やさしく煮詰める



今日は午後の授業がなく、空も珍しいほどに晴れているので、廊下を歩く生徒たちもどこか浮き足立っている。中庭や、城の外へと向かうであろう彼らの波に逆らうようにして、僕は廊下を歩いていた。まるで、群れにひとりだけ逆らう魚のように。

目的の部屋の、開きっぱなしのままのドアをコンコン、とノックすると、その部屋の主はびくりと跳ねるように顔を上げた。頬に赤みをさしたその表情は、まるで少女のようだ。 “彼女は見た目よりはるかに年嵩であり、若返り呪文の研究に心血を注いでいる”、という噂が新入生が来るたびにまことしやかに囁かれるだけはある。

「お呼びですか」

僕はもう慣れ始めていた彼女――ミョウジ教授の部屋に足を踏み入れながら、我ながら平坦な声でそう言った。

「ルシウスがきちんと役目を果たしてくれたのね。来てくれてありがとう」

ミョウジ教授とルシウス・マルフォイは入学以前から縁があったそうで、時折ルシウス経由で僕に呼び出しがかかる。「約束を忘れないように」と朝食の席でも僕に声をかけたルシウスにとって、どうやらミョウジ教授は少しばかり、特別な存在らしい。いつもどこか小馬鹿にしたような態度のルシウスが、ミョウジ教授の話題が出るとどことなく柔和な表情を浮かべる。僕はそれが不思議だった。ミョウジ教授はグリフィンドール出身だというのに。

「あ!扉は閉めてちょうだいね」

彼女の言葉に僕は後ろ手に扉を閉めたが、そんな僕にミョウジ教授は少し首をかしげる。

「セブルス、そんなところに立たせておくために呼んだわけじゃないのよ。こちらへいらっしゃい」

僕はその言葉に少しばかり口を引き結びながら――部屋を訪ねてすぐに彼女に駆け寄る、僕にとって天敵と言っていい存在に思い当たったからだ――彼女の言葉通りに机へと歩みを進め、用意されていた椅子に腰をかけた。

「もうすこし遠慮を無くしてくれてもいいのに、セブルス」

「遠慮ではなく、適切な距離です、先生」

ルシウスや、あのいけすかないグリフィンドールの距離感に慣れきった様子の彼女に皮肉交じりにそう言っても、「そうかしら?」と首をかしげるだけなのだ。ミョウジ教授はどこか、教師然としていない。それは、ダンブルドアにも言えることではあったが。

「何のご用件ですか」

甲斐甲斐しく僕の前に紅茶を用意してにこにこと「この前あなたが読んでた本、わたしも読んだのよ」などと雑談を振るミョウジ教授に、僕は尋ねる。特に、このあと用事があるわけでもないのだが、ここにいると出くわすことを極力避けたい人間が訪れる可能性が極めて高まることを、僕は考えるまでもなく知っているのだった。

するとミョウジ教授はすこし逡巡して、「ああ」と柔らかく微笑むと、扉に向かって「Colloportus」と唱えた。たちまち扉がまるで緊張状態にあるかのように震える。

「これで安心かしら?」

「別に、そんなことを気にしていたわけでは…」

とっさにそう言ったが、すでにミョウジ教授には一部始終を見られているため、取り繕っても無駄なことはわかっていた。けれど、僕は言わずにはいられないのだった。

「最近ちゃんと話せていなかったから、久しぶりにゆっくりあなたと時間をとりたいと思って」

「……そういうことなら、ルシウスが同席しても良かったのでは?ずいぶん、何の用かと探られましたが」

妙なところで独占欲のようなものを――むしろ、子どもがお気に入りのおもちゃを取られたときのような反応だ――見せるルシウスをいなすのは骨だった。その割に、ではあなたも来るといい、と言うと「あいにく誘われていないのでね」と返ってくる。

僕の言葉にミョウジ教授は少し困ったような、けれど優しい笑みを浮かべて、「彼が来ると、あなたはだんまりを決め込むでしょう?ルシウスに全部任せてしまって」と言うのだった。三人でこのように集まったことも何度かあったが、そうなると僕は彼女の言うとおり、時折頷いて見せるほかは紅茶を口に含むことしかしていなかったことを思い出す。

「でも、また今度ルシウスも呼びましょうね。彼、拗ねさせると後を引くから」

あのルシウスを手のかかる子どものように評するのは、きっと彼女だけだろう。彼のような、僕が言うのもなんだがスリザリンを煮詰めたようなタイプを手のひらで転がしてしまうミョウジ教授は、一体何者なんだろうか。そんなことを考えていた僕の視線に気づいたのか、先生はきょとんと首を傾げた。そんな表情も、まるで少女のようだ、と思う。制服を着て生徒に紛れていても、違和感はないだろう。

「最近はどう?レギュラスと親しくしているって聞いたけれど」

「まだ学校生活に慣れていないようなので、たまに相談に乗ったりしているだけです」

「意外と面倒見がいいタイプなのね。新しい一面を知ることができて嬉しいわ」

彼女は何を話してもにこにこと楽しそうに笑っている。そのせいか、普段より饒舌に話してしまっている自分に気づいて、内心舌打ちをする。まるで、彼女に心を開いているみたいだ。

「学生時代は、長いようであっという間だわ。セブルスが卒業するときに、何か一つでもいいから、これから先に辛いことがあった時もそれを思い出せば乗り越えられる、そんな思い出をここで見つけられたらいいわね」

「……先生には、そんな思い出が?」

僕がそう尋ねると、先生は遠くを眺めるような表情を浮かべて、幸せそうに、しかしどこか切ない声色で「……ええ」と答えた。いつもすぐに返ってくる返事が、その時ばかりは少しためらっているように歯切れが悪いので、僕は何となく紅茶を口に含んだ。特に喉は、乾いていなかった。

「……いつか、あなたに話せる日が来るといいわ。そのときにはきっと、全てうまくいっているか、それとも――」

**

その後彼女が何と続けたのか、僕――いや、私には、もう分からない。私の前には、あの時のように、彼女が座っていた。さすがに時を重ねたような名残はあるものの、やはり彼女の年を考えれば、ずいぶんと若い印象を受けた。

「お久しぶりね、セブルス」

彼女が闇の帝王の死の呪文を受けたとダンブルドアに聞いた時、膝から崩れ落ちてしばらく立ち上がることができなかった。あまりに大きな代償を、彼女に背負わせたことの実感をようやく感じたせいだ。彼女が消え、そして闇の帝王までが姿を消したとき、私はただ呆然と――彼女の計らいでデス・イーターとして裁かれないまま、一人の傍観者としてそれを眺めているだけだったのだ。

私は膝の上で手を握り締めながら、いまだに真っ直ぐに彼女の顔を見ることができないでいた。いつも、手持ち無沙汰さを紛らわすために口に運んでいた紅茶には、まだ手をつけていない。何もかもあの日のままだというのに、すべて変わっていた。彼女への恩も、私の過ちも。

「セブルス」

気遣わしげな声で、彼女がそう言った。どこまでも、優しい声だった。

「あなたの頼みを聞くことができて、あのときわたしは嬉しかった。あなたが苦しんでいるとき、わたしは何もできなかったから。

わたしたち、ずいぶんと遠回りしたけれど――これから幸せになれるわ。絶対に」

私はその言葉に、小さく頷いて顔を上げた。彼女は記憶の中よりずいぶん華奢になったように見えたけれど、それは私が、学生だったからなのかもしれない。けれど、今の彼女が確かに、穏やかな生活を送っていることは見て取れた。

「今の私がいるのは、あなたのおかげです」

この言葉を言うまでに、果てしない時間がかかってしまったが――彼女は昔のように柔らかく笑って、「教師冥利につきるお言葉ね」だなんていたずらっぽく言うのだった。






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