彼の興味のあるものはお菓子だけかと思っていたがどうやらそんなことはないらしい。
「そういえば昨日、また告白されてたねー」
 出会って以来、初めてアツシの口から告白だなんて言葉を聞いた時はそれはそれは驚いた。愛だの恋だの日本に来てからそういった単語をめっきり耳にしなくなったなとは思っていたが、環境が環境だからそれは仕方のないことなんだろうと割り切っていた。バスケを毛嫌いしているアツシでさえ恋愛相談よりはバスケの話をすることの方が多いくらいだ。寧ろ前者は一度もない気がする。
 オレ自身も向こうに居た時はそれなりに恋愛経験を積んだものだった。が、陽泉に入って自分からは全く行動を起こさなくなったし、そもそもそんなことに現を抜かしている暇はない。今のバスケに支えられた生活を大切にしたいと、そう思えば思うほど、放課後にとても緊張した様子でオレを呼び出した女生徒を振ってしまうことに対し罪悪感は薄れていった。バスケの事情を抜きにしても男として悪い傾向だとは思う。
「ああ……うん、見てたのか」
 一日前の出来事を思い出しながら簡潔に答える。アツシに見られていたとは知らなかった。
「だってあそこ渡り廊下から丸見えだよ」
「恥ずかしいな」
「室ちん速攻で断ったくせにー」
 ちょっと待てそういうことを大声で言うな。と思ったが、ちらりと周囲を見ても例の女生徒はこの場に居ないようだからいいとしよう。誰が誰に告白したという噂が流れ挙句本人の耳にでも入ったら面倒だ。
 四限が終わり昼休み、購買でパンと紅茶を買ってから食堂の一番右側の席に座ったところだった。ここのパンは美味しい。そしてたまたま廊下で会ったアツシは向かいに腰を下ろし、普段と変わらずお菓子を頬張っている。彼にとってどれが主食なのか、オレにはわからない。
「同級生から?」
「いや、多分後輩じゃないかな。敬語だったし。見たことある顔じゃなかった?」
「さぁ……クラスメイトではなかったと思うけど」
 目を逸らして心底興味を示していない表情。こういう類で珍しくアツシの方から質問されたものの、いざ返答をしてみればこの反応だ。初めて言葉を交わしてから既に半年が経つにもかかわらず、彼の口から異性の名を聞いたことはほとんどない。
 だというのに「ていうか室ちん、告白された相手の名前とか覚えてないんだねー」などと痛いところをついてくる。特に他意はないんだろうがなかなか厳しい一言だ。
「悪いとは思ってるんだけどね、正直いちいち覚えていられないんだ」
 苦笑しつつ素直にそう自白してみたが、案の定にべもない相槌しか返ってこなかった。これと全く同じ台詞をクラスの男子に言うと嫌味ったらしく聞こえてしまうようで振りかかるのは文句の嵐だけれど、アツシはそんなリアクションは絶対にとらない。自分に関してさえ恋心というものとは縁がないみたいだから、他人の実情なんて関心の埒外もいいところなのだろう。
 今回の件についてそれ以上アツシから言葉はなかった。オレも口を閉ざし、甘口のカレーパンを食べながら彼の方を見やる。その時、ほんの少しの違和感を覚えたのだ。最初はそれが何だかわからなかったが、頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めている様子に、思ったことをそのまま口にしてみる。
「――アツシ、何か悩んでいるのか?」
 すると彼は一瞬驚いたような顔をしてオレの方に目を向けた。
「……そう見えたー?」
「お菓子を食べる手が止まってるから、変だなって」
 悩みがあるなら聞くよ、と続ける。けれどアツシは返答を濁し、右手に握られたまいう棒をぱくりと一口食べるだけだった。
 彼は一度気を許した人間には割と素直に物を言う。だからオレの質問が外れていたなら、「違うよ」と簡潔な答えが返ってくるはずだろう。それが無いということは何かしら悩んでいるで当たりだろうけれど、多分、見たところバスケの話じゃあなさそうだ。もしそうだったらすぐオレに聞いてくるし、何より日常においてバスケの優先順位が彼の食欲より上にいくことはまずない。
 アツシがお菓子を食べるのを放棄してしまうほどの悩める出来事とは一体何だろうか。いろいろと思考を巡らせてはみるがなかなか思い付かず、あまり余計な詮索はしない方がいいかもしれないと結論付けた時。
「京都ってさー……どんくらい遠いのかな」
 視線を落とし、小さな声でぽつりと呟かれた一言。パンを食べる手を止めた。
「京都? オレは行ったことないからよく知らないが……確か西日本までなら新幹線で六時間くらいじゃなかったか?」
「んー……そういうことじゃなくて、いやそうなんだけど……」
「京都に行きたいのか?」
 なんで急にそんなところへ、とは思ったけれど、きっと何か事情があるのだろうと続きを待った。するとアツシはいつもと変わらないゆったりとした口調でこう告げる。
「行きたいっていうか、会いたいんだよねー」
 そう言いながら、彼の右手にくしゃりと丸めたお菓子の袋が握られた。
 アツシが誰かに会いたいだなんて言うのを見たのはもちろん初めてだ。オレは少なからず驚いたが、この様子だとここ二、三日で思い立ったような話ではないらしい。多分、自分自身でよく考えてのことだろう。
 向こうからこういった話題を持ちかけられるのはとても稀で、少しは相談相手になれればと思った。
「京都に大切な人がいるのかな。アツシがそう言うなんて珍しいじゃないか」
「まぁ、本当は……欲を言えば会いたいんじゃなくて会いにきてほしいんだけど、それは無理だろうから」
「距離的な問題で?」
「そう思うー?」
 それを聞き返すのか。意図があるのかないのかわからないが、数秒躊躇った後に「ちょっと思いづらいかな」と直感で言えば、当たりー、と間延びした返答がされた。
 アツシは望みを叶えるのを半ば諦めた、けれどそれでも諦めきれないといった顔をしていた。思わず、これ以上踏み込んでいいのか考えてしまう。
「あんまり聞かない方がいいなら、この話はやめようか」
 しかし答えが出なかったので結局本人に聞いてみると彼は再び目を逸らした。
「別にいーよ」
 ああこれはよくない方だろう、ただムキになっているだけだ。すぐにそう感じ取った。
「オレが行けばいい話なんだけどさー、行ったら行ったで追い返されそう」
「……随分辛辣な子だな?」
「あー……ほら、あれ、室ちん会ったことなかったっけ。洛山の主将」
 突然飛び出てきた単語に目を見開く。さすがにそれは予想していなかった。
 洛山高校と言えば京都にある強豪中の強豪じゃないか。この間のインターハイで試合はしたけれど、スタメンでなかった主将は確か見ていない。アツシと同じキセキの世代の一人だと、知識として知っている程度だ。
 いやそんなことより問題は彼の会いたいと願う人がその主将だったという点だろう。中学の時に仲が良かったから、くらいの理由で彼がここまで悩むと思うか。全く思えない。 「そういえば会ったことないな……」と顎に手を当てて思考を巡らす。
「まぁ、そのうち嫌でも会うことになると思うよ」
 赤司征十郎、その人をアツシがよく慕っていることにはなんとなく気付いていたが、それを決定的にさせたのがインターハイでの彼の指示だ。彼はアツシにただ一言、試合に出るなとのみ告げたらしい。もちろん他校の主将の命令なんて聞く方がおかしいだろうと陽泉の人間は一人残らずそう思った。ところがアツシは監督が叱っても断固として試合には出ようとせず、結局、会場にすら足を運ばずにインターハイは幕を閉じた。
 あの日以来アツシの口からも彼についての話は聞いたことがない。赤司征十郎という一人の人間が、遠く離れた今でも彼の精神の大半を占めているという事実が残っているだけで。
「……それで、会いには行かないのか?」
「室ちんオレの話聞いてた? 行ったところで歓迎されないんだって」
「でも彼本人がそう言っているわけじゃないんだろう」
「言われなくてもわかることなんてたくさんあるじゃん」
「そうやって意地を張るのはアツシの悪い癖だ。もしかしたら向こうだって会いたいと思っているかも、」
「室ちん」
 ……余程焦燥しているらしい。
 こちらの言葉を躊躇なく遮った様子を見て、ああこれは本気だ、と思う。言い過ぎたなと反省する気持ちはあったが、今のままで苦しむのはお前の方だろうとも内心考えた。普段は気に入らないことがあればすぐにきつい口調で悪態をつき、嬉しいことがあればとても穏やかな笑顔でその理由を喋るアツシが、どんな感情であれ抑え込もうとしているのだから相当だ。
「……ごめん。今のはオレが悪かった」
 食べ終えたパンの袋を畳みながら静かに告げる。別に、という素っ気ない返事は許してくれている証拠だろうけれど。
「気を悪くしたな。ただこんなアツシを見るのは初めてだったからちょっと面白くて」
「……こっちは真剣なんだけどー」
「じゃあ真剣ついでに電話でも掛けてみたらどうだ? それなら向こうも迷惑にはならないだろう。ほら、今ちょうど昼食の時間だし」
 壁にかかった時計を指差して提案してみるとアツシは怪訝そうな表情でオレの方を見た。何か企んでいるのではと疑っているのだろうが、オレだってそこまで嫌な人間じゃあない。本当にそう思い立っただけだ。
 数分の沈黙、大分悩んでいるようだった。電話一つでそれだけ迷う心が生まれるとは。最初は想定外の話題に少し身構えもしたけれど、アツシが彼に向ける想いはオレが考えているほど簡単なものではないのかもしれない。勝手に解釈しては悪いと思う。だがきっと、想いが軽くないのであれば尚更、それは京都に居る彼のところへも伝わらないはずがない。
 元々アメリカでは世間一般の恋愛対象がやたらと幅広かった為に男同士だとかそういった方面に偏見はなく、寧ろうじうじと悩むくらいならケリをつけてこいと一喝したいほどだった。
 そんな風に思案しながらパックの紅茶を飲み終え、一定の間隔で進み行く秒針に視線を向けていると。
「番号、変わってないといいなあ」
 独り言だろう。小さく小さく呟いてズボンの右ポケットから携帯を取り出している。
 そのまま通話口を耳に当てて席を立ち、窓際に向かう背中をオレは黙って見ていた。どうやら会話を聞かれたくないらしい。目の前に空席ができ、そこで漸く周囲の喧騒が気になり始める。
 昼食と言えば開放されている中庭や屋上を利用する生徒が多い。そういえばアツシも(お菓子だけを食べていると食堂のおばちゃんに叱られるので)オレとは違い滅多にここでは食べないことを思い出した。じゃあなんで今日に限って自分の向かいに座ったのか考え、ああ、と二秒も経たずに閃く。

(……赤司征十郎君、か……)

 アツシがわざわざオレに相談しようと行動に移したほど彼を悩ませる人間とは、一体どれほどの者なんだろう。
 まだ応答はないようで、静かに深呼吸をしている後ろ姿が目につく。恐らく一秒がとても長く感じているに違いない。久しく声を聞いていないからか、ちょっと強張っている様子が携帯電話を持つ反対の手で自身のカーディガンを柔く握っている指先から見て取れた。
 そして五秒後、「あっ、赤ちん? ひさしぶり、」と嬉しさと緊張が綯い交ぜになっているアツシの声が耳に入り思わず笑みが零れたことは、内緒にしておこう。


遠距離友愛/2012.10.05
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