やさしきまるのみ

「セオドール、どうしたの?」

誰もいない、静まり返ったスリザリンの談話室の扉を開けたのは、同学年のセオドール・ノットだった。彼が入ってくるまで、わたしは一人でここにいた。手持ち無沙汰に、本をめくりながら。まだ、夕食を終えたには早い時間だ。その上、今日はハロウィンなのだ、テーブルには豪勢な食事が並んでいるだろう。彼が、食事を半分も食べずに切り上げてきたことが容易に想像できて、わたしの声はなんだか咎めるような響きを、少しばかり含んでいた。もともと細身だというのに、彼は食事というものに興味を持たない。いや、彼が興味を持っているものなど、もしかしたらないのかもしれない――そう思わせるほど、彼はどこか浮世離れしていて、厭世的に見える。

セオドールはわたしがここにいることを知っていたかのように、わたしの姿に驚くこともなく平然とこちらへ近づいてきた。

「しばらく顔を出したから、もういいだろう」

「あなたらしい」

わたしはそう言って思わず笑ってしまうと、彼の分の場所をあけた。彼は長居するつもりがなかったようだけれど、空けておくには不自然すぎるほどのスペースだったのか、大人しくそこに収まった。彼は、妙なタイミングで素直になるところがある。

「そろそろやめたらどうなんだ」

「なにを?」

セオドールは、わかっているくせにと言いたげな顔をする。けれど、あきれた様子を隠そうともせずに「絶命日パーティなんていう、くだらないものに行くのは」と続けた。わたしが、彼のいう “絶命日パーティ” に行くのは、これで三回目だ。それはハロウィンパーティを逃した数とも言えるけれど、一度くだらない理由で足を踏み入れてしまった以上、なんだか罪悪感を覚えて毎年顔を出すようになったのだ。その理由を、セオドールは知らない。知ったら、どんな顔をするのだろう。ふと、気になって口にしたくなったけれど、わたしは代わりの言葉を吐く。

「まあ、考えておくわ。そろそろ、かぼちゃマフィンが恋しいし」

そう思ってもないことを言って、あることを思いつき「そうだわ」と声を上げた。わたしの姿に彼は嫌な予感のようなものを感じたらしく席を立とうとしたけれど、そんな彼を押さえて言う。はぁ、と露骨にため息を吐かれても、わたしがひるむことはなかった。

「セオドール、――トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃイタズラするわよ」

どうせ彼がお菓子なんて持っているはずがないのだ。わたしに芽生えたのは、ちょっとしたいたずら心だった。彼はいつも、世界でただ一人きりのような顔をして生きている。それを、くずしてみたかった――それはいつも、失敗に終わるのだけれど。

今回もたくらみも、いとも簡単に破られた。セオドールは杖の一振りで、前のテーブルにかぼちゃマフィンを取り出した。「ブリーズが、君に用意するように、と」彼はそう言って、そのかごに山盛りのマフィンから一つ取り出して、ひとくち齧る。ブリーズめ。彼はわたしをからかって楽しむふしがある。こうやって、わたしがセオドールに絡むのも、彼はどこか見世物のように楽しんでいた。何が面白いのかわたしには理解できないけれど、彼はよくわたしの肩を抱いて言う。「唐変木に飽きたときは僕を思い出してくれ」と。彼にとっては、何もかもゲームのひとつであるにちがいない。

「あなたにいたずらしたかったのに」

わたしがそうため息をつきながら残念がると、「あいつの方が一枚上手だったな」だなんて適当なことを言いながら、セオドールが寮に置かれているカップを二つ呼び出し呪文で取り寄せた。マフィンと一緒に、紅茶まで用意してくれる気らしい。

絶命日パーティでは食べられるものもなかったので、わたしは素直にマフィンに手を伸ばす。二人でも食べきれない量が積み上がっているので、ひとつ取ったところで見た目に何の変化もない。クラッブとゴイルが帰ってきたら、彼らのものになりそうね、とぼんやり考えた。

「それで?」不意にセオドールが言う。あまりに突然だったので、わたしはマフィンを口に運んでいた手を止めて、彼を見つめた。彼から会話を続けようとすることが今まであまりに少なかったので、慣れていないのもあってわたしは首をかしげる。

「どんないたずらを仕掛けようと?」

彼がそう続けたので、わたしは「ああ、」と納得の声を上げた。わたしとの会話には興味がないと思っていたのに、そんなことを気にするのね、とは言わなかった。それは、なんだかまるで嫌味のようだ。別に彼が興味を持たなくたって、わたしには関係なかった。そういうところもひっくるめて、彼という人間だと認識していたからだ。

「そうね――」わたしはそう言って、少し沈黙した。候補はいくつかあったけれど、そのひとつひとつに頭の中でばつをつける。

「わたしの秘密を、教えるつもりだったの」

そう言葉をつなげると、セオドールは「秘密?」と即座に聞き返す。

「それがなぜいたずらになる?」

「あなたは、困るだろうから」

わたしは歌うように言う。なんだかおかしかった。食べかけのマフィンを口に放り込む。甘い。彼を困らせる秘密なんて、わたしにはいくつもある。あなたと名前を並べたくて、隠れて勉強に勤しんでいること。ハロウィンの日に雲隠れするあなたを探して絶命日パーティにまで行ったことで、毎年参加する羽目になっていること。あなたのことが、好きなこと。

困惑しているらしく――彼のすこぶるいい頭をもってしても、わからないだろうから――彼はうっすらと眉間にしわを寄せて、わたしの顔をじっくりと見つめた。まるでどこかに解答が書いていないか、探すように。わたしはそんな彼の様子に思わず吹き出してしまう。「僕に何をしたんだ」彼は問い詰めるような口調で言う。わたしが彼の知らないところで悪巧みをしたと考えているらしい。「いいえ、何も」わたしはしらじらしくそう答えた。

彼はまたため息をつく。これ以上探りを入れても無駄だと悟ったらしい。そのまま男子寮に戻るのではないかと思ったけれど、彼はまだ腰を落ち着けたままだ。彼がソファの肘掛に頬杖をついて考え事をし始めたので、わたしはこっそりと彼を見つめた。色素の薄い髪、抜けるように白い肌、高い鼻梁。憂いに満ちた目は、色気すら感じさせる。彼がいつも何を考えているのか、知りたいと思う。そう願ったところで、わたしが彼の思いをはかることは、いつまでもできそうにないのだけれど。

彼がわたしの視線に気付く前に、目をそらしてもうひとつマフィンを手にした。少し小ぶりなので、多めに食べてもゆるされるだろう――そんなことを考えながら。けれど、マフィンをつまんだ手が口元にたどり着く前に、いつの間にかこちらに向き直っていたセオドールがわたしの手首を掴んだので、それは叶わなかった。「セオドール?」答えはない。彼はその骨張った手で優しく掴んでいるけれど、それ以上動かせはしなかった。

「ナマエ」

「なあに」

なぜだか、セオドールの声に普段とは違う色が含まれている気がした。

「トリックオアトリート」

「え?」

これは無しだ、とわたしの手からマフィンを取り上げた彼は、じっと覗き込むようにわたしを見つめる。

「わたし、何も持ってなんかないわよ……」

「じゃあ、いたずらだ」

長身の彼と見つめ合っているので、わたしは首を傾けたままだ。彼の瞳が淡い色をしているのを、わたしは見た。彼が体を折るようにして、ゆっくりと顔を近づけてくるのに、わたしは微動さえ起こすことができない。「セ、」みなまで言う前に、口を塞がれる。わたしは驚愕に開いていた目を、ゆっくりと閉じた――彼のくちびるの感触を、初めて知った日だった。



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