赤司君は全部全部そつなくこなす人だ。バスケはもちろんのこと、それ以外のスポーツも勉強も完璧。対人関係だって悪くない。あまりに目立ちすぎて同級生や先輩から良く思われていない場合もあるにはあるが、的を得た発言は少なからず相手のためになり、なんだかんだ彼の指示に従わない者はいなかった。
 つまるところ、彼には欠点がないんだ。私が選手のデータを集めようといくら観察してもマイナス面が恐ろしいほどに見つからない。練習中、やっとのことで発見した弱点でさえ一言言えばすぐに直るし、プレースタイルにおける小さな癖も徐々に克服してきている。今では誰も何も気にならない、完全無欠のプレーと言えるだろう。それでいてまだまだ伸び代があるのだから凄まじい。
 だからと言えばいいか、私はそんな赤司君がちょっと苦手だった。ムッ君に対する苦手意識とはまた別の感覚だ。何を考えているのかわからないという点では似ているかもしれないけれど、それ以上に赤司君は私たちと住んでいる世界が違うように感じてしまう。
 向こうもきっと、私のことは一人のマネージャーとしか考えていないだろう。
「……あー、そういえば、赤司がお前のこと呼んでたぜ」
 そんなことをぼんやりと考えていると、不意に青峰君にそう話を切り出された。夏休みを二週間後に控えた日の、休み時間のことだ。
「赤司君が?」
「ああ。今日の練習でさつきのデータを参考にしたいから、昼休みに届けにきてくれないかって」
 購買で買ったパンを頬張りながら言われた内容に思考が固まる。それから壁にかかった時計を恐る恐る見上げ、顔を引き攣らせた。
「ひ……昼休みって! もう終わっちゃうじゃない、バカ!」
 ガタンと勢いよく立ち上がって机の横にかかっているバッグから分厚いファイルを取り出し、教室を走り出る。うるせー、と耳を塞いで愚痴を漏らす青峰君になど構っていられない。
 怒ってたらどうしよう。赤司君、時間には厳しいからなあ。今日の練習で使うということは今すぐに必要なはずだし、ああもう、とごちゃごちゃ考えながら階段を駆け下り、隣の隣のクラスまで向かう。そして開いた扉のところで息を切らして教室内を見回していると、
「桃井」
 いきなり後ろから声をかけられ、肩が跳ねた。
「わっ!? あ、赤司君っ」
「驚かせてすまない」
 振り返って少し見上げれば彼の切れ長な目と視線が交差する。一応見た限りではその表情に不機嫌さは感じられず、ほっと胸を撫で下ろした。
「今、桃井のクラスまで行ったんだが……入れ違いになってしまったな」
「えっ、ご……ごめんね! 私さっき青峰君からデータのこと聞いて……」
 無駄足を踏ませてしまったことに申し訳なく思い、慌てて謝った。すると赤司君は意外にも困ったように眉を下げ、「やっぱり青峰に伝えるべきじゃなかったな」と笑う。あんまり見ない顔をするものだから、少しびっくりした。
「あはは、まぁ青峰君は自分のことじゃないとすぐ忘れちゃうから」
「そうだな。次からは人選を考えることにするよ。ところで例のものは持ってきてくれたかい?」
 うん、と頷いて差し出したのはピンク色のファイル。
「参考にしたいデータって次の全中で当たりそうな相手のことだよね? 去年戦ったところも含めて全国レベルの中学は過去の成績、個人の詳細、それから今後成長しそうな部分、全部まとめてこれに書いてあるから。あと一応、一軍との相性もそれぞれ調べておいたけど……どのプレースタイルも一長一短だからね、弱点をつけば簡単に崩れると思う。あっ、字きれいじゃなくてごめんね」
 とりあえずざっと説明すると、赤司君はそれを受け取りながら意表を突かれたとでも言いたげな顔をした。
「さすが……桃井の情報収集能力にはいつも驚かされるよ。俺が何も指示しなくても、求めているものを完璧に提示してくれる」
「私にはこれくらいしかできないから」
「いいや、充分だ。すごく助かってる。ありがとう」
「どういたしまして」
 心底満足そうな様子に、自然とこちらも笑顔が零れる。赤司君に礼を言われること自体珍しかった。
「……もうすぐ、夏が来るね」
 ぱらぱらと資料を捲っている彼に向かってふとそんなことを呟いてみる。「ああ。最後の全中だ」赤司君はそう言いながら、ぱたん、とファイルを閉じた。
「どのプレースタイルにも一長一短あると桃井はさっきそう言ったが、その言葉はうちには通じない」
 揺らぐことなく前を見据えた両眼の迫力に、私はコートに立った彼らの姿を思い浮かべた。まさに天才と呼ばれる選手たち。バスケのみで言うのなら、無敵なのは赤司君だけじゃない。
 一長一短などという言葉は無縁だと宣言され、否定なんてできるわけがなかった。
「――うん、そうだね。全中が楽しみだよ」
 そう相槌を打つと同時に、予鈴が廊下に響き渡る。そろそろ戻らなきゃと言って踵を返そうとしたその時。
「桃井、キャラメルは好き?」
 突然そんなことを質問され、首を傾げた。
「キャラメル? 好きだけど……」
「じゃあこれ、はい」
 ポケットから取り出したものを目の前に出されて反射的に右手を差し伸べると、手の平に個包装されたキャラメルが一つ乗る。私は小さなそれと赤司君を交互に見た。
「紫原が気に入らなかったらしくてくれたんだが、俺はいらないから」
「好きじゃないの?」
「歯にくっつくのが嫌なんだ」
 あまりにも普通というか庶民的というか、ある意味想像の斜め上を行った返答に思わず笑ってしまった。
「ふふ」
「なんだい」
「ううん、何でもない。ありがと」
 赤司君からこういう風に物を貰ったのは初めてかもしれない。こういう風に、というのは何気ない日々の中の話であり、二ヶ月前の私の誕生日にはとても可愛らしいバスソープをプレゼントしてくれてそれはそれは驚いた。聞くところによると、彼は私を含めキセキの世代の誕生日なんかも全部覚えているらしい。
「どういたしまして。……あ、黄瀬が食べてみたら味は普通においしいって言っていたよ」
 微笑む赤司君を見て私は少しばかり親近感を持った。彼とは相変わらず住む世界が違うように感じるけれど、そこにある壁は簡単に思いを通してくれるようだ。
「じゃあまた、部活でね」
「ああ。このデータを参考にして練習メニューを多少変えようと思ってる。その成果次第では、今度は俺達のデータを作り直してもらうことになるかもしれないが……」
「まかせて」
「頼もしいな」
 目を伏せて告げられた一言が素直に嬉しくて、教室へ戻る時、階段を上る足取りが随分と軽かった。赤司君は私を一人のマネージャーとして見てくれている。
 それで充分だったんだ。


ありふれたものを抱くときに/2012.07.31
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