ふたりのしあわせな庭

「見て、トム」

わたしがトムにそう声をかけると、彼は気だるげに振り返る。その手には、彼には不釣り合いな銀のジョウロを持っている。二人きりでの隠れた生活を送り始めたわたしたちは、わたしの提案で家の周りでハーブやちょっとした野菜、部屋に飾る花々を育てているのだけれど、外で魔法を使わないと約束しているトムはマグル式での水やりを余儀なくされているのだ。「アグメンティくらい」とトムはぶつぶつ言っていたけれど、約束は約束よ、と彼の手にジョウロを押し付けたのは数十分前のことだ。

「こっちに来てちょうだいよ」

振り返ったくせにいつまでもハーブを植えた日当たりのいい菜園から離れようとしないトムを呼び寄せると、彼は渋々といった様子でジョウロをその場に置き、こちらへとやってきた。「あら、あれを持っているトム、すごくかわいいのに」とわたしが言うと、「シレンシオだけは使っていいことにしないか?」と組んだ腕に指先でトントンとリズムを取るので、わたしはそれ以上彼をからかうのは止めることにした。

「見て。いちごが赤くなってるわ」

わたしの言葉を聞いて隣に同じようにしゃがみ込んだトムは、わたしの手元を覗き込んだ。このいちごは、庭を作ろうと決めた時に初めて植えたものだ。買ってくればいいだろう、とトムは渋っていたものの、何かと世話を焼き、わたしが水やりを忘れて慌てていると「もうやった」と平然と言っていたのだ。

「きみ、もしかして明日に合わせて呪文を使ったのか?」

そんなことを言うトムに、わたしはまさか!と返した。

「でも、本当にタイミングがいいわ」

明日は、ジェームズ一家がこの家を訪ねてくる。彼と再会し、全てを話したのは一年前のことになる。最初は当然とはいえトムを受け入れられない様子だったジェームズも、時間をかけて彼を理解しようとしてくれているようだった。最初は自ら席を外していたトムも、最近は挨拶を交わすようになっている。ハリーが「トムおじさん」と彼を呼んだ時には、少し顔を青くしていたけれど。

摘み終わったいちごの表面をなんとなく撫でると、不意にトムがわたしの手を取った。思わずトムを見上げると、彼はわたしの顔を覗き込み、手を握ったまま頬に手を当ててくる。「少し日に焼けてるな」と、トムは呟くように言う。確かに火照りを感じていたけれど。

「そろそろ中に入ろう。ナマエが熱でショートを起こす前に」

「あら。あなたがマグル式の言葉を使うなんて」

トムがわたしの手を引いて立ち上がらせ、ドアまで連れて行くのに従いながらくすくす笑うと、「何でもかんでもマグル式でやらされれば嫌でも身につくさ」と鼻を鳴らしつつ彼が答えた。そういえば、セプティマス・ウィーズリーの子どもはマグルかぶれだった気がする、とぼんやり考えた。アーサー・ウィーズリー、彼も、わたしの教え子だった。そして、今では大家族の父だと風の噂で聞いた覚えがある。

「なんだか、みんなに会いたくなるわ。フリーモント、エル、クィディッチのメンバーたち、それから……」

ホグワーツで、生徒として出会った人たち、教師として出会った子たち――。永い時を過ごしてきたせいで、ふとした瞬間に感情的になることもある。

「……きみは――」

玄関に入り扉を閉めてしまうと、差し込んでいた日差しが遮られ、わたしとトムの顔に影が落ちる。外が明るいため明かりをつけていない室内は、窓からの柔らかな光だけがわたしたちの輪郭をうつしだしている。

トムはわたしを振り返ったまま、珍しく言いよどんでその場に立ち尽くした。どうしたの?とわたしが問いかけても、そのままだ。

しばらくそうしていたトムは、なんとなくうつむき加減のまま、わたしが両手で抱えていたいちごのバスケットを持ち上げると、それをさっさとキッチンに運んでしまう。今のうちに洗ってしまうようだ。気のせいかもしれないけれど、浮かない顔をしているように見えるトムが気になって、わたしはキッチンについていこうとしたけれど、「疲れただろう。座っていろ」という言葉で制されてしまう。

手持ち無沙汰になってしまったわたしは、ミントを浮かべた水――トムが指先だけで用意したものだ――を片手に、グリーティングカードの整理をし始めた。といっても、わたしたちの家に送ってくるのはジェームズ一家と、それから数名の、事情を知る友人たち。わたしが現れた時の、彼らの顔を思い出すたびにおかしいような、申し訳ないような、そんな複雑な感情が湧いてくる。ルシウスなんて、思い切り立ち上がって、そして腰を抜かしてソファに座り込んでしまったのだから。そうしてもう一人の、スリザリンの思い出深い教え子――セブルスは、口をきっと引き結んで、噛みしめるように「ありがとうございます」と言いながら頭を下げた。そんなこと、しなくていいのに。あれから、リリーとセブルスが和解したことは双方から聞いていた。

写真付きや、豪華な装飾がされたものなど、それぞれの性格が現れているかのような色とりどりのカードを、わたしが大切に箱に収めていると、トムが表面に水滴の残る、綺麗に洗われたいちごをいれたかごをテーブルに置いた。

「ルシウスか。懐かしいな」

わたしがちょうど手に持っていたカードを見とめたトムが、素っ気なくそう言う。

「あなたでも昔を懐かしむことがあるのね」

「ナマエほどじゃないが」

トムはなんでもないように言うと、「これはどうするんだ」といちごを指した。

「うーん……。イートン・メスはどう?余ったいちごはジュースかジャムにするとして」

「ナマエに任せよう。甘いものはきみの領分だ」

肩をすくめてそう返すトムに、十分な休息を得たわたしは「じゃあ決まりね!」と勢いよく立ち上がり、トムの背中を押してキッチンへと入る。

それから明日の下準備をしつつ、トムに諸々の書類の整理を任せて用意した今日の夕食は、ミートパイに付け合わせの野菜、それからカブのスープだ。

「トム、ワインはどうする?」

「いや、今日はやめておく」

そうね、とわたしは同意してテーブルに着くと、トムと一緒に食事をとり始める。やはり、トムはとても綺麗にナイフとフォークを使う。まるで貴族出身のように。どこで身につけたのかしら、と見るたびに考えてしまう。そうやって手元を見てぼんやりしていることに気づいたのか、トムが不意に手を止めた。

「どうした」

思いの外優しい声に、わたしは首を振って「なんでもないのよ」と返す。しかし、そのまま止まったままの手に、わたしが今度は「どうしたの?」と問いかける番だった。

「ナマエ、きみは――」

わたしは首を傾げてトムの言葉を待った。何を伝えたいのか予測できてはいないものの彼の言葉をすべて聞きたいと、目覚めてから余計思うようになり、それはトムも同じだったようで、わたしたちは度々食事を冷ましてしまうこともあった。しかしいつもの雑談の延長のような語らいの時とは違い、今日は口が重いようだった。

「……きみは、昔に戻りたいと願っているのか」

しばらく逡巡していたトムがやっと口を開いて言った言葉は、わたしが思わず目を見開いてしまうほど意外な言葉だった。

どうしてそう思うの、と尋ねたかったけれど、思い当たる節があった。最近、わたしは思い出話をすることが多かった気がする。それはただ、長い時を過ごした分の記憶をただ振り返っていたに過ぎなかったのに。

「トム、わたしは――」

わたしが口を開いたのを制するように、トムはわたしに握った手を差し出した。そうして、わたしの前でそれをそっと開く。そこにあったのは、真っ黒な石を冠した指輪だった。

「これは?」とトムに問うと、トムはそれを指で玩びながら「蘇りの石だ」、と答えた。

「おとぎ話の?」

「いいや。死の秘宝は実在する。そのうちの一つがこれだ」

私がこれを手にしたのはずいぶん前のことだ、とトムが何の感傷もなくいうので、わたしはこの石をトムがわたしに差し出した理由を測りかねて首を傾げた。しかし、それが本当なら、魔法省やダンブルドアに渡すべきではないのだろうか?

「きみが、これを使って――ポッターやマクスウェル、私達が過ごした時間の間に喪くした人間たちに会いたいと言うなら、私は止めない」

わたしがまだ理解していないというのに、トムはわたしの手に石を押し付けてダイニングから去ってしまった。しばらくして、シャワーの音が聞こえてくる。

わたしは結局石を手にしたまま、寝る支度を整え、トムの後にシャワーを浴び、彼がすでに体を横たえているベッドに体を滑り込ませた。「トム」、そう声をかけても、トムは反応しない。もう眠ってしまったのかもしれない。

わたしは、そんなトムに体を寄せると、その背中に手を寄り添わせた。あたたかい。その体温が彼のものだと、ずいぶん前からわたしは知っている。

「トム、あなたは勘違いしているわ」

わたしはその背中に囁いた。

「わたしは、図らずも長い――本当に永い時を過ごしたわ。わたしの横に並んでいた人たちの姿は消えてしまった。もちろん、彼らに会いたくなる時はある。でも、彼らはわたしの思い出の中にいるのよ。彼らをここに呼び出して、わたしだけが満たされるのを望んではいないの」

トムは身じろぎひとつしなかった。

「わたしは今がしあわせなのよ。トムと二人でこの家で過ごして、たまに大切な友人たちが訪ねてきたりして。思い出話をするのは、わたしが彼らを忘れてしまったら、他に彼らを語る人がいないからよ。昔に戻りたいわけじゃない」

そう言って彼の背中に頬を寄せると、不意にトムが寝返りを打って、わたしに向き合った。そうして、わたしの体を抱きしめた。

「私は、きみが辛い思いをしていないか、気がかりなんだ」

わたしの髪に顔を埋めているせいで、トムの声はこもっている。しかし、その言葉はしっかりと耳に届いていた。

「わたしはいつも幸福よ。あなたがいるから」

本心からの言葉だった。トムがいれば、どこにでも行ける気がするのだから。

「……きみは、私の言葉を奪うのが上手いな」

小さくため息をつきながらそう言うトムにわたしはくすくすと笑って、彼の背中に手を回した。

彼の体温は、わたしたちの庭を照らす暖かな日差しのようだった。
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