バレンタインデーという名の下、いつになく賑やかな校内。ただしそうであるのはほんの一部分だ。全く感心がない奴だって居なくはない。そういうところでは静寂が漂っているが、そうじゃないところ、例えばミストレの周りなんかは、ひどく騒がしい。
ミストレと歩いているとどこを通っても周りから黄色い声が上がり、正直言って耳障りだ。チョコレートを渡すなら渡すでもっと静かなところでやってほしい。これは嫉妬とかじゃなくて、素直な感想。
「…鼓膜が破れる」
「あはは…まぁそう言うなよ、女の子達は必死なんだからさ」
 隣を歩くサンダユウが苦笑しながら宥めるように言った。それは分かっている。どいつもこいつも優雅におしとやかに振舞っているが、実際は我先にといった表情が見え見えだ。もちろんミストレはとっくに気付いているけれど、相変わらず整った笑顔を崩そうとはしない。よくやるよ、本当に。
「あ、おい!どこ行くんだよエスカバ!」
 このままミストレの近くに居ても不快感が溜まっていくだけな気がしたから、俺はサンダユウ達に背を向けてその場から離れた。
「部屋に戻る。バダップにはあとから行くって伝えてくれ」
 サンダユウの呼び声に軽く手を上げながらそう答え、自室へと向かった。今日の受講は全て終わっているから、本来ならもう部屋に着いていなきゃいけない。ただ、軍事の打ち合わせが放課後にあるからといってバダップに呼び出されていたのだ。時間通りに参加するのは当然のことだが、一旦頭を冷やしてからの方が良いと俺は判断し、バダップやサンダユウにはあとで謝ろうと思った。



 部屋の前まで行くと、入り口付近に綺麗にラッピングされた箱が何個か積まれてあった。俺宛だというのは一目瞭然だったけれど、正直なところこうやって床に放置されているのを見るとうんざりする。しかも大体こういうのは名無しが多い。見知らぬ人物からただ貰うだけっていうのも、いろいろと釈然としない点が出てくるのだ。
 ミストレの取り巻きによって植え付けられた不快感は未だに払えず、俺は溜息をつきながら箱を一つずつ拾い部屋へ入った。それらをデスクに置いていき、中身を開ける気にはなれず、それ以上は触れていない。
「…疲れた」
 ぼすん、とベッドに体を預け、うつ伏せに寝転がる。枕で顔を覆ってそう呟くと、声がくぐもった。
 バレンタインという行事自体は別に好きでも嫌いでもないが、こうして無駄な体力を消耗するのだけは勘弁してほしい。あんな人混みの中でよくミストレはバテないよなぁと思う。まぁ女子に囲まれることはあいつにとってある意味生き甲斐でもあるから、苦には感じないんだろう。
 「はぁ……」
 ゆっくりと息をしながらしょうもないことを考えていると、だんだんと眠気が襲ってきた。これはまずい。この後は打ち合わせがあるのだから、寝るわけにはいかない。
そして体を起こそうとしたその時、不意に背中に重みを感じた。驚いて顔を後ろに向けると、そこに居たのは。
「ミストレ!?」
 平然とした表情で俺の背中に跨っている。いつの間に入ったんだ。ていうかあの膨大な量の取り巻きはどうしたのだろう。そもそもなんでここに?
 聞きたいことが多すぎて、どれも口に出なかった。そうして俺が茫然としている間にもミストレは口を動かす。
「エスカバさぁ、鍵くらいちゃんとかけなよ。不用心すぎ」
 その言葉にはっとなる。そういえば鍵をかけるなんてことすっかり忘れていた。いつもはそんなことないのに、入ってきたミストレの足音にも気付かないなんて、これは相当疲れている。
「忘れてた……え、つーか女子達は?お前こんなとこ居ていいのかよ」
「よくない。でもいい加減めんどくさくなった」
「はぁ…?」
 我儘極まりない発言をしながら、ミストレは俺の背中から下りてベッドの脇に座った。笑顔を作り続けるのも楽じゃないらしい。だからといって放棄するのもどうかと思うが。
「嬉しくないわけじゃないんだけど、だんだん相手するのが疲れてきちゃってさー」
「へえ…」
 俺は呆れつつも適当に相槌を打つ。こいつがこういう性格だと分かっているから流せるけど、それを知らない奴からすればただの自慢にしか聞こえず大層ムカつくことだろう。
「事情はわかったけど、それなら自室に戻れっつーの。なんで俺の部屋なんだよ」
 ミストレの愚痴が一旦止んだところで、上体を起こしてそう尋ねた。俺の部屋に来たところで良いことなんて一つも無いはずだ。するとミストレは少しだけ眉を顰めてこう答える。
「オレの部屋の前は女の子達が居るから無理」
「…ああそう…」
 溜息をつきながら扉の方を見やると、俺はそこで目を見張った。中身が今にも溢れ出てしまいそうな大きな紙袋が、三つ並べてある。
「……なんだあれ」
「チョコ」
「俺の部屋に持ってくんじゃねーよ…」
 がっくりと項垂れる。そりゃあ部屋に戻ってないんじゃ持ってきてしまうのは当たり前だけど、実際あの量をここに置かれても困る。早々に持って帰って頂きたい。
 さっきまでの甲高い声と、こいつの突発的な行動に振り回された結果、俺はいつになく疲れきっていた。ミッションとかでの疲労とは別に、なんていうかこう、脱力するような。目を瞑って体を休めていると、不意にミストレに「ねえ」と声をかけられる。
「嫉妬した?」
 笑みを浮かべながら顔を覗き込まれた。
「はぁ?」
「だから、女の子に嫉妬した?」
「…するわけねーだろ。お前が女子に囲まれてんのなんていつものことだし、今更嫉妬なんて」
 目を開けて呆れたように言うと、ミストレはベッドに背中を預け、口を尖らせて「ふーん」と呟いた。何が不満なのか。
「オレは妬いたけどなぁ」
 じ、と俺の方を見つめてミストレがそう吐き捨てた。唐突な発言に俺が言葉の意味を咀嚼できないでいると、ミストレの視線がデスクへと向けられる。さっき俺が放置したチョコレートが置いてあるところだ。
 まさか、俺にチョコレートを渡した女子に嫉妬しているのか?
「…ムカつく」
 ミストレは目を細め、表情を歪めながら不満を零す。気付かなかったけれど、どうやらこの部屋に入ってきた時からこいつは機嫌が悪かったらしい。でも反対に、俺は不謹慎にもほんの少しの嬉しさが募っていた。ミストレに嫉妬するほど想われているとは思わなかったのだ。
 それも相まって不機嫌なこいつに言い返す言葉が何も見つからず、少しの間、沈黙が流れた。その直後、一瞬俺の方に目を向けたミストレが体を起こしてベッドから下り、扉の前で紙袋を漁り始める。何がしたいのか、何を探しているのか、さっぱりわからなかった。
 その様子をぼんやりと見ていると、目的の物品が見つかったらしいミストレは、こちらに振り返って手に持っていた何かを放り投げた。ちょっと強めに投げられたそれは、俺の手元に届く。
「…え、何これ」
「あげるよ」
 不機嫌そうな顔は変わらない。手に掴んだそれを見ると、白地の包装紙に赤いリボンで綺麗にラッピングされた、いかにもといった感じのものが目に入った。つまりあげると言われても、これはミストレに渡されたものだ。俺は下さいなんて言った覚えはないし欲しいとも思わない。いきなり渡されても困る。
 ミストレの意図が分からず、困惑しながらもとりあえず箱を見た。するとリボンの合間に挟まれた一枚の紙が目に入り、そこに書かれた文字を見て俺は思わず目を見開いた。書いてあったのは、エスカバへという文字、そして驚いたことに贈り主が『ミストレより』になっている。
「……お前が作ったのか?」
 顔を上げて静かに尋ねる。ミストレは腕を組んだまま下を向いていて表情が見えない。でも否定の返事がないということは、恐らくその通りなんだろう。
 再び沈黙。俺は頭が混乱していた。あのミストレが自分の為にチョコレートを作るなんてありえないし、しかもそれを何の小細工も無しに直接渡すなんて、最早目の前に居るのが本当にミストレなのか疑いたくなるくらいだ。
 ぐるぐるといろいろなことを考えていると、先に口を開いたのはミストレだった。
「それ……エスカバにあげるけど、条件が三つある」
 俯いていた顔をこちらに向け、その視線は強気だ。でも頬が少し紅潮していて、向こうも平常心じゃないんだろうと思った。それでもやっぱり条件付きということは、ミストレには何か思惑があるのだろう。
 一つ目、そう言って条件を並べていった。
「オレが渡したってことを、絶対に口外するな」
 言いながら、一歩ずつゆっくりと近付いてくる。一つ目の条件はさして難しいものじゃない。俺達がこういう関係にあること自体が周りには秘密にしてあるのだから、当然のことだ。俺は黙って続きを待った。
 二つ目。
「オレ以外から貰ったものは一つも食べるな」
 ベッド付近まで来て、座っている俺を見下ろすようにしてミストレは告げる。その表情には相変わらず不機嫌さが窺えた。俺がチョコレートを貰ったという事実が、余程気に入らないのだろう。
 この条件が下らなければ、デスクに置いてあるそれらは気分が向いた時に食べようと思っていた。でもミストレにそう指示されてあっさりと食べる気を失くすなんて、俺もかなりほだされているんだなと内心で笑う。
 ここまでいいか、と抑揚のない声で聞かれ、俺は「ああ」と相槌を打った。でも最後の条件がなかなか現れない。急にミストレが口を噤む。
「三つ目は?」
 不思議に思って尋ねると、ミストレは少し目を泳がせて言い淀んだ。珍しい。思ったことはずばずばと発言するこいつが、自ら言おうとしていることを口にしないなんて。
「や、やっぱり二つでいい。三つ目はなし」
「は?」
 さっきと言ってることが違う。
「条件二つを守れるなら食べていいから」
 顔を逸らして早口で言う。何なんだ一体。俺はミストレを見上げながら半開きになりそうな口を抑える。なんかいろいろと意味がわからない。でもまぁミストレから物を貰えるなんてバレンタインに限らず滅多に無いし、嬉しくないといえば嘘になる。ここは突っかからずに素直に受け止めようと思い、それ以上は何も聞かなかった。
 俺は先程までの不快感が消えていくのを感じながら、後ろで組んでいる手を引っ張ってミストレを抱き寄せた。
「ありがとな」
 腕の中にすっぽりと収まったミストレは、何も言わず、抵抗もしなかった。礼を言ったところで、最後にもう一つ言いたかったことをはっと思い出す。「あ、そうだ」と俺は話を切り出した。
「約束通り俺はお前以外のを食べないから、お前も食べんなよ」
 思い出すといっても、これはさっきふと思い浮かんだことだった。多分、扉の前の凄まじい量のチョコレートを目撃した時からだと思う。あーていうか取り巻きから貰ったものをこいつに食べてほしくないなんて、と俺は口に出してから気付いた。ミストレが今日初めて作り物じゃなく笑って言う。
「なんだ、嫉妬してんじゃん」





 その後、俺とミストレは予定通りバダップに呼ばれた打ち合わせに顔を出した。多少時間は遅れたけれど、あいつは怒ってはいなかった。俺の部屋から会議室に行くまでの間にもミストレの周りに取り巻きが群がっていたことを考慮してのことだろう。でも驚いたことに、ミストレは部屋から出た後に渡されたチョコレートを一つも受け取らなかった。一つずつ笑顔で断っていく姿はあまりにも残酷だったが、俺からすれば最後に言った要望を承諾したも同然であり、当然悪い気なんてしない。
 そして会議も無事に終え、今は自室に戻ってきたところだ。バダップとサンダユウには迷惑をかけたことを謝った後に別れ、ミストレともその後で別れた。その頃にはさすがにあいつの取り巻きも数が減っていたが、ゼロというわけじゃない。一体どれだけ居るんだろうと、ちょっとした感心さえ覚える。
 デスクに放置された箱を、一つだけ残して残りを端に寄せる。中心に残った白い箱を手に取って机に寄り掛かり、赤のリボンをしゅるりと解いた。ミストレには一人の時に開けろと言われていたのだ。
 包装紙を剥がし蓋を開けると、形の整った生チョコレートが幾つか並べられていた。普通に美味しそうで、ミストレって料理もできるんだな、とちょっと驚く。
 真っ白の包装紙をデスクに置くと、そこからひらりと一枚の紙切れが落ちた。挟まっていたのだろうか。床に落下したそれを拾い上げ、そこに記されていた短いメッセージを読み、俺は思わず笑みを零した。
「これが三つ目の条件か」
 あいつは普段あれだけ横暴な振舞いをするくせに、時々こういうことをするから飽きないんだよな、と笑う。了解、と胸の内で返事をして、俺はその紙切れに口付けた。


"Love me more because it loves"
愛してやるから、もっとオレを愛して





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