好きと伝えて想いが実ると、恋人の距離というのは格段に近づくものらしい。ハッサンとザイナブがそうだった。実際は飽きもせず喧嘩ばかりを繰り返し、カシムもあの二人を「くっついたり離れたりしている」と言ってはいたが、それでもお互いが誰よりも近しい存在なのだということは容易く見て取れた。
 必要最低限の食糧を調達すべく街へ出る時、あいつらは常に俺の後ろで並んで歩いていた。夜中に幹部だけで酌み交わす時も、そしてその後にカシムと俺を残してどちらかの部屋に戻る時も、いつだって隣にはお互いが居るといった具合だった。ハッサンとザイナブは特に自分達の色事に関して無闇に隠す素振りは見せないタイプであり、比較的オープンに愛し合い、オープンに取っ組み合いをして、いつの間にか仲直っているそんな二人だったのだ。
 俺はハッサンとザイナブを見る都度、あれが恋人同士というものなんだろうと感じていた。
 それは自身の経験が浅かった自分にとって周囲の恋愛どれもが手本となり得てしまうのが恐らくの原因だったのだろう。他人の恋話や書物からそれなりの事情を学んだことはある。確か『シンドバッドの冒険書』にもいくつかの愛について記述されていた。が、あの人と同じ恋愛をするなど夢のまた夢。カシムに俺の理想はロマンチックすぎると言われた覚えがあるとは言え、現実的に考えて無理だと判断したものは望んだりしない主義である。
 そう俺だって現実的な考えは持っているのだ。たった一人で迷宮を目指していたあの頃も、自分なりに算段は組んでいた(今思えばアラジンの力なしに攻略することは不可能だったと痛感しているが)。
 甘っちょろい未熟な思考力だがしかし、人生設計はなんとなく浮かんでいる。取捨選択を行っていかに自分が満足できる人生を送れるか。人生設計など半分叶えば上出来なのだから、自己満足が過ぎた方がちょうどいいくらいだろう。密かなるその持論を口にしたことはなかった。
 バルバッドに一生を尽くすと宣言したあの日、俺の人生設計は大幅に変更された。いや、アラジンと出会った時から最早俺の未来は違うものになっていたのかもしれない。少なくとも自分ではそう実感している。でもきっと、これを聞いたらアラジンは、俺達の出会いもルフの導きだと笑顔を見せるのだろう。


 白龍、と名前を口に出してみる。すると視線を上げた向こうとばっちり目が合ってしまい、自ら呼んだにもかかわらず居た堪れなくなった。少し身を引いて口を噤むと白龍は苦笑する。
「すみません」
 そう呟いて頬やら耳やらを触っていた右手が離れ、突然人の体温が消えたことに少しだけ肩が震えた。
「……アリババ殿、嫌だったら嫌と」
「あっ、いや、そういうわけじゃねえんだけど」
 困ったように眉を下げて言われたので咄嗟に否定する。嫌なわけじゃないんだ、多分。よくわからない。何せこいつと付き合い始めたのはついこの間の話で、いくら惹かれているとは言えそう簡単には慣れられない。
「いや、ほら、お前何も言わねえからさ! 俺は何すればいいんだろうなー、みたいな……はは……」
 たびたび流れる沈黙はこれで一体何回目だろうか。なんか言えっつーの! とその都度心の中で訴える。
 正直この空気はしんどかった。恥ずかしくて耐えられない。焦って口から飛び出る言い訳は苦しいものがあるし、寧ろなんで白龍はそんな平然としていられるのか甚だ疑問だ。
 こいつがこうやって時々、輪郭を確認するかのように肌に触れてくるのには何か理由があるのだろうと思う。けれどそれ以上のことは一切しない。その行為に含まれた意味を俺は知らないわけだが、ただ触るだけで満足しているようなのでいつも放っているのだった。
 先ほどからシンドバッドさんの本を思い出したりアラジンとの出会いを振り返ったりしているのはこんな状況からそれとなく意識を逸らす為だ。ただされるがままになっていたら顔から火が出そうになる。
 いい加減に何か言ってほしい。俺だけが無駄に意識しているというか、空回っているというか、気まずい。
「は、白龍、」
「アリババ殿は何もしなくていいですよ」
 しかし声をかけて返ってきたのはこの返事。至って優しい口調で言われたけれど、こういう時の白龍が本心を隠していることは知っている。一応ちゃんと、好きなのだから、そういった変化には気付きたいと思うのだ。
 俺は相手の顔色を窺うのは得意だが、その心をなんでも読めるほど心理戦には優れていない。恋愛事となると尚更だった。だから素直になってくれないとどうしようもなかった。仕方なく、本当のこと言えよ、と小さく口にする。拗ねたような口振りになってしまったのは不覚だ。
 俯き加減だった顔を少し上げると、驚いたような表情でこちらを見ている白龍と目が合った。意外な発言だっただろうか。そうやって黙るのやめろ、こっちは大体必死なんだ、と同じようなことをぐるぐると考える。
 もちろん徐々に視線は落ちていき、一秒一秒がやたらと長く感じられる中、一度離れた白龍の手に俺の左手を絡め取られた。不意打ちの感触にどきりと心臓が跳ねたのは気のせいではないだろう。
「じゃあ一つだけ」
 やっとそう告げた白龍との距離は友達であった時とさして変わらない。ただその手が俺の方に伸びているだけで、大して近くはないはずなのに。自分がこんな風に動揺していることにいちいち気付かれてしまっているのではと思うと、急に体温が上がっていくような気がした。
 顔が火照る。だめだやっぱり居た堪れない、ええと、こういう時は、と必死に頭を回転させれば浮かんだのはいつもと変わらない方法だった。別の、全く関係のない出来事を考えて意識を逸らす。なんでもいい。白龍のことでなければ。そうして今度はシンドバッドさんとの出会いでも思い返すかと目を背けようとしたところで。
「アリババ殿」
 ぐ、と握る手に力が込められ、思考が一瞬停止した。そしてその隙に顔を覗き込まれる。
「俺とこうしている時に、他のことを考えないでください」
 真剣にそう一言。けれどもこの状況をどこか愉しんでいるような言い方。
 他のことって。
 こちらの全てを見透かされていたと理解し、恥ずかしさのあまり上手く誤魔化す台詞が出てこなかった。余裕そうな表情にこっちの気も知らないでと腹が立つ。
「かっ……考えてなんかねーよ!」
「そうですか? ならいいんですけど」
 近ごろ見せるようになった意地の悪い笑顔に言葉を詰まらせた。完全に面白がってんじゃねーか。
 俺の内心を余所に、白龍は依然として手を離そうとしない。そんな恋人に向かって「お前、ほんっと最近かわいくなくなった」と、悪態をついてしまうのも仕方がないことだろう。だってこれでは他のことなんてもう考えられそうにない。
「ありがとうございます」
「褒めてねーよバカ」
 赤くなっていることは自分でもわかったから、せめてと目線を外した。どうやってもこいつのペースに呑み込まれてしまう俺自身を心底恨みながら反対の手で顔を隠すように覆う。「アリババ殿は相変わらずかわいいですね」などと聞こえてくる白龍の声。下を向いているからどんな表情を喋っているのかわからないが、とにかくこんな甘ったるい時間早く終わってしまえと投げやりに思った。


純一な愛情で染め上げて/2012.10.30
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