花屋なんて随分久しぶりだった。教練のある日に外出はしないし、休日だからといってわざわざ出かけることも少ない。学園の近くに花屋があるというのは以前耳にしたけれど、特にガーデニングの趣味もなければ花を贈るような相手もいない自分にとってその存在は無縁だと思っていた。が、前者は変わらないにしても、後者はそうでもなかったらしい。こんな風に誰かに花を贈ることになるとは。
 しかし店先まで来たはいいもののなかなか入る気になれないでいる。こういったこじんまりした店だと、入ったら買わなければならないといった雰囲気になるのが苦手だった。いや実際買おうとはしてるし、買わなければいけない状況でもあるんだけど。屋外に販売されている色とりどりの花からふわりといい匂いが漂う。それを感じながらどうしたものかと悩むこと早十分。らしくない行動をしているのにはわけがあった。



「知ってるかい?エスカバ」
 何の前置きも無しにそう言われ面倒な予感しかしなかったので無視を決め込むと、後ろから細長く丸めた雑誌で頭を叩かれた。なかなかいい音が鳴って地味に痛い。
「返答くらいしなよ」
「どうせ余計な話だろ、バレンタイン云々の」
「そこまでわかってるなら黙って聞くことだね」
 矛盾している。俺に何か言ってほしいのかそれともただ頷いていればいいのかわからないが、とりあえず構ってほしいということだけは明らかだ。
 ミストレがこうして意気揚々と喋り始めた時は大抵ろくな内容じゃない。バレンタインと思い付いたのはさっきこいつの取り巻きが廊下で騒いでいたからだが、本当にそうだとは思わなかった。まさか俺に何か期待しているわけではあるまいし、自慢なんて当日にすればいい。
「明日のバレンタインでさ、オレは本当に忙しくなるわけだけど」
 違った。ミストレはいつでもどこでも自画自賛を欠かさない奴だった。
「それで君にいいことを教えてあげようと思って」
「いやいいよ別に」
 変な要望をされないうちにと断ってみたが、まぁこんな一言で引いてくれれば苦労はない。真面目に聞こうとしていない俺に苛立ったのかもぞもぞと膝の上に乗り上げてこられ、邪魔、と躊躇わず告げたもののあっさりスルーされてしまった。
「ねえ、君はオレから貰うのを期待してる?」
 こいつの話に脈絡性というものはないのだろうか。
「……してないって言えば嘘だな」
 向かい合うような体勢のおかげで嫌でもミストレの顔が目に入ってしまい、質問をかわすこともできそうになかった。視線を逸らして答えると「やけに素直じゃないか」と感心したような返事。強要したのはそっちだろう。ミストレが顔を覗き込むように近付けてくるから、体を少し後ろに引く。
「まあ、日頃の感謝も込めてあげようとは思うよ。君と交換でね」
「俺はホワイトデーに返せばいいんじゃねえのか」
「それはそれ。外国ではバレンタインに彼氏が彼女へ花やケーキを贈る習慣もあるんだよ」
「……お前は彼女じゃ」
「ないだろ、なんて無粋なこと言わないよねえ?」
「…………」
 口角を上げて言い返される。俺も自分で言っておいて今更彼女じゃないなんて反論はどうかと思ったが、本人を前にしてそのくらいしか言葉が思い浮かばなかった。戦略家が聞いて呆れる。結局イエスともノーとも言えず、腰に手を回して口づけて、返事を濁すしかなく。



 というやりとりをしたのが昨日。本日親衛隊の間では大変なことになっているだろう。いや、大変なのはミストレの方かもしれない。好意なら誰からでも何でも受け取るのはあいつの悪い癖だと、思わないことはない。
 ミストレにはろくな返事をしてやれなかったが、「交換で」とはっきり断言していたあたり絶対にそうしなければならないのだろう。俺がミストレから貰えるか貰えないかの問題ではなく、あいつが満足するかしないかの問題だ。とは言えそんな理屈は抜きにしても、一応こういう関係であるわけだし、恋人からの要望を無下にするつもりはなかった。
 それで一日経って私服に着替え、花屋まで来てみたわけだ。花とケーキどちらがいいのか迷ったりもしたが、どうせ甘いものは他からたくさん貰っている。手作りとかそういうのに拘っているようでもなかったし、それなら花を一束買ってしまった方が早い。と、ここまでは順調に考えられたが、どの花にすればいいのかで見事に思考が停止した。
(……あいつの好きな花って何だ?)
 そういえば知らないな。
「誰かに贈る花束をお選びですか?」
「えっ、あ、はい」
 突っ立って考え事をしていたらいきなり店員に声をかけられ、思わず肩が跳ねた。条件反射で頷くと「彼女さんにですか」と質問を続けられる。いや、まぁ、そんなところです、と答えるしかない。
 俺が迷っていた様子を一部始終見ていたのだろう。ただいま女性に人気のものはこちらですとピンク色のバスケットに収められた花束を勧められてしまった。けれどすみません女性じゃないんで、などとは言えるわけもなく、そういう雰囲気の人でもないんですとやんわり断る。バスケット付きはさすがに寮に持ち帰りづらい。
「それではどういった雰囲気のお方なんでしょうか?」
「え、」
 そうきたか。なるべく客に合ったものを売るというその精神は素晴らしいと思うが、あまり深く聞かれるのはいろいろと困る。
「いや、どうと言われても……」
「目の色に合わせた花束なんかは喜ぶ方が多いですよ〜」
 営業スマイルをべったりと貼り付けてそんなことを言われる。この答えざるを得ない状況どうにかしてくれ。仕方なく瞳の色は紫ですと口にした後、アメジストみたいな、と付け足したのはほぼ無意識だった。
 紫色の花はいくつかあり、一本ずつ軽く説明もされた。しかしそこでさっさと決めてしまえばよかったものを無意味に躊躇っていたら、今度は。
「あとは本人のイメージに合わせて選ぶ方もいらっしゃいますね!一言で表すと可愛いとか綺麗とか、そういったイメージは?」
 おいちょっと待て。質問のレベル上がってるだろ。
「え、あー、そういうのは…」
「その二つで絞っても大分お似合いの花やラッピングが変わりますよ」
「……いや、あの、」
 要するにミストレを可愛いか綺麗かに分類しろと言われているわけだが、なんで俺は花屋にまで来てこんな無理難題と闘っているんだ。渡す相手が女だと認識されている時点でいろいろとおかしい。が、にこにこと笑っている店員を前に答えないというのもなんだか悪い気がしてしまって。
 あいつを形容するなら自称美しいが妥当だろう。自称という部分が重要だ。だから可愛いか綺麗かで問われると言葉に詰まるというか、そもそもそれはミストレの外見を指すのか仕草を指すのか、とか、いらないことまで考え始めている。
 性格を無視すれば後者は否定できない気もするし、前者については性格込みでも。
 なんて結論に至った瞬間、あまりの盲目さに頭を抱えた。認めたくないにも程がある。けれど他の答えを器用に用意することもできず、苦笑しながら。



 寮に帰ると大きな紙袋を数個抱えたミストレが俺の部屋で待っていた。予想通り凄まじい量だが、女生徒から貰ったチョコレートは恐らくこれだけじゃない。
「どこ行ってたの、エスカバ」
「お前がそれを言うのかよ……」
 右手には数十分前に購入した花束の入れられた袋。勿体ぶる理由も特になかったから、中身を取り出して「ほら」と渡してやった。どんな反応をされるのかと思っていたところで、ミストレは目を丸くさせ驚きを隠せないようだ。本当にくれるとは思わなかった、と間抜けな口振りでそう言われる。
 結局、花はこいつの瞳の色と同じ紫をベースにあとはおまかせで、と頼むことにした。綺麗にラッピングしてからどれが何の花だとか説明されたがあまり覚えられず、けれど見た目がそれなりに豪華なので個人的には満足している。そして花束を手にしたミストレも匂いを嗅いだりして楽しそうなのでいいとしよう。
「ありがとう。じゃあオレからも」
 はい、と約束通り交換という形で赤色の小さな箱が渡された。さっきの一言からして、例え俺がこうやって花を用意していなくても渡すつもりではあったらしい。礼を言って受け取る。
「なぁ、お前の好きな花って何だ?」
 花束を眺めているミストレに、気になっていたことを尋ねてみる。これがわかれば俺は今日あんなにも苦労はしなかった。
「美しい花なら何でも好きだよ」
「いやそういうことじゃなくて」
 言葉通り美しいものには目がない奴だが範囲が広すぎる。まともな返答を期待した自分が馬鹿だったかと溜息をついたところで、んー、とわざとらしく考え事をするような素振り。俺からもちゃんと渡したことに随分ご機嫌ならしく。
「じゃあ君のくれる花なら何でも嬉しいよ、とか?」
 いたずらに笑っている。
「……そんな答えを期待したわけでもねえ」
「説得力がないなぁ」
 嬉しそうだよエスカバ、と意図したような一言。こいつのペースになるのが嫌で、とりあえず場を離れようと何も言わずに洗面所へ手を洗いに行った。こちらの様子にくすくすと笑うミストレを視界の端に捉えたけれど見なかったことにする。
 手を洗おうとする前、貰ったチョコレートを机の上に置き忘れていたことに気付いた。丁寧に包装されたそれに目をやると同時に、あの時花屋に言った一言が頭をよぎる。なんであんなことを馬鹿正直に口にしてしまったんだろうか。今更、気恥ずかしさに負けてしゃがみこんだ。
―――多分、どっちにも当てはまる奴です。
 それが本心だなんて信じたくもない。恋は盲目?冗談もほどほどにしてくれ。
「……嬉しくないわけねーだろ」
 あいつの言葉も、あいつから貰ったこれも。小さな声でぽつりと呟けば、心なしか顔が熱くなっている気がした。
 紫色の美しい花と並べば綺麗な顔立ちが更に映えたし、素直に花を受け取った時の様子はかわいかった。なんて、こんな話をミストレに知られたら俺はもう絶対に立ち直れない。とりあえずこの緩んだ思考をどうにかしなければ。


贈りたいものがあるのですが





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