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クリスマス・イブの夜は、どこか浮き足立っている。

ここ、この街も例外ではない。ロンドンの中で少し外れた場所にあるとはいえ、玄関先に飾ったヒイラギの葉や赤い実が、普段とは違う特別さを誘って、わたしたちをそわそわさせるのだった。

「ナマエ!降りてきなさい、夕食よ」

母が階段下からわたしを呼ぶ声が聞こえる。「はーい」、とわたしは返事をして、ちらりと窓を振り返った。わたしが先ほどまで見ていたのは、言ってしまえば、クリスマスに染まった街並みではなかった。となりに建つ建物の、わたしの部屋にちょうど面した窓のカーテンが開くのを期待して、わたしはそこで待っていたのだ。しかしそれに反して、カーテンはぴったりと閉められ、中の光をこぼすこともない。わたしは小さな落胆に肩をすくめながらも、母がもう一度呼びに来ないうちに階段を駆け下りた。

テーブルに並べられたご馳走ですっかり満たされたお腹をさすりながら階段を上っていると、母がわたしにカゴいっぱいのお菓子を渡した。クリスマス・カラーの包装に包まれた色とりどりのお菓子はランプに照らされてキラキラと光っている。わたしが母に向かって首をかしげると、母はくすりと笑ってキッチンへと戻っていった。その仕草にわたしは少し赤面してしまい、足音が立つほどあわてて駆け上がる。母は勘が鋭いのだ。いやだわ、と小さく呟いて、けれど、わたしの目線の先は窓に向かっていた。

そのときだった。カーテンが揺らいで、あちらの光が漏れたのは。

あんなに開いてほしいと願ったのに、開くときは一瞬で、ためらいもない。勢いよく開かれたカーテンの先にいるのは、黒髪で、つるりとした頬の、少し痩せ型な男の子だった。

わたしが窓を見つめて突っ立っているのを怪訝そうに見た彼は、手に持っていた本を窓枠に置くと、ゆっくりと窓の下を見下ろした。雪が積もっているかを確かめたのか、それとも彼もクリスマスの飾り付けが気になったのかもしれなかった。

わたしは思わず窓に駆け寄って、ぼんやりくもったガラスを手でこすった。そうして、冷たい風が吹き込むのにも構わず、窓を思い切り開ける。彼はわたしの行動に眉を寄せたけれど、渋々といった様子で同じように窓を少し開けた。

「手を伸ばして!」

わたしは先ほど母からもらったカゴを、窓から手を伸ばして彼へと渡そうとした。口で言ったら彼が断るのは目に見えていたので、そうしてしまうのが早いと思ったのだ。案の定、彼は窓を開けた時と同じく渋った顔で、しかし読もうとしていたらしい本を机に戻して窓を大きく開け、同じように手を伸ばした。あと少しで届きそう、とわたしはつま先立ちになりながらカゴを押し出す。

「あっ!」

まるでスローモーションだった。つま先が床を滑り、体が窓枠から投げ出される。わたしはとっさに、彼の顔を見上げていた。彼が目を見開いている。珍しい。彼が表情を変えることなど、滅多にないというのに。

わたしは三階の窓から落ちかけているというのに、そんなことを考えていた。すると突然、強い風が吹いてわたしは部屋の中に押し戻された。しりもちをついた途端に現実に引き戻されたように鼓動が早くなる。震える指先に力を込めて立とうとするのに、腰が抜けたのか足が使い物にならない。しかしゆっくりと膝立ちになると、窓枠にしがみつくようにして顔を出し、外を見上げた。そこには、カゴを抱えた彼がいつもの無機質な表情を浮かべて立っている。

「あなたが助けてくれたの?」

わたしが思わずそういうと、彼は唇を引き結んで肩をすくめた。そうして、カゴの中から赤い包装紙に包まれたお菓子を一つ取り出すと、わたしの部屋へと投げ込む。そうして、すげなく窓を閉め、カーテンをぴったりと閉じてしまった。

わたしはぺたりとその場に座り込んだ。どっと緊張感と疲れが出た気がした。窓から落ちかけるなんて!そんなおてんばを今までしたことがなかった。しばらく呆けたようにそうしていたわたしは、足元に転がっている彼が投げ込んだお菓子を拾い上げる。それはチョコケーキだった。いつか、わたしが好きだと彼に言った気がする。それを覚えていたのか、それともただの偶然なのかはわからない。

けれどその包装紙に書かれた “merry Christmas”の文字に、小さな幸せを感じてしまうのは、どうしてだろうか。

わたしはチョコレートケーキを口に放り込んでゆっくりとその甘さを噛み締めると、包み紙をていねいにたたんで日記帳に挟み込んだ。今日のことは、きっと忘れないだろう。

彼はもう、ベッドに入っただろうか。それとも、頬に彼のまつげの影を落としながら、先ほどの本を読んでいるのだろうか。

はじめてだった。こんな気持ちを持つようになったのは。母には気づかれているに違いない、けれど、わたしのこの、胸の奥のほんのりとしたあたたかさは知らないだろう。

わたしはもう一度窓の外を見つめた。空には星が出ていた。しかし今日だけはそんな美しい景色にも、クリスマスの装飾がまさっているように感じる。

「あなたの名前が知りたいわ――」

わたしはそう呟きながら、名残惜しさをこらえてそっとカーテンを閉じる。

わたしはまだ、彼の名前さえ、知らないのだった。

クリスマスの夜に





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