水無月の思想

質問していい?

魔法史の時間に暇を持て余したわたしは、一番後ろの席を一人で占領しているのをいいことに日記帳を取り出してそう書き込んでいた。ビンズ先生は今日も、生きていた頃の記憶をなぞるように、淡々と――悪く言えば、すこぶる退屈な語り口で教科書を読み上げていた。魔法使い同士の物々交換がいつ始まったかなんて、ガリオンやクヌートが飛び交う今の時代にはどうだっていい、なんてやさぐれた気分になるくらいには。

もっとも、ルシウスとともに父の書斎で聞かされるマルフォイ家の興隆の歴史にだって、大した興味はないのだけれど――。

しばらくすると、まるで書いている姿が浮かぶように、滑らかな筆順で文字が現れた。

授業を受けないのは君の勝手だが、去年返ってきた成績に僕まで思わず心を痛めてしまった事実は忘れないでくれ

あなたが勝手に見たのよ、どうやったかは知らないけど

わたしが思わず瞬発的にそう書くと、《やり方はいくらでもある》と悪びれもせず言う始末だ。わたしは追求を諦めて、羽ペンをインクに浸した。青みがかった黒がうつくしい。これは日記を書くためだけに買ったものだ。こうやって “特別扱い” をしているというのに、彼は皮肉を言わずにはいられないようだった。仕方がない。わたしが譲歩せねばならない。

今、不愉快なことを考えたろう

日記のくせに、開心術の真似ごとをしないで

本題からずれた。わたしは気持ちを入れ替えるために少し身じろぎをして、姿勢を正す。ビンズ先生の語りにちらりと耳を傾けた限りでは、今日このクラスが十二世紀から脱することはないらしい。

学生時代、クィディッチの選手だった?

No、とすげなく書かれた返事を見る限り、彼はこの上なく嫌々ではあるもののこの突然開かれた質疑応答まがいの暇つぶしに乗ってくれる気はあるらしかった。トム・リドルが箒に乗った姿を想像する。しかし顔は塗りつぶされたままだ。わたしは若かりしトム・リドルの顔も、そして父の仕える主の相貌でさえ知らない。ルシウスに「闇の帝王ってどんな顔をしてるの?」と尋ねた時の、彼の顔を思い出した。わたしの思い出の中でもなるべくしまっておきたい類いのものだ。

どの教科が好きだった?

教科に好みをつけること自体が、君の成績の結果を物語っているようだな

皮肉抜きでおしゃべりできないかしら、と書き込むことは簡単だが、それがどんな結果を生むのかわたしは嫌という程知っていたので、すんでのところでペンを止めた。これをただの変哲も無い “おしゃべり抜きの” 日記にしてしまうことは、彼の切れ味お墨付きなアイロニーをかわすより耐えがたいのだから。

わたしは彼と紙の上で話すのが、すきだった。六歳の誕生日にこれを贈られてから、ずっと。(まだ幼い女の子に、ナマエ・マルフォイ以外の名前が刻印された日記を贈るセンスというものを、一度ご再考願いたいのは別として) 彼は六歳の物心がついたかついていないかも定かではない幼子のつたない問いかけに、今と変わらない話し方をした。わからない言葉は辞書を引け、などと言いながら。文字上の嫌味の応酬は、すでにわたしに流れる血の、ひとすくい分くらいには刻まれているのではないだろうか?

それは興味深いね。これから参考にするわ》去年届いたわたし名義の成績を見た人間なら口にすることもはばかられるようなセリフを次から次へとよく思いつくものだ、と思いながら書き込んだ言葉はずいぶん殊勝だ。この思慮深さはもう大人といっていいだろう、きっと。わたしは追撃に身構えた(あくまで、ペンを握った上で)けれど、それ以上は彼も哀れみを知ったのか追求することはなかった。

どうやらまだゆるされているようなので、四つ目のクエスチョン・マークを記すことにした。プライベートに踏み込むのはなんだかためらわれたけれど、そもそも彼の前においてわたしのプライベートという概念は頭文字すらあってないようなものなので、一瞬の躊躇の後にはペンを遊ばせる間もなく走らせる。

あなたに恋人はいた?

思いの外、この質問に対する答えには時間がかかった。すぐに馬鹿げた質問を考えつく分野に関しては天才的だ、だとか、いかにも “ホグズミード一年目” らしい質問だなだとか、そんな言葉が返ってくるものだと思っていたので(こんな風に彼の皮肉を予測する時、そのいかにもな言葉たちにもしかして日記を介さなくてもわたしたちは会話できるのでは?と思ってしまう)、その間はなんだか少し気まずかった。あまり聞かれたくない領域だったのかも。

しかしやけに長く感じたのはわたしだけのようで、彼はいつものように素っ気なくYesとだけ返事をよこした。杞憂だったかしら。ちょうどベルが鳴ったので、わたしは慌てて日記を閉じる。好奇心に駆られた同級生に覗き込まれでもしたら事だ。白紙のページを見られるならまだしも、手に取られてその刻印を見られた暁には――長い長い尋問が待ち受けるに違いなかった。手にした日記帳を、慎重に、けれど素早くカバンに滑り込ませる。

今日はビンズ先生の授業で最後だったので談話室に同級生たちと戻ると、そこにはことのほか多くの生徒が集まっていた。どうやら一年生と五年生の授業が急遽なくなったらしく、元から授業の入っていない三年生、六年生が合わさってこの時間には珍しく談話室が賑わっているようだ。普段ならこの場所で自習している生徒たちはこの人の多さに辟易したのか羊皮紙と本を抱えて数人が出て行った。きっと、図書館にでも行くのだろう。けれど、目の前のソファを我が物顔で占領している六年生は、そんな気などさらさらないらしい。

「ルシウス、おはよう」

わたしがそう言うと、入ってきたときから認識していただろうに、まるで今しがた気づいたかのような白々しさで、兄は言う。

「おはよう。この時間まで会わなかった理由を聞いても?」

「寝坊して、お昼は午後の授業の宿題をやってた」

ルシウスの眉間に、うっすらとしわが寄る。 “私は憂いている”、兄は言葉に出さずとも雄弁に語ることのできる才能をお持ちだ。多分次はこう来るだろう、 “あまり失望させるな”。しかしどうやら今日のルシウスは寛大な気分のようで、三人ほど余裕で座れるであろうそのソファ――スリザリン寮でもっとも座り心地がいい――にもう一人ほど座れるよう腰の位置をずらした。どうぞ、なんて言うわけがないけれど、座れという意思は明確だったのでわたしは仕方なくそこに腰を下ろした。本当は、部屋に戻りたかったのだけれど。

「わかっているとは思うが、夕食には参加するように」

「もちろんよ。お腹が空いて倒れそう」

マルフォイ家が集まったそのソファの周りには不思議と誰も寄り付かなかった。というより、もしかしたらルシウスが寄せ付けなかったのかもしれない。わたしの言葉はルシウスを余計呆れさせたようだ。しかし彼は小言を口にする前にテーブルにあった紙袋を引き寄せた。どうやら誰かからの贈り物らしい。ハニーデュークスの品だ。

「夕食までの気休めにはなるだろう」

「食べていいの?誰のものかも分からないのに」

わたしがすでに紙袋から箱を取り出しながら尋ねると、「私への贈り物だ」と彼は言う。談話室で堂々とのたまうからには、スリザリンの生徒からのものではないらしい。なんだか悪いので紙袋を逆さまにしてみたら、手紙が一通入っていた。封蝋でハートの形にとじられたそれをルシウスに押し付けながら箱を開けてみると、そこにはチョコチップがたくさん入ったクッキーが詰められている。

「惚れ薬が入ってたらどうしよう」

「そういうことは食べる前に心配するものだろう」

それに食べながら話すのはいただけない、と窘めながらルシウスがゴミ箱に手紙を捨てようとするので彼の手からそれを取り上げる。かわいい妹の空腹を満たした功績の大きさは計り知れない。せめて読むくらいはしてちょうだいよ。わたしが封蝋を外して中身を彼の眼前にひらひらと揺らすと、ルシウスがとうとう燃やしてしまったのでかわいそうな差出人が誰かすらわからない。

箱の中が空っぽになっても誰かを熱烈に想うことはなかったので安堵しつつ立ち上がると、必ず夕食にはこいと念を押される。分かった分かった、そう返せば返事を何度もするなとお叱りが飛んだ。これ以上ルシウスの機嫌を損ねないうちに、と部屋に戻ってベッドに寝転がったのがいけなかった。

目を覚ました時には周りは寝静まっていて、またやってしまったと額に手を当てる。またルシウスの怒りを買ってしまった。しかし過ぎたことは仕方ないので、ベッドの横に無残に落ちたカバンの中から日記帳を拾い上げる。もう一度眠りにつく前に、彼に尋ねておきたかった。明日には忘れるために。

もう眠った?》月明かりを頼りにそう書き込むと、少しの間の後に《今日は質問ばかりだな》と返ってくる。普段はわたしのことばかり話すから、余計そう感じるのかもしれない。日記相手に “感じる”という言葉が適当かはわからないけれど。

あなたの恋人ってどんな人だったの?

またその話か、と彼が口に出して話せるようならそう言うだろうとなぜか確信があった。呆れて物も言えない、そんな表情も浮かべるに違いない。長い付き合いの中でそんな想像は容易にできるようになっていた。

覚えていないと言いたいところだが、僕が学生時代の記憶である限りそうもいかない。最後に交際したのは特に目立った特徴のない、いたって平凡な女だった。スリザリンで、純血の

純血、の前には “当然” とでもつきそうな口ぶりだ。それにしても、彼が恋人とどんな風に過ごしていたか、全く想像がつかなかった。恋人にもそんな風に皮肉ばかり言っていたの?それとも、すきな女性には優しくするタイプ?

その女性ひと、今でもあなたの写真を持ってるかな?

ただ気になって、そう尋ねた。彼の姿を見たことがないので、いつも想像上では冷たい印象の男子生徒を思い浮かべていた。純血ならば、マルフォイ家との交流も、もしかしたらあるかもしれない。そんなたくらみも胸の内にはあった。

君が彼女に会うことはないだろう

すぐにそれは気づかれたようで、そんな返事が浮かび上がってくる。なんだか心外だ、こそこそと探りを入れるような人間だと思われたのならば。しかし否定することはできない。もし手に入れられるなら、彼女の屋敷を訪ねるくらいはするだろう。

彼女は卒業後しばらくして亡くなった

わたしはそう続いた言葉に少し息を飲んで、二、三度文章を目で追い直した。まるで数回読めば、違う意味が現れると信じているかのように。しかしそんなわけもないので、ペン先を宙で何度か泳がせた――。かける言葉が見つからない。

わたしがそうやって逡巡していることに気づいたのか彼は、特に感傷に浸るような思い出じゃない、と続け、《病弱だった彼女に頼まれたからそれに付き合ったまでだ、せめて生きているうちに夢を見たいと》。

あなたは先の短いひとに縁があるみたい。そう書き込むことはなかった。あまりにいやな言い草だから。そのまま日記を閉じて、枕の下に滑らせる。月明かりはいまだ窓から細く差し込んで、やわらかく手元を照らしている。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -