へなちょこヘモグロビン
「セブルス、スラグホーンがあなたを探してたわよ」
敷地の隅に置かれたベンチで教科書と鼻先を触れあわせていたブルネットの髪を持つ同寮のセブルスに声をかけると、彼はわたしに全く気づいていなかったようでハッと顔を上げた。
「君か。わざわざ伝言を?」
セブルスはパタンと教科書を閉じて立ち上がると、少し怪訝そうにわたしを見る。しかしその口調は穏やかだ。セブルスは陰鬱で愛想が悪い、だなんて言い出したのは誰だろうか。彼は同じスリザリンに対しては人並みにコミュニケーションを取っている。
「ええ、あなたの居場所くらいすぐ分かるから」
――あなたの考えるであろうリリー・エバンズが通りかかりそうな場所なんてそう多くはないし。
わたしが声のトーンを落としてそう囁くとセブルスは暗い顔色に少し赤みをさした。いつもそれくらい血色があってもいいと思うのだけれど。
「何をバカなことを」
セブルスがそう吐き捨てたとき、後ろから小馬鹿にしたような声がかかった。
「おやおや。ここはスリザリンが悪事を企む場所には不向きだと思うけどね」
振り向くまでもない。声だけで分かる。廊下の窓から顔を出しているのは、グリフィンドールの問題児に決まっている。そもそもリリー・エバンズが通りかかる場所というのは、グリフィンドール生全員が通る可能性があるのだ。そんなリスクを冒してまで会いたいだなんて、恋がどれだけ人を愚かにさせるのかセブルスは証明するつもりらしい。
セブルスの苦々しい顔に「行きましょ」と声をかけ、彼の腕を掴んで連れ出そうとすると、わたしたちの背中に「おやおや。逃げるのか?臆病者のスニベリー」と歌うような声が追ってくる。
「相手にしちゃダメよ」
わたしがそう囁くのに、セブルスはついに振り向いてポッターに対峙した。その後ろにはシリウス・ブラックが控えている。もうお互いに杖を構えているので、わたしが割って入っても無駄らしい。
わたしがぼんやりそれを見つめていると、不意に視線を感じた。いや、最初からなんとなく感じてはいたのだ。気に留めなかっただけで。
その視線の持ち主はブラックだった。スリザリンに来ればよかったものを、わざわざグリフィンドールに入った変わり者。彼はセブルスに杖を向けてはいるものの、わたしをまっすぐに見つめていた。牽制のつもり?わたしは何もしないわよ、というように肩をすくめたけれど、彼はそのジェスチャーに対しなぜかビクッと体を揺らして目を泳がせた。なんなのだ。
思えば前々からブラックには不可解な接触をされていた。合同のクラスではなぜか隣に座られ、廊下を歩いていると突然挨拶してくる。からかっているの?と問いかけるともごもごと口をつぐむのだ。わたしが彼と無言の攻防――というより、彼の意図を探ろうとしているだけ――をしている間に、ポッターとセブルスはひどい状況になっていた。セブルスの髪には謎の液体が絡みつきているし、ポッターの足は妙なリズムを刻み続けている。もう潮時だろう。
「セブルス!スラグホーンが呼んでるって言ったでしょう」
仕方ないのでわたしがセブルスの髪を綺麗に直しながら彼のローブを後ろに引くと、対象を失った呪文がわたしの足元近くすれすれに飛んだ。危ないじゃない、と抗議しようとポッターに向き直ると、そこではなぜかブラックがポッターを羽交い締めにして何やら喚いている。「危ないだろ!怪我したらどうするんだ!」とかなんとか。ブラックの方は意外とセブルスに対して優しさを持っているのかもしれない。
「ブラック、助かったわ!」
わたしがそう彼に言いながらセブルスを促してその場を去ろうとすると、「ミョウジ!」とまた引き止める声がする。ブラックの声だ。さすが純血の長たるブラック家の長男、よく声が通る。
特に用事もないのに留まるのは気が引けたものの先ほど喧嘩を止めて来れた恩もあるし、「セブルス、あなたは先に行っていて」とセブルスに言うと、セブルスは「ダメだ」とわたしの手を引く。図らずも手をつなぐような構図になった瞬間、「スニベリーこの野郎、絶対呪ってやる」と喉の奥から絞り出すようにブラックが叫び、次々とセブルスの背中に向かって呪いが飛んできたので、わたしは彼を逃すのに夢中になってブラックに呼び止められたことなんてすっかり忘れていた。
次の日のことだ。
いがみ合う二つの寮をわざわざ合同クラスにしなくてもいいだろうに、何故か多いグリフィンドールとスリザリンの組み合わせで、魔法薬学の授業が行われた。祖父の縁でわたしを何となく贔屓しているきらいのあるスラグホーンからクッキーをおすそ分けされていたせいで他の生徒より出るのが遅くなったわたしが外に出た瞬間、誰かにぶつかって跳ね飛ばされそうになる。
後ろに倒れる、と心臓が浮くような感覚を感じた途端、わたしは腰を抱かれて支えられていた。ハッとして顔を上げると、そこにいたのはブラックだ。
「お気遣いありがとう」
そもそもぶつかった原因は扉の前で突っ立っていたこのブラックだけれど、持ち前の反射神経で助けてくれたのもまたこの男だ。仕方ないのでそう言うと、ブラックはわたしをじっと見つめながら「いや、…」と口ごもってうっすら頬を紅潮させていた。そのままブラックはあー、だか、うーだか小さな声を漏らし続けるけれど、一向に体勢はこのままである。いい加減自分の足で立ちたい。
「あの、出来ればそろそろ離してもらえる?」
いつまでそうしているつもりかという思いを込めてそういうと、ブラックが慌てて手を離すのでまた転びそうになり、今度は思い切り彼の腕の中に抱かれてしまった。本末転倒にもほどがあるし、ブラックがつけているコロンの銘柄まで知ってしまった。いらぬ知識だ。
今度こそきちんと離してもらえたためわたしがもう一度礼を言って大広間に向かおうとすると、彼は何か決心がついたのか廊下に響くほどの大声で「ミョウジ!」と呼んだ。魔法薬学の教室からガタッ!と音が響いたので、中にいるスラグホーンまで驚かせたらしい。
「………どうしたの?」
まったく、いい予感はしない。むしろ逆だ。振り向きたくないせいで随分と返事までに時間がかかってしまった。廊下に生徒が誰もいなくてよかった、と、それだけがわたしをほっとさせる。こんなところ見られたら何を言われることか。
けれどわたしが振り向き、あまつさえ彼のそばまで寄ることまでしたのに彼はまたあー、だかうー、だか言葉にならない声を発するので、わたしは焦れてつい「ブラック。どうしたの?」と促してしまう。
するとブラックは唇をひき結んで、突然わたしの手を強く握った。急なことに驚いてわたしが何も抵抗できないのをいいことに、その手を両手で包んで顔の高さまで持ってくる。
「ミョウジ……ミョウジに、言いたいことが……」
「な、何よ」
彼のあまりの熱っぽさにわたしは若干体を引いてしまったものの、彼に手を掴まれているせいで逃げることは叶わない。
「ミョウジ……俺は、ずっと……」
「ずっと?」
ブラックは手を握る力の強さとは裏腹に目を泳がせて顔を赤くしている。恥じらっている乙女のように。
「ミョウジのことを、ずっと……」
「わたしのことを?」
もう、わたしはまるで子どもに先を促すような口調になっていた。そうでもしないとこの状況が終わる気がしなかったからだ。
「ミョウジのことを、……名前で呼びたいと思ってる!」
「はあ?」
決死の覚悟で、という顔をしているくせに妙なことを言われた気がする。名前を呼びたいだとか、どうとか。
「わたしの名前を呼びたいって?」
ブラックは「いや、その、…俺が言いたいのは、将来的に……」とやらなんとかもごもご言っているけれど、もう随分お腹の空いているわたしが取り合う話ではないと判断する。
「別にいいわよ、減るものじゃないし。わたしの名前は知ってるでしょう。わたしもあなたのこと名前で呼ばせてもらうから。シリウスって」
「なっ!」
わたしが彼の名前を呼んだ途端、どうしようもないくらい顔を真っ赤にして彼は立ち尽くしていた。いつの間にか拘束の緩んだ手を離し、わたしは彼に背を向けてさっさと大広間に向かう。もしかしたら、もうデザートが出る頃合いかもしれない、と戦々恐々としながら。
しかし、わたしの心は別のことでも浮かれていたのだ。まだ彼の体温が残る手について、だとか。
その考えを振り切るようにチキンのことばかり考えていたわたしは気づかなかった。わたしの後ろにいまだ立ち尽くしたままのシリウスが、わたしの背中に向かって「……ナマエ…」と惚けたように呟いたことを。
「蛇寮のクールな夢主に振り向いてほしくてアピールしまくるシリウス」でリクエストいただきました。ご希望に添えていれば幸いです。リクエストありがとうございました!
敷地の隅に置かれたベンチで教科書と鼻先を触れあわせていたブルネットの髪を持つ同寮のセブルスに声をかけると、彼はわたしに全く気づいていなかったようでハッと顔を上げた。
「君か。わざわざ伝言を?」
セブルスはパタンと教科書を閉じて立ち上がると、少し怪訝そうにわたしを見る。しかしその口調は穏やかだ。セブルスは陰鬱で愛想が悪い、だなんて言い出したのは誰だろうか。彼は同じスリザリンに対しては人並みにコミュニケーションを取っている。
「ええ、あなたの居場所くらいすぐ分かるから」
――あなたの考えるであろうリリー・エバンズが通りかかりそうな場所なんてそう多くはないし。
わたしが声のトーンを落としてそう囁くとセブルスは暗い顔色に少し赤みをさした。いつもそれくらい血色があってもいいと思うのだけれど。
「何をバカなことを」
セブルスがそう吐き捨てたとき、後ろから小馬鹿にしたような声がかかった。
「おやおや。ここはスリザリンが悪事を企む場所には不向きだと思うけどね」
振り向くまでもない。声だけで分かる。廊下の窓から顔を出しているのは、グリフィンドールの問題児に決まっている。そもそもリリー・エバンズが通りかかる場所というのは、グリフィンドール生全員が通る可能性があるのだ。そんなリスクを冒してまで会いたいだなんて、恋がどれだけ人を愚かにさせるのかセブルスは証明するつもりらしい。
セブルスの苦々しい顔に「行きましょ」と声をかけ、彼の腕を掴んで連れ出そうとすると、わたしたちの背中に「おやおや。逃げるのか?臆病者のスニベリー」と歌うような声が追ってくる。
「相手にしちゃダメよ」
わたしがそう囁くのに、セブルスはついに振り向いてポッターに対峙した。その後ろにはシリウス・ブラックが控えている。もうお互いに杖を構えているので、わたしが割って入っても無駄らしい。
わたしがぼんやりそれを見つめていると、不意に視線を感じた。いや、最初からなんとなく感じてはいたのだ。気に留めなかっただけで。
その視線の持ち主はブラックだった。スリザリンに来ればよかったものを、わざわざグリフィンドールに入った変わり者。彼はセブルスに杖を向けてはいるものの、わたしをまっすぐに見つめていた。牽制のつもり?わたしは何もしないわよ、というように肩をすくめたけれど、彼はそのジェスチャーに対しなぜかビクッと体を揺らして目を泳がせた。なんなのだ。
思えば前々からブラックには不可解な接触をされていた。合同のクラスではなぜか隣に座られ、廊下を歩いていると突然挨拶してくる。からかっているの?と問いかけるともごもごと口をつぐむのだ。わたしが彼と無言の攻防――というより、彼の意図を探ろうとしているだけ――をしている間に、ポッターとセブルスはひどい状況になっていた。セブルスの髪には謎の液体が絡みつきているし、ポッターの足は妙なリズムを刻み続けている。もう潮時だろう。
「セブルス!スラグホーンが呼んでるって言ったでしょう」
仕方ないのでわたしがセブルスの髪を綺麗に直しながら彼のローブを後ろに引くと、対象を失った呪文がわたしの足元近くすれすれに飛んだ。危ないじゃない、と抗議しようとポッターに向き直ると、そこではなぜかブラックがポッターを羽交い締めにして何やら喚いている。「危ないだろ!怪我したらどうするんだ!」とかなんとか。ブラックの方は意外とセブルスに対して優しさを持っているのかもしれない。
「ブラック、助かったわ!」
わたしがそう彼に言いながらセブルスを促してその場を去ろうとすると、「ミョウジ!」とまた引き止める声がする。ブラックの声だ。さすが純血の長たるブラック家の長男、よく声が通る。
特に用事もないのに留まるのは気が引けたものの先ほど喧嘩を止めて来れた恩もあるし、「セブルス、あなたは先に行っていて」とセブルスに言うと、セブルスは「ダメだ」とわたしの手を引く。図らずも手をつなぐような構図になった瞬間、「スニベリーこの野郎、絶対呪ってやる」と喉の奥から絞り出すようにブラックが叫び、次々とセブルスの背中に向かって呪いが飛んできたので、わたしは彼を逃すのに夢中になってブラックに呼び止められたことなんてすっかり忘れていた。
次の日のことだ。
いがみ合う二つの寮をわざわざ合同クラスにしなくてもいいだろうに、何故か多いグリフィンドールとスリザリンの組み合わせで、魔法薬学の授業が行われた。祖父の縁でわたしを何となく贔屓しているきらいのあるスラグホーンからクッキーをおすそ分けされていたせいで他の生徒より出るのが遅くなったわたしが外に出た瞬間、誰かにぶつかって跳ね飛ばされそうになる。
後ろに倒れる、と心臓が浮くような感覚を感じた途端、わたしは腰を抱かれて支えられていた。ハッとして顔を上げると、そこにいたのはブラックだ。
「お気遣いありがとう」
そもそもぶつかった原因は扉の前で突っ立っていたこのブラックだけれど、持ち前の反射神経で助けてくれたのもまたこの男だ。仕方ないのでそう言うと、ブラックはわたしをじっと見つめながら「いや、…」と口ごもってうっすら頬を紅潮させていた。そのままブラックはあー、だか、うーだか小さな声を漏らし続けるけれど、一向に体勢はこのままである。いい加減自分の足で立ちたい。
「あの、出来ればそろそろ離してもらえる?」
いつまでそうしているつもりかという思いを込めてそういうと、ブラックが慌てて手を離すのでまた転びそうになり、今度は思い切り彼の腕の中に抱かれてしまった。本末転倒にもほどがあるし、ブラックがつけているコロンの銘柄まで知ってしまった。いらぬ知識だ。
今度こそきちんと離してもらえたためわたしがもう一度礼を言って大広間に向かおうとすると、彼は何か決心がついたのか廊下に響くほどの大声で「ミョウジ!」と呼んだ。魔法薬学の教室からガタッ!と音が響いたので、中にいるスラグホーンまで驚かせたらしい。
「………どうしたの?」
まったく、いい予感はしない。むしろ逆だ。振り向きたくないせいで随分と返事までに時間がかかってしまった。廊下に生徒が誰もいなくてよかった、と、それだけがわたしをほっとさせる。こんなところ見られたら何を言われることか。
けれどわたしが振り向き、あまつさえ彼のそばまで寄ることまでしたのに彼はまたあー、だかうー、だか言葉にならない声を発するので、わたしは焦れてつい「ブラック。どうしたの?」と促してしまう。
するとブラックは唇をひき結んで、突然わたしの手を強く握った。急なことに驚いてわたしが何も抵抗できないのをいいことに、その手を両手で包んで顔の高さまで持ってくる。
「ミョウジ……ミョウジに、言いたいことが……」
「な、何よ」
彼のあまりの熱っぽさにわたしは若干体を引いてしまったものの、彼に手を掴まれているせいで逃げることは叶わない。
「ミョウジ……俺は、ずっと……」
「ずっと?」
ブラックは手を握る力の強さとは裏腹に目を泳がせて顔を赤くしている。恥じらっている乙女のように。
「ミョウジのことを、ずっと……」
「わたしのことを?」
もう、わたしはまるで子どもに先を促すような口調になっていた。そうでもしないとこの状況が終わる気がしなかったからだ。
「ミョウジのことを、……名前で呼びたいと思ってる!」
「はあ?」
決死の覚悟で、という顔をしているくせに妙なことを言われた気がする。名前を呼びたいだとか、どうとか。
「わたしの名前を呼びたいって?」
ブラックは「いや、その、…俺が言いたいのは、将来的に……」とやらなんとかもごもご言っているけれど、もう随分お腹の空いているわたしが取り合う話ではないと判断する。
「別にいいわよ、減るものじゃないし。わたしの名前は知ってるでしょう。わたしもあなたのこと名前で呼ばせてもらうから。シリウスって」
「なっ!」
わたしが彼の名前を呼んだ途端、どうしようもないくらい顔を真っ赤にして彼は立ち尽くしていた。いつの間にか拘束の緩んだ手を離し、わたしは彼に背を向けてさっさと大広間に向かう。もしかしたら、もうデザートが出る頃合いかもしれない、と戦々恐々としながら。
しかし、わたしの心は別のことでも浮かれていたのだ。まだ彼の体温が残る手について、だとか。
その考えを振り切るようにチキンのことばかり考えていたわたしは気づかなかった。わたしの後ろにいまだ立ち尽くしたままのシリウスが、わたしの背中に向かって「……ナマエ…」と惚けたように呟いたことを。
「蛇寮のクールな夢主に振り向いてほしくてアピールしまくるシリウス」でリクエストいただきました。ご希望に添えていれば幸いです。リクエストありがとうございました!