの金色の両目を。



 物心がつく前からボールには触れていた。するとお前にはバスケの才能があると両親に喜ばれた。おかげで小学校低学年の頃にはパスもドリブルも勿論シュートも習得し、十歳にもなれば独自のフォームが自分にはあった。――いや、違うか。独自のフォームなんて大層なものじゃない。ただバスケにおいて重要なフォームを無視するようになったオレは、帝光に入って監督から「そのままじゃ駄目だ」と、初めて自分のバスケを否定された。
「んなこと言われたってわかんねえよ……何が駄目なんだっつーの」
 今日も練習の大半が体力づくりでボールにすら充分に触らせてくれない。本当、ここのバスケ部は強豪だと聞いて胸が高鳴っていた春休みを返せ。ろくに試合もできねえじゃねえか。
 その原因が二軍にいるからだと気付くのにそう時間は要さなかったが、あの監督はオレを一軍に上がらせる気が全くと言っていいほどなかった。周りの新入部員もみんな二軍だったら納得する。でももう既に四人の一年が一軍入りしていて、なんでオレは入れないのだろうか。才能があると周囲に囃し立てられたのは嘘だったのか?
「クソッ……オレの方があんなインテリ眼鏡とか巨人兵より上手いに決まってんのに」
 一週間前に一軍へと上がっていった名も知らぬ同級生に八つ当たりをするなんて情けないとは思うが、それでも自分の方が上手いと胸を張って言える自信はあった。だからこそ上に行けない自分に苛々する。
「おい、一年。今日の練習は終わりだ。ボール片付けて床も掃除しておけよ」
 二軍以下がこうやって先輩から雑用扱いされるのは当然だった。これがタテシャカイだとか日本という国はつくづく面倒臭い。
 もう慣れたやりとりに返事をして他の一年と言われた通りに行動していれば、その間にも先輩達は次々と体育館を後にしていった。
 そして三十分が経ち片付けを終えると、同じように更衣室へと向かっていく同級生の姿。
「終わった終わった」「早く帰ろうぜ」「帰りにマジバ寄っていかね?」
 だらだらと話しながら去っていくそいつらを視界の端で捉えつつ、オレはいつも持ち歩いている自分のボールを鞄から取り出す。それから誰も居ないことを確認し、たった一人での特訓は開始されるのだ。
 広いコートの中心に立って試合の光景を思い浮かべる。敵も味方もいないが、目を瞑れば大体のシチュエーションは想定できた。
 ふう、と一つ息をつき、足腰に必要な分だけ力を込めた。その後ドリブルで一人、二人と抜くところまではいつも通りだ。しかし問題はここ、三人目がオレを止めに来る。ゴールはすぐそこだというのに三人抜きは正直厳しい。となると、オレは絶対に従来のフォームに沿ってプレーができなくなってしまう。
 パスを出せばいいのかもしれないが当然この場にはオレ一人しかいないし、その条件を抜いても既に全員にマークがついていたらどうする? オレがシュートするしかない、そう結論付けてしまえばあとは楽だった。
 上半身を大きく反らしてでも、ボード裏からでも、ぶん投げるようなシュートでも、オレがやれば必ず決まる。
――が、恐らくこれが良くないんだ。
 ボールを持つ度に監督の言葉が頭を過るけれど、何が駄目なのか、あの人は詳しく教えてくれない。でもまぁオレのプレーに問題があることくらいはわかる。多分この自由奔放なやり方が、帝光のチームワークには邪魔なんだろう。
 とは言え理屈ではわかっていても昔からの自分の癖をそう簡単に治すことはできなかった。こうやって部活終了後に何時間も練習を積み重ねているが、依然として成果は出ないままだ。
 点が入ればなんでもいいだろ、と嫌になるほど考えた。でも一刻も早く一軍に上がるには、上手い奴と試合をするには、強い敵と戦うには、こんな子供染みた我儘をいつまでも貫くわけにはいかないらしい。
「もっとチームを意識しねえと……」
 そう呟いて前を見据え、もう一回だ、とドリブルを突こうとした――その時。
「おい!」
 いきなり背後から声が聞こえてびくりと肩が跳ねた。
 しかし勢いよく振り返り、思い切り顔を顰めることになる。体育館の出入り口のところに立っていたのはあいつだ。あいつって、あの、えーと、名前は知らん。
「こんな時間まで何をやっているのだよ」
 出たなインテリ眼鏡。
「何って……練習に決まってんだろ」
 見りゃわかるだろうにわざわざ聞いてくるからこういう奴は苦手だ。大体なんだよその口調。気になってしょうがねえ。
「部活動時間は終了したはずだ。今すぐ帰るのだよ」
「はぁ? なんで自習練しちゃいけねーんだよ。最終下校まではまだ時間あんだろ」
「オレは二軍の体育館を閉めてくるよう指示されたのだよ。練習なら近くの公園でもできるだろう」
「あーはいはい、一軍サマにとっては二軍の練習場所なんてどうでもいいんだよな」
 さすがにカチンと来て嫌味ったらしい言い方になってしまったが仕方がない。数回しか会話をしたことがないとは言え、オレとこいつが合わないのはわかりきったことだ。
 向こうも結構な短気らしく、あからさまに不快そうな顔で反論しようとしていた。けれどそれは別の声に遮られる。
「そんなに練習がしたいなら、一軍へ来たらどうだ?」
 インテリ眼鏡の声じゃない。透き通った声色は体育館によく響いたが、それが誰のものだか理解するのに時間がかかった。しかしオレが口を噤んでいると、緑色の髪をしたそいつの後ろから堂々と姿を現す。
 夕焼けにも劣らない真っ赤な髪色が、オレの視界に映えた。
「一軍の体育館を使え。許可を得ればいつでも開放できるぞ」
 腕を組んで随分と偉そうに言ってくる。が、あまりに唐突すぎて理解が追い付かない。
「な、何を言っているのだよ、赤司……」
「すまないが緑間、この場はオレに任せてくれないか? 鍵はオレが閉めておく」
「……あまり、余計なことはするなよ」
「ああ」
 おいおいちょっと待てよ、なんだお前ら。今の会話でオレが理解できたのはこいつらの名前が『アカシ』と『ミドリマ』だということだけだ。他はさっぱりわからない。
 オレが呆気にとられているうちにミドリマは踵を返してどこかへ行ってしまった。さっきまで自分に対してとても反抗的な態度をとっていたくせに、そいつの言うことはあっさりと聞くのか。
 確かに、威圧感はあるけれど。
「話は理解できたか?」
 いきなりそう問い掛けられてハッとなる。
 気付けば、アカシは歩みを進めて五メートル先くらいに立っていた。
「いや、理解も何も、そもそもオレ一軍じゃねえし」
 こいつが真っ先に一軍へ上がった同級生だとは耳に入っている。オレが二軍の選手であることくらい把握しているはずなのに、何を言ってるんだと眉を顰めた。当然ながら一軍の体育館は一軍の奴しか使えない。
 ところが至って真剣な表情で、「だから、」とアカシはこう続けた。

「一軍に来いと言ってるんだよ、青峰大輝」

 予想もしなかった一言に目を見開く。危うく手に持っていたボールが滑り落ちるところだった。
「は……はぁ!? 何言ってんだお前、そんなの無理に決まってんだろ! 監督じゃなければ主将でもねえ。そんな奴の指示で一軍になんて上がれるわけ、」
「主将はオレだ」
 あまりにふざけたことを言ってくるものだからつい怒鳴ってしまったが、それを物ともしない口振りに唖然とした。
 こいつは人の言葉を遮るのが得意らしい。理解の範疇を越えた発言に、オレは何を信じればいいのだろうか。
「な……なんだよ、一年で主将って……。この前まで三年が主将だったろ。笑わせてえのか?」
「学年が関係あるのか? 笑いたければ笑えばいい。でも何度も言わせるなよ、帝光バスケットボール部の主将はこのオレだ。そして以下は命令として受け取れ。お前はもう二軍じゃない。一軍の選手となって、明日からレギュラー入りしてもらう」
 わかったか、と鋭利な口調で告げられた。
 いやわかんねえよ。
「あのなぁ……お前は本当に主将なのかもしれねえけど、今の言葉だけで信じろっていう方が無理な話だ。第一、オレはまだお前のバスケを見たことがねえ。そんだけ自信満々ってことは相当強いんだろうな?」
 オレ自身は正直なところ主将が一年生だろうと構わない(というか興味が無い)。それで昇格テストも受けずに一軍に上がれるなんて願ったり叶ったりだ。でもその前に、こいつのプレーが知りたかった。強い奴なら従うとかそんな関係を築きたいわけではないが、唐突に命令などと言われても、素直にハイわかりましたと頷く気にはなれない。
 けれど様子を見る限りこいつは一癖も二癖もある人間らしい。どうくるだろうかと黙って返事を待っていると、アカシは顎に手を当てて少し考えるような素振りをした。それから「確かに、信頼を得るには実際にプレーするのが一番だな」と独り言を呟いている。
 そして口角を上げ、心底楽しそうな表情で言い放った。
「じゃあ、オレと勝負しようか」
 予想通りと言えばいいか、想定外と言えばいいか。しかし今度は驚かなかった。
「ワンオンワンで三本勝負だ。オレが勝ったらさっきの言葉通り、一軍入りしてもらうよ」
「ああ、いいぜ。で? オレが勝ったらどうすんだよ」
「面白いことを聞くね……オレが負けるなんて空からわたあめが落ちてこようと天と地が引っくり返ろうと地球に隕石が衝突しようとありえないから、考える必要はない」
 自信満々とかそんなレベルじゃない発言に、思わず笑いが零れる。そういう奴は嫌いじゃねえし、いくら一軍に行きたくとも吹っ掛けられた勝負には全力で勝ちに行くのが礼儀だろ?
 ダン、と右手でドリブルを突いた。
「上等だ」


――自分の実力を過信していたわけじゃない。相手を侮っていたわけでもない。
 なのになんでこんなあっさりと負けてしまったのか、オレは、理解できずにいる。
「だから言っただろう。オレが負けるなんてありえない、と」
 奥歯を噛み締めて俯くとこめかみから汗が流れた。それが床にぽたり、ぽたりと落ちていく様子をただ眺める。
 三本勝負、三本とも接戦にもならずオレはボールを奪われた。なんで。なんでだ。二軍でテストを行った時は先輩も含めて負けたことがなかったし、充分一軍の選手とも渡り合えると思った。それが自惚れだったのかもしれないが、オレは弱くないと、情けなくも胸中で繰り返す。
「なんで……」
 ぽつりと零れ落ちた一言はほぼ無意識だった。しかし向こうにも聞こえてしまったらしく、「まだわからないのか?」とアカシは言う。
 いっきに体力を消耗したこちらに対し、そいつは息一つ乱れていない様子で淡々と告げた。
「どうして自分のプレーをしない」
 その言葉を聞いて思わず顔を上げる。するとさっきまでの平然とした態度はどこへ行ったのやら、怒りに満ちた表情が目に入って言葉に詰まってしまった。
「ど……どうしてって……」
「お前、今何を考えてプレーした?」
 コロコロ質問を変えるな馬鹿。何から答えればいいのかわからなくなったが、特に返答を求めてはいなかったのかアカシはべらべらと喋り始めた。こいつのペースに合わせるのが心底面倒臭いと感じたのはその時が初めてだ。
「お前の得意不得意についてはおおよそ把握している。そっちが先にボールを持っていたんだから、どこからでも決められるシュート力があるならさっさと投げればよかっただろう。それとも本当にただ策がなかったのか、お前より身長もないオレのディフェンスがそんなに厄介だったか? たった一人のディフェンスで手こずるほど弱かったなんてオレも目が肥えたかな」
「てめ……黙ってりゃ好き勝手言いやがって、」
「じゃあ黙らずに何か言ったらどうだ。なんでチームを、周りの存在を意識した」
「ッ! それは……」
「それは?」
 まさかそこまで見透かされていると思わずに、続きが出てこない。確かにオレはさっきの勝負でとにかくチームを意識した。一対一だろうが関係無い。自分が独自に作り出したフォームではなく、決められた型に沿ってプレーしなければ帝光が求める理想の選手にはなれないと思った。
 けれど数秒の沈黙後、大きく溜息をついたアカシは呆れたように言う。
「はぁ……大方監督にお前の個人プレーを否定されたとかそんなところだろうが、それが何だ。自分がチームプレーを苦手としていることくらい気付いているだろう」
 こいつに隠し事をしてもすぐにバレるのはなんでだろう。言葉をかわしたのすら今日が初めてだというのに。
 オレはアカシの言葉に耳を傾け、その一言一句が心に響いていっていることを少なからず感じた。
「確かに監督はチームプレーを強く言っているが、お前の才能は周りに合わせていたら開花しない。自分のプレーを、自由にやれ。無理に変える必要はない」
 お前はそのままでいい。
 そう言われ、何か重たい枷がすぽんと外れたような気がした。口を閉ざして茫然としているオレに、アカシは口角を上げて話を続ける。もう怒ってはいないのだろうか。
「さっきはああ言ったが、オレはお前の強さを認めているよ。一軍に入って帝光バスケ部として活躍してほしい。それにチームに一人浮いてる奴がいようと、周りが合わせればいいだけの話だ」
「け……結局、周りが合わせるんじゃねえか」
「ああ、違う違う、言い方が悪かったな。エースにはみんな嫌でも付いてくるから心配することはないって言いたかったんだ」
「……は?」
 また急に別の単語が飛び出してきて反応に遅れる。今度はエース? 何の話だ、と言おうと思った矢先。
「帝光のエースになるのはお前だよ、青峰」
 しっかりと目を合わせて宣言され、根拠もないはずなのに異様な説得力に気圧された。そこまで断言されるとさすがに苦笑しかできない。
「おっまえは……なんでそんな自信満々にいろいろ言えんだっつーの……」
 予言者かよ、と頬を引き攣らせながら突っ込んでみる。何がおかしいのかアカシは笑っているが、返ってきたのは全く関係のない言葉だった。「もしもの話をしよう」そう言って、左手に持っていたボールをオレの前に差し出す。
「もしもお前がシュートを失敗しても、絶対にリバウンドを取れるセンターがいれば問題ない」
 左手を裏返しにし、重力に従って落ちそうになったボールをアカシは右手で受け取った。
「そして外した分は別のシューターが確実に決めて点を取ればいいな?」
 言いながらオレに向かってボールを投げてきたので、反射的にキャッチしてしまう。
「お前ほどの才能があればチームプレーなんて基本的にこの二つで充分だ。加えてパスコースが広がれば一人で突っ走ることもなくなるだろう」
 アカシが両手を前に出し、それがパスの合図のように見えたから今度は自分からアカシに向かって真っ直ぐにボールを放った。
 難しい話が苦手なオレでもよく理解できる。
 いつまでも上に行けないもどかしさが自分の自信を失わせていたことを、こいつは誰よりも、オレ自身よりも早く気付いていたらしい。間違ってもミスするかもしれないと怯えていたわけじゃない。が、自分のプレーが否定されたことに対しては、多少凹んでいたのだと思う。自分のことなのになかなかわからないもんだ。
「エースになる頃には、周りは自然と付いてくるさ。お前に憧れて入部届を持ってくる奴もいるかもしれないな。強い選手を見てバスケを始めたという人間は多い」
「は……ッ、まるでヒーローだな」
「なれると言ったら?」
「お前の言葉はなんか事実になりそうで怖ぇんだよ……」
「オレは嘘はつかないよ」
 そう断言してみせたアカシの両目は、窓から差し込んだ光が映ったかのように金色に輝いていた。
「――すべてに勝つオレは、すべて正しいからね」
 抑揚のない声。今までは随分自分の言葉に自信を持っている奴だと呆れ半分だったが、この一言だけはどこか雰囲気が違った。まるで自分自身に言い聞かせているような、そんな感じだ。上手くは言えないけれど。
 頭の中で、すべてに勝つオレは、という奇妙な一言を巡らせながら少しの間ぼんやりとしていると、アカシはオレの横を通って体育館の出口へ向かった。
「でもまぁ……さっきのはあくまで『もしもの話』だ。オレと同じチームである以上シュートのミスなど絶対に許されない、わかっているな?」
「本当に明日から一軍なのかよ」
「ああ、そうだ。不満か?」
「ちょっとだけな。オレと反りが合わなそうな奴ばっかじゃねえか」
 そう悪態をつきながら、脇に置いていた荷物を早足で取りに行った。汗は大分引いたもののTシャツはぐっしょりだ。家に帰ってシャワーを浴びたいとは思ったが、それよりも公園へ行ってもう少し練習しようと心に決める。幸いにもオレの家には門限というものがなかった。こいつに負けたままではいられない。
 そして体育館を後にし、鍵を閉めながら「他の一年で誰が一軍入りをしたか知ってるか?」と問い掛けられた。こうして見るとアカシは思っていたより身長が高くない。
「あー、確か……あのインテリ眼鏡と、巨人兵と、お前と……あとなんか髪が灰色の奴だろ」
「あははっ、誰の名前も覚えていないのか!」
 吹き出すように笑われて多少頭にくる。そんなことを言われても、一軍と二軍の関わりはほとんどないし最初の自己紹介なんてとっくのとうに忘れてしまった。うるせーな、と口を尖らせればアカシは笑いが収まらないうちに口を開く。
「この際だからちゃんと覚えておけ。インテリ眼鏡は緑間真太郎、ポジションはシューティングガード。巨人兵は紫原敦、センター。髪が灰色の奴は灰崎祥吾、スモールフォワードだ。あとまぁ先輩の名前くらいは知っておいた方がいいと思うが……とりあえずこのメンバーだけでも今すぐに暗記しろ」
「努力はする。そんでお前は?」
「え?」
「名前」
「ああ……オレは赤司征十郎。赤司でいい。ポジションはポイントガードだ、よろしく」
 体育館の鍵を職員室に返してから正門の方へと歩いていった。暗くなった辺りに生徒はオレ達二人しか居なく、他愛ない会話をしながら門を出る。「××駅から帰るのか?」「おう」「同じだな」「でも今日は公園でバスケするから先に帰っていいぜ」「わかったよ」おかしなことは何も言っていないはずなのに、赤司はくすくすと笑っている。その様子にさっきまでの威圧感は見られず、普通にしていれば話しやすいのになあ、そう思った。
 帝光は私立中学である為に電車通学がほとんどだ。近くのコンビニを過ぎてマジバの前を通ると、掃除を終えて駄弁っていた例の同級生達が中に居るのが見えた。あいつらと今後一切共に練習をすることはないのだろう。一軍と二軍の差はそのくらいに大きい。
「なぁ、赤司。なんでオレを一軍に入れようと思ったんだよ」
 ふと気付いたらそんなことを口走っていた。赤司は少し驚いたような顔をする。
「さっき散々説明しただろう? お前の強さを認めている、一軍に入って活躍してほしいと」
「それはわかった。でも、なんつーかやっぱ、その、緑間? とか、むら……紫……ええっと……」
「紫原」
「あっ、そうそう。紫原とかと、上手くやっていける自信ねえっつーか……」
 頭を掻きながらぽつりと呟いた弱音は自分でも情けないと思ったが、紛れもなく本当のことだった。もちろん一軍には入りたいし、頂点を目指したいとも思ってる。けれどこの悩み多き時期において対人関係というのは軽視できない。
 信号が赤になったので立ち止まったところで、赤司は答えを考えているようだった。
「まぁ、確かに最初は苦労するかもしれないな。紫原なんて特に何を考えているのかわからない。でもお前なら案外すぐに溶け込めるんじゃないか? とりあえずバスケに対する考えは帝光にぴったりだ」
「……オレあんまり考えてバスケしてねえけど」
 頭を使うのが苦手だからフォーム通りのプレーができないんだ。バスケに対する考え、などと言われても困る。
 それでも赤司は笑っていた。
「負けるの、嫌いだろう?」
「そりゃあな」
「じゃあ充分だ」
 敗北が好きな奴なんて居るわけねえだろとは思ったが、満足そうに納得しているので口にはしなかった。
「不安なら飴とかチョコレートとか、なんでもいいからお菓子を持ち歩いていろ」
 いきなり意味のわからないことを言ってくるものだから「はぁ?」と思わず間抜けな声が零れる。すると「そうすれば紫原とは一瞬でお友達だ」と続けられたが、お菓子ってなんだ。そんなんでいいのか。
「あと、おは朝はわかるか?」
「あー……あのなんか変な占いやってる番組か」
「そう。朝、それを見てこい。かに座と自分の星座の相性が良ければ緑間とも仲良くなれる。悪ければ話しかけない方がいいがな。灰崎は……あれは適当につるんでればなんとかなるだろう」
「最後だけ随分大雑把だな」
「オレは色事には興味がないんだ」
 ああ、なるほどね。そういう理由なら一番話が合うのは灰崎かもしれない。他が謎すぎる。
 一軍のメンバーについて少し知れたはいいが、相変わらず上手くやっていけるかどうかには自信がなかった。しかしそうこうしているうちにも目的地の公園まで辿り着いてしまう。
「明日は朝六時半に体育館集合だ。午前は体力づくりを兼ねた基礎トレーニング、午後はお前のプレーを一軍の皆に見せる為にミニゲームをやる。ここで自主練習をするのは構わないが、限度を考えること。遅刻はするなよ」
 一息にそう言われ、ああ、と返事をした。
「じゃあ、また明日」「おう、じゃーな」
 軽く右手を上げて別れる。
 オレに背を向けた瞬間、また赤司の両目が視界を掠めた。体育館に居た時は日の光のせいで黄金色に見えたのかもしれないと思っていたが、こんな暗闇の中でも、その両眼は熟したレモンを丸ごと埋めたかのように輝きを放っていた。
 とにかくそれが印象的で、忘れられなかった。


 翌朝、起床してすぐにテレビをつけた。母親が起きてこなかったので勝手にパンを焼いて、バターを塗って、頬張りながらおは朝のチャンネルに回す。久しぶりにニュース番組を見てみたらクローンの実験が順調に進んでいるだとか増税論議が絶えないだとか株価がなんちゃらかんちゃら、難しい話が多くて驚くほどつまらなかった。
 しかしニュースが終わって占いコーナーに画面が切り替わり、寝かけていた頭が少しだけ冷める。確か蟹座と自分の星座の相性だよな、と昨日言われたことを振り返りながら蟹座の番を待っていると。
『残念! 蟹座のあなたは本日最下位です!』
 まじかよ。よくわかんねえけど最下位ってダメだろ。
 パンを食べ終え、コップに注いだ牛乳を飲みながら続きに耳を傾ける。
『けれどそんなあなたは本日乙女座との相性がバッチリ! ラッキーアイテム、三十センチ以上のイノシシのぬいぐるみで運気上昇も間違いなし!』
「ラッキーアイテムおかしくね……?」
 ていうか乙女座ってオレじゃねーか。この結果で緑間との何が変わるのかはわからないが、一応相性最悪とか出なくてよかった。飲み干したコップをシンクに置いて着替えや歯磨きを済ませ、そして家を出る前に机の隅に置いてあった飴を二、三個ポケットに詰める。
 すると登校直後の早朝六時十二分、その成果はすぐに出た。
「ねー、お菓子持ってない?」
 ちょっと早く来すぎたかと思ったら後ろからいきなりそう声をかけられてびっくりする。振り返ると、オレより背の高い奴が覇気のない様子で突っ立っていた。
 一瞬理解に手間取ったが、こいつ確か紫原だよな。そう思ってポケットに入れていたイチゴ味の飴を、「ほら」とあげてみる。
「えっ、くれんの?」
「お、おう……」
「わー、まじで! 峰ちんありがと〜、いただきまーす」
 オレの手から飴を取ってぱくりと一口。
「峰ちん……?」
 初めて聞いたあだ名(でいいのか?)に首を傾げれば、紫原はころころと飴を舐めながら笑った。
「青峰大輝でしょ? だから峰ちん。赤ちんがね、前からスカウトしたがってたんだよー」
 その赤ちんというのは赤司のことで合っているのだろうか。それにしても改めて見るとでかい。オレも中学男子にしては大きい方だけどこんなの比じゃねえ。何センチあるんだろうと見上げていたところで、今度は別の声が聞こえてきた。
「コートでお菓子を食べるのはやめろと何度言えばわかるのだよ、紫原」
 インテリ……じゃない、緑間のご登場だ。が、右手に抱えている人形に目が止まる。
「ミドチンこそそうやって意味わかんないもん持ってくるのいい加減やめたら〜?」
 おお、そうだ、もっと言ってやれ紫原。これはラッキーアイテムなのだよ! とか憤慨してるけど特大のイノシシ人形を持って登校してくる奴なんか全国探してもお前しかいねえよ。
 予想通り、オレと目が合うなり眉を顰めて心底嫌そうな顔をされた。しかしまた何か文句を言われるのだろうと思ったものの、その険しい表情のまま聞かれたのは。
「お前、何座なのだよ」
「……乙女座だけど……」
 本当にこんなんで仲良くなれるのか不思議でしょうがないが、オレの答えを聞いて緑間の目が一瞬輝いたような気がする。そして緑間の方から少しだけバスケの話を持ちかけられ、なんとなく会話は弾んだ。
 六時二十分になって姿を現した灰崎は特に変な奴ではなかった。それは同時に関わるきっかけを掴めないということでもあったが、鞄からちらりとグラビア雑誌が見え、尚且つそれがオレの大好きなマイちゃんの号だったので、ちらっと話しかけてみたらそういった方面で簡単に盛り上がった。
 なんだ、案外楽勝じゃねえか。
 六時二十五分、ファイルを持って体育館に現れた赤司が真っ先にオレの元にやって来る。土曜日の最初は二軍や三軍もこの体育館に集まる為、人口密度はやたらと高かった。
「どうだ? 一軍は」
 赤司に話しかけられたことによって二軍からの視線が痛い。いや、紫原や緑間と会話していた時点で注目は浴びていただろう。
「どうもこうもやっぱり変な奴ばっかだよ。お菓子持ってりゃ友達ってマジだったんだな」
「はは、言っただろう? オレは嘘はつかないって」
 ジャージを脱いで畳みながら赤司は笑った。それが練習開始の合図であり、だらだらと喋っていた二軍や三軍もいつの間にやらきっちりと整列している。こいつが主将かどうかなんて今更疑いようもなかった。寧ろ今まで知らなかったオレが情報に疎すぎたらしい。
 赤司の口から自分の一軍昇格とレギュラー入りについての説明がされ、練習が始まった頃には昨日までの不安はほぼ拭えていた。しかし同時に、何かが引っ掛かる。
 ランニングを終えて腹筋、背筋等の基礎トレーニング中に生じた少しの違和感。「しっかりやれ」「手を抜くな」などと三軍に指示を出している赤司の方を見やって眉を顰める。いくら見ても特別変わったことなんてない――そう思った瞬間、赤司と視線が交わった。
(あ、れ……?)
 気付かなければよかったと、あとで悔やむことになるとは知る由もない。ただその瞳に釘付けになっていた。一瞬で昨日の出来事がフラッシュバックし、自分の記憶と目の前の色素を疑う。

――あいつの目って、あんなに赤かったか?


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2012.08.23
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