きみのゆるい瞬きにわたしは愛を知りゆくのです

「ねえ、トム」

わたしがそう呼びかけると、窓から差す明かりを頼りに読書に勤しんでいたトムが顔を上げた。柔らかな光が彼の顔に影を落として、まるで精巧に作られた彫刻のようにうつくしさだ。ホグワーツ時代、誰かがトムをマグルの何某が作った彫刻にたとえていたけれど、トムはわたしの前で「ナンセンスだ」と顔をしかめていた。けれど、半純血らしいその生徒がわたしに見せてくれた動かない写真に写ったその石膏は、なかなかトムに似ている気がした。本人は認めそうにないため、言ったことはないけれど。

「今度の休み、遠出しない?」

トムはその言葉に片方の眉をくいっと上げてみせる。そんな仕草さえ、様になるのだから少々恨めしくさえある。ノクターン横丁の安い貸し部屋で、ほとんど陽の差さない窓明りを背にしているとは思えないほどだ。

「どこに?この部屋に煙突飛行ネットワークは引いてないぞ」

箒に乗るのも、姿現しも苦手なわたしの唯一の安全な移動手段である煙突飛行。安いこの部屋にはもちろん付帯していないため、トムがいない時には大家さんの煙突を使わせてもらっていた。わたしはその言葉に、トムを見つめながら「そのー…」と言うことでトムが察してくれるのを待つ。すると勘のいい彼はすぐに理解するのだ。

「……いつから僕は君の足になったんだか」

彼特有の辛辣な物言いにはなれっこなので、えへへ、とごまかしておく。トムは仕方ないな、という表情を浮かべて本を閉じた。

「それで――どこに行くんだ」

そんなトムの言葉に、よくぞ聞いてくれました、とにんまり笑顔を浮かべる。その途端、トムがいかにも嫌そうな顔を浮かべた。さすが、ホグワーツ時代からわたしのわがままに振り回されてくれただけある。

「イタリアよ!」

――そして、今に至る。

わたしは安く手に入れた麦わら帽子をかぶって、見通しのいい丘に立っていた。青々とした芝生はどこまでも広がるようだ。そしてその先には、美しいブルーの浜辺がある。

「トム!素敵!」

わたしがウキウキしながらそう言うと、麻のオープンカラーシャツを着たトムは「突然駆け出すんじゃない」と呆れたように言いながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。突然杖を向けるのでわたしが思わずホールド・アップすると、風に飛ばされかかっていたらしい帽子を押さえてくれたようだった。

「あとで泳いでもいいかな?」

はしゃいだ声を自覚しつつそう言うと、水着は自分で買うんだろうな、とトムお得意の呆れた表情で言った。実はこの麦わら帽子の代金はトムのボージン・アンド・バークスでのお給金から出ているのだ。いつものえへへ笑いでごまかすと、トムはため息をつきながら麦わら帽子を押さえてわたしの頭にすっぽりとかぶせてしまった。「もう!」と声を上げてつばを押し上げると、目の前にいたはずのトムがいない。視界が真っ暗になった一瞬の間に消えてしまったのだろうか?

きょろきょろと周りを見渡すわたしは、ずいぶん遠く、すでに海に近いところでトムらしきシルエットを見つけた。きっと、また呆れたような顔をしているに違いないトムを追いかけて、わたしは駆け出した。

「血で血を洗う骨肉の争いを繰り広げた古代ローマ時代の魔法使いたちは面白い魔法を何重にも施したようだな」

やっと追いついた先にいたトムは、興味深そうに古い石造りの建物に手を這わせていた。わたしは全く感じ取れないけれど、トムは古い歴史に思いを馳せているらしい。そうなのねえ、と適当に相槌を打っていると、それがバレたのか気付いた時には目の前に腰に手を当てたトムが仁王立ちしていた。危うくその胸板にぶつかりそうになったのを、すんでのところでその場にとどまる。

「君の集中力がアリ並みだということを忘れていた。早く君の目的地に行って用事を済ませよう」

「その口ぶりだとまるで仕事みたい……。これはバケーションなのに」

わたしがそう唇を尖らせると、トムはため息をひとつついて、わたしの肩を抱いた。ホテルまで、姿くらましで移動するらしい。ふわりと香ったトムのいつもの匂いに、なぜだか今日はどきりとする。もしかしたら、トムのいつもと違う服装のせいかも。トムのわたしより高い位置にある顔を見つめながらそんなことを考えていると、それに気付いたのかトムがこちらを向いた。先ほどまでの考えのせいで少し胸がときめいたわたしに彼が言い放った言葉はこれだ。

「頼むから吐いてくれるなよ」

「……吐きませんよ!子どもじゃないんだから……」

そんなこんなでホテルについて荷物を置いてしまうと――今回はマグルのホテルに滞在することになっているので、魔法で届けるということはしなかったのだ――わたしの最大の目的、青の洞窟へと向かった。マグルの旅行雑誌に載っているのを見つけた時はついつい興奮してしまった。あまり海に行ったことがないわたしは、海への強い憧れがある。そのうえこんなに美しいなんて。トムにずいぶん小馬鹿にされたけれど、いいのだ。言ってみればトムだって海に行き慣れているかといったら、そうではないくせに。

「トム、ボートを貸してくれるって!」

わたしがボート貸しの男の人と話しているのを遠くから眺めていたトムにそういうと、トムはつかつかと歩いてきて突然わたしの腰を抱いた。わたしが思わず「ひえっ」と声を上げるのにも構わず、「Grazie」と一言言ってそこから連れ去ってしまう。そのせいでにやにやと口笛まで吹かれてしまって、わたしは「ちょっと!」とトムに抗議した。

どこか不機嫌なトムはそのままボートに乗り込むと、杖をオールに向けてさっさと漕ぎ出してしまった。マグルたちにバレないように極力魔法を見える場所で使うな、と言ったのはトムなのに!しかしそんなことを言ったら「見たやつがいなければいいんだ」とかなんとか言って、彼らにひどいことをするに違いない、と考え直して黙っている。

「ねえ!トム、きれいね」

洞窟の中に入ると、思わず歓声を上げてしまうわたしに対して、トムはどちらかというと景色ではなくわたしの方を見つめたままだ。そんなトムにわたしは小首を傾げて「どうしたの?」と聞く。すると彼は眉間に軽くしわを寄せて、視線を外してしまう。仕方ないので彼のとなりに移動すると、ボートがひどく揺れた。「おい!」と声を上げたトムがわたしを向き直ると思いの外顔が近くて、時が止まったようにトムを見上げてしまう。

「……君は」

お互いに、お互いしか見ていなかった。せっかくこんな綺麗なところに来たのに、と考える暇もなかった。

「ナマエ、君は、君が男にどう見られているのかわかってない」

トムはそう言うと、わたしの頬をするりと撫でた。

「トム、もしかして……妬いてたの?」

わたしが思わずそう言うと、トムは不機嫌そうに眉を寄せた。しかし否定する言葉はない。わたしはくすくすと笑ってしまい、そのせいで両手でほっぺたをつねられた。

「ばかねえ、わたし、トムしか見てないのに」

わたしがそう言いながら、不意打ちでトムの唇にちゅ、と音を立てて可愛らしい口づけを落とすと、トムはとうとう固まってしまった。

しかしすぐにわたしの腰に手を回すと、「覚悟はできてるんだろうな」とまるで悪役のような口ぶりで、ゆっくりと顔を近づけてくるのだ。

「卒業後」でリクエストいただきました。ご希望に添えていれば幸いです。リクエストありがとうございました!
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