いつものように肩を並べて帰路につく。
長い影を追いかけるように歩く私達のあしどりは、随分とのろい。
それは別れが惜しいから、なんて甘いものではなく、単純に荷物が重くてどうしようもないから、というなんだか私達らしい理由からだった。
分厚い参考書はもとより、白衣やらなんやらを詰め込むだけ詰め込んだ鞄は今にもはち切れそうだ。
カツンカツンと軽快なリズムで石畳を踏み締める足は、一歩進む毎に乳酸が溜まって重たくなっていく。
学校を出たばかりの時は今日の実験について話し合う余裕さえあったものの、先程から溜め息がこぼれるばかりで会話らしい会話も続かない。
疲労感に泣きたくなった。
それはルカも同じようで、顔を見合わせれば互いに苦笑い。
とりあえず当面の課題として、レポートの考察をどうしようかと切り出そうとした私よりも一瞬早く、ルカの口から音が発せられる。


「あ、」


翡翠の瞳は私を飛び越した向こう側を見ていた。
つられて振り向いた先には同じクラスの女の子が二人、それから老夫婦が歩いているだけのごく有り触れた風景。
初めは何にそこまで反応を示したのかさっぱりだった。
小首を傾げると、同じく視界の端で何かがもぞりと動いた。


「う、わ」


目を凝らして見れば、それは街灯へ背を預けながらうずくまる男性だった。
具合が悪いのか、単に行く宛てがないだけなのかは判断がつかない。
好き勝手伸び放題な髪と髭が顔を覆い、僅かに覗く目元から唇までの視覚的情報だけで何かを読み取れる程、私には知識も経験もないからだ。


「ひどい」


漸く言葉らしい言葉を呟いたルカの瞳は私の思っていたそれと微妙にズレた位置を映していて、僅かに下がった眉尻に抑え切れない嫌悪を滲ませているようだった。
何が、と彼に問うのは無粋な気がして、というより聞いたが最後同じ目で私も見られるんじゃないかと得も言われぬ恐ろしさがどこからともなくぶわぁっと駆け巡って、頬がひくりと震える。


「今の、聞いた?」


ふるふると首を揺らせば、視線はそのまま細く息を吐いて「じゃあ聞かないままでいて欲しいな」それに被さるように同級生の片割れが声を上げた。


「なにあの人、気持ち悪い」


別段大きなものではなかったけれど、妙に張り詰めている私の神経には十分な刺激だった。
はっとルカを見れば、淋しそうな残念そうな憐れみの篭った笑みを浮かべていて、私はみっともなく口を半開きにすることしかできなくなってしまった。
何か言おうと開いた筈が、何の言葉も出てこない。


「さっきはね、あのお爺さんとお婆さんが似たようなことを言ってたんだよ」


嘲るように変化していく表情は、いったい誰に向けたものなのか。
ぞっとする程、綺麗な笑みだった。


「それに今の、僕達のクラスの子だけど…今日の解剖で可哀相だってごめんねって言ってたのに」


そこで一旦言葉を切られた。
咽頭がいやに詰まって唾を飲み込むことさえ辛かった。
早くその先を言って欲しいと焦れる心の傍で聞きたくないと叫ぶ私がいる。
前髪をさらりと揺らし、初めて交わった視線は逃れ難いものだった。


「身勝手だよね、同じ命なのに」

呼応するように一陣の風が私の間を駆け抜けた。
息苦しさから思わず俯くと、長く長く伸びたルカの影が別人のようで凄く凄く恐かった。
あなたはだれ?


「アスラがラティオとセンサスの統一を目指した気持ち、今ならわかる気がするんだ。アスラなら、本当に差別のない世界ができたかもしれない」

「アス、ラ?」

「うん、凄いんだよアスラは。なんでもできるしセンサスの王なんだ!」


熱っぽく語るルカはそこで語気が荒くなったと気がついたのかぐっと握りしめていた手を解き、それから小さく「僕の夢物語だけど」と付け加えるように呟いた。
なんだか酷い羞恥に駆られた泣きそうな顔で謝罪の言葉を口にされ、不思議と胸がざわめく。
慰めようと思ったのか、はたまたこれこそ私の本音だったのか。
考えなしに飛び出た思いが全てを決めた。


「いいね、みんなが平等な世界。その、アスラ?みたいな人がいてくれたら良かったのに」

「えっ」


余程驚いたのか、暫くルカは目を瞬かせていた。
その反応に私もびっくりしてしまう。
二の句どころかあもうも言えなくて、ひたすら何か言ってくれないものかと待っていた。
待ち望んでいた。


「君も、そう、思う?世界は一つの意志の下、統一した方がいいって」

「そこまでは想像つかないけど…」

「簡単な話だよ。貧富なんてない、困っている人がいたら助け合う、そんな当たり前をみんなが当たり前といえる世界にしたいんだ」

「それは素敵だね」

「でしょう!」


なんて幼稚でロマンに溢れた会話だろう。
現実に疲れた脳は当然か、甘美な夢に憑かれた。
すぐそこまで夕闇が迫っている。

「大変な道のりだとは思うけど、僕は絶対に実現させてみせる」

「ルカならきっとできるよ、素晴らしい世界、を、」


そこではたと気づいた。
なんだかおかしな話だ。
素晴らしい世界を作るのは、僕?
アスラだとかいう人ではなくて?

夕日が最後の煌めきを残して完全に沈む。
一瞬、強く照らされたルカの顔はとても綺麗な、この世界の何をも見てはいないような神秘さを孕んだ瞳で私を映していた。
静かな湖面のような深い深いそれに私は吸い込まれそうになった。
にも関わらず、決して触れることのできない絶対的なオーラとでもいうのだろうか。
頭を垂れて無意識の内に従ってしまいたくなるような、ルカが遠い存在になってしまったような錯覚を覚える。
手を伸ばせば、確かに触れられる筈なのに。


「なんて、夢物語だけど」


今度は実に堂々とした物言いで付け加えられた。
それから、明日の授業はなんだとかレポートはどうするだとかいったあからさまな話題の転換に私はにっこり笑って相槌を打つばかり。
カツンカツンと石畳を踏み締める、そのリズムが狂うことは最早ない。
私とルカが別れ道に差し掛かって漸くそれは途切れたのだった。


「それじゃあ、また明日」

「うん、また明日ね」


すっかり日も暮れた中、一人帰路につく。
ぶらりと垂らした腕がやけに重かった。
結局、私達も、彼らと同じだ。
去り際の「ありがとう」は、何もしていない私に向けるべき言葉じゃない。



夢も希望もない、
ある
のはロマンだ

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