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「あの、シリウス」

グリモールド・プレイスに住み始めて、数日経った頃だった。居間やタペストリーの飾られた部屋といった、広めの部屋をシリウスと掃除し終わったわたしは、休憩と昼食を兼ねてテーブルを彼と囲んでいた。今日のメニューはシチューだ。クリーチャーはぶっきらぼうだけれど、料理はすこぶる美味しい。「美味しいわ、ありがとうクリーチャー」わたしがそう言うと、彼は決まって少し気まずそうに軽く会釈するのだった。

そんな彼を「単純な奴め」と形容したシリウスは、わたしの呼びかけに「ん?」と言いながら小首を傾げた。彼のスプーンには、大きい牛肉のかたまりが乗っている。

「わたし、実家に一度戻りたいと考えてるの。きっと荷物もまだ置きっぱなしだし」

わたしの言葉にシリウスは納得したように「ああ、」と声を漏らして、何度か頷いた。

「私も近々行かなければならないと考えていた。私の都合で君をここに引き留めているようなものだし……。君がいいなら、今日にでも向かおうか?」

「ええ、助かるわ」

するとシリウスは「善は急げだ」と先ほどよりずいぶんスピードを上げてシチューを口に運んだ。そんな姿をわたしはくすくすと笑いながら見つめていたけれど、まだわたしの皿に半分も
残っているというのに彼が食べ終わったので、わたしも慌ててシチューを飲み込むのだった。

自室に戻って準備をしたシリウスが戻って来る頃にちょうど食べ終わったわたしは、「もし荷物が多くなればフクロウで送ればいいさ」というシリウスの言葉を信じて席を立った。

「実は、君の両親が営んでいた本屋に行ったことがある。ジェームズ――ハリーの父親だが――がハリーの母の気を引こうと、秀才の彼女に倣って分厚い参考書を買いに夏休み二人で箒に乗って行ったんだ。

まあ、確かにリリーはジェームズに “勉強熱心ね” と珍しく声をかけ、ジェームズは舞い上がったが――実際のところ、その本はトロールの求愛方法を延々と書き連ねていただけだった。買ってから気づいたんだがね」

ええ、覚えているわ、と口にしかけて、わたしは慌てて口をつぐんだ。あの時ジェームズを騙してその本を買わせたのはわたしだった。とびきり頭が良く見える本よ、と渡したそれをご丁寧に読み切った彼に皮肉たっぷりの感想カードをもらったことを、わたしは鮮やかに記憶していた。それを思い出してくすりと笑ったのを彼は自分の馬鹿らしさのせいだと思ったのか、「いい奴だった。私はジェームズほど愉快で人を高揚させる男を他に知らない」と付け加えた。

付き添い姿くらましのためにわたしに手を差し出した彼に、「会ってみたかったわ、彼に」と言うと、シリウスは少し寂しそうに、けれど誇らしげに笑った。彼はずいぶんと、思い出話ができる人間を失ったのだった。

「さあ、行こうか。私は実のところ、箒の方が好きなのだがね……」

彼の語尾が消えゆく中で、バチン!という音ともにわたしは懐かしい――あまりに懐かしい、実家の姿を目にしていた。

わたしが扉を開けると、そこには何の変わりもない、見慣れた空間が広がっていた。天井まで続く本棚に、びっしりと押し込まれた本の数々。わたしの実家では、大衆的というよりは研究者向けの本を扱っていた。ニュート・スキャマンダーを尊敬していた母の意向で、ずいぶん魔法動物に関する書籍が多いものの、魔法薬学や闇の魔法に対する防衛術など、ここには古今東西研究者が精魂込めた研究の結晶たちが集まっている。

「……学生の頃も、この本の量に圧倒されたものだ」

シリウスも、どこかあっけにとられたようにそう呟いた。わたしはその背表紙をそっと撫でながら、部屋の奥へと向かう。そこには、表の店舗と自宅を区別する扉がある。

「私はここで待っていようか?」

そうシリウスが言った。わたしはその申し出に首を振って、「ここにいても退屈でしょう。お茶を入れるわ、どうぞ入って」と返し、中に彼を誘う。

シリウスと入ったリビングは、記憶と寸分違わぬ姿のまま、まるで先ほどまで父と母が熱心に囁き合っていたかのような――空気を残していた。シリウスにダイニングテーブルに進めると、わたしはキッチンに向かった。すると、物陰から小さな影が飛び出してきたので、わたしは思わず短く悲鳴を上げてしまう。途端にシリウスが魔法省から返却されたばかりの杖を手に駆け込んできた。しかしその姿は、見慣れたものだった。

「ペニー!」

わたしは思わず彼女の――我が家に仕える屋敷しもべ妖精の名前を呼んだ。彼女は両親が懇意にしていた研究者の死に際に、この家に譲られたのだった。

「お嬢さま!ずいぶんお若い姿で……?」

まん丸の目がこぼれ落ちそうなほど微笑みながら、しかし不思議そうに首を傾げているペニーに、わたしが「それって、」どういう意味、と尋ねようとした時だった。

第三者が扉をノックする音が聞こえて、わたしとシリウスは同時に振り返った。表のドアにはcloseの表記があったはずだけれど、お客さんかしら、と呟くと、ペニーがキンキン響く声で言う。

「お嬢さまがお戻りにならない間、黒髪の紳士が何度か訪ねられておりました!ペニーはきちんとおもてなしして、お帰りいただきました!」

わたしがシリウスを伴って店へと出ると、そこにいたのはずいぶん意外な人物で、わたしがつい「あっ」と声を上げると同時に、隣のシリウスが苦々しげに唸った。そこにいたのは、他でもないセブルスだったからだ。

「注文しておいた本を何度か受け取りに来たんだが、そこの屋敷しもべ妖精が、 “お嬢様” が戻らない限り店のものは触れないと言うのでね」

彼はそう言うと、嫌そうにシリウスに目をやり、「その大人気ない男がバカをしでかす前にどこかへやってくれ」とわざわざ言うので、一触即発の状態になった。しかしシリウスはわたしの手前爆発することはなく、父がよく座って店番をしていた椅子に腰掛けてセブルスを無視することに決め込んだようだった。

「セ……先生、すみません。わたしも今帰ってきたところなので先生の注文していた本がどれなのかさっぱりで……」

「それは問題ない。ミョウジ氏が生前そこにまとめてくれていたようだからな」

セブルスの杖の一振りで、分厚い本が数冊カウンターに乗せられた。わたしは慣れない作業にあたふたしながらも、金額を計算して本をまとめた。セブルスはそれをじっと見下ろしながら、思うところがあったのかどこか穏やかに言った。

「ここの本屋にはずいぶん世話になった。君の両親が亡くなられて以来、本の入手には手こずっていてな。いつかまた再開されることを願っている……」

セブルスが差し出した銀貨を受け取り、お釣りを用意しながらわたしは応えた。

「わたしもここにはとても愛着があるのでできれば廃業するのは避けたいんですけど、なにぶんわたしは学生だし、任せられる人の当てがないんです。誰かにこの家ごと貸すことができたらいいんですが」

「それなら当てがある」

今まで押し黙っていたシリウスが突然口を挟んだので、わたしもセブルスも一斉に彼を見た。いきなり視線を浴びた彼はセブルスの手前むっつりと口を曲げたままだけれど、こう続けた。

「もしナマエがいいなら、だが私に当てがある。しかしその話は後だ。スニべ、……スネイプは釣りを受け取ってさっさと出て行け」

言われなくても、とセブルスが足早に出て行ったので、どこか浮ついた気分のまま「当てって?」とシリウスに尋ねると、彼はリビングに戻りながら、「先にここを片付けてしまおう」とわたしの頭をぽんぽんと撫でた。

置きっ放しの荷物を片付けながら、わたしの隣で手伝いをしていたペニーに「さっきのことだけれど…… “お若い姿で”、って?」と尋ねたけれど、ペニーはきょとんと首をかしげるだけだった。

数日後、朝食をシリウスととっていた時に、彼の言った “当て” が姿を現した。

「おはよう、ナマエ――シリウスから聞いたんだが、仕事の伝手があると?」

わたしが座っている席の隣の椅子を引きながら唐突に現れた彼がそう言うので、わたしは思わず口に含んでいたスープを吹きかけるところだった。

「リーマス。あなたが?」

わたしがスプーンを置いてそう言うと、すっかり腰を落ち着けたリーマスはクリーチャーが彼のためによそったスープに手をつけながら頷いた。

「もちろんシリウスの様子を確かめにくる役目は果たすが、それだけではどうにもね。もし君が良ければ、ぜひ引き受けたいと思っているんだが」

彼の言葉に、わたしは迷う間もなかった。彼ほどの適任者はいないだろう。学生時代わたし達の中でもっとも勤勉で、責任感が強いのは間違いなく彼だった。それに、彼が読書家だったことも、わたしは記憶していた。湖の前の木に寄りかかりながら、彼と二人で図書館の本を読んだこともあったのだから。

「リーマスがよければ、ぜひお願いしたいわ」

「おいおい、もっときちんと考えなくてもいいのか。元教師だからって、気を使うことはない」

自分で推薦しておいてそう横槍を入れるシリウスに思わずくすりと笑ってしまったものの、わたしは深く頷いた。

「リーマスほどの人が引き受けてくれるのだったら、全部お任せすることができそうよ。これ以上の話はないわ」

今日も魔法省に行かなければならないシリウスをリーマスと見送って、わたし達はクリーチャーが皿を片付ける手伝いをしはじめた。クリーチャーはわたしたちに紅茶を出そうとお湯を沸かしたり、忙しなく働いている。

「先ほどのシリウスではないけれど、君があまりに即決するものだから驚いたよ。こんなにすぐ返事をもらえるとは思っていなかった」

「あなたのことを信頼しているからよ、リーマス。それに、家の維持もお願いできるなら、とてもありがたいしね」

アクシオで次々に積み上げられる皿を流し台に下ろしながら、わたしはそう答えた。

「毎月の収益は君に報告するよ、ナマエ。私の取り分は君に任せる」

「当面は全てあなたが受け取ってちょうだい。うまく行くかもわからないし、もしかしたらすずめの涙ほどの売り上げしかないかもしれない。あとで昔よく来ていた研究者の先生方に、再開の手紙を送るつもりよ」

そんな話をしているうちに、リーマスのスコージファイであっという間に片付いた洗い物を拭いて、わたしたちはクリーチャーが淹れた紅茶にありついた。ブラック家に置いてある茶葉はどれを取っても高級で、クリーチャーが添えるお茶菓子はそれをますます素晴らしいものにした。

「シリウスとの暮らしはどうだい」

ふと、リーマスが尋ねた。彼は親友のシリウスと、教え子のわたしを両方気遣っているようだった。

「とてもよくしてもらっているわ。なんでも買ってくれようとするのが難点だけど……。きっと、ハリーに今までしてあげたかったことをしてくれているのね。もちろん、ハリーにもたくさんお菓子やらいたずらグッズやらを送っているみたい。彼からの手紙に、部屋がパンクしそうって書いてあったから」

リーマスはわたしの話を聞くとくすりと笑って、「君は自分のことより人のことばかり話しがちだね」と言った。わたしがその言葉に思わず言葉を詰まらせ、「あー…」と目を回すと、リーマスはまた笑って首を振る。

「悪いことだと言っているんじゃないさ。もしかして、君がまだ気を使っているんじゃないかと思って」

「きっと、まだ慣れていだけよ。それに、気を使ってくれているのはシリウスの方だと思う。もっと――なんというか、親戚の女の子に対するみたいに、言葉は悪いかもしれないけど、適当に扱ってくれていいのに、彼は年上だからと遠慮してるみたい」

「おや。シリウスがそんな気を回せるようになったとは驚いたよ。学生時代には思いもよらなかったことだ」

リーマスがそんな軽口を叩くのでわたしが思わず吹き出した途端、居間の扉が開いた。ちょうど、噂をすればなんとやら、彼が帰ってきたらしい。

「私がいない間にナマエに妙なことを吹き込まないでくれ」

シリウスはマグルに扮していたのか、クラシカルなスーツ姿だった。ジャケットを脱いで衣紋掛けにかけると、どっかりと椅子に倒れこむようにして座る。ずいぶん疲れたようで、その顔は心なしかげっそりとしていた。

「役所には慣れない。ろくな思い出がないからな」

「まあ、あと少しの辛抱だろう。ナマエの新学期が始まる頃に君の裁判が始まるんだから」

リーマスが慰めるようにそう言った言葉に、シリウスは分かっていると頷くけれど、彼もそろそろ、この缶詰状態の生活に限界が近いのだろう。まともな外出といえばほとんど魔法省への往復で、わたしと買い物に行った時も極力身を隠さなければならなかった。家にこもることを苦手とする彼には、これほどの苦痛はないだろうに。

わたしがそう考えながらシリウスを見つめていると、リーマスが「でも、よかった」と呟いたので、わたしは思わず彼を見上げた。すると彼は、先ほどからわたしの横顔を見つめていたようで、その表情は柔らかい。

「ナマエがシリウスと住むことになって、私は良かったと実感しているよ。ナマエという話し相手がいるから、シリウスがこの生活になんとか耐えられているのだろうから」

リーマスはわたしの肩に手を置いて、優しい声で言う。もしかして、わたしの心配が伝わったのだろうか。シリウスははっと顔を上げると、リーマスの言葉を肯定するようにわたしの目を見て頷いた。わたしがリーマスを玄関まで送った時、リーマスはわたしの耳に唇を近づけて囁いた。

「君と過ごすことで、シリウスは成長している気がするよ。昔の彼だったら、もう爆発している頃だ」

わたしはその言葉にそんなことないわ、と返そうとしたけれど、その前にリーマスは姿くらましをして、一瞬のうちに消え去ってしまう。「さあ、入ろう」シリウスの言葉に従って扉を閉め彼の顔を見上げると、シリウスは「うん?」と優しく首を傾けた。少なくとも、その瞳は穏やかだ。

シリウスの自由な外出がゆるされたのは、それから数週間後のことだった。

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