宝物[文]1 | ナノ
桂祭りフリーss
うつむき月/智生様より
□抱えきれないあいのことば
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「桂さんが心酔しているという女子は…」
そんな台詞を聞き流せるようになったのは、つい最近の事。
他藩はもちろん長州藩内での折衝にもよほどの気を使う。昔の自分であれば、不利益になるであろう噂や事実でさえも一切を簡単に無くす事が出来た。それが人として冷酷で無慈悲であると言われようと何だろうと。真っ直ぐに未来への道筋が見えていた。そこにはみ出すような者を排除してゆけばよい。高杉を長として、高杉が道を歩きやすいように、自分が掃除屋に徹せれば良い。それで良いと思っていた。
翔子に出会うまでは。
翔子が自分を歪めてしまったのではない。それから目指すべき道が女によって変わってしまったという事でもない。今とそうでない時では明らかに自分が何で出来ているのかががらりと変わってしまった。変わっていない輪郭だけを桂小五郎というのなら確かに同じだけれど。
守るべきものが出来たのでは?
昔をよく知る重鎮にはそんな言葉をかけられた。「守る」?むしろ自分を頼ってほしいと、彼女にそう話したのは自分だ。けれど。
夕暮れの、自室には夕日の光と木々の影が伸びる。しんと静まり返った室内に人の気配も温度もない。
約束も、会話ですらも、そう多くしていない。「桂さん、お戻りは遅いですか」その言葉が気になっていた。
この部屋には誰も近づかぬように、そうふれてまわって一月。翔子が、この部屋に居やすい様に。いや、私が心おきなく彼女を独占できるように。
奥の間へ続く襖が少しだけ開いていて、その手前、畳の上に掌ほどの薄い小さな紙の切れ端が落ちている。四つに無造作にたたまれたそれには、赤い筆でなぞられた、見慣れぬしみがひとつ。
何か予感がして、さっと襖を開けると、さらに奥へ続くように、同じ紙きれが点々と連なって落ちている。そのどれにも、赤いしみ。ひとつひろう毎に、紙きれのしみの数もひとつ、またひとつ書き加えられ数が増えてゆく。
何を意味するものなのか考えあぐねて、さらに一番奥の、寝間として使っている部屋にまで辿り着く。おそらくこの不可解な悪戯をするのは翔子しかいない、と確信を持って。
勢いよく、ぴたり閉じられた襖を両の手で左右に開くと、そこには今拾ってきた紙きれとは比べ物にならぬ程の、おびただしい数の紙きれの山。
紙の白と、しみの赤とに埋め尽くされたその部屋の、机にうつ伏せるように、小さく寝息をたてる翔子。未来から持ってきた赤色の筆のような棒を握り締めながら。
「これは…何の悪戯なんだい、まったく」
かけた言葉など知らぬとばかりに、眠り続ける娘。裾の短いせえらあ服から、すらりとのびる脚を折り曲げながら。
私がよく書き物をしているのを真似たのか?
机に乱雑に散乱する紙を一枚ずつ拾いあげながら、そこに落された見慣れぬ文字を、読めるだけ拾ってみることにする。
『桂小五郎』
『大好』
これは、恋文か?
『愛』
『大切』
眠る翔子の肩に羽織をかけてやり、読めぬ文字をとばしながら、次々、目で言葉を探す。
『未来』
『戻』
『寂』
『気遣』
『優』
『感謝』…
翔子を起こせば、この通り話してくれるだろうか。それとも、恥ずかしがってしまうのだろうか。文字と文字を繋げて、言の葉の連想を続けていると、何を言わんとしているのかがだんだんと解る。実に彼女らしい、文字の形、選び方。愛しい人のそんな一面を、こんな形で知る事ができるなんて。
そしてまた、息をのむ。
『誕生日』
『祝』
『本当』
『嬉』
「いつ、それを知って…」
今日が私の生まれた日である事を。
『一緒』
『幸』
――― 一緒に、幸せになりましょう ―――
赤いしみ、未来で愛情を表す印、はあと、というそれだと。以前翔子から教えられた記憶が一気に蘇る。
「翔子…」
起こしてしまうには可哀想で、この一言で目覚めぬのなら構わないと思い、一度だけ名を呼んでみる。…案の定、安らかに眠り続ける翔子をそっと見つめながら、右手に握られたその赤い筆で、私も彼女への恋文をしたためようと思う。
たくさんのはあとに、埋め尽くされたこの部屋で。
見よう見真似で、翔子へのはあとをひとつ、文の端に書き記しておく。もう抱えきれない程に満たされた愛の言葉へのお返しに。
(守るべきものに 内から『愛』で満たされているこの幸福感)
−END−
桂小五郎様に捧げます。