毎日設定しているノルマがある。その日のコンディション、前日の出来具合、先に控えた試合での目標、全てを踏まえて計算し、自分に課すものだ。赤司に指示されたノルマをこなして更にそれ以上の練習をするのだからきつくないわけがないが、これをしなければ落ち着いて眠ることもできない。
 解散の一言を主将の口から聞き、自分のノルマを達成する為に時間を費やすのはそれからだった。もちろん他にも残って練習する選手は多くいる。が、大抵はオレより早く体育館を出て行く。
 また一人、お疲れ、と自分に声をかけて去っていく足音を耳にしながらバスケットボールを手にした。そのままハーフラインの位置に立ち狙いを定め、コンマ八秒溜めてから放つ。きっちりとテーピングを巻いた左手から離れたそれが弧を描くように飛び、音も立てずにリングへ吸い込まれていった。まずまずといったところだ。
(七十八本目……)
 心の中で着実に増えていく数値はノルマ達成の為のデータだった。
 自分一人しか居ない体育館で息をつき、床に落ちていた別のボールを先ほどと同じようにシュートする。しかし今度は斜め左の位置、飛距離を計算して溜めは長くした。
 シュートは勿論落ちなかったものの僅かにネットを掠った音。これじゃあ駄目だ。そう思いつつもゴールはゴールに変わりないので、一応カウントしておく。そしてさっさと残りの二十一本を済ませてしまおうと更にもう一本を決め――リングをくぐったボールが床に落ち、とん、とん、と弾む音が響くのと、後ろから拍手する音が聞こえてきたのはほぼ同時だった。
「お見事」
 振り返れば、満足そうな顔で体育館の出入り口に立っている赤司の姿が。
「百発百中だな」
「……八十発八十中だ」
「はは、そうかい」
 軽く笑ってこちらへ歩んでくる赤司は制服に着替えていて、もう帰るところだったのだろう。脇に全て片付けられた荷物が置いてある。
「練習熱心なのは結構だけど、いい加減体育館を閉めないと俺が怒られてしまうよ」
「鍵を渡してくれればオレが閉めておくのだよ」
「駄目だ。そんなことを頼んだらお前、ここに寝泊まりでもしそうじゃないか」
「さすがに泊まりはしないのだよ……」
 そんな風に見えていたなんて心外だ。オレはノルマを達成すればすぐに帰るし、ただ今日は青峰と黄瀬のワンオンワンの為にコートを貸していたら始めるのが遅くなってしまったのだ。その為にこんな時間となってしまったから赤司が見にきたのだろう。もう辺りは真っ暗だった。
「百本決めるまで帰らないつもり?」
 オレとの距離が約一メートルのところまで来ると、赤司はオレを見上げてそう尋ねる。ああ、と答えるしかなかった。すると呆れ混じりの笑顔で「先生に何て言い訳しようか」と言われたが、別にこのバスケ部の為なら体育館の開放など教師の誰一人として厭わないことを、赤司も知っているはずだ。
「先に帰っていろ。教師に何か言われたらオレが謝っておく」
「そういう責任は全部主将の俺に降りかかるんだけどな」
「…………」
「でもまぁ練習の邪魔をするのは気が引けるし、続けていいよ。ただし残り二十本終わったらすぐに帰る。目安は……そうだな、緑間なら五分で出来るか? 俺は見学させてもらうとするよ」
「ご、五分って」
「可能だろう?」
 出た。この有無を言わせない笑顔。ここまで来て漸く赤司が腹を立てていることに気付いた。大方オレが帰れという命令に背いたのが気に喰わなかったのだろうが、だからってその条件はどうなんだ。
 五分で二十本、単純に考えて十五秒に一本。確かに不可能な話ではないとは言え、一本たりとも失敗は許されないし休憩する時間さえ無い。しかも本日の自分のノルマは『ハーフラインからシュートを百本決める』だ。正直休憩無しでロングレンジシュートを二十本連続、腕力がもつか不安だった。
「ほら、タイムは俺が計ってあげるから」
 ――が、そうも言っていられないようだ。



 八十四本目のシュートを決めたところで、「あと四分」と赤司の声。体育館の脇に並んでいるベンチに腰を下ろし、その右手にはストップウォッチが握られている。随分と楽しそうににこにことしているが、あれはすこぶる機嫌の悪い時に見せる表情だ。大人しく言うことを聞いておくべきだったかと今更後悔する。
 頭の中ではそんなことを考えつつも手を休めるわけにはいかない。黙々とシュートを続ける中、まだ一本も外してはいないし外すつもりもないが、赤司のこの視線は自分の集中力を奪うだけだなと思った。あいつの目力の強さには誰にも敵わないのだ。
「緑間」
 不意に名を呼ばれ、何なのだよ、と返事をすると同時に八十五投目。
「そういえば今日、ペルセウス座流星群が活動するんだって」
 広い体育館でも聞こえるようにか少し声を張り上げて言われた話は唐突なものだった。練習中に雑談は嫌う赤司が珍しい。と言っても今はあいつは見学しているのだから関係ないのかもしれない。
「確かその流星群は一週間前から活動し始めてなかったか?」
 転がったボールを拾ってドリブル、溜め、シュートを繰り返す。八十六本目を決めた後も、プレーをしながら赤司の言葉に耳を傾けた。
「今夜が最大なんだってさ。数時間後には夜空に流れ星が見えるかもしれないね」
「この狭い東京の空では無理だと思うのだよ」
「ロマンがないなあ、緑間は……。帰る時に見えたら素敵じゃないか。あと三分だよ」
「こんな追い詰められた状況でそんなことが考えられるか」
「そうかい? シュートの正確性はどんどん上がっていってる。俺が傍に居た方が捗るんじゃない?」
 馬鹿なことを言わないでくれ。お前の存在はいろいろな意味で心臓に悪いんだ。
 九十本目をシュートしたところで汗を拭う。さすがにだんだんと腕に疲労が見え、無駄口を叩いていたせいで少し息苦しくも感じた。まずい。ここで集中力を切らすわけにはいかないし、残り十本、的確に決めなければオレはきっと安眠できない。
 決してフォームを崩すことなくその先も続けるが、左手の調子は悪くなかった。このまま順調に決めていくだけだ。
「流れ星ってさ、何かに似てると思わないか?」
 しかし今度は何を言い出すつもりなのか。赤司の一言一句に振り回されそうになっている自分を認めたくなかったので黙って続きを待った。
 するとリングの中へ落ちてベンチまで転がっていったボールを拾い、くるくると指先で回しながら赤司は言う。
「お前のシュートの軌道に似てるよ」
 予想外の発言に、ほんの一瞬手が止まった。
「そりゃあ……その原理でいったら半円を描くものは全てそう見えるだろうな」
「あれ、意外。落下地点が決まってない流れ星なんかと一緒にするなって言われるかと思ったんだけど」
 心底驚いたような口振りだ。オレはそこまで捻くれた性格はしていないのだよ、と呆れれば、目を伏せて「あと一分」と返事が来る。まるで時限爆弾のようだが、これも残すところあと四本。
「緑間は流れ星に向かって願い事を三回唱えたこと、ある?」
「無いのだよ。赤司は?」
「俺も無いな」
「そもそもあの速さで三回なんて無理に決まっているのだよ」
 眼鏡のブリッジ部分を一度持ち上げてから九十八本目を投げた。シュッ、と揺らぐことなく入っていく様子が映る視界の端で、足を組みかえた赤司と目が合う。何故だか一瞬どきりとした。が、視線が交わっただけで心臓が高鳴るなどという現象の名前をオレはわかりたくない。
「でも緑間のロングレンジシュートだったら三回唱えられるな。やってみようか」
「……好きにするのだよ」
 そう答えて九十九投目、ゴールの真正面からボールを放つ。
 数秒間空中に浮いた後、それはぶれずにリングの中心へ落ちていった。腕は大分限界に達しつつあるが五分以内には終わりそうだし、あとでちゃんとケアをすれば大丈夫だろう。
「やっぱりお前のシュートの滞空時間はすごいな……」
 相手チームにプレッシャーを与えるには充分だ、と感心している。
「何か願い事は唱えたのか?」
「ああ、うん。唱えたよ」
「そうか」
「教えてほしい?」
「そんなこと誰も頼んでいないのだよ」
 最後の一投。膝を曲げて胸のあたりで溜めの姿勢をとり、狙った着地点を目がけて慎重に、且つ勢いよく腕を伸ばす。
「まぁまぁそう言わずにさ」
 しかしオレは忘れていたのだ。今、赤司はとても機嫌が悪いのだと。確かに練習の邪魔をするつもりはないのだろうが、一筋縄にノルマを達成させてくれるような奴じゃあなかっただろう。
「俺の願い事は――」
 手からボールが放たれる瞬間、赤司の口から聞こえてきた一言。

「お前がいい加減、俺のこと好きだと認めますように、って」

 指先がぴくりと反応し、しまった、と思う頃にはシュートの軌道がほんの数ミリずれていることに気付いた。
 僅かにふらついたボールを目で追う。たった数秒がとてもとても長い時間に思えた。だが結果は見えていて、案の定、リングに弾かれたボールが床に落ちる。
 それと同じタイミングで、赤司のストップウォッチから無残にも機械音が鳴り響いた。
(……さ……最悪だ……)
 百本目で失敗した。最後の最後で。あと一本だったのに。今日はおは朝も一位だったのに。最悪だ……。いや違う。そうだけどそうじゃない。問題なのは願い事の方だろう。赤司は今何を言っていた? オレが? 赤司のことを? 認める? 何を? 落ち着こう。落ち着くのだよ。
「今のじゃブザービーターは任せられないぞ? 緑間」
 暫く放心していたが、その一言にハッとなる。横を向くと、ベンチから立ち上がった赤司が口角を上げてこちらを見ていた。
 頭の中はすっかり混乱していて、目眩がしそうだ。
「百発九十九中、だったな」
 薄い唇が魅せるその笑顔に、確かに惹かれているのかもしれない。それでも視線が交わっただけで心臓が高鳴るなどという現象の名前を、オレはわかりたくなかった。


シューティングスター、君によく似た人を好きになったんだ/2012.08.02
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