板挟みの昼休み

「ミョウジ先生」

そう呼びかけられたとき、わたしは思わずびくりと肩を揺らした。昼休み前の授業ということで、生徒たちのほとんどが、終了を告げるとともに教室から飛び出していった。そのため、この教室にはもうわたししか残っていないと思い込んでいたのだ。

「……ブラックくん。質問でも?」

レギュラス・ブラック、彼は優秀な生徒だった。もともと素質のある子だったけれど、彼自身の勤勉さもあり、成績は常に上位をキープしている。そんな彼は普段の授業でも気をゆるめず、授業後には質問をしにくることもあった。

そのような熱心な生徒は目をかけたくなるのが教師心というものだけれど、最近は……彼への態度がすこし、ぎこちなくなってしまっている。その理由は──。

「先生、どうしましたか」

いつの間にか詰められた距離は、もはや彼の顔で視界がいっぱいになるくらいに近かった。「わっ!」思わずのけぞると、彼は貴族出身らしい自然な仕草でわたしの腰に手を回す。倒れないように支えてくれたらしい。

「あ、ありがとう……」

「いいえ。先生がぼうっとしているのは今に始まったことじゃないので」

そんなすこし生意気なセリフにコラ、と軽く返そうとしたところで、「まあ、そんなところが可愛いんですけど」と平然と付け加えられたので、わたしは口をつぐむほかなくなる。──これが、最近のわたしの態度の大きな──大きすぎる理由だ。

たいへん優秀で教師たちからの期待も厚い(なにかと兄と比べられがちだが、彼はブラック家出身者の例に漏れず魔力も強かった)彼にわたしも同じように目をかけていたつもりだったけれど、いつの間にか彼から時を問わず口説かれるようになってしまった。きっかけすら何なのかわからない。それとなく他の女子生徒を勧めるものの、彼はわたしに(自分でいうことではないものの)ひどくご執心らしい。

「あのねえ……教師をからかうのはやめなさい。あなたが女子生徒に人気があるのは知っているのよ」

「すこしは僕のことを気にかけてくださっているんですか」

……もう何を言ってもダメだ。なまじ美しい顔をしているので、いじらしいセリフを口にすると様になるのもいただけない。ああ、いつの間にかわたしの手に彼の手が重なっている。まるで逢引みたいに。そっと手を引こうとした瞬間、ぎゅっと握り込まれた。

「先生、僕の気持ちは変わりません」

「ずいぶん熱のこもった学習態度だが、彼女に昼食を犠牲にさせるほど重要か?」

「ト……リドル先生!どうしてここに」

突然現れたのは、闇の魔術に対する防衛術の教師である、トム・リドル教諭だった。彼はわたしのホグワーツ生徒時代の同級生で──恋人でもある。生徒の前では隠しているので、わたしは慌てて彼のファーストネームを呼びそうになった口をつぐんだ。しかしわたしがこんなに驚いているのに、レギュラス・ブラックといえば涼しい顔だ。その上、「お時間を取らせるつもりはありませんでしたよ」だなんて肩をすくめて口にする。きっと、彼以外の生徒がこんな風にトムに牽制されれば、一目散にその場を離れるだろうに。トムは大変人気のある教師だったけれど、ある意味恐れられてもいた。ホグワーツでいたずらをするときに名前を読んではいけないあの人といえば、彼のことである。

「ブラック、私は副寮監としてきみに言わなかったかな?教師に対してそのような発言をするのは控えるようにと」

「リドル先生こそ、特定の人物のこととなると感情的になりすぎているのでは?」

目の前で口の立つ二人の喧嘩を見せられているわたしは、どうしようもなくなり立ち尽くした。この二人の間に割って入っても何も得しないことは、この数ヶ月で身に染みて理解している。「ナマエはわかってない」だの、「結局先生はどのような意見なんですか」だの、そういう時だけ結託してわたしを尋問官のように責め立てるからだ。

──かくなる上は、逃げるしかない。わたしは悟った。朝、ダンブルドアが昼食はローストポークだと囁いていたのも思い出したし、この場にいたってわたしにはどうすることもできない──。わたしがこっそりとその場を離れようとした時だった。レギュラス・ブラックがすごい勢いでこちらを向き直ってまっすぐにわたしを見つめたので、思わずわたしは硬直して「な、なんでしょう」と口走っていた。

「先生、ミョウジ先生のテストで今度満点を取ったら──」

「取ったら……?」恐る恐るわたしがそう返すのに対して、トムは「そんな態度だからつけ上がるんだ!」と耳打ちしてくる。最初こそ嫉妬などしていないという態度だったものの、最近では全く隠そうともしない。昔はやきもちをやいてほしいという気持ちがなくもなかったけれど、こうなったらこうなったでたいへん厄介である。

「ファーストネームでお呼びするのを許していただけますか」

「ファ、ファーストネーム?」

果たして何を言われるのだろうと身構えていたわたしは、つい拍子抜けしてしまった。ファーストネームですって?グリフィンドールの悪戯仕掛け人たちなど、とうの昔にわたしをナマエ先生、ときには先生すら飛ばして呼んでいる(その度に注意するけれど、一週間後には忘れ去られている)のだ。たったその程度を頼むのに、テストへの勉強を励むのだったら、むしろかわいいものだ──。昔からトムのたいへんおぞましく難関なおねだり(それは命令という名のほうがふさわしい)に耐えてきたわたしにとっては、彼のお願いはとてつもなく可愛くいじらしいものに感じてしまって、「そんなこと……」構わないわ、と口にしようとした。しかしわたしの言葉を遮って、トムがわたしとレギュラス・ブラックの間に立ち塞がった。

「私が許さない。たとえゴブリンがグリンゴッツを手放しても許さないからな!」

「では、そういうことで」

トムに構わず、いいですね、と念押しをしたレギュラス・ブラックをトムが追いかけようとするので慌てて引き止めて、彼の背中が消えるまで見送る。

「きみはどういうつもりなんだ。まさかあの生意気な子どもにほだされたわけじゃないだろうな」

目の前の敵を失って怒りの矛先をわたしに向けたトムは、恐ろしい顔で詰め寄ってくる。嫉妬深いわたしのエンジェル。そんな顔をしているとまるで悪魔だ。

「まあまあ……。満点のご褒美がたったあれだけなのよ。かわいいものじゃない」

「たった、あれだけだと?きみの感覚が麻痺しているようなら、グリフィンドールの不埒な輩のことも教育し直さなければならないようだ」

「ああもう!本当に怒りっぽいわねあなたは!」

「私が怒りっぽいんじゃない。きみが不用意で鈍感で無防備すぎるんだ」

三つも並べられては仕方ない。わたしは大きくため息をついて、「ため息をつきたいのはこっちだ、」と瞬時に反応した彼のくちびるをふさいだ。

「続きはあとでね。わたしをローストポークが待ってるの」

一瞬硬直した彼が追いかけてくるのを背中に感じながら、自らのくちびるにふれる。ちょっぴりもの足りなさを感じてしまうのは、彼の仕掛けてくる深いそれに慣れてしまったからだ。嫉妬深い彼を持て余すような態度を取っても、結局は愛しさが勝ってしまう。完全無欠な彼のかわいい姿は、こういうときにしか滅多に見られないのだから。
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