おそろいの言葉を


「ナマエ……ナマエ」

わたしの肩に手を添えながら穏やかに名前を呼ぶ声で、わたしはまどろみから目を覚ました。ゆっくりと目を開くと、レースのカーテンの隙間から差し込む朝日を感じると同時に、彼の混じり気のない黒い瞳が目を細めてわたしを見つめていることに気づく。その唇が、軽く引き結ばれていて、わたしがトムを目に映した瞬間うっすらとほころんだことに、わたしは気づいている。

彼は呆れているという表情も隠しもせず、先ほどまでの優しい起こし方などまるで立ち消えたとでもいうようにわたしから布団をひっぺがした。

「起きろ。きみを待っていると私のスープまで冷めそうだ」

その言葉を聞いた途端、開いたドアから食欲をそそるコンソメの匂いが漂ってきて、思わずわたしがお腹に手を当てた途端にそこがきゅう、と音を立てた。そんなわたしを鼻で笑って、彼――トムは、ゆっくりと顔を近づけて鼻先に軽く口づけを落とす。

まるで祈るようなそれに、わたしは少しばかり心を痛めながらもお返しとばかりに彼の頬に同じように口づけをした。トムは、わたしが眠っている姿にまだ一片の恐ろしさを感じるらしい。そんなことをトムは一言も口に出さないし、おくびにも出さないけれど。

目が覚め、トムと再会してから数ヶ月が経つものの、呪文の影響なのかわたしは一度眠るとちょっとやそっとでは起きられなくなってしまった。こうして、朝食を作り終えたトムがわたしを起こしてくれるまで、彼が隣から起き上がったことにも気づかずに眠り続けてしまう。

「わたし、あなたのために朝食を作りたいのに」

わたしがベッドから起き上がりながらそう言うと、トムは自然な仕草でわたしをエスコートしながら「夕食はきみの役目だろう」と素っ気なく言った。けれど、わたしが遅くなるときはトムが作って待っていてくれることも多々あり、ほとんどそんな当番制もあいまいになってしまっている。

ついついむくれた――わたしとしては申し訳なさそうな顔をしているつもりなのに、トムはいつもこう表現する――顔をするわたしをダイニングチェアに座らせたトムは、わたしの髪をくしゃりとかき混ぜてキッチンへと足を向けた。

「それに、こう言っては何だが、きみが作るより私が作る方が――いや、やめておこう」

「そこまで言ったらもうほとんど分かるわよ!失礼ね」

口元を隠しながらくつくつと笑うトムに思わず憤慨しながらも、彼がテーブルに並べた料理を見るとそんな勢いもしぼんでしまう。朝から豪勢すぎると言っていいほど品数が多い上に、意図したものか否か、わたしの好物ばかりが並べられている。

「昔は豚になる豚になるって言ってたくせに……」

わたしが目を輝かせながらも、はしゃぎすぎるとからかわれるのを知っているため口元をむずむずさせながらそう言うと、トムはわたしにサラダを取り分けながら、不意にフォークに刺したトマトを差し出してきた。素直にぱくりとそれを口に含むと、トムは頬杖をつきながら満足げな目でわたしを見つめる。

「きみを太らせるのも悪くないことに気づいた。抱き心地という点からもね」

わたしがその言葉に思わず頬を赤らめて「朝からなんてこと!」と抗議すると、トムはなんてことないように「もちろん、きみに抱き枕にされている時のことに決まってるだろう」とうそぶいた。

その上、「何を考えてるんだ? “朝から”」なんてからかってくるものだから、わたしはいささか乱暴にスープを口に含んで、けれどその味にほだされてしまって「今日も嫌になるほどおいしいわ!」なんてちぐはぐな怒り方をしてしまった。

朝食を終えると、わたしはお皿たちをキッチンへと運び、皿洗いを始める。トムは毎回座っていろ、だなんて言うものの、そこまで何でも甘えてしまうのは性に合わない。それに、わたしは杖を振るだけでそれを終えてしまえるのだから。

トムの杖は、魔法省に厳重に保管されている。

トムの生存は、本当に一部の人々しか知らない。わたしが目覚めるまでダンブルドアはトムのことを、それからわたしのことについて口を噤んでいてくれたらしいけれど、やはり闇の帝王の消息が分からないというのは平穏な魔法界を取り戻す際に大きな影響を及ぼす。そこでダンブルドアを含め、魔法省の中の一握りの人々が話し合った結果、トムの明確な生死は発表しないものの、 “闇の帝王” の杖を保管している事実は発表された。そして、トム自身の処遇といえば、今の通りだ。この、わたしたち以外にはダンブルドアしか知らない小さな家で、静かに暮らすこと。アズカバンに入れるべきという声も大きかったようだけれど、トムの意向がどうであれ逆にアズカバンに入れられた過激な死喰い人たちの旗印になってしまうというダンブルドアの懸念から、こんな生活が実現している。

トムの処遇についての会議にはちょくちょく参加していた――というより、証人、あるいは咎人のひとりとして参加せざるを得なかった――わたしは、こんなことになるとは思っていなかったのだ。彼とわたしが、また二人の生活を取り戻せるなんて。

杖を持たないトムは表向きはマグルと同じく魔法を使えないということになっているものの、トムは杖がなくともある程度の呪文であれば使えてしまうため、日常生活は今まで通りと言っていい。

わたしがぼんやりと、空中で泡にまみれる二人で選んだスープ皿を見つめていると、不意に肩に重みを感じる。それは彼以外にありえない。わたしの肩に顎を乗せて、「何をぼんやりしてるんだ」とウエストに軽く腕を巻きつけてきた。昔の彼ではありえないような甘い仕草に、わたしは思わず吹き出してしまう。

「あなたも丸くなったのね、トム」

わたしがくすくすと笑いながらそう言うと、トムは心外だとでも言いたげな様子でため息をついた。しかしトムが言われっぱなしのままでいるはずもなく、「きみはキッチンを泡だらけにする呪文を学んだようだな」と、トムお得意のさも感心したような声色で言った。

「うそ!なんてこと!」

トムに意識がいっている間にいつの間にかキッチンは真っ白になっていて、しゃぼん玉すら浮かんでいる。わたしが思わず声を上げたと同時に、トムが軽く手を振った。すると宙に浮かぶしゃぼん玉を残して、泡で溢れかえっていたキッチンが何事もなかったように元通りになった。

「私に任せておけと言っただろう」

どこか楽しげな声色を耳元に吹き込んでくるトムに、わたしは「うっ、」と図星であることを自ら証明するかのような声を上げるしかない。

「考えごとをしていなければ、きみもホグワーツ生より上手く杖を振れる」

なんて慰めているのかどうかさえわからない言葉をわたしにかけながら、トムはいとも簡単に皿洗いを終えていく。こういう日常生活を送っているトムを見ると、まるで、今まで何も起きなかったかのような錯覚に陥りそうになる。

「代わりにわたしがお茶を入れるわ」

トムの腕の中から一旦離れると、わたしは昨日摘んだばかりのハーブを使って紅茶を淹れる。これも、実はトムの方が淹れるのがうまいのだけれど、なぜかトムは「きみの紅茶を飲みたい」だなんてわざわざ頼みにきたりさえする。仕方ないわね、と毎回返すものの、そんなやりとりやトムと肩を並べてカップを傾けながらぽつぽつと話したり、はたまたお互いの手元に没頭したりするのが、わたしにとって何よりの幸せだった。

いつものようにソファに体を預けながら、心地よい沈黙に身を任せていると、わたしが何の気なしに膝に置いていた手をすくい取られ、優しく握られる。

トムの方を仰ぎ見ると、トムはわたしが淹れた紅茶に目を落としたままだった。そしてそれを一口含み、ちいさくほう、と息を漏らす。そんな仕草が愛おしくて、わたしは彼の手を握り返した。

「きみの淹れる、この味が好きだ」

ぽつりと独り言のようにこぼしたトムの声は十分わたしに届く。

「あなたが淹れた方が美味しいのに」

わたしが、珍しいトムの言葉に照れ混じりにそう言うと、トムはもう一度、「きみが淹れたものが好きなんだ」と言った。

「愛情を込めてるからね」

わたしがそう言うと、トムはそう言うと思ったと言わんばかりの表情を浮かべ、最後の一口を飲み干してしまう。わたしは空っぽになった、わたしのカップと同じ柄のそれに、もう一度、 “トムが美味しく感じますように”という思いを込めて注ぐのだった。

「もう二度とほどけないようにその後」でリクエストいただきました。ご希望に添えていれば幸いです。リクエストありがとうございました!
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