半田、一緒に帰ろ。いつもの調子でそう声をかけられ、俺は振り返って頷いた。マックスは既にコートも着てマフラーもしていて、準備万端といった感じだ。俺はまだ机の中の教科書類を鞄にすら入れてなかった。
「半田遅い」
「マックスが早すぎるんだよ」
 さっきホームルームが終わったばっかじゃん、と続けて言えば、マックスは知らん顔だ。まあ、六時限目が終わった後すぐにどこかへ呼び出され、ホームルーム自体を出席してないんだから仕方ないか。荷物を全部持って先生にバレないように教室を出ていったこいつは、多分、チョコレートを貰ったのだと思う。本人は何も言わないけど、今日はバレンタインデーだ。
「げ、明日ってワーク提出だっけ」
「数学?うん、提出」
「やってない…」
「今回範囲広いよー。頑張って」
 机の中に放置された厚いワークが目にとまり、がっくりと肩を落としながらそれも鞄に詰め込んだ。こんな面倒なものは解答を見て全部書き写してしまおう。マックスは文句を言いつつも提出物は忘れないでさっさと終わらせる方だから、俺みたいな苦しみを味わうことは滅多にない。頑張って、と言ってても本心では所詮は他人事、どうでもいいんだと思う。
 俺が支度をし終える頃にはマックスはもう教室を出ていて、俺は無造作にマフラーを巻きながら、廊下を歩くあいつを早足で追いかけた。





 一歩外へ出ると、凍えるような寒さが身を包んだ。肌が震えるのを感じながら腕をさする。隣を歩くマックスは、はぁ、と大きく息を零し、真っ白なそれを見て呟いた。
「明日、雪降るんだって」
「え、そうなの?」
 今朝は寝坊して時間がぎりぎりだったから、天気予報も何も見てこなかった。だからそれは初耳で、少し複雑な気分になる。雪は嫌いじゃないし、いつもと違った景色にテンションは上がるけど、寒いのはどうにも好かない。早く暖かくならないだろうかと、今さっき思っていたくらいだ。
「雪降ったら半田の家行きたい」
 正門を出たところで、前方を見つめながらマックスはそう言った。
「なんでだよ」
「こたつあるじゃん」
 そういうことか…。こいつの家にはこたつが無いから、どうやらそれが恋しいらしい。駄目ってわけではないけど、それだけが理由なのもどうかなぁと思う。いやまぁ他に理由があるとも思えないけど。
 マックスの家は俺の家からそんなに遠くない。歩いて五分くらいの距離だ。だから特に予定が無い日は一緒に帰ることが多く、今日もたまたま部活が休みだったから、こうして隣を歩いている。



「…なんかすごい甘い匂いがする」
 学校を出て数分経ったところで、不意にマックスが眉を顰めて訝しげに呟いた。俺はあまり鼻が良いわけではないから気付かなかったけど、言われてみればそんな感じはするかもしれない。どこからだろうと辺りを見回すと存外すぐに見つかり、「あれじゃね?」とその方向を指差した。
「あー…なるほどね」
 見慣れたケーキ屋がやけに可愛らしい飾り付けをして、店頭にはたくさんのパッケージが並べられている。さすがバレンタイン、店の前では緊張と楽しみが半々な顔つきの女子がチョコレートを丁寧に選んでいた。
 マックスもそれが分かり匂いについても納得したようだったけど、それ以上は何も言わなかった。沈黙が流れてしまい、少し不思議に思いながらも気付かれないようにちらりと見やる。いつになく無表情だった。
 もしかして、機嫌悪い?
「行こ」
 俺の目を見ずにそう言って歩き出した。まるでその店から離れたがっているようだった。
「…何?」
 振り返って無表情を崩さないままに尋ねられる。俺は無意識のうちにマックスの服を掴んでいたらしい。我に返っていっきに恥ずかしさが込み上げ、掴んでいた手をばっと離した。でも自覚無く行動を起こしてしまったから、後先なんて何も考えてなくて、またしても静寂が訪れようとしたところで俺の口は勝手に喋り始めていた。
「な、なんで機嫌悪いんだよ」
「……はぁ?」
 呆れたような顔。これは「別に悪くないよ」っていう意味じゃなくて、なんでわかんないの、って意味だ。
「…本当にわかってないとか…まぁでもそうだよね、わかってないからこうなるんだし…はぁ…」
 わざとらしく溜息をつきながら独り言を零している。なんか俺がすごい空気読めない子みたいになってるんだけど。わかんないものはわかんないのに。
「まー僕は気にしてないからいいよ。そんなに苛立ってるわけでもないし」
「嘘だろ。お前がそんなことわざわざ言うってことは、相当イラついてる証拠だ」
「…なんでそういうところばっかわかんの?」
 マックスはもう一度深く溜息をついて「だから、」と説明を始めた。
「外は寒いし」
「…え?あ、うん」
「半田は帰る用意すんの遅いし、待たされるし」
「それはごめん」
「しかも歩くの遅いし」
「そ…うか?まぁごめん」
「チョコくれないし」
「ごめ……え?」
 途中まで頷きながら聞いていたけど、最後の苦情に俺は疑問符を浮かべた。そしてチョコならお前さっき貰ってたじゃんと、この一言が頭をよぎる。でも不思議なことにマックスの視線は俺を捉えたままだった。まるで俺から貰っていないみたいな、そんな視線で。
「………え、俺?」
「他に誰が居んの」
 平然とした表情でそう吐き捨てる。俺は言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、それにつれてだんだんと顔が熱くなった。俺がマックスにチョコをあげてないことに、こいつは苛立ってたのか?ていうか俺が渡すの普通みたいな感じになってるけどそういうもんなの?
 思考が追い付かなくて立ち止まっていると、その間にもマックスは前を向いて歩き始めてしまっていた。俺は慌てて後を追いかける。
「だ、だって俺、男だし」
「恋人から貰いたいと思うのは普通でしょ」
 こっちに目もくれず、マックスはとても冷静だ。なんで俺だけこんな焦らなきゃならないんだと客観的に突っ込めるくらい、俺は最早、困惑の域を越えていた。逆に冷静になる。
 ごめん、と小さく謝る。それしか会話の仕様がなかった。
「だから気にしてないって言ってるじゃん」
「そうだけど…」
「もうこの話は終わり。いい?」
 マックスの言葉にはとりあえず首を縦に振ったけど、急に自分が無神経に思えてきて気分が沈んだ。自然と俯くようになってしまって、会話も途絶える。暫くそのまま静かに歩き続けていると、ふとマックスが立ち止まって短く溜息をついた。俺も足を止めて後ろに向こうとした瞬間、手首をぐい、と引っ張られる。
「ちょっと来て」
 そう言って手首を掴んだまま道を一つ曲がり、人気の無い路地裏に連れていかれた。



 マックスは俺の前に立って、俺は背中を壁にぴったりと付けている。周りに人は居ない。
「半田、僕にチョコ渡せなかったこと後悔してる?」
 唐突に尋ねられてちょっと言葉に詰まった。そんな露骨に言われると答えづらい。でも無視をするわけにはいかないから、視線を逸らしながら「まぁ」と曖昧に頷いた。するとそれに対しての返答は無く、マックスは自分の鞄をがさごそと漁り始める。何かを探しているのだろうか。
 鞄の中から取り出されたのは、至って普通の板チョコだった。バレンタインとは程遠い見た目の、しかもビニール袋から出てきたから、恐らくこいつがコンビニかどこかで買ったものだろう。俺がそのチョコレートに目を向けていると、マックスはそれを包む銀紙を剥がしてぱきんと一口サイズに折り、はい、と俺に渡してきた。事態がよく飲み込めないけど、差し出されたものは受け取るしかない。恐る恐る手に取ってマックスを見ると、怒ってもない呆れてもない、いつもの表情でこう言った。
「それ、僕に頂戴。口で」
「え?」
 渡されたものを頂戴と言われても。いやそうじゃなくて、問題はそこじゃなくて。
「……口で、って…」
「口移し」
「…っ!」
 そ、そんなの無理に決まってんだろ!ていうかなんでお前はそんな平然と言えるんだ!と言葉の意味を理解したところで、頭の中がごちゃごちゃになった。落ち着いたはずの焦りが蘇ってきて、ぱくぱくと口が動く。顔が赤くなるのが嫌でも分かった。
「それで全部チャラにしてあげるよ」
 顔を近付けてマックスは言う。その表情はちょっと愉しそうで、さっきまでの機嫌の悪さなんてどこにも見られなかった。
「そんな、く、口移しなんてできるわけないだろ」
「まぁ半田には難しいかもしれないけど、でもこれくらいしてもらわなくちゃねー」
 僕は今日ずっと期待してたんだから、とわざと俺の頭を掻き乱すようなことを言う。そりゃあ用意してなかったことは反省してる。でもこんなやり方じゃなくても。
 そうして今にも混乱で破裂しそうな脳を落ち着かせようとしたけれど、マックスの咎めるような視線が痛くて、俺はこの際やっちゃった方がいいんじゃないかというあまりにも短絡的な思考に走ってしまった。結果、躊躇いながらも俺はぽつりと呟いた。
「…目、閉じろよ」
 視線は合わせずに、というよりも合わせられなかった。するとマックスは満足そうに口角を上げて「はいはい」と返し、両目を瞑った。もうここまで来たらやるしかない。さっさとやって終わらせればいいだけの話だ。
 そう自分に言い聞かせ、俺は右手の体温で今にも溶けそうな甘いチョコレートを口に含み、マックスの肩に手を添えた。
「ん……」
 唇を触れ合わせた後に舌で割って入り込み、口内で早くも溶けかかったそれを流した。羞恥で死にそうなくらい、頬も口の中も熱い。移し終えたところで早く終わりにしようと舌を抜いたのに、それよりも先にマックスの舌が俺のを捉える。
 「っ!ん、ぅ…!」
 逃げようと思っても後頭部を押さえられてそれも叶わず、俺からしたはずのキスはいつの間にかマックスが優位になっていた。理解が追い付かなくて、されるがままだ。しかもせっかく移したはずのチョコレートはこっちに流れ込んでくるし、何なんだ、わけがわからない。
「ふ、はぁ…っ」
 そして散々口内を乱されたところで漸く解放された。舌を抜き、細い唾液が一瞬引く。口の中はもうチョコレートだらけで最高に甘ったるく、軽くトラウマになりそうだ。最後に俺の口端から零れた一筋の液体を舐め取って、マックスは笑った。
「ごちそーさま」
 俺は口を拭って、やっぱりやるんじゃなかったと今更後悔をした。



「ねえ、半田の家行きたい」
 路地裏から出て俺の心もやっと落ち着いてきた。今日は本当に災難だった、と思っているのも余所に、マックスは何事も無かったかのようにけろりとした顔でそう言う。
「は?明日じゃねーの?」
「なんか今行きたくなった」
 なんだそれ。こいつは気分屋というか、自由に思うままに生きているといった感じだ。きっと理由はくだらないんだろうけど、一応聞いておこう。なんで、と尋ねる。
「え?行きたいから」
「あっそ…」
 くだらないも何も内容が無かったけれど、何故かこたつ目的よりはマシに感じられた。そういう理由無しで来てくれる方が嬉しいなんて、俺もそろそろ感覚がおかしくなってきたなと内心で苦笑を浮かべる。まぁこいつが来るなら数学を教えてもらえばいいか。
「あ…そうだ。女の子から貰ったチョコもあとでさっきみたいにやろうよ」
「は!?何言ってんだよ絶対やだ!」
「えー」
 えー、じゃねえよ!あんなものは二度とやらない!
「半田」
「なんだよ」
「ハッピーバレンタイン」
 わざとらしく笑っている。何がハッピーだ、この野郎。


"The sweet is enough,give other one"
甘いものはもういらない、他が欲しい





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