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「ナマエ!」

後ろから声がかかる。図書館の本を胸に抱えていたわたしが振り返ると、そこには同じ――とはいえ、校舎は別だ――ハイスクールに通う、男子生徒がいた。わたしと一緒のテニスクラブに所属しているので、互いに時折話す程度には親しい。金髪の髪を撫で付けたスタイルは今の流行りだ。

「スティーブ。偶然ね」

彼は駆け寄ってくると、わたしの腕の中からひょいと本を取り上げて、「君はいつ見ても読書に熱心だな」と大げさに感心してみせる。わたしがくすくす笑いながら「返してちょうだいよ」と手を伸ばしても、君の家まで届けるよ、メッセンジャーとしてね、なんて言葉が返ってくるだけだ。

「夏休みを満喫してる?」

隣を並んで歩いていると、彼はわたしの顔を覗き込みながらそう尋ねた。

「そうね――」わたしはそこで一度言葉を切って、もう十数日が過ぎた休日を振り返る。そういえば、家と、テニスコートと、図書館の往復ばかりだったかもしれない。それから、帰ってきているはずの“彼”は、まだ顔を見せない――そこまで考えて、スティーブがからかうようにわたしの目の前で手を振ったので、はっと我に返って彼を見返した。

「正直、何もしていなくて……自慢できるようなことがないわ」

そんなわたしにスティーブは呆れたように笑うと、「通りで日焼けしてないと思ったよ。ベスが君を海に誘いたいって言っていたのは聞いた?」と肩をすくめる。そんな彼に、わたしは小さく首を振りながらいいえ、初耳よ、と答えた。

「じゃあ僕から伝えておくよ、ナマエの夏休みはベスにかかってるって」

ちょうど家の前に来たので、スティーブはうやうやしくわたしに本を差し出した。「どうぞ、図書館のラプンツェル」もう、とわたしが憤慨したフリをすると、スティーブは敬礼とともに去っていった。

そうしてわたしが本を片手に家に入ろうとした時だった。わたしははっと手を止める。ちょうど、家に面した歩道を歩いてくるひとりの青年は、わたしの待ち焦がれたその人だったからだ。彼はわたしに気づいていたようで、目線が絡んでも動じなかった。

彼の名前を呼んで駆け寄りたかったけれど、わたしは口にする彼の名前を持ってやしなかった。それが口惜しくて、歯がゆい。ためらって立ち尽くしていると、彼が軽く挨拶がわりのように手を上げて、そのまま孤児院の門の中に入っていこうとしてしまう。わたしは慌てて、「ねえ!」と彼に駆け寄った。

近くに寄ってみると、彼とわたしには予想以上の身長差があって、驚いてしまう。思えば、彼とこうして外で出会ったのは初めてだった。二の句を継げずにいるわたしを、彼は辛抱強く見下ろしている。

「あ、あの……」

あなたに会いたかったわ、手紙をいつも待ってたの、どうしているか気になってた、そんな言葉ばかりが頭をめぐって、当たり障りのないことさえ口にすることができずにいた。じりじりと太陽が照りつけている。彼のわたしに負けず劣らずの白い肌を焼くように。わたしは申し訳なくなってきて、「何でもないの、ただ――」そう口にした。すると彼はそれを遮って、こう言った。

「あれを飲まないか?」

彼が指した先を振り返ると、そこには子どもたち数人でレモネードスタンドを運営していた。「ええ、もちろん……」わたしが願ってもないと言わんばかりに頷いたのを確認して、彼はそちらへと歩き始める。当然のように、わたしの腕の中の本を取り上げて、脇に抱えながら。

彼が1ポンドを差し出すと、子どもたちがレモネードを二つ、差し出してくる。わたしが硬貨を差し出しても首を振るため、「ありがとう……」と、光を浴びてうつくしく光る黄色を、その水滴を手に感じながら受け取った。

「一度飲んでみたいと思っていた」

そう言いながら、彼がひとくち口に含む。喉が押下するのを何となく見つめてしまって、日差しの暑さのせいとは到底いえない頬のほてりを感じる。窓越しに会うのとは、全く違っていた。こんなうつくしいひとを、見たことがなかった。

わたしがぼうっとしていたせいで、彼が何かを問いかけたのに聞き逃してしまった。「ごめんなさい、もう一度お願い」わたしがそう言うと、彼は軽く眉を上げて、けれど特に気を害したようなそぶりも見せず言う。

「さっきの彼は、学校の?」

どうやら見えていたらしい。何となくいたたまれなくなって、「ええ、ただ、クラブが同じだけ」となぜか言い訳がましくなる。しかしそんなわたしに彼は「ふうん、そうか」と、特に引っかかりも覚えなかったようで、もう一度カップを傾けただけだった。

「君が学校を楽しんでいるなら良かった」

「そんなこと――」

わたしは反射的に否定しようとして、慌てて口をつぐんだ。学校は、もちろん楽しい。友達に恵まれているし、学ぶことも、嫌いじゃない。けれど、彼にそう言われると、なぜだかちがうと言いたくなる――楽しくなんかない、あなたがいないから、と。

もちろんそんなことは口にできずに、けれど、むずむずと唇を動かしながらわたしが黙り込んでいると、不意に彼がわたしの顔を覗き込んだ。急に近づいたので、わたしは思わずのけぞるようにしながらも、彼の瞳に吸い込まれるように見つめ続けていた。しばしの沈黙の後、彼が言う。

「知らなかった。君はそんな目の色をしてるんだな」

彼に、言葉を奪われた。息をすることさえ、かなわなかった。その後どうやって家に帰ったかわからない。その日は、カーテンを開けることも、なぜだかできなかった。

レモネードの瞳



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