スラグホーンの声は、秋口の気持ちいい温度と合わさると、真面目に授業を受けようとする勤勉な生徒にすこぶる悪影響を及ぼす。――つまり、安眠へのお手軽・まっしぐらコースというわけだ。

「ミス・ミョウジ……ミス・ミョウジ!」

うとうとと舟を漕いでいたわたしの名前が教室中に響き渡って、わたしはやっとハッと顔を上げた。途端にこちらを覗き込む幾多の幼気な瞳が目に入って、やってしまった……と思わず頭を抱えた。

「今日は講義形式だから、昼寝をしよう――そういう算段かね?」

温厚なスラグホーンは色白な頬を少し紅潮させて、教科書片手にわたしの前に立っていた。どうして起こしてくれなかったのよ、と隣を見るけれど、彼は素知らぬ顔だ。

「私の話を聞かなくとも、ミス・ミョウジは生ける屍の薬の効能について、よくご存知のようだ。さあ、ご教授願おう」

今まで二、三度――いや、もっとだったかもしれない――彼には注意を受けているので、そろそろ堪忍袋の尾が切れる頃だとは思っていた。だというのに、この失態だ。わたしは首をすくめながら、「生ける、しかば…あー、屍?の薬は……」と口を開いた。

「生ける屍の薬は……あー、みんなご存じでしょうが……その名前の通り……生ける屍のようになる薬で……えーっと……黄色か、青色か、はたまた赤色の薬なんですが……その……」

わたしがそこまでしどろもどろに続けたところで、隣に座った優等生は誰にも気づかれないように小さく、呆れたようなため息をついた。そしてスラグホーンを見上げ、控えめに、けれどはっきり手を挙げた。

「おや……ミスター・リドル。どうしたんだね」

「ミョウジは昨晩、今日提出の魔法薬学のレポートを書くのに必死で寝ていなかったようなんです、先生。僕がもっと早く手助けするべきでした。その分、今挽回してもいいでしょうか?」

でっちあげだ。わたしは昨日、レポートが二週間前から課されていたことも、何もかも忘れて眠っていた。わたしがこの授業のレポートを仕上げたのは、一つ前の授業の、魔法史の時間だった。

スラグホーンはすでにお気に入りのうちに入っていた彼――トム・リドルの言葉に、了承の印としておおらかに頷いた。するとトムは教科書を開いていないにもかかわらず、雄弁に話し始める。

「生ける屍の薬は無色透明で、煎じたニガヨモギ、アスフォデルの球根の粉末などから作られます。口にすれば非常に強い睡眠薬として効果を表し、分量を間違えると生涯眠り続けかねません」

「素晴らしい、スリザリンに1点。ミス・ミョウジ、期限内に提出しようという意欲は認めるが、授業中の居眠りを見逃すわけにはいかない。罰則として羊皮紙15インチ分、生ける屍の薬について論じて来週提出すること」

わたしはその言葉を聞いてがっくりしながら「はい……」と頷いた。グリフィンドール側の席に座ったポッターたちがからかうようなそぶりを見せてくるので、殴りかかるポーズを取ると、その瞬間にスラグホーンが振り返ったのでその日は散々だった。結局30インチの課題を抱えたわたしは、せっかくの放課後を図書館で過ごす羽目になった。あまりの悲しみに机に突っ伏すわたしの前で平然と座っているのは、超然たる優等生、勤勉なミスターホグワーツ、トム・リドルだった。

「暇なら手伝ってちょうだいよ。どうせすぐ書けるんでしょう」

「その怠け癖を今のうちに矯正しておかなければ、後々僕が迷惑を被るような気がするんだ」

彼は手にした本に目を落としたままそう囁く。わたしが彼に向かって囁き声でいったときには周りの生徒が迷惑そうにこちらをにらんだというのに、トムの時はさっぱりそのそぶりさえ見せない。囁き声が相当上手なのか、それとも普段の行いなのか。それがまた悔しさを感じさせて、わたしは思わず唸った。

「犬の真似をしていても羽ペンが浮くことはない。今日中に終わらせれば明日からは課題から解放されるんだ、さっさとやれ」

「今日中に終わらせられるなら悩んでないわよ……」

わたしがとうとうぐすぐすと泣き真似をしながら力なく机に額をつくと、トムは呆れたのか椅子から腰を上げた。談話室で読んだ方がよっぽど捗ると気づいたのかもしれない。薄情者……とぽつりと呟いたわたしに、また迷惑そうな視線を向けてくる隣人は、ハッフルパフの監督生だった。次は減点されるに違いない、と慌てて口をつぐんだわたしの眼の前に、分厚い本がどっかりと置かれた。

「これを借りて、談話室に戻ろう。君のせいでスリザリンが寮杯を獲得できないなんてことになったらたまらないから」

トムはハッフルパフの監督生に甘やかな笑みをやりながら、彼女には聞こえないようにぼそりとそう言った。彼女は途端に気分が良くなったのか、トムに手まで振ってやっている。色男はずいぶん得なようだ。わたしも来世では、ハンサムなろくでなしになりたい。

談話室に戻ってしばらくの間、わたしは持ってきたすこぶる分厚いけれど内容は易しく詳しい本に向き合いつつ、トムが女子生徒にせがまれて課題を見てやっている声をBGMにしていた。勉強が苦手なわけではないので――ただ怠惰を極めているだけだ――集中して文字を追っていると、トムがトントンと指先で本の背を叩く。「そろそろ夕食の時間だ」、と。

女子生徒の甘やかな視線に気づいているだろうに、トムは餌を与えてやらない。優しく微笑みながら、大広間で会おうだなんて、わたしの方がじれったくなるようなことをいう。一緒に行きたいのだろうに、彼女たちは名残惜しそうに先に寮から出て行った。

「罪な男ねえ。わたしがトムだったら手を繋いで行ってあげるのに」

「次の日彼女たちが何事もなく過ごせるよう気を使っているのさ。全員が横並びなら、やっかみは起きない」

「わたしは?」

その自信たっぷりな物言いに思わず尋ねると、トムは首をすくめた。

「もうみんな気づいた頃だろう。君が敵になり得るような人間じゃないと」

言外に女らしくないと言われたのはわかっているものの、もう怒る気力すらない。入学当時は女子生徒からの嫌がらせは少なからずあったけれど、それもいつの間にかなくなっていた。全てはわたしの行いのおかげだ。トムが何か手を回したなどはあるわけがない。

わたしは本をテーブルに置くと、すでに扉で待っているトムの元へと足を向けた。彼の立ち姿を見るにつけ、彼は本当に美しい男なのだ、と思う――。この世で最もきれいなものは何か?と問われたらいちばんに彼を差し出すに決まっていると断言できるけれど、きっと彼にそう言ったら一蹴されるだろう。わたしは、口は悪いものの行動は紳士的なトムが開けた扉をくぐって、少し肌寒い廊下に繰り出すのだった。

「おやすみ」

少女たちが口々に言う。ずいぶん盛り上がっていた話題も日付が超えたあたりで尽きたようで、わたしの隣のベッドの生徒が唱えたノックスで明かりが消される。布団をかぶるようにして、先ほどの喧騒がまるで嘘のように静まり返った部屋で小さく丸まってねむりにつこうとする。夜はすきだ。夢をみるのも、すき。わたしのベッドは窓がいちばん近かった。冬は隙間風に悩まされるけれど、月明かりの心地よさには変えられない。

だんだん布団があったまってきたところで、布団越しに誰かがわたしに触れる感覚がある。またか、とわたしは心の中でつぶやいた。

「今にバレるわよ」

無遠慮に布団に潜り込んでくる影に、わたしはそう囁いた。後ろから抱きしめるようにして、わたしの腹に手を回してくる。その手はずいぶん冷え切っている。

「ねむれないんだ、仕方ない。それに、彼女たちが朝までに起きることはないだろう」

まるで悪さをしているそぶりがない。トムは当然のような口ぶりをする。

「女子寮に忍び込むために、いくつ校則を破ってるんだか……」

わたしの声は、だんだん語尾に行くに従ってとろとろと溶けていた。トムをなじるのと、眠気に身をまかせるのと、どちらが得策かは目に見えている。彼はちょうどおさまる位置を見つけたのか、すでに寝る姿勢に入っていた。

彼がねむれない夜に、こうやって女子寮に忍び込んでわたしのベッドに潜るのはもう、片手では数えきれなくなっていた。わたしももう慣れたもので、そんな彼をゆるしている。しかしわたしもなぜか、彼にそうやってあたためられながらねむりにつくとよくねむれるのだった。

「おやすみ、トム……」

ずいぶんほどけた声で、わたしはそう言った。明日、わたしがここにいるという約束はできないにもかかわらず。

わたしはこの世界の人間ではないのだった。

決まって25時





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